今日観た映画の感想

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世界の“MIIKE“が撮った”洋画“「初恋」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、”世界のMIIKE”こと三池崇史監督久しぶりのオリジナル作品『初恋

』ですよー! 

日本に先駆けて全米公開したことでも話題となった本作ですが、先に個人的な感想を一言で書くと、この作品は「三池崇史が撮った”洋画“」だと思いました。

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概要

『一命』などの三池崇史監督と『東京喰種 トーキョーグール』シリーズなどの窪田正孝が、ドラマ「ケータイ捜査官7」以来およそ10年ぶりに組んだラブストーリー。負けるはずのない相手に負けたプロボクサーの主人公が過ごす、アンダーグラウンドの世界での強烈な一夜を描く。『ビジランテ』などの大森南朋、『さよなら歌舞伎町』などの染谷将太をはじめ、小西桜子、ベッキー村上淳塩見三省内野聖陽らが出演した。(シネマトゥディより引用)

感想

三池が世界に照準を合わせた作品!?

これまで仕事を断らない職人監督として数多くの原作つき作品に携わる一方で、その強烈すぎる作家性で世界中にファンを持つという二面性を両立している異例の映画監督・三池崇史

非常に多作で知られる監督ですが、それゆえか彼ほど評価の定まらない監督も珍しいのではないでしょうか。

世界中を震え上がらせた「オーディション」や名作時代劇のリメイク「13人の刺客」などの名作を撮る一方で、哀川翔竹内力というVシネマの2台巨頭を直接対決させた「DEAD OR ALIVE」3部作や、幕末の人切り・岡田以蔵をモチーフにしたSF作品IZO」など伝説的なカルト映画も撮り、そうかと思うと「ヤッターマン」「忍たま乱太郎」「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」など、職人監督に徹して原作つきの作品を次々に実写化してみせ、さらに映画にとどまらずテレビドラマ、演劇、歌舞伎の演出から出演まで。

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とにかくジャンルを問わず「仕事は来たもん順で受ける」「映像化可能であれば、まず何でもやってみる」との公言通り、依頼があれば提示された期限・条件・予算の中でしっかり「商品」を仕上げて納品する職人監督でありながら、隙あらば商品に自分の色を混ぜて、しれっと「作品」にしてしまう。僕の中で三池崇史はそんなイメージの監督です。

そんな彼の最新作となる本作は、ヤクザとチャイニーズマフィアの抗争と裏切り、血で血を洗う暴力を描く三池崇史の得意ジャンルで、そんな中、暴力団に売られた少女と余命幾ばくもないボクサーが出会い――という物語。

どうせいつもの三池映画だろ?」と思って本作を観ると、確かに序盤で落っこちた生首がカメラ目線でとぼけた表情をするっていう、ザ・三池ワールドな悪ノリ描写はあるものの、それ以外のシーンはわりと大人しいというか、いわゆる三池印の露悪的な描写は殆どないんですよね。

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暴力を露悪的に「見せる」ことで世界に名前の売れた三池監督が、本作で「見せない」方向に舵を切ったのは、多分、本作を世界基準に合わせたからで、そう考えると登場するキャラクターも、出所したばかりの昔かたぎなヤクザの権藤内野聖陽)、策士で利己的なヤクザの加瀬染谷将太)、ヤクザと繋がって操ろうとする悪徳刑事の大伴大森南朋)、高倉健に憧れるチャイニーズマフィアのチアチー藤岡麻美)、クズのチンピラ・ヤス三浦貴大)とその情婦ジュリベッキー)、父親の作った借金のカタとして(シャブ漬けにされて)体を売らされているヒロインのモニカ/桜井ユリ(小西桜子)と、偶然ユリを救った事で騒動に巻き込まれる余命幾ばくもないボクサーで主人公のレオ窪田正孝)と、基本的にはハリウッド映画のクライム(ギャング)コメディーと同じ構成で、つまり海外の観客も感情移入して観やすい作品になってると思うのです。

まぁ、口さがない人のレビューでは、「タランティーノのパクり」とか「下手くそなタランティーノの物まね」と、わりとボロクソ書かれてるんですが、でもちょっと待ってほしい。

この映画はタランティーノとかハリウッドとか、そんなピンポイントじゃなくて、もっとこう、包括的にこのジャンルの洋画全体(のトレンド)を引用してるというか、前述したように意図的に日本で「洋画」を撮ろうと挑戦した作品に思えるんですよね。

作品のドライさが三池作品をポップにしている

露悪的な暴力や残酷描写もですが、本作ではキャラクターの「業」とか「情念」とかそういう湿気の高い三池要素を意図的にカットしているっぽく、やってること自体はいつもとそんなに変わらないんだけど、全体的にハリウッド映画のようなドライな印象ゆえに、血みどろのクライマックスシーンもそんなに不快感はなく、むしろ死ぬべき人間がちゃんと死ぬことで物語が収束していくので、ある種のカタルシスさえ感じて、なのでモニカとレオのラストシーンには「何か良いもの観た感」すらあるんですよね。

それでいて、要所要所にはしっかり三池印をぶち込んでいて――っていうか、そもそもヒロインが麻薬中毒患者ですからねw

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あとはベッキーあの使い方とか、冒頭とクライマックスの生首ギャグ被せとか、DV親父のカチャーシー踊りとか、染谷将太のブチキレツッコミとか。

そうしたエキセントリックな裏社会の住人たちの中、主役の二人はイノセントなキャラクターとして描かれていて、その辺は(僕も含め)タランティーノ脚本、トニー・スコット監督の「トゥルー・ロマンス」を連想する人も多いんじゃないでしょうか。

日本に先んじて公開された海外では、こういうイノセントな主人公が出会う恋愛コメディを表す「meet-cute(可愛い出会い)」に三池監督の苗字を合わせた「Miike meet-cute」なんて造語も誕生したようで、本作は概ね好評な様子。

そういう意味では、三池監督の挑戦?は成功したと言っていいのかもしれませんし、個人的には久しぶりにちゃんと面白いと思った三池作品でしたねー!

