今日観た映画の感想

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旧エヴァからのループもの?「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序・破・Q」感想

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、みんな大好き『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』ですよー!
公開時だったかレンタルDVDで一度観ただけだったので、今回久しぶりに再鑑賞しましまして、最初は一本ずつ感想を書くつもりでしたが、「序」を観終わった時点で「あ、これ無理だ」と気づき、3本まとめて感想を書く事にしました。
とは言っても、エヴァに隠された謎とかは僕にはよく分からないし、検索すればエヴァに詳しい人たちが詳しい解説が書かれてるので、そういうのを期待されてる人はそちらをお読みくださいね。

あと、今回はネタバレは一切気にせずに感想を書きます(というか、解らなすぎてどこからがネタバレかも分からない)
なのでネタバレは嫌! という人は、まずは3本観てからこの感想を読んでくださいね。

いいですね? 注意しましたよ?

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概要

1995年からテレビで放映され、社会現象にまでなった「新世紀エヴァンゲリオン」から12年後の2007年から始まった新シリーズで、劇場版全4部作の3本。
ガイナックスから独立し、“χαρά”を立ち上げた庵野秀明が総監督を務め、最先端のデジタル技術が繰り出す圧巻の映像と謎が謎を呼ぶ内容で、新たなファンも巻き込んで再び社会現象を巻き起こした。

感想

 僕がTV&旧劇場版「エヴァンゲリオン」をちゃんと観たのは、放送・公開からかなり経ってから。一応テレビ版と旧劇場版は全部観たんですよね。
で、今回の「ヱヴァンゲリヲン 新劇場版」も一応全部観てるんですが、一本一本の間隔が空いていて内容もうろ覚えだったので、今回、3本まとめて観てみたんですよね。

感想を一言で言うならなるほどわからん(特にQ)」なんですが、まぁでも「シン・ゴジラ」を観た現在、3本まとめて観たから理解出来る部分もあったりしましたねー。

リビルド? それとも続編?

本作の制作が発表されたとき、最初のタイトルは『エヴァンゲリオン新劇場版 REBUILD OF EVANGELION(仮題)』でした。

リビルドとは日本語で「再構築」という意味。
庵野監督はエヴァガンダムみたいに色んな監督に作って欲しいと思っていたんだそうです。
ところが希望者は現れず、だったら「エヴァってこういう物語ですよ」と庵野監督自ら“見本”として、旧エヴァの物語を“もっと分かりやすく”「新劇場版」で再構築しようとしたらしいんですね。

実際、「序」はまさにテレビ版のダイジェスト的展開で、時系列やストーリーの組み換えはあるものの、テレビシリーズ1話~人気エピソードの「ヤシマ作戦」までを98分で描いています。
必然的にシンジのウジウジタイムやストーリー的な枝葉が刈られることで、グッとシンプルに観やすくなったんじゃないかと思います。

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続く「破」では、新キャラ 真希波・マリ・イラストリアスが、エヴァンゲリオン仮設5号機で使徒を殲滅するシーンからスタートし、アスカは苗字が惣流から式波に変更されているなど、「新劇場版」独自のストーリーへと“分岐”していきます。

とはいえシンジが、アスカ、ミサト、レイなどに認められ心通わせる展開や、零号機ごと使徒に食べられた綾波レイを救い出すクライマックスなど、見せ場の多い王道展開で面白かったんですよね。

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そして「Q」ですよ。

「破」で高あぁぁぁく持ち上げてからの、「Q」で力いっぱい地面に叩きつけるっていう、TV番から続く庵野スタイル。

もちろん、「序」「破」でもそれらしき伏線は張られていたし、「破」のラストを観れば、あの庵野秀明がこのまま済ませはすまい。という予感もあったわけですが。

冒頭のシーンからアスカたちが一体何をしているのか、なぜアスカが眼帯つけているのか、まったく説明されないまま。

あれはどうやら、「破」ラストで、うっかり神化して「ニアサードインパクト」を起こしかけたシンジと初号機を、月からやってきたカヲル君がカシウスの槍で食い止め、ネルフ(ゼーレ)が初号機を十字の柩に封印したのを、ネルフに反旗を翻して「ヴィレ」になったミサトやアスカたちが奪還。
人類の敵になったネルフに対抗するべく巨大戦艦「AAA ヴンダー」のメインエンジンにするためにかっぱらったってことらしいです。

で、ヴンダーの中で目覚めたシンジですが、「破」であんなに頑張ったのに、みんな何故か冷たい――というか彼を恐れてるんですね。
しかも「破」のラストから14年も経っていて(パイロットは「エヴァの呪い」で歳を取らないらしい)、首には爆弾つきのチョーカー(エヴァで覚醒すると爆発するシステム)までつけられ、前作では「行きなさいシンジ君! 自分のためにー」なんて言ってたミサトに、「何もしないで」と言われる始末。
助けたはずの綾波も見当たらず、誰ひとりまともな説明をしてくれないので「ι(`ロ´)ノムキー」ってなったシンジは、迎えに来た綾波(のコピー)と一緒にヴンダーを脱出、ネルフに行きます。

すっかり寂れたネルフでシンジは、カヲル君とピアノ弾いたり、一緒に夜空を眺めたり、カヲル君の笑顔にドキドキしたりしますが、自分のせいで人類を全滅させかけたと知らされ大ショック。
追い打ちを掛けるように、ママンがエヴァの制御装置になってることや、綾波がママンのコピー人間であること、助けたはずの綾波エヴァに取り込まれたままだったことを知らされ、すっかり情緒不安定になってしまいます。

しかし、カヲル君の「リリスに刺さってるロンギヌスとカシウスの槍を抜いたら全部やり直せる」という甘言にやる気になったシンジ。
二人でエヴァ13号機に乗って(ゲンドウの罠と気づいたカヲル君の制止を振り切り)槍を引っこ抜いたらまたもやエヴァが覚醒。
フォースインパクトを起こしてしまうっていう物語なんですねー。

(´ε`;)ウーン…でもさ、これシンジは悪くないよね? って思うわけですよ。

結局大人の都合に巻き込まれて、嫌々エヴァに乗って命懸けで戦わされて、活躍しても褒められず、むしろずっと説教されて、「嫌なら帰れ」って言われたから帰ろうとしても道は壊れてるわずっと監視の大人に付きまとわれてるわ。
やっと友達ができて環境も変わってやる気になって頑張ったのに、目が覚めたら世界中がアウェーになっててって……。

そんなん、大人でも耐えられないでしょ。
「大人になれ」とか「何もしないで」とか「ガキ」とか「男でしょ」とか、うっせーよ、お前らが言うんじゃねーよ! っていうね。

ループもの?

