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「サウルの息子」(2016) 感想(ネタバレあり)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、第二次世界大戦の最中、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台にナチが行ったホロコーストの実情を描いた『サウルの息子』です。

映画評論家の町山智浩さんやラッパーの宇多丸さんのラジオを聞いて、かなりキツイ内容だというのは分かっていたので、正直観るのをかなり躊躇したんですが、何となく「今観ておかなければ」と思ったので、覚悟を決めて観ることにしました。

で、感想を書くにあたってネタバレなしで書くのは正直無理なので、今回はネタバレします。
なので、これから本作を観る予定のある方は、先に映画を見た後で感想の方を読んで頂けたらと思います。

いいですね? 注意しましたよ?

 

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画像出典元URL:http://eiga.com/

あらすじと概要

2015年のハンガリー映画。
第二次世界大戦中のアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台に、ゾンダーコマンドーの囚人であるハンガリー人 サウルに起こった1日半の出来事を描く。

1944年10月のある日、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所でゾンダーコマンドーの一員としてガス室の死体処理をしていたユダヤ系ハンガリー人のサウルは、ある日『息子』の死体を見つける。

その少年は解剖に回されるが、サウルは担当のユダヤ人医師に頼み込み解剖が行われるのをなんとか阻止し、ユダヤ教に則った埋葬を施すため、収容されたユダヤ人のラビを探すのだった。

本作はアカデミー賞外国語映画賞を受賞したほか、世界各国の映画祭で様々な賞に輝いた。
主演は ルーリグ・ゲーザ。
監督は、本作が長編映画デビューとなるネメシュ・ラースロー

 

感想

本作の感想を一言で言うなら、「超スゴイけど超イヤな映画」でした。
以前書いたかもですが、僕はそもそも戦争映画自体苦手なんですよ。
なのに、よりによってアウシュビッツですからね。
もう、僕にとっては地獄のような107分でした。(なら観るなって話ですが)

ゾンダーコマンドーとは

第二次世界大戦にそれほど詳しくない人でも、ホロコーストアウシュビッツという名前や、そこで何が行われていたのかくらいは何となく知っていると思います。
僕もそんな一人なんですが、恥ずかしながらゾンダーコマンドーという人たちがいたのは本作を観て始めて知りました。

ゾンダーコマンドーというのは、ドイツ語で特殊労務囚人のことで、ザックリ言うとアウシュビッツで同胞が惨殺される手伝いやその後始末をさせられたユダヤ人たちのことです。
しかも、彼らは数ヶ月その仕事をさせられたあと、口封じのために殺されていたそうです。なんかもう、聞いただけでウンザリするような残酷な話ですが、本作ではそんなゾンダーコマンドーの一員として働かされていた主人公サウルに焦点を当て、彼の1日半を追った作品になっています。

歪な映像と物語と主人公

本作の画面は縦1に対して横1.375のいわゆるスタンダードサイズになっています。これは、昔の映画画面の比率と同じなんだそうですね。

そんな現在の画角より横幅の狭い画面に映し出されるのは、ほとんどが主人公サウルのアップや後頭部。
そして、サウルにピントが合わせてあるので、アウシュビッツガス室などの惨劇は彼のアップの向こうでボンヤリとピンボケ状態で写っているわけです。

これ、今の普通の劇映画に比べると、かなり歪な画面構成です。
ただ、これには2つの狙いがあるようです。

一つは、ハッキリと見えない分、劇中起こっている惨劇の恐ろしさを想像させる効果。
もう一つは、同胞を殺す手伝いや死体の後始末など、常軌を逸した非現実的な地獄を生きる為に心をシャットアウトしていた彼らの狭い視野をピンボケの映像で表現していて、さらに彼らの地獄のような日々を観客に追体験させる意味もあったようです。

確かに、常にサウルの後を追うようなカメラワークは、バイオハザード的なシューティングゲームを連想させる感じでした。

また、画面はぼやけているものの、アウシュビッツに送られたユダヤ人たちがどのようにガス室に入れられるのか、ガス室で殺されたあとの死体がどのように“処理“されるのかを、事細かに描写してます。
シャワーだと言われてガス室に入れられた人々が、苦しみから鉄の扉をガンガン叩いて悲鳴を上げる冒頭シーン。