興味のある方は是非!!

 

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悪趣味だけど上手い!「ジェーン・ドウの解剖」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、検死官の親子が夜中に運び込まれた美しい死体の解剖中に恐ろしい目に遭うという異色のホラー映画『ジェーン・ドウの解剖』ですよー!

僕はこの作品、以前からTSUTAYAでパッケージを見る度気にはなってたんですけど、「女性の解剖シーンは(作り物でも)キツなー」と、ずっとスルーしてたんですね。

でも、最近誰かのレビューを読んで興味が湧いたので、今回アマプラで観ましたよ!

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概要

身元不明の女性の検死を行うことになった検死官の親子が、解剖を進めるうちに怪奇現象に襲われるホラー。遺体安置所での逃げ場のない恐怖をリアルな解剖シーンと共に描き、トロント国際映画祭など世界各地の映画祭で高い評価を得た。監督は、『トロール・ハンター』などのアンドレ・ウーヴレダル。検死官の親子を『ボーン』シリーズなどのブライアン・コックスと、『イントゥ・ザ・ワイルド』などのエミール・ハーシュが演じる。(シネマトゥディより引用)

感想

深夜に運び込まれた“彼女”の正体を探るミステリーホラー

本作は、一家惨殺事件の現場地下室で発見された身元不明の死体を運び込まれた検死官の親子が、死体を調べるうち次々と不可解で恐ろしい目に遭うというホラー映画で、前半からクライマックスにかけて、運び込まれた”彼女の正体”を検死官の親子が解剖を進めながら読み解いていくというミステリー的要素と、同時進行で起こる不可解で恐ろしい超常現象=オカルト要素が呼応するように物語が進んでいきます。

「ジェーン・ドウ」とは運び込まれた死体の固有名詞ではなく、日本で言えば「名無しの権兵衛」的な身元不明の遺体につけられる呼び名で、男性なら「ジョン・ドウ」女性なら「ジェーン・ドウ」というわけです。

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まぁ、ぶっちゃけホラー好きな人なら割と序盤で“彼女”の正体は分かっちゃうと思うんですが、その謎解き自体は本作に置いて主題というわけではないし、実はその正体も幾層かのベールに包まれているので、彼女が「加害者」か、それとも「被害者」かが曖昧なままなんですよね。

そしてクライマックス以降は、どうすれば発動した呪いを解けるかが主題になっていくわけですが、そうしてみると、本作の構造は(その怖がらせ方も含め)Jホラーっぽい感じ。もっと言うと「リング」に近い感じがしましたねー。

ちゃんと最後まで怖いホラー

近年のホラー映画は、例えば「IT」や「ドクター・スリープ」日本なら「来る」や「犬鳴村」などなど、全体的にストーリーやテーマありきで、それを語る「ジャンルとしてのホラー」という感じの作品が(特に大作や続編・リメイクものに)増えている印象で、なので謎解きから解決に至る後半部分はまるで作品のジャンルが変わったのかってくらい怖くなくなる事も多いんですが、本作は基本的に最後までちゃんと観客を怖がらせようとしている感じで好感が持てましたねー。

更に、呪いというシステムの理不尽さに裏打ちされた物語の救いのなさは、近年観たホラーの中でも中々グッときたし、観客に宿題を残すラストシーンも「お、この監督分かってるなー」って感じ。

ちょっと露骨すぎるかなと思う部分もあったけど、後半~クライマックスの回収に向けての伏線もしっかり張っていたし、全体的に物語の作り方が丁寧な印象でしたねー。

そんな本作でメガホンをとるのは「トロール・ハンター」や「スケアリーストーリーズ 怖い本」などで知られるノルウェーの監督アンドレ・ウーヴレダだそうで、本作を観ると上記の両作にも俄然興味が湧きましたねー。

ただ作品の性質上、物語の大部分は女性の解剖シーンなので(作り物と分かっていても)苦手な人はちょっと無理かもですねー。

というわけで、ここからはネタバレするので、これから本作を観る予定の人やネタバレは嫌!という人は、本作を観た後にこの後を読んでくださいねー。

 

 

“彼女“の正体

前述したように、彼女の正体が魔女であることはホラー好きな人なら割と序盤の段階で分かるのではないかと思います。

面白いのは、魔女という極めてオカルト的な存在を、遺体安置・火葬・検死官が家業の親子が、司法解剖という極めて科学的(医学的?)なアプローチで解き明かしていくという仕掛けです。

解剖が3段階の手順に沿って進むのに合わせ、彼女が魔女(もしくは魔女として拷問・処刑された人物)である事が少しづつ分かっていくんですね。

もちろんこれまでにも、オカルトと科学を融合させたホラーがないわけではないけど、司法解剖の様子から魔女裁判の拷問の様子を観客に連想させる画作りは、悪趣味だけど上手いなーと思いましたねー。

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そしていよいよ謎が解き明かされるクライマックスでは、彼女の体内から発見された布に書かれた「レビ記20章27節とローマ数字の1693年」の文字をヒントに、彼女が「セイラム魔女裁判」の関係者だったことを親子は割り出すのです。

セイラム魔女裁判とは

この「セイラム魔女裁判」を僕は知らなかったんですが、Wikipediaによれば「マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日に始まった一連の裁判」だそう。

事の発端はセイラム村の牧師の娘とその従妹・友人らが親に隠れて降霊会を行い従妹が突然暴れだすなど奇妙な行動を取り、医師が悪魔憑きと診断した事から、牧師はネイティブアメリカンの使用人女性を疑い拷問。ブードゥー教の妖術を使った事を「自白」させるわけです。