で、新劇場版はどうやら旧エヴァをリブートしたのではなく、「また3番目とはね。変わらないな、君は」っていうカヲル君のセリフなどから、新劇場版が旧エヴァの続編で旧エヴァから繋がるループものの可能性が出てきました。

上記したように、庵野監督も最初は「リビルド」してサクッと作っちゃうつもりだったんでしょうけど、何か色々思いついちゃった感じなのかな?

まぁ、そのせいで庵野監督はうつ状態になって、第4作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」制作は大幅に遅れたわけですが。

庵野バース

そういえば「Q」のDVDには本編の前に特撮短編巨神兵東京に現わるが入ってますよね。

2016年公開の「シン・ゴジラ」のラストは、尻尾に無数の人型(第五形態?)が見えるところで終わるわけですが、この事から庵野監督の作品って、(多分)全部が同じ世界感で作られているのでは? と思いました。

まぁ、「ナディア」や「トップをねらえ」、「式日」などの実写作品はほとんど観てないので分かりませんけど基本、庵野さんの頭の中では「シン・ゴジラ」も「巨神兵東京に~」も「エヴァ」も、全てが繋がっている、いわば庵野バースになってるのではないかと。

時系列で言えば、シン・ゴジラ」→「巨神兵東京に現わる」(ファーストインパクト?)→「旧エヴァ」→「新劇場版」(旧エヴァからのループ?)→「風の谷のナウシカって感じ?

いや、ナウシカは宮崎さんの作品ですけど、巨神兵のシーンは庵野さんが担当してるし、巨神兵というアイデアが後の「エヴァ」の発想の原点(の一つ)になっていてもおかしくないですしね。

庵野さんが監督をするという噂の「ウルトラマン」や、「風立ちぬ」で声優をする代わりに作らせて欲しいと宮崎さんに言った「風の谷のナウシカ2」も、(今後もし実現したら)エヴァと何らかの形で繋がっていくのかもしれません。

しかし、まずは来年ついに公開される(ハズの)「シン・エヴァンゲリオン

完結編としてどういうオチがつくのか、っていうか本当に完結するのか、今から楽しみです。

興味のある方は是非!!

 

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試みとしては面白いけど「小さな英雄―カニとタマゴと透明人間―」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、スタジオジブリの制作部解散によりジブリを退社した西村義明プロデューサーが、米林宏昌の新作映画を作るため設立した制作スタジオ「スタジオポノック」の短編オムニバス作品『小さな英雄―カニとタマゴと透明人間―』ですよー!

米林宏昌、百瀬義行、山下明彦という元ジブリの三人が、「小さな英雄」というお題に沿って、それぞれ約15分の作品を制作しています。

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概要

メアリと魔女の花』を制作したスタジオポノックによるプロジェクトで、ちいさな英雄をテーマにした3本の短編で構成されるオムニバスアニメ。カニの兄弟の冒険『カニーニカニーノ』、母と少年のドラマ『サムライエッグ』、男の孤独な闘いを描く『透明人間』から成る。監督と脚本はそれぞれ、『借りぐらしのアリエッティ』などの米林宏昌スタジオジブリ作品に携ってきた百瀬義行と山下明彦が担当する。ボイスキャストには木村文乃尾野真千子オダギリジョーらが名を連ねる。(シネマトゥデイより引用)

感想

それぞれのストーリー紹介と感想

カニーニカニーノ」:監督 米林宏昌

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サワガニの兄弟・カニーニ木村文乃)とカニーノ(鈴木梨央)は、父親のトトとともに川底でひっそりと暮らしています。
しかし、ある大嵐の日にトトは危険が迫っていたカニーノを助け出すが、自身は濁流に巻き込まれ行方不明に。
カニーニカニーノは父を捜すため旅に出るのでした。

感想

(擬人化した)サワガニの兄弟から見た「世界」を描いた作品で、水面、水中を表現するために大胆にCGを使用するなど、これまでの作品とは違う挑戦をしていましたね。
また、大型魚もCGで描き、無機的な雰囲気、つまり怪獣的な怖さを演出しているのも、これまでの米林作品とは一線を画している感じでした。

ただ、ストーリーは正直凡庸、15分という短さも手伝って印象に残らないんですよね。
あと、父親と3人暮らしの兄弟に母親はいなくて、カニーノの回想で水面に上がっていく様子が描かれるので「あー、お母さんは亡くなってるんだなー」と思って観ていると、最後に子供を抱えて普通に帰ってきて…え? っていう。

サワガニは産卵を地上でするらしく、水面に上がっていった母親は単純に産卵しに行ってただけ……って、紛らわしいんじゃーい!!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ

っていうか、だとしたらカニーノが母恋しさに嵐の中家を出て、そのせいで父親が濁流に流されて大型魚に襲われて…って、なにやってんだこのクソガキ! って話になっちゃいますよ。

あと、父親が流されて泣いてるカニーノ(←お前のせいだけどな!)を見つめるサワガニの親子っていうシーンがあるんですが、そいつらは普通のカニなんですよね。
…え、どういうこと? カニーニカニーノはカニじゃないの?? って混乱しました。

映像的に言うと、クライマックスの巨大魚との対決は、(おそらく)怪獣映画的なノリをやろうとしてる(魚がシンゴジラっぽかったし)と思うんですが、だとしたら迫力不足だなーと。

水中だから音を抑えたのかもですが、いやいや、もっと地響き的な音とか、水流を巻き上げる嵐のような音とか入れて迫力を出せばいいし、魚が襲ってくるのを避ける時も大量の砂煙が巻き上がったり、水流に二人が吹っ飛ばされそうになったり、そういうケレン味溢れる絵的なリアクションをもっと入れて、魚の巨大さや怖さを思いっきり出したほうが、対決のオチが引き立つハズですしね。

タヌキを出して高畑勲オマージュとかやる前に、ストーリーや設定をもっとしっかり詰めたほうがいいんじゃないかと思いましたねー。

 

「サムライエッグ」:監督 百瀬義行

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出生時から重い卵アレルギーに悩まされている野球が好きな少年・シュン(篠原湊大)。
両親はそんなシュンが誤って卵を食べないよう注意を払っていましたが、野球の練習から帰ってきたとき、母(尾野真千子)がいない中で誤って卵が含まれたアイスクリームを食べてしまうのです。

感想

食物アレルギーを持つ子への「経口免疫療法」(アレルギーの元になる食べ物を少しずつ接種して体を慣らしていく治療)のシーンからスタート。
時間が戻って、そこに至る母子の物語が描かれる構成です。
さすがベテランだけあってストーリー構成も無理がないし、食物アレルギーの子の生活や大変さがリアルに、そして真摯に描かれている印象。

