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「時をかける少女」(1983) 感想(ネタバレあり)

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画像出典元URL:http://www.amazon.co.jp/

ぷらすです。
今回ご紹介するのは、同じ日刊オレラで記事を上げてらっしゃるプロイラストレーター、植木まみすけさんから教えていただいた原田知世版『時をかける少女』ですよー!
僕は本作は初見ではないんですが、随分久しぶりだったので内容もすっかり忘れてて、今回観返してやっとストーリーをちゃんと思い出しましたよー。

ちなみに、本作はもう古い作品なので、今回はネタバレ全開でいきます。
なのでもし、これから観てみようという人は、感想部分は映画を観たあとに読んでくださいね。いいですね? 注意しましたよ?

 

植木まみすけさんのブログ。

mm9.hatenablog.com

日刊オレラでの、まみすけさんの最新記事

orera.hatenablog.com

 

概要

筒井康隆原作の同名ジュブナイルSF小説が原作。
角川春樹の秘蔵っ子だった原田知世のデビュー作として、また大林宣彦監督の「尾道三部作」の2作目として、大きな話題を呼んだ。

原作はこれまで、アニメ版も含め4回も映画化されていて、原田知世演じる主役キャラクター 芳山和子は、2006年のアニメ映画版では、主人公 紺野真琴の叔母の役で登場する。

 

あらすじ

高校一年生の芳山和子(原田知世)は、理科室の掃除中に準備室での物音に気づき、中に入っていく。
そこで、ラベンダーのような香りを嗅いだ直後、彼女は気を失い倒れ、その日を境に、和子にはタイムリープ能力を得てしまう。

突如現れた不思議な力に戸惑う和子は、『幼馴なじみ』の深町一夫に全てを打ち明ける。

 

感想

僕の時代、オタク界隈に2回のヒロインショックがありました。
最初は宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロイン、クラリスの登場。
2回目が本作でデビューした原田知世さんの登場です。

ショートカットでツリ目がち。それまでのヒロイン像とは正反対の女の子でしたが、ご自身の清楚なキャラクターと、本作での時代がかったキャラクター像が相まって、あっという間にオタク界隈だけでなく、日本中にその名前を轟かせたのです。

時代的に、どちらかといえばタヌキ顔でポッチャリ系、でも明るくて活発な女の子がウケる流れが出来ていたアイドル業界で、キツネ顔でショートカットで中性的、どちらかといえば古風な雰囲気を持つ彼女は、ある意味時代に逆行するような存在でしたが、逆にその透明感のある独特なキャラクターは、当時の(僕も含めた)若者にとっては衝撃だったんだと思います。

時をかける少女』が公開されたときの驚きは、今で言えば「あまちゃん」で能年玲奈さんが登場したときの衝撃に似ているのかもしれませんね。

当時、僕は劇場で本作を見たはずなんですが、内容やシーンのほとんどを忘れてしまっていて、なので今回観直してみて「あれ、こんな感じだっけ??」というシーンが沢山ありました。

本作冒頭、僕は堀川吾郎(尾美としのり)、深町一夫(高柳良一)、芳山和子(原田知世)が、理科室で掃除をするシーンから始まると思い込んでたんですが、いきなりスキー場からスタートしたので、間違えて『私をスキーに連れてって』をレンタルしてしまったのかと少々焦ってしまったくらいですw
まぁ、万事そんな感じでちゃんと覚えてたのは原田さんが理科準備室で倒れるシーンと最後のカーテンコール? のシーンくらいでした。

そんなこんなで、今回最後まで観てみると当時とは受ける印象が随分変わりました。
例えば、深町や吾郎の設定だったり、和子のタイムリープシーンだったり。
古い作品なので、タイムリープの表現なんかは、今と比べるとショボイなーって思う部分も多々あるんですが、スチール写真を駆使したストップモーションでのタイムリープ表現なんかは今観ると逆に新鮮だったり。

冒頭の白黒画面に徐々に色がついていく表現なんかは、物語的な意味が僕には感じ取れなかったんですが、単純に絵面として印象に残りますし。

地震のシーンは、和子の能力や深町と何らかの関係があるのかな? と思いながら観てると本当にただの地震だったり、和子のクラスメイト神谷真理子(津田ゆかり)があまりに印象的(何か秘密を知ってそうな顔で)画面に登場するので、『この子物語に絡んでくるんだっけ??』って思ったら、最後までただのクラスメイトだったり。

そんないかにも何かありそうだと観てると、まったく本筋に関係ない、かと言ってミスリードでもない、よく分からないシーンや表現満載だったりします。

他にもSF的には理屈がおかしかったり、ご都合主義的な部分もあったりしますが、ぶっちゃけ、そんなのはどうでもいんです。

なぜなら本作は、一人の少女が、肉体的にも精神的にも少女から女性へと成長していく心の揺れ動きを映像化した映画だからです。(断言)

本作冒頭、理科準備室で倒れた和子が保健室に運ばれた時、女教師が和子が生理であることを言いかけたり、理科準備室で深町が和子に不自然に近い位置でラベンダーの香りについて解説したりしますよね。
そこに違和感や、ある種のいかがわしさやエロティックさを感じた人も多いかと思います。

他にも、和子が80年代の現代劇としては異常に古めかしい女の子だったり、劇中映る街並みもまるで昭和初期のようだったり。
もっと言うと、恣意的に切り取られた箱庭的空間に見えるんじゃないでしょうか。
それらはすべて、和子の心象風景だからじゃないかと僕は思います。

つまり少女から大人に成長することへの恐れと、大人の女性に憧れる心の葛藤を表すレイヤーと、現実で進行している映像のレイヤーが、重なっているみたいな。

例えば、劇中の地震は本当にあったことだけど、人形の、あのトラウマ級に怖い動きは和子の心象風景とかね。

そう考えると、吾郎は少女期の和子のメタファーで、深町は大人に成長していく和子のメタファーなのかも……なんて邪推してしまいます。
結局、和子は深町を選ぶことで少女から女性へ成長するんですが。

そんな純文学的な物語をエンターテイメントに昇華させるためのギミックとして、SF設定が使われているんじゃないかなーって僕は思うんですけども、みなさんはどう思われますか?

もちろん、SFジュブナイル映画として純粋に楽しむのが、一番正しい本作の観方だということは、言うまでもありませんけどねw

ではではー。(*´∀`*)ノシ

 

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