ただ、これによって降霊会に参加していた少女たちが次々と異常行動を起こすようになり、村の有力者の娘が立場の弱かった女性3人の名前を挙げたのをキッカケに、200名近い村人が魔女として告発され、19名が刑死、1名が拷問中に圧死、2人の乳児を含む5名が獄死というとんでもない大事件に発展。
事態を知った州知事の命令で1693年5月にようやく事態が収束したのだそう。

本作はこの「セイラム魔女裁判」を下敷きに物語が作られてるんですね。

ただし、”彼女”が魔女裁判に関わった何者なのかは劇中では明らかにされておらず、歴史に名を残している中の「誰か」なのか、もしくは200名の中にいた無名の誰かなのか。

また、彼女自身が「魔女」=加害者なのか、魔女裁判の拷問もしくは儀式によって魔女にされてしまった女性の誰か=被害者なのか、彼女自身の意思で呪いを発動させているのか、それとも彼女の意思とは関係なく近づくだけで呪いが発動してしまう呪術の「装置」としての魔女なのかなどを意図的に描かないことで、物語に余韻を残しているのです。

ラストシーンの男

そうして恐怖の一夜が明け、検死官親子の家には親子と息子の彼女の死体、そして“無傷”のジェーン・ドウの死体が残されていて、不吉なものを感じた保安官は”彼女“を群外の大学病院に運ぶように指示します。

そして運ばれている中で、運転手の黒人警官が振り返り、彼女に「なあベイビー、二度としないって」となれなれしい口調で話しかける。
すると彼女の足に結びつけられた鈴がチリンと音を立てて物語は終わるわけですね。

そこで思い返されるのが物語冒頭の一家惨殺事件。
侵入者(強盗)などの形跡はなく、つまりはこの一家惨殺事件は彼女のせいで起こっていること。
そして、その事件にこの黒人警官が関わっているであろう事が分かります。

つまり彼女が呪術具なのだとしたら、この男は彼女を操る呪術者、もしくは魔女を使役する悪魔ってことですよね。

多分、検死官親子と息子の彼女は呪いの標的ではなく、ただの巻き添えで犬死にだったっていうことだと思うんですよね。

そう考えると、本作は相当な胸糞映画と言えるんじゃないでしょうかw

興味のある方は是非!!

 

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清水崇版のアナ雪2「犬鳴村」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、「呪怨」シリーズでお馴染み清水崇監督が実在の心霊スポットを題材に制作したホラー映画『犬鳴村』ですよー!

基本的にホラーが苦手なビビりなので、最初はスルーする気満々だったんですが、公開時にTwitterで何かと話題になっていたので観ることにしたんですが……

何とこの映画、清水崇版の「アナ雪2」でしたねー!

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概要

呪怨』シリーズなどの清水崇監督が、福岡県の有名な心霊スポットを舞台に描くホラー。霊が見えるヒロインが、次々と発生する奇妙な出来事の真相を突き止めようと奔走する。主演を『ダンスウィズミー』などの三吉彩花が務める。『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』『貞子3D2』などを手掛けてきた保坂大輔が清水監督と共同で脚本を担当した。(シネマトゥデイより引用)

感想

Jホラー界の異端児・清水崇

今や、日本のみならず海外のホラーファンにもその名を知られている清水崇監督。
2000年、東映Vシネマから発売されたOVA版「呪怨」が怖すぎると口コミが広がり2003年に映画化。翌年には自身が監督しハリウッドリメイク版「THE JUON/呪怨」が制作されヒットするなど、清水監督は一躍Jホラーの代表監督として多くの人々に認知されるようになったわけですが……、実は清水監督がJホラー界において異端児だった事はホラー好きの間では有名な話ですよね。

Jホラー(ジャパニーズ・ホラー)とは、読んで字のごとく日本製ホラー映画を指すわけですが、その歴史は意外と浅いんですよね。

もちろん、それ以前にも怪談映画や怪奇映画、恐怖映画などは作られていましたが、それらの作品は映画媒体の斜陽化と共に制作数が減っていき、また大林宜彦監督の「ハウス」や黒沢清監督の「スウィートホーム」など、海外ホラー的手法で制作された作品もあり、カルト的人気は得たものの、いわゆるホラーとしての評価は振るわず。

この当時の“日本製ホラー”って「見せすぎ問題」ってのがあって、ハリウッドなど海外のホラーは「何も見えねーよ!」ってくらい暗いシーンの映像は暗かったし、その見えなさ加減が逆に怖かったと思うんですが、同じころ(1970~80年代)の日本製ホラーって、とにかく画面が明るくて全部見えちゃってたんですよねー。

これは多分、当時の邦画界でのスタジオシステムの名残というか、「ちゃんと映す」というスタッフさんたちの職人意識の弊害というか。

それはスタッフの人たちが悪いという話ではなくて、邦画業界の気質とか邦画の成り立ちや歴史とか、あと日本人の職人気質とか、そんなアレコレがあったんだと思うんですよね。

ともあれ、そんなこんなで90年代半ば頃、ビデオデッキの普及によっていわゆるビデオバブルが起こり、東映Vシネマなどビデオのみで制作・展開するOVAが流行りはじめ、日本ホラー界もこの流れに乗って「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」などのオリジナルビデオ作品としてホラー作品が作られるようになり、ここで得たノウハウや人材がJホラー初期の名作「女優霊」やあの大ヒット作「リング」へと続き、Jホラーが確立していくわけです。