それでいて、母が仕事でいない中、シュン君が野球の練習帰りにいつも食べているアイスに卵が入っていた(仕様が変わった?)ため、アレルギー症状が出てしまうクライマックスは、彼の焦燥感が痛いほど伝わってきながらも、生命力に溢れた素晴らしいシーンでした。

その前に、シュン君がいかに不便な生活をして、卵を生活から排除するのがいかに大変かを描き、発作を起こしたシュンに母親がエピペン(発作時に打つ簡易注射)を打つシーンや、野球の帰り道でシュン君が鳩の死骸を見つけるシーンなどを入れて、クライマックスでエモーションが高まるように計算されてるんですよね。

ただ、大人が観る分には面白いし感動するけど、子供はどう思うかな? ってのが気になりました。特に冒頭の「経口免疫療法」は、もう少し説明があった方が良かったかも。

 

「透明人間」:監督 山下明彦

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古いアパートに暮らす“彼”(オダギリジョー)は、周囲と何ら変わらないごく普通の青年としての毎日を過ごしています。
しかし、外に出れば、他人も、自動ドアも、ATMも、彼を認識しません。
なぜなら彼は透明人間だから…。

感想

3本の中では、個人的に一番お気に入りの作品です。
主人公の彼が、ただ透明なだけではなく重りがないと宙に浮いてどこまでも飛んでいってしまうという設定も新鮮でしたねー。

それはつまり、影が薄くて目立たない=何者でもなく代用可能な人間。“重り”がなければあっという間にセカイから放り出されてしまう現代の人間のメタファーであり、そんな彼が盲目の男( 田中泯)に存在を見つけてもらうことで、アイデンティティと勇気を得るという物語なんですね。

それだけなら、地味な作品になりそうな感じですが、重りがないと宙に浮いてしまうという設定をストーリーだけでなく、中盤・クライマックスの盛り上げに上手く活かしていたし、ラストでほんの少し自信を取り戻した“彼”が、重りがなくても浮かなくなった事をバイクの乗り方だけで絵的に表現したのも凄く良かったです。

個人的には、このストーリーを長編で観たいって思いましたねー。

まぁ、子供が本作を観てどう思うかはまた別の話ですがw

総評

スタジオとして一本の長編映画を作るのではなく、三人の監督がテーマに沿ってそれぞれ短編を作りオムニバス形式で発表するという試み自体は面白いと思いました。

ただ、一本15分はやはり短く正直物足りなさが残るのと、テーマだけでなく、それぞれの作品に緩やかな繋がりがあったほうがいいような気がしましたねー。

例えば、「カニーニ~」の中にシュンを連想させる何かがチラっと登場→「サムライ~」に透明人間に関連する何かが(同上)→「透明人間」に「カニーニ~」を連想させる何かが~みたいな感じで。

そうすることで、単に15分の物語を3本並べるのではなく、同じ世界観の中でそれぞれの物語が展開されているという、ユニバース的まとまりが出てくるんじゃないかと思いました。

あと、OPと幕間に出てくるCG丸出しのアレは、正直ダサいしいらないって思いましたねーw

興味のある方は是非!!

 

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“あの”イーライ・ロス監督がファンタジー映画を!?「ルイスと不思議の時計」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、児童小説原作のファンタジー映画『ルイスと不思議の時計』ですよー!

予告で観た時は、子供向けの魔法ファンタジーって感じで興味がなかったんですが、イーライ・ロスが監督と知って俄然興味が沸きました

だって、「ホステル」や「グリーン・インフェルノ」などゴアホラーでお馴染みな“あの”イーライ・ロスですよ?

その彼のファンタジー映画とくれば、そんなん気になるでしょ!!

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概要

ジョン・ベレアーズの児童文学を原作にしたファンタジー。少年と2人の魔法使いが、世界を救うために時計の謎に挑む。監督は『グリーン・インフェルノ』などのイーライ・ロス。『グースバンプス モンスターと秘密の書』などのジャック・ブラック、『ブルージャスミン』などのケイト・ブランシェット、ドラマ「デスパレートな妻たち」シリーズなどのカイル・マクラクランらがそろう。(シネマトゥデイより引用)

感想

ざっくりストーリー紹介

1955年、両親を亡くし、叔父のジョナサン(ジャック・ブラック)の世話になることになった少年ルイス(オーウェン・ヴァカーロ)。

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初めて会ったジョナサンは見るからに変人だし、彼の家は子供たちが「呪いの家」と呼ぶ不気味な洋館で不安になるルイスですが、やがてジョナサンが魔術師、隣家に暮らす美女ツィマーマン(ケイト・ブランシェット)が魔女だと知ったルイスは、自分も魔術師になりたいとジョナサンに頼み込み、その才能を開花させていきます。

しかし、二人はルイスに何か隠し事をしているようで――。という物語。

制作はスピルバーグアンブリン・エンターテインメントで、イーライロスはスピルバーグに「怖く作ってくれ」と言われたそうですね。

原作

本作は1973年にジョン・ベレアーズにより出版され、その後ルイス・バーナヴェルトを主人公とするシリーズ物となる児童小説「壁のなかの時計」が原作。

1991年にジョン・ベレアーズが亡くなってからはブラッド・ストリックランドが執筆を引き継ぎ、全12巻が出版されてるんですね。

日本では2001年から2004年まで「ルイスと魔法使い協会」というシリーズで第8作まで翻訳され、今回の映画化にあたり映画の邦題に合わせて改題。
ハリーポッターの日本版で知られる静山社からルイスと不思議の時計のシリーズで第3作まで出版されています。

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そんな本作は「ハリー・ポッター』の原点」と言われているようで、確かに主人公ルイスの両親が亡くなっているとか、現代に魔術師が暮らしているという設定は似ているんですが、「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリング自身は、影響を受けた作品の中に本シリーズは挙げていないらしいんですよねw

恐らく、「ハリー・ポッター」の人気に乗っかって本作出版する際に、設定が似ている事に目をつけた出版社が、泊をつけるためにそういう触れ込みにしたんじゃないでしょうか。

監督

そんな本作を監督したのは、バカ大学生が東欧旅行で浮かれてたら殺人クラブでひどい目に遭う「ホステル」や、意識高い系大学生がアマゾンで人食い族に美味しく頂かれちゃうグリーン・インフェルノなど、ゴア描写たっぷり系ホラー映画でお馴染みのイーライ・ロス

彼の映画を観たことがある人なら、イーライ・ロスが子供向けのファンタジー映画の監督」と聞いて耳を疑ったんじゃないでしょうか?

