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前作の続編であり前日譚「斬、」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、孤高のインディペンデント作家であり、ハリウッド俳優でもある塚本晋也監督の初時代劇『斬、』ですよー!

この映画、超観たかったんですけど僕の地元では公開されなくて、レンタルが開始されるのを心待ちにしていたんですよねー。(;//́Д/̀/)'`ァ'`ァ

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概要

『野火』などの塚本晋也監督が時代劇に初挑戦し、『セトウツミ』などの池松壮亮と『彼女がその名を知らない鳥たち』などの蒼井優と組んだドラマ。鎖国が長く続いた江戸時代末期を舞台に、開国か否かの選択を迫られ翻弄(ほんろう)される人々を映す。塚本は監督、脚本、撮影、編集、製作に加え出演もこなし、『野火』にも出演した中村達也らが共演している。(シネマトゥディより引用)

感想

「野火」の続編であり前日譚

太平洋戦争末期、敗走を続けながら飢餓に苦しめられ、遂には人肉を食らってしまう男の姿を描いた、塚本晋也監督の前作「野火」

この映画で、塚本監督は戦争という巨大な理不尽に翻弄され“怪物にされた男”を描きました。
そして昨年公開された本作で塚本監督が描いたのは、“怪物に憧れる男が怪物になるまで”の物語。

つまり本作は、前作「野火」の(精神的)続編であり、明治維新から第1次世界大戦、そして太平洋戦争へと続く時代の流れを考えれば前日譚でもあり、つまりスターウォーズで言えば“プリクエル三部作”的な作品なのです。

悲惨な戦場に放り込まれた“普通の男”の目を通して、戦争という巨大な暴力を描いた前作に対し、塚本監督は本作で「人はなぜ暴力を望み惹かれるのか」という、より根源的なテーマを掘り下げる一方、侍や剣豪をヒーローではなく“人殺し”として、日本刀(=武器)を“暴力装置”として意図的に描いています。

その視点はとても現代的で、ある意味で本作は時代劇の型を使った現代劇とも言えますが、(日本映画史・時代劇研究科の春日太一さんの言葉を借りるなら)そもそも時代劇自体が江戸時代以前の日本を舞台に、現代が抱える様々な問題やテーマ性を反映させるファンタジーなので、そういう意味で本作の作劇は「正しく時代劇」と言えるんじゃないでしょうか。

七人の侍」になり損ねた男たち

そんな本作の物語をざっくり紹介すると、舞台は幕末、江戸近郊の農村。

そこに身を寄せる若き浪人の都筑杢之進(池松壮亮)は、農家の仕事を手伝いながら農家の息子・市助(前田隆成)に剣の稽古をつける一方、開国を巡って荒れ狂う京都へ自分も向かわねばならないと考えているわけです。

市助の姉・ゆう(蒼井優)はそんな杢之進を想い(杢之進もゆうに惚れている)、また杢之進と共に行きたがっている市助を心配しているんですが、そんなある日、三人は剣豪・澤村(塚本晋也)と出くわします。

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彼は泰平の世を守るため、共に京都の動乱に参戦するメンバーを探していて、杢之進と市助の稽古を見て杢之進の腕に惚れ込み、二人をスカウトするわけです。

しかし、杢之進は腕は立つんですが実際に人を斬ったことはなく、真剣を人に向けると腕が震えてしまうヘタレ浪人。

そんな彼らが出立を控えた前日、どこからか流れ着いてきた無頼者(中村達也)たちが村にやって来て、村人たちは怯えます。

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そして、ある小さな事件をキッカケに、平和だった村で陰惨な暴力の連鎖が起こり――というストーリー。

本作で剣豪役も務める塚本監督は北辰一刀流に弟子入り、主演の池松壮亮は一ヶ月に及ぶ殺陣の稽古を積んで撮影に臨んだそう。

それもあって本作の殺陣は、いわゆる主人公が敵をバッタバッタと斬り倒すアクションとしての殺陣とは違い、「殺し合い」としての剣撃の鬼気迫る緊張感が画面から伝わってくる、観ていて恐怖すら感じる殺陣でしたねー!((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタ

特に塚本監督の鬼気迫る熱演は凄まじく、塚本監督が役者・塚本晋也としても円熟期に入っていることがよく分かります。

そんな塚本監督、本作では髷のカツラなどは被らず素の頭で演じてるんですけど、そのビジュアルや行動は、黒沢明七人の侍」で島田勘兵衛を演じた志村喬を思い出すんですよね。

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考えてみれば、農村に無頼の野武士たちがやってくるという設定や、侍に憧れる農家の息子は、三船敏郎が演じた菊千代に通じるものがあるなーと。

そう考えると、本作は(塚本監督が意識的かは分かりませんが)「裏・七人の侍」にも見えるし、澤村、杢之進、市助の三人は「七人の侍に“なり損ねた男たち”と言えるかもしれません。

その上で、武士道や死の美学といったマチズムやヒロイズムを徹底的に排し、ゴア描写たっぷりに“殺し合い”の残酷さを際立たせた本作は、もしかしたら塚本監督から黒澤監督への時代を超えたアンサー的側面もあるのかも。なんて思ったりしましたねー。(ラストの“あのシーン”は「用心棒」のラストを彷彿とさせるし)

また、“時代劇の嘘”を暴くという意味では、イーストウッドの「許されざるもの」的でもあるし、謎の男との出会いが主人公を狂気の世界に引き込まれていくという流れは「鉄男」などこれまでの塚本作品に通じるものがあると言えるでしょう。

塚本晋也の感じる危機感

塚本晋也監督は「野火」を作る動機として、近年の日本に蔓延している不穏な空気に危機感を感じたというような事をインタビューで語っていましたが、確かにこれまでの作品と比べ(と言っても全部を観ているわけじゃないけど)「野火」と本作に関して塚本監督は意図的にテーマ性を前面に打ち出しているように感じます。

「野火」では個人が抗えない巨大な暴力を、本作では暴力や破壊に憧れる若者が直面する現実の恐ろしさをそれぞれ描いている。

その根底には、何かときな臭い(日本を含む)今の世界情勢に対する塚本監督の危機感があり、だから「一度動き出した暴力は誰にも止めることはできない」という観客への警告も込めて「野火」と本作「斬、」を作り上げたのではないかなと。

劇中、澤村が構える刀の切っ先を正面から撮った印象的なアップは、暴力に対する監督のそうした思いを、覚悟を持って僕たち観客の喉元に突きつけているのです。多分。

そういう意味で、本作は非常に作家性の強い作品ではあるんですが、正直に言えば「野火」に比べると観念的というか演劇的?な演出もあり、若干の飲み込みづらさを感じたりしました。

キャラクターの感情の動きがイマイチ分かりづらくて、誰に感情移入して観ればいいか分からないんですよね。(あと、これは予算的に仕方ないかもだけど森のシーンが多いので位置関係の全体像が分かりづらい)

とはいえ近年の作品で、ここまで緊張感や凄みを感じる時代劇は久しぶりに観たし、エンタメ的とは言えないしグロ描写もあるけど、個人的には、塚本作品のファン以外の人にも(野火と合わせて)観て欲しい、ガツンとくる作品でした。

興味のある方は是非!

 

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