で、この「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」の脚本家として知られるのが小中千昭という人で、彼がJホラーの父と呼ばれる映画監督・鶴田 法男と共に編み出した恐怖表現は通称「小中理論」と呼ばれ、Jホラー界に大きな影響を与え、ある意味「リング」でその完成を見たわけですね。

そんな「リング」公開の翌年、Vシネで公開され口コミで評判になったのが「呪怨」です。
呪怨」が革新的だったのは、いわゆるJホラーをJホラーたらしめている「小中理論」の逆を突いているという点で、要は今までハッキリと見せなかったオバケをハッキリ見せて、やり過ぎてコントになるギリギリのラインまで観客を脅かす演出に特化するということ。

 

これって実はハリウッド的ホラー表現で、つまり清水崇監督はJホラーではなくハリウッドホラー的恐怖表現をJホラーで成功させた映画監督と言えるのではないかと思います。

その後、色んな作品で世界中を恐怖のどん底に陥れてきた清水監督の最新作が、本作「犬鳴村」なんですねー。

犬鳴村伝説

本作で登場する「犬鳴村」は福岡県に実在する心霊スポットで、

・トンネルの前に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられている。
・日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。
・村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。
・江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。
・入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。
・旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。
・全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。
・若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。(Wikipediaより引用)

 などの都市伝説がネットなどを中心にまことしやかに語られている場所。

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本作では、これらの都市伝説を物語に取り込みながら劇映画として制作しています。

ストーリーは二人の男女が「犬鳴トンネル」でYouTube?の撮影を行っている件からスタート。最初はふざけながらキャッキャ撮影している二人の身に恐ろしい事が起こり半狂乱で逃げ出し――というのが物語の導入部です。

まぁ、この手の映画ではよくある導入部で、この二人もこのアバンのためだけに登場したんだろうと思って見ていると、実は男の方は主人公の兄で女は兄の婚約相手であることが明かされるんですね。

で、本作の主人公は森田奏三吉彩花)は精神科医で、不思議な事を言う遼太郎という子を担当してるんですが、このやり取りでどうも霊感?が強い事が分かるんですね。
そんな彼女に兄から「彼女の様子がおかしい」的な相談があり、奏が家に帰ると兄の彼女は気味の悪いわらべ歌を歌いながら不気味な絵を描いているわけです。
どうやらそれは「犬鳴村に行った」呪いではないかと弟の健太が言い出し、彼らが目を離した隙に家からいなくなった彼女を探していると兄の携帯が鳴り、「もうすぐ行くよ」という言葉と共に、彼女は鉄塔の上から兄の目の前に飛び降りて死んでしまうんですね。

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その後、彼女のお葬式で検死をした医者と奏の父が話しているんですが、飛び降り自殺にも関わらず、彼女の死因は溺死だったと医師が言い、それを聞いた父は特に驚く様子も見せないんですね。(つまり犬鳴村の謎を知っている)

その後、精神的に追い詰められた兄は再び犬鳴村に向かうも行方不明になり、様々な怪奇現象に悩まされる奏の前に、犬鳴村の秘密を知る謎の青年が現れ――という物語。

この映画、物語のスケールの割に登場人物が多いので初見では混乱するかもしれません。

そして奏が怪奇現象に巻き込まれる前半と、謎の青年が登場して謎解きが始まる後半では映画のジャンルそのものが変わるので、ここで振り落とされてしまう人もいるかもって思いました。

僕も赤ん坊が出てきた瞬間「え、嘘でしょ…まさか?」と思ったら、考えてた通りになって「マジかよ――!」ってなりましたしねw

あと、本作では血族が一つのテーマになってるんですけど、奏の出生の秘密が分かる件では「アナ雪2か!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ」ってなりましたねーw

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画像出展元URL:http://eiga.com  / 未知の旅へ――ー!

よく分からなかった部分

ただ、よく分からない部分も多くて、例えば劇中の、犬鳴村は米も採れないほど土地が痩せていて、だから野犬を狩って食べたので「犬殺しの村」と周囲からは忌避されていたらしいという設定。

まぁ、「犬鳴」村という名前に絡めるためのエピソードなのは分かるし、舞台が西日本ということもあって「犬神」的なイメージもあるのかな? とも思ったんですが……、この犬鳴村は映像で見る限り普通の山村に見えるんですね。
だとしたら、他にも食べ物一杯あるんじゃないの?っていう。
猪や鳥とか山菜や魚とか、木の実や果物もあるだろうし、野犬より捕まえやすく食べやすい動物も植物もいくらでもいるんじゃないの?っていう。

さらに、村の入り口に建てられた看板「この先日本國憲法通用せず」の意味を都市伝説から裏返して見せたのは「お!」っと思ったけど、ダムを建てるために村人を皆殺しにする意味ある? っていう。
いや、彼らが被差別民であることを指しているのは分かるけど、焼き印を押したり檻に閉じこめたりと虐待した挙句、皆殺しにしてダムに沈めるほど彼らを憎むor蔑む理由が分からないんですよね。
あと、「この村の女は犬と交わっている」というデマを流布して村人を孤立させたっていうのも、すでに「犬殺し」の村として忌避されてるじゃん?っていう話だし、だったらわざわざご丁寧に皆殺しにしなくても、放っておいて問題ない(後に彼らが騒ぎ立てても誰も相手にしない)ように思うんですよねー。

まぁ、「犬と交わる」やその後の“彼女“たちの「犬化」は閉ざされた土地ゆえの親近相姦やそれによって起こる弊害のメタファーではあるんでしょうけども。

志は高いが……

事程左様に、本作はフィクショナルな設定の中にメタファーとして現実の人種・性別差別問題や政府への批判などを入れ込んだ社会派な作品でもあるし、それは間違いなく原発事故以降の日本を描いた志の高い作品でもあると思うんですね。

つまり「蓋をしてもなかったことにはできないぞ」というメッセージが本作には入っていて、あの後半の驚きの展開も、過去と未来を繋ぐというメッセージのメタファーであると考えれば、個人的にはまぁアリなのかなーと思ったりしますねー。

ただ、遼太郎と奏のエピソードは正直いらない気もするし、特に「スリラー」オマージュのあのラストとかは正直ちょっと蛇足に感じなくもなかったですねー。

あと、やろうとしてる事は分かるけど、もう少し設定や物語を練った方がよかったのかなとも思ったりしました。
シーンとシーンを映像や音で韻を踏んで繋いでいくとか、余分なセリフを入れない脚本など、序盤の丁寧な演出は素晴らしいと思っただけに、個人的にはちょっともったいない感じがしました。

興味のある方は是非!!