とはいえ、「ホステル」も「グリーン・インフェルノ」も、ゴア描写ばかりがクローズアップされがちですが、映画としては面白く出来てるしイーライ・ロス自身は腕のある監督だと思うんですよね。

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現に本作も、冒険ファンタジーとして上手くまとまっていながらも、イーライ・ロスを感じさせる屋敷や人形などの不気味さや、悪い魔術師の魔法で顔はジャック・ブラックなのに体は赤ん坊になってしまう悪趣味さ、植木のガーゴイルがルイスやジョナサンに何度も糞を引っ掛けるなどの下らないコメディが絶妙のバランスで物語を盛り上げているのです。

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そして本作は、楽しい魔法ファンタジーでありながら、孤独や同じ痛みを持つルイス、ジョナサン、ツィマーマンが協力し合いながら居場所をみつける物語でもあるんですね。

面白いけど印象に残らない

そういう意味で、本作は大人も子供も楽しめる娯楽作品ではあるんですが、正直に言えば「可もなく不可もなく」という感じで、そこまで印象に残る作品ではないんですよね。

ジャック・ブラックケイト・ブランシェットという芸達者なキャストのやりとりはもちろん素晴らしいし、ルイス役のオーウェン・ヴァカーロもとても良かった。

イーライ・ロスの演出だって上記のとおり良かったわけですが、なんて言うかこう、ハリーポッターみたいな現実の向こうにある魔法世界の広がりは特に見えず、特に悪いところはないけれど、全体的に小ぢんまりとまとまってる感じなんですよね。

なので観ている間は楽しいけど、観終わったあとに印象に残らないっていう。

これがティム・バートンギレルモ・デル・トロみたいにもう少しダークファンタジー方向に振り切るか、スコセッシのヒューゴの不思議な発明みたいに「これ!」 っていう“何か”があればまた印象が違ったのかもですが、ファミリー映画という縛りもあって、イーライ・ロスに少し遠慮が出てしまったのかな? なんて思ったり。

っていうか、そもそもホラー監督とは言っても、イーライ・ロスのホラーは怖さの方向性が違うし、本作はイーライ・ロスの魅力が出しきれてない感じがしました。

ただ、前述したように大人も子供も楽しめると思うし、少なくとも観ている間はホントに楽しめる作品だけに、個人的にはその辺が、少々もったいない感じがしましたねー。

興味のある方は是非!!

 

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映画の定義って何?

ぷらすです。

先日書いた「ROMA/ローマ」感想に、仲良くしてもらっているブロガーKONMA08 (id:konma08)さんから、ある質問を頂きました。

aozprapurasu.hatenablog.com

「ぷらすさんの映画の定義って何すか?」と。

KONMAさんは、「ROMA/ローマ」がアカデミー賞で作品賞を始め10部門でノミネートされた事から、この疑問を持たれたようで、僕以外の映画ブロガーさんにも同様の質問をして、その回答を一本の記事にまとめていらっしゃいます。

konma08.hatenablog.com

僕の回答はリンク先、KONMAさんの記事を読んでいただくとして、ちょっと言葉足らずだった部分を補足する意味で、今回は「僕の考える映画の定義」について、書きたいと思います。

メディアとしての違い

漫画やアニメの実写映画化といえば、マーベルコミックやDCコミックなどのヒーロー映画から、日本の少女漫画を若手人気俳優が演じる映画まで沢山ありますよね。

日本人のほとんどが原作を知らないアメコミはともかく、日本のマンガ原作の実写化は何かと批判されがちなジャンルではあるかと思います。

原作ファンにしてみれば、大好きで思い入れのあるキャラや物語を勝手に変えられるのだからある意味当然とも言えますが、個人的にマンガ(アニメ)の実写化で失敗した作品って、

1・原作通りにやろうとして失敗。
2・原作を変えすぎて失敗。

のどちらかなのではないかと。

2の「原作を変えすぎて失敗」は分かりやすいと思いますが、1の「原作通りにやろうとして」は良いことじゃないの? と思われるかもしれません。

ところが、マンガと実写映画では「メディアとしての文法」が違うので、そもそも「原作通り」は無理なんですよね。

なぜなら、マンガは絵とセリフの組み合わせで物語を読ませるべく進化した、全てが(作為的に)デフォルメ・記号化された世界だからです。

それらは、マンガ(アニメ)というメディアだから成立する表現で、これを現実の人間でやると、どうしても違和感が出てしまうんですよね。

例えば、キャラクターが叫びながら殴りかかる怒りの表現はマンガ(アニメ)なら成立するけど、これを実写映画で人間がやると「そんなやついないだろう」って観ているほうが共感出来ない=表現として成立しない。

僕が言う「文法が違う」というのはそういう事で、だからマンガ(アニメ)作品を実写映画化するなら、映画用の作劇に「翻訳」しなくてはならず、実写映画化の成否はこの翻訳の出来にかかっていると言っても過言ではありません。
それはマンガ(アニメ)→実写に限らず、小説・演劇などのメディア全般に言えることですが。……って、あれ、何の話だっけ?w

ドラマと映画の違い

では、同じ(実写)映像メディアである、ドラマと映画は何が違うのか。

端的に言えば、ドラマはセリフ劇であり、映画はアクションであるって事だと個人的には思っています。

「人が演じる」と言うと、まず舞台演劇(以後、演劇)がありますよね。

演劇の特徴は、言うまでもなく人間が舞台上で芝居を演じて、客席で観客が観るということ。

観客は自分の座る席から動くことは出来ないので、映像で言えばカメラ据え置きで舞台で動く人間を映している状態。

また、舞台という限られた空間の中で芝居が行われるので、「ここは何処で、自分たちは何者で、今はどういう状況・感情か」をセリフで説明し、観客と共有することで物語は進んでいきますよね。
つまり、舞台は基本的にセリフ劇なのです。

その演劇の作劇(文法)に近いのがテレビドラマ。

元々は、斜陽になった映画業界からスタッフ・キャストが移ってきて始まったテレビドラマですが、当時のテレビは画面が小さく映像もあまり良くない状況。

また、お母さんは家事をしながらテレビを“聞いている”ことが多かった時代なので、映像を観なくても内容が分かるようにドラマはセリフ主体の劇になり、現在もその作劇文法は引き継がれています

