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ジャンルの枠に収まらないポン・ジュノ印!「グエムル -漢江の怪物-」(2006)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは「パラサイト」のポン・ジュノ監督2006年の作品『グエムル -漢江の怪物-』ですよー!

「パラサイト」が面白かったので、他のポン・ジュノ作品も観たい!って思って先日TSUTAYAでレンタルしてきました!

「怪獣映画」だと思って観ると肩透かしを食らうかもですが、ポン・ジュノ作品だと思って観れば、色々楽しめる作品でしたよ!

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画像出典元URL:http://eiga.com

概要

韓国の人々のオアシス、漢江(ハンガン)に突如出現した怪物を巡る事件に肉迫するパニック映画。怪物に娘を奪われた一家の奮闘を描く。情けない父親から一変、闘うお父さんを体当たりで演じるのは『南極日誌』のソン・ガンホ。その妹役を『リンダ リンダ リンダ』のペ・ドゥナ、弟役を『殺人の追憶』のパク・ヘイルが演じている。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどを手がけたニュージーランドのWETAワークショップが、魚に似たリアルな怪物を作り上げた。(シネマトゥディより引用)

感想

“ジャンル”の枠からはみ出すポン・ジュノの作家性

本作をざっくり説明するなら、いわゆる怪獣……というか「モンスターパニック」映画のテンプレで作られているものの、出来上がってみたら「結局ポン・ジュノ作品になっちゃった」系映画。つまり、いつものポン・ジュノ映画でしたよ。(褒め言葉

映画冒頭、2000年、駐韓米軍基地の白人博士が、韓国人助手に命令し大量のホルマリンを漢江に破棄させます。
その2年後、釣人が奇形生物を目撃。さらに漢江で投身自殺した男が無惨な遺体で発見されるんですね。

同年、漢江の河川敷で父親ヒボン(ピョン・ヒボン)と小さな売店を営むパク家の長男カンドゥソン・ガンホ)はトレーナーに金髪姿で居眠りばかりのダメ親父ですが、元妻との娘、中学生のヒョンソ(コ・アソン)を心から愛しているんですね。

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のどかな休日。パク家長女ナムジュペ・ドゥナ)のアーチェリー大会をテレビで観ているヒョンソとヒボン。
カンドゥは河川敷の客にスルメを届けに行くんですが、そこに突然巨大で奇妙な生物が出現。河川敷でレジャーを楽しんでいた人々を次々に襲い始めるんですね。

カンドゥは、休暇で遊びに来ていた米軍兵士と共に怪物と闘うもののまったく刃が立たず、ヒョンソを連れて必死で逃げますが、転んで手を離した拍子にヒョンソは怪物に連れ去られてしまいます。

怪物が去ったあと、体育館のような場所で行われた合同葬儀に、ナムジュとパク家次男で大学出のフリーター・ナミル(パク・ヘイル)も駆けつけ、パク家は死んだヒョンソを偲んで泣き崩れるんですが、そこに突如政府の役人が乗り込んできて、怪物が未知のウィルスのホストであると接触した者を強制隔離。

パク一家も強制連行&入院させられるんですが、その深夜、死んだはずのヒョンソからカンドゥのケータイに連絡が――というストーリー。

しかし、警察も政府も医者も、誰ひとりカンドゥの話を信じようとしないので、パク家の家族は病院を抜け出すと、あの手この手で警察の追っ手を躱しつつヒョンソの行方を探すんですね。

つまり本作は「モンスターパニック映画」のテンプレを使ってはいるものの、本質的には権力やシステムという巨大な理不尽に翻弄される家族の物語なのです。

そういう意味で本作は最新作「パラサイト」と同じテーマを扱った作品とも言えるし、それこそがポン・ジュノ監督の一貫した作家性と言えるのかもしれません。

コメディー演出

病院から抜け出したあとヒョンソが電話で言った「大きな下水溝」をヒントに、パク家族は彼女を捜すんですが、この家族全員が種類の違うバカなので無策のまま市内の下水溝という下水溝を片っ端から捜し回るんですね。

この辺の計画性のなさや行き当たりばったりっぷりも、ある意味「パラサイト」のキム家族に通じるものがあるかもしれません。

とはいえ、警察でも政府関係者でもない一般市民が、行方不明の子供を捜す(しかも政府や警察に追われながら)んだから、ある意味この行動はリアルと言えるかもですが。

ストーリー自体は割と悲惨で重い内容ながら、どこかコメディー的な家族描写も、ポン・ジュノ印と言えるかもしれませんね。

母親の不在

そんなパク一家には母親の影は見えません。
カンドゥの元妻でヒョンソの母親は、どうやら家族を捨てて出て行ったらしい事がセリフの中で分かるんですが、そのカンドゥの母親もいないんですね。
これも劇中で、父親のヒボンが過去に家族を顧みない酷い父親だった事を告白しているので、もしかしたらヒョンソの母親同様、家族を捨てて出て行ったのかもしれないし、何かの原因で死に別れているのかもしれません。

監督のインタビューによれば、「母親は賢く現実的で、家庭の中でとても強靱な存在」と考えていて、「母親がいると、駄目なはずの家族が、情けない家族に見えなくなると思った」そうなんですね。

つまり、監督にとって「母親」は家族を一つに繋ぐ“かすがい”の役割をしているわけで、本作でその役割を担っているのが娘のヒョンヒだったのです。

そのヒョンヒを失ったことで、家族のダメさ加減が顕になり、バラバラになってしまう。一方、下水溝のヒョンヒは、怪物に攫われた孤児の少年セジュを、母親のように必死に守ろうとするんですよね。

なので、本作冒頭のパク家の最初の姿と対になった本作のラストシーンは、ある意味でブックエンド形式になっているわけですね。

ちなみに、ヒョンヒやセジュが生きていたのは、怪物が飲み込んだ食べ物を巣に運んで一旦吐き出し、貯蔵するという習性があったからみたいです。
実際にそういう習性の水生動物がいるかは分かりませんが、この設定によって怪物が「怪獣」ではなく、巨大化した「生物」であるという事に説得力を持たせていると思いましたよ。

反米意識

本作は、ポン・ジュノ監督の反米意識が割とストレートに現れた作品でもあります。
冒頭で科学者が漢江にホルマリンを流させるという設定は、2000年に在韓米軍が大量のホルムアルデヒドを漢江に流出させた事件にヒントを得ているそうですし、中盤~後半で明らかになる、米軍がウィルスが存在しなかった事を隠し怪物を殺すため猛毒の化学兵器「エージェント・イエロー」を漢江に散布するのは、どこか9.11以降のアメリカを連想します。ちなみに「エージェント・イエロー」という化学兵器アメリカ軍がベトナムで使用した枯葉剤エージェント・オレンジ」に掛けてあるそうですね。

ただ、監督自身の感覚としては、「アメリカ憎し」というよりは、多くの人間が幸せになれない今の社会システムに対しての反感という感じで、そのへんも「パラサイト」に通じている感じがしました。

2006年公開の作品ということで、今見るとCGの粗さが目立つとか、脚本や演出にも、まだ若干の粗さも見えたりしますが、漢江で怪物が暴れるシーンには手に汗を握ったし、ストーリーも(モヤモヤ感も含め)面白い作品でしたよ!

興味のある方は是非!!

 

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