 

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藤原竜也の歌舞伎「カイジ ファイナルゲーム」(2020)

ぷらすです。

友人がDVDを持って遊びに来てくれたので、一緒に『カイジ ファイナルゲーム』を観ました!

僕は実写版「カイジ」って1作目は観てるんですが、確か2作目は観てないんですよね。
まぁ、藤原竜也の「カイジ」は一応本作も併せて3部作という扱いっぽいですが、物語が直接的に繋がりはなく、「カイジ」のキャラや世界観・設定などはゆるく繋がってはいるけど、それぞれの物語は独立してるので、本作から観ても物語的には問題ない感じでした。

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概要

福本伸行のベストセラーコミックを原作にした劇場版シリーズの第3弾にして最終章。命懸けのゲームから何度もはい上がってきたカイジが、新たなゲームに挑む。前2作の監督を務めた佐藤東弥カイジを演じた藤原竜也が続投し、『BLEACH』などの福士蒼汰、『町田くんの世界』の関水渚、『OVER DRIVE』などの新田真剣佑らが出演する。“バベルの塔”や“最後の審判”など、原作にはない過激でユーモラスなゲームが登場する。(シネマトゥデイ より引用)

感想

ざっくり「カイジ」の歴史など

本作の原作となるのは週刊ヤングマガジンで連載されている福本伸行原作の大人気漫画シリーズ。

賭博黙示録カイジ」1996~1999
賭博破戒録カイジ」2000~2004

賭博堕天録カイジ」2004~2008
賭博堕天録カイジ 和也編」2009~2012
賭博堕天録カイジ ワン・ポーカー編」2013~2017
賭博堕天録カイジ 24億脱出編」2017~

があり、現在も3勤1休のペースで連載中なのだとか。

ストーリーをざっくり説明すると、自堕落な日々を過ごしていた主人公“伊藤開司”(通称カイジ)が、借金返済のため金持ちの仕掛ける命がけのギャンブルに挑み、勝ち上がっていくというストーリーで、作品内で描かれるオリジナルギャンブルの攻略法をカイジが探し出し、絶対的に不利な状況から逆転していくのが見どころの作品です。

そんなストーリーの面白さと福本伸行が描くクセの強いキャラクターの魅力で人気作となった「カイジ」は、テレビアニメ化を経て2009年に藤原竜也主演で実写映画「カイジ 人生逆転ゲーム」を公開。香川照之天海祐希など豪華キャストの出演もあって大ヒット。

これを受けて2011年には続編の「カイジ2 人生奪回ゲーム」が制作・公開され、こちらもヒットしたようです。

それから9年を経て、今年のコロナ直前に公開されたのが本作「カイジ ファイナルゲーム」なんですね。

本作の設定が、東京オリンピックのあと超不景気になってしまった日本を舞台にしてるのが、何か観ていて微妙な気持ちにさせられましたねーw

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後出しに次ぐ後出し!まさに悪魔的ご都合主義感!

さて、前述したように「カイジ」の面白さは原作者の福本伸行が独自に考案したゲームを、カイジがロジックで攻略していくところにあります。

ところが、この実写シリーズではそうしたロジックは完全無視
まぁ、2時間程度の劇場映画では連載漫画やアニメと違って、時間をかけてゲームのルールやら駆け引きの面白さを描くことは出来ないと考えて、製作者は最初から諦めているんでしょうけど。

ただ、このカイジはそもそも「コンゲーム」的な面白さが売りの作品なのです。
コンゲーム」とは、ざっくり言えば主人公が敵を罠にハメて逆転する物語で、圧倒的に不利な状況から、たった一手でどんでん返しをしてみせる面白さを見せる物語形式で、そこに至るまでのロジックや伏線の積み重ねが一番大事なんですよね。

しかし、そのロジックを完全無視しているこの実写版3部作では、結果的に後出しジャンケンのオンパレードで、敵が罠を仕掛けカイジが窮地にからのカイジ逆転という構図が繰り返され、しかもその逆転に特にロジックもないし、伏線の張り方も下手くそなので、いくらどんでん返し(風の展開)をしても観ているこっちは「うん知ってた」としか思わなかったり。

そんなご都合主義的な後出しジャンケン的な展開がつるべ打ちなので、ぶっちゃけわりと序盤から真面目に観るのがアホらしくなっちゃうんですよねー。

それでも1作目・2作目はまだカイジの(成長)物語だったから、まだ見どころもあった気がしますが、本作はすでにカイジの物語ですらなく、カイジ伊武雅刀演じる正義の金持ちのサポートをするだけ。

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つまりギャンブルに勝とうが負けようが、カイジは別に痛くもかゆくもないんですよね。

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さらにカイジの味方として登場する自称”ラッキーガール“の桐野加奈子(関水渚)は物語上いなくてもまったく困らないっていう典型的なにぎやかし要員で、何かしてるっぽいけど何もしていない……ってうか、実は本作に限ってはカイジも何かしてるか分からなくて、ただただ井部雅刀の横で狼狽えたりドヤ顔したり解説するだけのガヤ芸人的立ち位置なんですけどねw