一方、映画は写真を動かすことから始まったメディアで、つまりはアクション=動きで見せる事こそが真骨頂。

無声映画は、(映像の合間に簡単な状況説明やセリフ字幕は入るものの)基本的には役者の表情や動き、つまり「アクション」でキャラクターの置かれた状況や感情の動きを描き、トーキーの時代になってもその根底には映画=アクションという文法が根付いていて、ズームアップやロングショットといった撮影技法、モンタージュなどの編集技法も、「アクション」をより効果的に見せるために発明されたんですね。

なので、僕が「映画的」という時は、基本的にはセリフに頼らず映像で見せる作品を指しています。(もちろん例外は沢山ありますけど)

「ROMA/ローマ」

そういう意味で、「ROMA/ローマ」は極めて「映画的」な作品です。
セリフを極限まで排し、アクションと音で状況やキャラクターの感情を表現した作品で、「アカデミー賞」で多くの賞を取るのも納得ですよ。

ただし、(スマホだのタブレットだのは論外として)家のテレビやPCモニターで観たときに、この作品の良さを100%味わえるかと言われれば、かなり難しいな気はしますけども。

個人的に「ネット配信」を前提に作られた映画は「映画」と言えるかと聞かれれば、YESと答えます。
なぜなら、僕の映画体験は家のテレビで観た映画から始まっていますから。

なので「作品」と「ネット配信であること」は本来切り離して考えるべきだし「ネット配信だから映画ではない」と答えるのは、今の自分自身を否定することになってしまいますしねー。

ただ、出来ればネット配信だけでなく、映画館上映+DVD発売・レンタルと、出来るだけ作品に触れられる間口は広げて欲しいとは思いますけどね。いや、マジで。

というわけで、「映画の定義」についてでしたー。(´∀`)ノ

*個人の感想です。

 

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身も蓋もないくらいに愚かで、痛々しいくらいに剥き出し「愛しのアイリーン」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、「宮本から君へ」などで知られる漫画家、新井英樹の同名漫画を、本作の熱烈なファンである吉田恵輔監督が実写映画化した『愛しのアイリーン』ですよー!

個人的に、異常に熱量が高く叩きつけるような絵柄と、人間の暗部を剥き出しのまま描く物語が苦手で、新井英樹さんのの漫画は読んだことがありません。
なので、本作も原作未読の状態で観たんですが、ただただ圧倒されてしまいましたねー。

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概要

漫画家・新井英樹の原作を、この作品に大きな影響を受けたという『ヒメアノ~ル』などの吉田恵輔が映画化。『俳優 亀岡拓次』などの安田顕が、フィリピンの女性と結婚する主人公を演じる。すご味のある母親を『ハローグッバイ』などの木野花、謎のヤクザを『あしたのジョー』などの伊勢谷友介が好演。(シネマトゥディより引用)

感想

吉田恵輔監督の作品では、本作と同じく漫画原作の「ヒメアノ~ル」を観たんですが、とにかくインパクトが強くて。
しかも本作はチームナックスの“ヤスケン”こと安田顕が主演ということもあって「だったら観てみようか」と今回レンタルしてきました。

先にざっくり感想を言うと、安田顕木野花、フィリピン人女優のナッツ・シトイの、文字通り鬼気迫る演技に、ただただ圧倒されっぱなしの137分でした!

ざっくりストーリー紹介

42歳になるまで実家暮らしで、恋愛とは無縁だった独身の岩男(安田顕)が、失恋&父親とのケンカを機に貯金の450万をはたいて「フィリピン人との国際結婚ツアー」に参加。フィリピン人のアイリーンと半ば自暴自棄に結婚し家に戻ると、父親の葬式の真っ最中だった。

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突然ガイジンの嫁を連れてきた岩男に母ツル(木野花)は激高し、亡き夫のライフル銃を持ち出し大騒ぎとなり、家に戻れない二人はラブホテルを転々とする生活をしながら少しづつ距離を縮めていく。

その間、ツルは二人を別れさせ、友人から紹介された女性を岩男の嫁にするため、フィリピン女性を相手に女衒を営む塩崎・ホセ(伊勢谷友介)と結託。
一旦は二人を許したフリをして油断させ、岩男が出かけている隙にホセにアイリーンを誘拐させようとする。

その時、岩男が帰ってきて――というストーリー。

つまり、本作のテーマを一言で言うならディスコミュニケーションで、岩男、アイリーン、ツルの三人それぞれのすれ違いが、悲劇的かつ凄惨な結末へと繋がっていくわけですねー。

身も蓋もないくらい愚かで、痛々しいくらい剥き出し

そんな本作に登場するキャラクターは、どいつもこいつもホントどうしようもなくて、“正しい人”は一人も出てきません

岩男の働くパチンコ店に務める子持ちの女性(旦那は刑務所に収監中?)は、子供を家に置いて店長とセフレになったり岩男を誘惑しきたり。
店長は行きつけのフィリピンパブで女性を買いまくり、フィリピンパブで働く女性たちも当然のように客相手に売春して稼ぐ。

その斡旋をしてるのは店長で岩男の結婚ツアーも彼の手引き。
フィリピン女性と日本人男性の間に生まれたホセは、蒸発した父親や世間の偏見や差別を憎みながら、フィリピン人女性をそうした店に送り込む女衒の仕事をしています。

そして、岩男の母親ツルは、息子の結婚を願いつつも、相手は自分の気に入った女性以外認めないし異常なほど過干渉。

でも、こういう母子はきっとたくさんあるし、フィリピンパブで売春斡旋も(多分)普通にあるし、嫁の来てがなくてアジアの国に嫁探しのツアー(という名の人身売買)なんてのもよく聞く話。
フィリピン女性の“出稼ぎ”には当然ホセのようなブローカーも絡んでいるんでしょう。

つまり、本作で描かれているのは決して荒唐無稽な話ではなく、今現在、日本各地で起こっているであろうリアルな現実なんですよね。

それを、吉田監督は(20年以上前の漫画を原作にして)、身も蓋もないくらい愚かに、痛々しいくらい剥き出しに「現在進行形の日本」を描いているんですね。
そういう意味で本作は(僕は原作漫画は未読なのでハッキリとは言えませんが)多分、原作の本質にものすごく忠実なんだと思います。

本作の映画評でよく目にするのは「不器用」という言葉なんですが、本作で描かれている人たちは「不器用」なんて生易しいものではなく、それ以外の選択肢がないし、それしか考えられない環境に置かれているんじゃないかと。

ヤスケン木野花、ナッツ・シトイの鬼気迫る演技アンサンブル

そんな本作の白眉は、主演の安田顕、ツル役の木野花、アイリーン役のナッツ・シトイの文字通り鬼気迫る演技アンサンブルです。

原作の岩男とは見た目は全然違うヤスケンすが、ルサンチマンを抱え捻れまくっている(けど純粋な)岩男は、まさにヤスケンのためにあるようなハマリ役で、「オマ〇ゴーー!!」と叫ぶヤスケンの迫力は(多分)原作の岩男そのものなんじゃないかと思います。