……もうね、鬼かと。

戦時中という特殊な環境とはいえ、もうね……観ていると人類に絶望してしまいますよ。

同時に、本作に映し出されている事は、観ているコッチにも突きつけられているわけです。「お前はやらないと言えるのか」と。

さて、ここからネタバレです。

 

 

 

 

そんなある日、サウルは一人の少年の遺体を見つけます。
この少年、ガス室の中では辛うじて息があるんですが、すぐに殺されて解剖に回されるわけですね。
で、その少年を見たサウルは彼を自分の息子だと言うわけです。
彼は自分の息子だから、解剖せずにユダヤ式の埋葬をしてやりたいと、監視の目を掻い潜りながらアチコチ奔走するわけですね。

なので、最初はコッチもそのつもりで観ているんですが、途中でその事が仲間にバレて、その仲間は「お前に息子はいないだろう」と言うわけです。

そこで初めて、観ているコッチはサウルの正気を疑うわけですね。
ずっと息子の死を悼んで、せめて正式な手続きで埋葬してやりたい(ユダヤ教では火葬じゃなくて埋葬が正式)=物ではなく人間として葬ってやりたいと、解剖室から少年の死体を盗み出し、仲間の命を危険に晒し、反乱計画に必要な火薬を紛失し、収容されたユダヤ人のラビ(仏教で言えばお坊さんのような人)を探しまくり。

そんな、彼の自己中心的とも言える行動も、「息子」を埋葬してやりたいという大義名分があればこそ、観ているコッチも感情移入出来るわけですが、それが赤の他人だったとなると、一気にそれまでの彼の行動原理がひっくり返っちゃうわけですよ。

あれ、このオッサン狂ってたのか!? と。

映画評論家の町山さんは『サウルにとって、少年は救えなかった子どもたちすべての象徴だった』と解釈してますし、確かにと納得する部分もあります。

つまりサウルは、それまで心を閉ざして淡々と言われるがままに作業していたけど、一人の少年(の遺体)に出会ったことで失っていた人間性を取り戻した。
少年の埋葬に頑なに(沢山の同胞を危険にさらしてまで)こだわったのは、アウシュビッツという地獄の中で、彼が人間性を守るための最後の一線だったから。っていう。

確かにその通りなのかもですが、個人的にはやっぱサウルはどこか狂ってたんじゃないかっていう思うんですね。
というのも、サウルの行動と同時進行で、ゾンダーコマンドーたちによる反乱が計画されてたわけで、本当にサウルが正気なら少年の埋葬よりも反乱に乗じて捉えられている同胞たちを救う可能性を優先するんじゃないかと。

彼のどんな感情が『息子』を埋葬するという彼の行動原理に結びついているのかは、こうして感想を書きながらも次から次に頭に湧いてくるんですが、それも監督の狙いなのかもしれません。

ハンガリー映画である意味

町山さんのラジオによれば、第二次世界大戦中、ハンガリーはドイツに“自主的に“占領されて、それまで隣人だった国内のユダヤ人を次々アウシュビッツに送り込んだのだそうです。

ネメシュ・ラースロー監督にとって本作は、単純にナチの非道な行いを告発するだけでなく、ナチに協力して多くのユダヤ人をアウシュビッツに送り込んでしまった母国の過去も同時に告発しているわけですね。
そしてそこには、現在シリア難民排除政策に傾いている母国への警告の意味もあるみたいです。我々はまた過去の過ちを繰り返すのかと。

監督本人は本作に対し、『メッセージを未来に伝えていかねばならない。そういうことなんです。人間性が失われ、死んでいく最中でもそれでもなお希望は存在しうるのかどうか、という問いかけです』と語っているそうです。

http://www.npr.org/2015/10/07/446586530/son-of-saul-brings-viewers-to-the-heart-of-the-nazi-death-machine-at-auschwitz

難民問題は今や世界中を巻き込んでいて、多くの国で難民排除に世論が傾いていますよね。そんな今だからこそ、この映画を作る意味、観る意味があるんじゃないかと思いますし、多分、多くの人びとが観るべき映画なんだと思います。

ただ、正直かなりシンドイ映画であるのは間違いないので、あまり積極的にオススメはできませんけども。

 僕も、もう2度と観ませんしねw
そのくらい観るのが辛い映画でした。なので、

興味のある方は(自己責任で)是非!!

 

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