なので映画としては正直目も当てられない酷い出来なんですが、ただ、この「カイジ」三部作は「映画としての評価」とは別に、藤原竜也映画としてどうかっていう評価軸もあると思うんですよねー。

半沢直樹」もしくは歌舞伎!? ”藤原竜也モノ“としての「カイジ

この「カイジ」シリーズは「デスノート」と並んで、クズ役者(クズ役が似合う役者ね)としての藤原竜也を印象付けた作品。

実際、カイジのあと藤原竜也は「藁の楯」(2013)や「サンブンノイチ」(2014年)、「22年目の告白 -私が殺人犯です」(2017年)「億男」(2018)などなど、数々の作品でクズ男役を演じてますよね。

それは「デスノート」の夜神月とこのカイジ役での叫び、狼狽え、体をよじりながら泣き叫びっていう、藤原竜也オーバー過ぎるアクトが観客に圧倒的なインパクトを残した事が大きいのだと思うわけです。

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さらに、藤原竜也はあの蜷川幸雄の秘蔵っ子でもありますからね。
元々芝居は上手いし、存在感で空間を支配するというか、出演したどの映画も「藤原竜也の映画」にしてしまう力があるわけですよ。

そういう意味では、「半沢直樹」の堺雅人に近いというか、もっと言えば歌舞伎役者的というか。
映画の内容とは別に、藤原竜也が演じるだけでワクワクしちゃうみたいな?

なので、他の役者が映画で泣いたり叫んだりすると僕は白けてしまうんですけど、藤原竜也が転げまわりながら「な“・ん・で・だ・よ“・おぉぉぉぉぉ!!」って叫ぶと「よ、待ってました!(゚∇゚ノノ”☆(゚∇゚ノノ”☆(゚∇゚ノノ”☆パチパチパチ!!!って思うし、むしろ彼がどんな叫びを観せてくれるかを期待して、藤原竜也出演の映画を観たりするわけですよねw

なので個人的に本作は、映画としては圧倒的につまらないけど、「藤原竜也モノ」としては(物足りなさはあるけど)まぁ及第点なのかなー?って感じでした。

興味のある方は是非!!

 

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ブロガーバトン?

 

ぷらすです。
いつもお世話になっている本気で本 (id:honkidehon)さんからブロガーバトンなるものを回して頂きましたので、やってみようと思います。

 

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名前:

青空ぷらすです。

年齢:

ヒミツ。
いや、特別隠しているわけではないけど、オッサンの年齢なんか誰も興味ないだろうと。さまーずの二人と同学年です。とだけw

ブログ歴・ブログを始めたキッカケ:

はてなブログは2015年の6月からスタートしていて、記事の総数は788本だそうです。
最初はnoteで映画感想の記事を書いていたんですが、noteの知り合いの方に誘われて「日刊オレラ」というブログマガジン?に記事を投稿するように。

orera.hatenablog.com


記事投稿や編集に自分のはてなID?が必要ということで登録して、せっかくなので自分名義で映画感想のブログを始めたというのが経緯です。

今後のこのブログの野望・ひとこと:

特にないですが、あえて言うなら「現状維持」ですかね?w
あ、このブログの記事をまとめた感想集をAmazonから電子書籍で出してるので、もし良かったらご一読頂けたら嬉しいです(ステマ

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「一番古い記事」と「お気に入り記事」:

一番古い記事

aozprapurasu.hatenablog.com

何の面白みもない記事w

 

お気に入りの記事

aozprapurasu.hatenablog.com

これかな?

 

次に回したい人をIDコール

では、僕の数少ないブログ友達の 一人で、いつもコメントを下さるKONMA08 (id:konma08) さんにお願いしたいと思いますw

もし、お時間があればよろしくお願いします。(もちろんスルーしてもらって全然かまいませんので)

 

というわけで、ブロガーバトンでしたー!
ではではー(´∀`)ノシ

 

 

最後に奇跡は起こらず「ランボー・ラスト・ブラッド」(2020)

ぷらすです。

今日は、映画館でS・スタローンの人気シリーズ完結編『ランボーラスト・ブラッド』を観てきましたー!
いやーホント、

超久しぶりに映画館に行きましたけど、やっぱいいですよねー。(*´ω`*)ジーン

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概要

『ロッキー』シリーズと並ぶシルヴェスター・スタローンの代表作『ランボー』シリーズの第5弾にして完結編。ランボーが人身売買カルテルにさらわれた友人の孫娘を救い出そうとする。メガホンを取るのは『キック・オーバー』などのエイドリアン・グランバーグ。『レッド・バレッツ』などのパス・ベガ、『朝食、昼食、そして夕食』などのセルヒオ・ペリス=メンチェータのほか、アドリアナ・バラーサ、イヴェット・モンレアル、オスカル・ハエナダらが出演する。(シネマトゥデイより引用)

 

感想

スタローンとアメリカン・ニューシネマ

以前も書いたかもしれませんが、S・スタローンは「アメリカン・ニューシネマ」の作家です。
アメリカン・ニューシネマについては過去に何度か説明を書いてるので割愛しますが、無名の貧乏俳優だったスタローンを一躍スターに押し上げた名作「ロッキー」は、「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」戦をテレビで観て感動したスタローンが、たった3日で書き上げた脚本を映画会社に売り込んだのが始まりですが、その脚本のラストシーンは完全にアメリカン・ニューシネマの流れを汲むものでした。

しかし一度は撮影されたそのラストシーンが後に変更され、1976年の公開版では誰もが知るあの「ロッキー」のラストシーンへと差し替えられたことで大ヒット。
アカデミー作品賞&監督賞を受賞し、スタローン自身もアメリカンドリームを掴みますが、皮肉にもこの「ロッキー」と「スター・ウォーズ」の登場で、アメリカン・ニューシネマの時代は完全に幕を閉じます