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木野花演じるツルも、原作ではかなりパンチの効いた風貌のキャラですが、そこはベテラン女優の木野花だけあって、「県民ショー」や他のドラマのイメージとは全く違うエキセントリックな母親を、観客の度肝を抜くほどの迫力で演じているんですね。

逆にアイリーン役のナッツ・シトイは、まさに漫画から抜け出てきたという表現がピッタリ。カタコトの日本語で話す時は原作通り少女のように天真爛漫に、しかしタガログ語や英語で話し出すとしっかり年相応の女性に見えるように演じ分けています。

そんな三人の演技アンサンブルは、中盤まではコミカルかつロマンチックに、しかし後半の“アイリーン誘拐事件”を経て、どんどんドライブがかかって観客を劇中に引きずり込んでいくのです。

最初は家族への仕送りのために結婚したアイリーンと、とにかくセックス目的でアイリーンを“買った”岩男ですが、一緒に過ごすうち徐々に距離は縮まっていき、愛情めいたものが芽生えてきます。

それが極に達するのが、二人で花火を見て、繁華街をぶらつきながら会話とキスを交わす美しいシーンと、アイリーン誘拐事件の顛末を経ての凄惨なセックスシーン。
そして「このまま幸せになっていくのかな?」と思わせておいて二人の歯車が決定的に狂っていく――という怒涛の後半。

そして「もう! なんでだよーー!ι(`ロ´)ノムキー」と思ったところで分かる岩男の本当の気持ち。

一方で、一見アイリーンに対し暴君のように振る舞いながらも、自分の生きた時代の価値観と経験でしか物事を測れない母親の、愚かだけど悲しい性もしっかりと描かれているんですね。

極めてミニマムな物語でありながら、その向こうには今の、そして未来の日本が抱える病巣が見える多重構造になっていて、なんていうか、僕の拙い語彙ではこの映画を上手く言い表す事が出来ないです。

もちろん伏線の張り方があからさま過ぎるとか、いくら文化が違っても葬式はわかるだろとか、作劇のアラがないわけではないけど、それらはヤスケン木野花、ナッツ・シトイの熱演でカバーされている……というか、圧倒されちゃって気にならなくなってしまいます。

とはいえ、女性目線で観れば決して楽しいストーリーではないし、むしろ嫌悪感を持つ人がいるのも当たり前な映画なので、そういう意味では観客を選ぶ映画なんじゃないかと思ったし、積極的にオススメは出来ないかもですね。

ただ、この映画は確かに強烈で凶悪、凶暴で最悪ではあるけど、その奥にある「何か」を描いた純愛映画なのだと僕は思うし、好き嫌いはともかく観るべき価値のある映画だと思いましたねー。

興味のある方は是非!!!

 

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モキュメンタリーならぬ“ロキュメンタリー”「スパイナル・タップ 」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは「スタンド・バイ・ミー」などのロブ・ライナー初監督作品『スパイナル・タップ』ですよー!

米国では1984年に公開されましたが、日本では34年を経た昨年劇場公開されたらしいです。

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概要

架空のハードロックバンドをめぐるフェイクドキュメンタリー。全米ツアーを行う彼らを待ち受けるトラブルの数々を追いながら、バンドの軌跡をたどる。メガホンを取り、劇中に登場する映画監督にふんするのは『スタンド・バイ・ミー』などのロブ・ライナー。ドラマシリーズ「ベター・コール・ソウル」などのマイケル・マッキーン、脚本家や監督としても活動しているクリストファー・ゲストらが出演する。レッド・ツェッペリンなど実在するバンドのエピソードをベースにしたというシーンもある。(シネマトゥディより引用)

感想

ロックのモキュメンタリー、略して“ロキュメンタリー”

本作はイギリスのロックバンド「スパイナル・タップ」の全米ツアーを追うドキュメンタリー。

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スパイナル・タップは60年代にデビューしたイギリスのバンド。
ビートルズスタイルでデビューし、その後フラワーチルドレンを経てハードロックバンドに。

すっかり大御所となったものの人気に陰りが見え始めた彼らは、最新アルバム発売に合わせて全米ツアーを敢行するんですが、その様子をドキュメンタリー監督マーティ・ディ・ベルギーが密着取材する……という“体”(てい)で作られた、フェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)形式のコメディー映画なんですねー。

バンドメンバーは、ナイジェル・タフネルリードギター)、デイヴィッド・セントハビンズリードギター)、デレク・スモール(リードベース)の三人なんですが、

ナイジェル役を俳優・映画監督・脚本家クリストファー・ゲスト
デイヴィッド役を俳優でコメディアンのマイケル・マッキーン
デレク役を「ザ・シンプソンズ」の声優として知られるハリー・シーラー

が、それぞれ演じ、バンドを追うドキュメンタリー監督のマーティ・ディ・ベルギー役は、本作の監督ロブ・ライナーが自ら演じています。

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画像出典元URL:http://eiga.com /若き日のロブ・ライナー

しかも、スパイナル・タップの楽曲は全てこの3人が作詞作曲し、実際に演奏や歌も担当してるんですねー。

劇中のやりとりはほぼアドリブで脚本は存在せず、そのリアルさから公開当時は本当のドキュメンタリーだと思った観客から「カメラワークが悪い」などのクレームが寄せられたり、あまりの人気に映画とはまったく関係のない2枚目のアルバムを発表するなど、スパイナル・タップは米国などでは実在のバンド扱いでカルト的な人気を誇ってるらしいですよ。

確かに言われなければ、(少なくとも途中までは)「へー、こんなバンドがいるんだー」って思っちゃうかも。

とはいえ、ドラマーが次々に変死するとか、明らかにおかしなところもいっぱいあるんですけどねw(自然発火死とかステージ上で爆死とかあるわけないw)

一方で、舞台裏からステージに出る途中で迷子になってしまうエピソードには多くの大物ミュージシャンが「俺もあるー!」と告白したり、米ヘヴィメタルバンド“ドッケン”のジョージ・リンチは本作を見たときに「これ俺たちじゃん!」と叫んだのだとか。

U2のギタリスト、ジ・エッジは「泣いた」と言い、本作を50回鑑賞したというスティングは「リアル過ぎて泣いていいのか笑っていいのかわからなかった」とコメントしてるそうですよ。

それほど、本作で描かれるエピソードの数々は、リアルなバンドあるあるが満載だし、バンドに干渉して解散寸前に追い込むデイヴィッドの恋人ジーニン(ジューン・チャドウィック)は、多分オノ・ヨーコがモデルですw

解散寸前のバンドメンバーでしたが、ラストのアルバムが日本で大ヒットしたことで仲直り。みんなで日本ツアーというオチは、アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち」を思い出して、嘘だと分かってるのに思わず胸が熱くなってしまいましたねー。(「アンヴィル~」の方が公開は後で本当のドキュメンタリーだけど)

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とはいえこの映画、公開当初は控えめな成功は収めたものの大ヒットというほどではなかったそうで、ビデオが発売された後にクチコミで人気に火がつき、今尚カルト的な人気があるのだとか。
ブレードランナー」と同じパターンですね。

評論筋も絶賛

批評家からは、ロックスターの波乱万丈なライフスタイルへの風刺のためだけではなく、ノンフィクション映画ジャンルそのものへの風刺としてもこの映画を称賛し、

雑誌『エンパイア』の「史上最高の映画500」リスト48位。
雑誌『タイム・アウト・ロンドン』は、本作を史上最高のコメディ映画と賞賛
ニューヨーク・タイムズの「今まで制作された最高の映画ベスト1000」
『トータル・フィルム』の「史上最高の映画100」
雑誌『エンターテインメント・ウィークリー』の「古今の最も素晴らしい映画100」
2003年の『エンターテインメント・ウィークリー』誌の「カルト・ムービー・トップ5」
Mojo』誌が2005年に発表した「歴代ロック映画トップ10」などに選出。
同年のBLENDER』誌の「ロックンロール映画オールタイムベスト100」で第1位を獲得するなど今尚評価が高く、2002年にはアメリカ議会図書館によって「文化的、歴史的、審美的に重要」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されたんですねー。

これだけの評価を得たのは、本作が単にバンドあるあるを描いたコメディー映画というだけでなく、笑いを交えながらも、その奥にある友情や音楽への愛、普遍的な人間ドラマを描いたからではないかと思います。

ロックやヘヴィメタルが大好きな人はもちろん、僕みたいに音楽にはあまり興味のない人も楽しめる内容になってますし、時間も90分弱と見やすいのでオススメですよー。

興味のある方は是非!!

 

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人間の業を戦争という鍋で煮込んだような映画「戦争のはらわた」(1977)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー監督の戦争映画『戦争のはらわた』ですよー!
タイトルは知ってたけどドイツ軍が主役の映画だという内容は全く知らずに観たので、最初はかなり混乱してしまいましたねー(〃ω〃)>

というわけで、今回は昔の映画なのでネタバレ全開で書きますが、まだ未見の人でネタバレなしで本作を観たい人は、先に映画を観てからこの感想を読んでくださいね。

いいですね? 注意しましたよ?

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概要

第二次大戦中、ドイツの敗色が見え始めた1943年、ロシア戦線。ドイツ軍の一中隊を舞台に、人間味ある伍長と冷徹な中隊長との確執、最高の名誉とされた“鉄十字章”をめぐるドロドロの人間模様を、ペキンパーが大迫力で撮り上げた大作。(allcinema ONLINE より引用)

感想

本作はイギリス・西ドイツ合作で、第二次世界大戦中の1943年、ドイツ軍とソ連軍が激戦を繰り広げた東部戦線を、ドイツ軍の視点で描いた作品なんですね。

サム・ペキンパー監督作ということやタイトルは知ってたんですが、恥ずかしながら内容を全く知らない状態で観たので最初はかなり混乱したし(米軍を描いた映画だと思ってた)、登場人物もかなり多いのでキャラクターや状況が掴みきれず、ウィキペディアのあらすじを読んでやっと「そういう映画だったんだ」と理解しましたよ。(〃ω〃)>

ストーリー

東部戦線はドイツを中心とした枢軸国とソ連軍が激突。
東ヨーロッパ全域を巻き込み両軍合わせて4000万人近い死者を出した史上最悪の地獄の戦線と言われているそうです。
本作はドイツ軍の敗戦濃厚な東部戦線末期が舞台。
クリミア半島東隣のタマン半島ソビエト軍と対峙しているドイツ軍のクバン橋頭堡に、西部戦線のフランスからシュトランスキー大尉(マクシミリアン・シェル)が志願して着任してくるわけですが、この男は貴族で名誉欲が強い嫌な奴なんですよね。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 名誉を求めて東部戦線に志願してきたシュトランスキー

一方、クバン橋頭堡には兵士や上官からの信頼は厚い英雄シュタイナー伍長ジェームズ・コバーン)という男がいて、彼は旗色の悪いドイツ軍の中で小隊を率いて戦績を上げている超有能な男。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 仲間からの人望が厚い英雄シュタイナー

会社で言えば親のコネで幹部になったバカ息子と、長年会社を支えてきた叩き上げの現場監督みたいな感じですかね。

そんな対照的な二人は、いきなりソ連軍少年兵捕虜の扱いや行方不明となった部下の捜索を巡っていきなり対立。
しかし、どうしても武勲を上げて鉄十字勲章が欲しいシュトランスキー大尉は、(内心で疎ましく思いながらも)シュタイナーを曹長に昇格させ懐柔しようとしますが相手にされません。

そしてシュトランスキーに射殺を命令されていた少年兵捕虜を、シュタイナーが独断で逃がそうとしたその時、ソ連軍の攻勢が始まり少年兵は味方に誤射され死亡。

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画像出典元URL:http://eiga.com / シュタイナーが逃がした途端殺されてしまうソ連軍少年兵捕虜
最初男装した女優かな? と思ったけど、調べたらちゃんと男の子でした。

実戦経験のないシュトランスキーは狼狽し、本部への野戦電話にしがみついて地下壕から出ようとせず、シュタイナーたちの信頼が厚い第2小隊長マイヤー少尉は、塹壕での白兵戦で戦死。シュタイナーは部下を率いて善戦するも、砲撃の爆発で脳震盪を起こし後方の病院へ送られてしまいます。

洗浄の後遺症でフラッシュバックによる幻覚を見るなどダメージの大きいシュタイナーは軍から鉄十字勲章を貰い、恋仲になった看護師のエヴァとドイツへ戻り療養する予定でしたが、前線に戻る同僚とともに復帰。

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画像出典元URL:http://eiga.com /シュトランスキーが喉から手が出るほど欲しがってる鉄十字章

帰隊すると、シュトランスキーが実際に防戦を指揮して戦死したマイヤー少尉の手柄を横取りして鉄十字章を得るための推薦をシュタイナーに求めて「あなたに鉄十字章はふさわしくない」と吐き捨てられます。