それから7年後の1982年。

「ロッキー」シリーズと共にスタローンの代表作となる「ランボー」シリーズ第1作が公開されます。

ディヴィッド・マレルの処女出版小説「一人だけの軍隊」の映画化作品である本作は、ベトナム帰還兵のジョン・ランボーと流れ者のランボーを町から排除しようとする保安官の戦いを通して「ベトナム戦争で負ったアメリカの傷」を描いた作品で、その構成はまさにニューシネマそのもの。

映画化権を獲得したワーナーは、名だたる名優たちにオファーを出すも次々に断られ、カロルコ・ピクチャーズに映画化権を売却します。

そんな時、本作の話を聞いたスタローンはギャラを下げてまでも出演を熱望。
ご存じの通り「ランボー」はロッキーと並んで彼の代名詞となるキャラクターになったわけです。

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その後、「ランボー」はシリーズ化しますが、2作目「ランボー/怒りの脱出」3作目「ランボー3/怒りのアフガン」と作品を重ねるごとにプロパガンダ的米国ヒーロー像や荒唐無稽な内容が酷評されるようになりシリーズは一旦終了。
スタローン自身のキャリアも低迷します。

しかし、スタローン自ら監督しロッキーの人生を総括した「ロッキー・ザ・ファイナル」は制作時こそ周囲やファンから冷笑されたものの、2006年に公開されるや評論家やファンから高い評価を得て大ヒット。スタローン復活を世間に印象付けます。

その2年後の2008年、スタローンは「~怒りのアフガン」から20年ぶりとなる「ランボー」シリーズ最新作「ランボー/最後の戦場」を公開。

シリーズを重ねるうちにただの戦争アクションになったシリーズに、これまでにない残酷描写を加えることでランボーのヒーロー性を排除し、戦争の(悲惨な)現実を描くことで、これまでのシリーズの総括、再構築をしてみせたのです。

つまり、老年に差し掛かったスタローンは、自分の分身である2人のキャラクターの人生に決着をつけて見せたわけですね。

少なくとも、この時の僕はそう思っていました。

まさかの続編公開も奇跡は起こらず

それから12年経った今年。

まさかの「ランボー」シリーズ完結編と銘打たれた本作が公開されました。

正直「うそーん(*´Д`)」ですよ。

だって前作で綺麗に終わってたじゃんと。

とはいえ「ロッキー・ザ・ファイナル」の時も「ランボー/最後の聖戦」の時も、ついでに言えばロッキーの親友アポロの息子が主役の「クリード」シリーズ2作でも、まったく同じことを思ったけど、実際観たらどれも大傑作だったわけで。

まぁ、例えそうでなくても、ロッキー・ランボーの名前を冠する作品が公開されたら劇場に足を運ぶのはファンの義務ですからね。

そんな感じで劇場に足を運んだわけですが、結論から言うと、最後のランボーに奇跡は起こりませんでしたよ

前作ラストで、我が家に戻ったランボー
本作はその続きで、多分、実際の時間と同じく12年の月日が流れているのでしょう。

ランボーと一緒に住んでいるのは、旧友でメキシコ人の女性マリア(アドリアナ・バラッザ)とその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンリール)で、ランボーは彼女たちを本当の家族のように大切にしている。

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なるほど、ランボーにもやっと平穏な日々が訪れたんだなーなんて思って観てると、彼は、所有する農場の地下に長いトンネルを掘り、そこで精神安定剤を服用しながら寝泊まりしているという異常行動の描写が。
これはもちろん、ベトコンのアジトを模しているわけで、ランボーベトナムで負った心の傷は全く癒えてない事が分かるわけです。

で、高校を卒業し大学生になるガブリエラは、幼い頃に自分を捨てた父親に会いにメキシコに行きたいと言い始める。

彼女の父親は、母親にDVをした末に家族を捨て家を出ていったクズ野郎で、それを知っているマリアとランボーはガブリエルを止めるけど、「人は変わる」と思っている彼女は以前ランボー農場で働いていたらしい旧友のジゼル(フェネッサ・ピネダ)の伝手で父親の居場所を突き止め、2人に黙ってメキシコに行っちゃうわけですよ。

しかし、メキシコで会った父親はやっぱりクズで、傷ついたガブリエラはジゼルに誘われるままクラブに飲みに行き、そこで人身売買の組織に誘拐されてしまうんですね。

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それを知ったランボーはガブリエラを救うため、単身メキシコに乗り込むのだが――というストーリー。

まぁね、「ランボー」シリーズは、その時々で国際問題となっている国や組織と戦うわけですが、今回は多分メキシコの麻薬カルテル問題を題材にしてるんでしょう。

最近では、麻薬で儲けるより人身売買をメインにしてるという話ですしね。

なので、本作で描かれているような事件も実際に起こっているんだろうとは思うんだけど、それにしても、悪役が恐ろしく薄っぺらいというか、2019年(米国公開)の映画として、このメキシコやメキシコ人の描写はさすがに無神経に感じてしまうという。

いや、言いたい事もやりたい事も分かるけど、さすがに(´ε`;)ウーン……っていう描写が多いんですよね。

あと、恐らく女性差別問題や性被害的な事を描きたいんだろうというのも分かるけど、だとしたらガブリエラの扱いも流石にどうかなーって思うし、物語の方もガブリエラ救出のためにメキシコに乗り込むランボーの行動や、その後の展開があまりにもで飲み込みずらいですしね。

そして、色々あってランボー農場でのクライマックスでは、前作以上に残酷な人体破壊描写のオンパレード。
あまりにやり過ぎてて、もう怖い」を通り越して笑けてくるっていう。