その腹いせにシュトランスキーは、再びソ連軍の大攻勢が開始された時に連隊本部の撤収をシュタイナーの小隊に知らせず最前線に置き去りに。
さらに戦況が危ういと見ると自分は人事に働きかけて、一週間後には安全なパリへ異動できるように内定をとりつけるわけです。

一方、地図やソ連軍の制服を手に入れ、敵をだまし討ちしたりしながら自軍陣地に戻ってきたシュタイナー小隊。
ソ連軍と間違われないように通信機で自軍に「境界線 シュタイナー」という暗号つきの通信を送るも、運悪く、それを聞いたのがシュトランスキー。

彼らが戻ってくると、置き去りにしたことがバレてしまうので、(ゲイであるという)弱みを握って手駒にしていた部下に命令し、ソ連軍の罠だということにして戻ってきた小隊に向けて発砲を命令、小隊の隊員たちは味方によって次々撃ち殺されてしまいます。

目の前で部下を殺されたシュタイナーはブチ切れ、シュトランスキーの部下を射殺。
シュトランスキーに“借り”を返しに行くんですが、その時再びソビエト軍の大攻勢が再開され――というストーリー。

貴族のボンボン士官と叩き上げの下級兵士という相対する二人の生き様をメインに、他のキャラクターのサブストーリーを絡ませることで、人間の持つあらゆる“業”を戦争という鍋でグツグツ煮込んだような映画になってると思いました。

さらに、シュトランスキーも単なる悪役ではなく、その背景には名誉の証(鉄十字章)がないと帰れないと本音を語るシーンがあり、貴族ゆえのプレッシャーや悲哀みたいなものも描いているのが結構フェアだなーと思いました。

ただ、キャラクターが全員ドイツ人なので、字幕を読んでいても名前が頭に入ってこないし、登場キャラクターも多く、ペキンパー独特の短いカットを繋ぐ編集で(今見ると)構成的にも整理されてない印象なので、ある程度、物語のあらすじや背景を知ってから観ないと、置いてきぼりにされてしまうかもしれません。(僕みたいに)

シュタイナー=サム・ペキンパー

ジェームズ・コバーン演じるシュタイナーは、はみ出しものを集めた小隊を率いて戦績を挙げる有能な兵士で、兵士たちからの人望も厚い高潔な男。
一方で、上官には逆らうし独自の判断で動く、上層部から見ると扱いづらい兵士でもあります。

しかし、そもそも(イギリスと共同制作とはいえ)ドイツの映画をなぜアメリカ人監督のサム・ペキンパーが撮影したのかという疑問もありますよね。

映画評論家の町山智浩さんの解説によれば、本作のスポンサーは西ドイツのポルノ王なんだそうです。
ポルノで大儲けしたドイツ人のプロデューサー、ウォルフ・C・ハルトウィッヒが、そのお金でドイツ人が活躍する戦争映画を作ろうと思い立ちます。

一方、サム・ペキンパーはバイオレンスアクションの巨匠として知られてるんですが、映画作りに妥協をしないのでハリウッドスタジオと折り合いが悪くなっていて、映画が撮れなくなっていたらしいんですね。

そこに、本作の話がきたので監督を引き受けたんですが、(映画を観ると分かりますが)とにかく大量のフィルムを回し、大量の火薬を使いまくって本物の戦場みたいな状況を作ったせいで資金が底を突いてしまったので、日本の松竹富士から資金を調達してスタッフ・キャストの食費を削りながら何とか作り上げたんだそうです。

ハリウッドに疎まれながらも自分の信念を曲げずに作品を作るペキンパーは、上司に疎まれながら戦場で信念を曲げなかったシュタイナーに自分を重ねていたのかもしれませんね。

迫力満点の戦闘シーン

それだけに、本作の戦闘シーンは迫力満点。

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画像出典元URL:http://eiga.com /ぎゃー!

ホントに人死が出てるんじゃないかと心配になるくらい爆発シーンが満載だし、敵に打たれて有刺鉄線に突っ込む兵士や、大量のソ連兵が塹壕に入り込んでくる肉弾戦。

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画像出典元URL:http://eiga.com /イタタタ!!

挙句、本物のT-34戦車が走り回るっていう、そりゃぁお金もなくなるのも納得の大迫力です。

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画像出典元URL:http://eiga.com /T-34!!

戦闘シーンの迫力で言えばコッポラの「地獄の黙示録」やスピルバーグの「プライベート・ライアン」にも引けを取らないんじゃないかと思いますねー。

一方でメッセージ性も強く、冒頭ではドイツの古い童謡「Hänschen klein」(訳:「幼いハンス」)に合わせて、ヒトラーナチス、実際の戦争のアーカイブ映像を流し、ラストではソ連軍の侵攻を食い止めるため、ついにシュトランスキーは自ら銃をとるもののマガジン交換もままならない様子を嘲笑うシュタイナーのバックでこの曲が流れます。

「Hänschen klein」は日本では「ちょうちょう」という唱歌(「ちょうちょちょうちょ菜葉にとまれ」っていうアレ)として知られていますが、原曲では1番で旅に出る幼いハンスを見送る母を、2番で7年の放浪と遍歴の末に大人になるハンスを、3番では故郷に戻ったものの、あまりの変わり様にだれにも分からないけれど、再会した母親はだけはすぐにハンスだと分かってくれた。という内容。

これはもう、意図的に歌詞中のハンスを兵士に見立てた演出で、変わり果てたハンスは、戦争ですっかり別人のようになってしまったor死体になって帰ってきたという風にも取れてしまいます。(中盤、シュタイナーが入院した病院では、手足を失ったり顔に大きな傷を負った負傷兵が出てくる)

また、ラストでは(おそらく)シュタイナーもシュトランスキーも戦死するわけですが、高潔な男も卑怯者も等しく死んでいく戦争の諸行無常も描いているのだと思いますねー。

もう一つ驚いたのは、シュタイナーもシュトランスキーも、前線にいる兵士のほとんどがヒトラーナチスを嫌っているということ。

もちろん戦後のドイツ映画だからってのもあるんでしょうが、ナチスはそもそもナチス党であって、ドイツ人にもナチス党員でない兵士もいるというのは、当たり前といえばそうなんですが、なんとなくドイツ=ナチスと思い込んでいた僕には新鮮でしたねー。

古い映画なので映像がかなり荒かったりしたらしい本作ですが、現在レンタルされているのは大体リマスター版で映像的に見やすくなってるので、未見の人はこれを機に観てみるのもいいかもしれません。

興味のある方は是非!!

 

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