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ラスト・ブラッド」というタイトルが第1作(原題:ファースト・ブラッド)と対になっていて、絵的にも過去作品の韻を踏んでいるのも分かるし、ところどころ「おっ!」って思うシーンもあるから全部がダメではないけど、時代とのズレも含めて擁護しきれないかなーと。

ランボーというキャラクター

ロッキーとランボーは、S・スタローンの分身とも言うべき2大キャラクターですが、ロッキーを光とするならランボーは影。

ロッキーは次世代に自分の生き様や心意気みたいなものを受け継いでいくけど、ランボーは永遠に一人ぼっちで闘い続けてひっそり終わるしかないっていう、ある意味で不幸なキャラクターなんですよね。

それはランボーアメリカン・ニューシネマの流れを背負ったキャラクターだからで、そういう意味で本作のラストには色んな解釈があると思うけど、個人的にはランボーに相応しいラストだったのではないかとは思いました。

90分弱という上映時間も、イマドキの映画にしては短く感じるけど、この尺の短さもある意味「ランボー」シリーズの特徴と言えますしね。

かなり好き嫌いは分かれると思うし、あまり人におススメ出来る作品ではないですが、ロッキーとランボーで育ってきた人は観ておくべき作品だと思いますよ。

興味のある方は是非!!

 

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新海流ニューシネマ「天気の子」(2019)

ぷらすです。

Amazonprimevideoで新海誠監督の『天気の子』をレンタルしました。
それまでの”知る人ぞ知る“カルト的な監督から、前作「君の名は。」の記録的大ヒットで一気にメジャー監督の仲間入りをした新海監督が、あのメガヒット作の後にどんな作品を作るのか、楽しみに観ましたよ。

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概要

秒速5センチメートル』などの新海誠監督が、『君の名は。』以来およそ3年ぶりに発表したアニメーション。天候のバランスが次第に崩れていく現代を舞台に、自らの生き方を選択する少年と少女を映し出す。ボイスキャストは、舞台「『弱虫ペダル』新インターハイ篇」シリーズなどの醍醐虎汰朗とドラマ「イアリー 見えない顔」などの森七菜ら。キャラクターデザインを、『君の名は。』などの田中将賀が担当した。(シネマトゥディより引用)

感想

新海誠監督について

以前も書いた通り、僕は新海作品って実質的なデビュー作「ほしのこえ」と「君の名は。」そして本作の3本しか観たことがありません。
それは(「君の名は。」の感想でも書いたけど)「ほしのこえ」を観た時、彼の描くいわゆるセカイ系が僕には合わないと思ったからなんですね。

で、前作「君の名は。」も最初は観る気なかったんですが、社会現象ともいえるほどの大ヒットや高評価をアチコチで見かるうちに気になって、映画館に足を運んだわけです。

君の名は。」は、新海誠監督と“みんな大好き”(棒)川村元気プロデューサーが初タッグを組んだ作品ですが、なんていうかこう、新海誠監督のセンチメンタルで繊細私小説的世界観は残しつつ、サルでも分かる川村チューニングRADWIMPSの楽曲も相まって、観客が非常に観やすく共感しやすいエンタメになっていたし、まぁ僕も十分に楽しんだわけです。

で、前作同様、新海誠川村元気RADWIMPSという鉄壁の布陣で臨んだ本作。

故郷の神津島に息苦しさを感じ、大都会東京に家出した少年・帆高( 醍醐虎汰朗)は都会の波に揉まれた末に、冒頭フェリーで偶然出会った須賀小栗旬)の事務所

に身を寄せます。

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雑誌に寄稿する記事の取材をするライター見習いとして働きながら、やっと居場所を得た帆高は仕事中、以前マックで食事を恵んでくれた女の子・陽菜(森七菜)と再会。
100%の晴れ女という彼女の特殊能力を知り、生活に困窮する彼女を救うため「晴れ女」ビジネスを立ち上げて仕事を手伝ううち、帆高は彼女に惹かれていくのだが……。というストーリー。

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その背景には、関東地方に長期間雨が降り続くという異常気象があるんですね。

前作君の名は。」では、3.11を物語に取り込んだ新海監督ですが、今回は世界中で実際に起こっている異常気象を物語に組み込んでいるわけです。

新海流ニューシネマ

そんな本作で、新海監督が取り組んだのはニューシネマのオマージュ

アメリカン)ニューシネマとは、1960年代後半から70年代前半にかけてアメリカで作られた映画群のことで、「俺たちに明日はない」「イージーライダー」「タクシードライバー」などが有名。
内容を超ざっくり説明すると、大人や体制に反抗するも負けて死ぬ若者の物語です。(もちろんそれだけじゃないけど)

本作では、そんなニューシネマや70年代ATG(日本アート・シアター・ギルド)作品的なモチーフが随所で登場します。

冒頭、東京に出たものの(年齢的に)仕事も家もなく、困窮し疲弊していく帆高がたまたま拳銃を手に入れたり、クライマックスでの帆高が警察から逃走するのは、いかにもニューシネマ的。

さらに陽菜が空と繋がる事になる神社があるのは、かつて70年代のドラマ「傷だらけの天使」で屋上に萩原健一・水谷豊が住んでいた廃ビルの屋上(エンジェルビル)だし、須賀のキャラ造形や彼の半地下の事務所は、どこか松田優作主演のドラマ「探偵物語」を連想させます。

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ストーリーも、寄る辺なき少年少女が、やっと見つけた彼らの居場所を理不尽に奪おうとする大人たち(体制)に反抗する物語ですしね。

ちなみに、新海作品の特徴でもある「セカイ系」とは、超乱暴に説明すると「自分(と君)・他者・世界」から「他者」を引っこ抜いて、「自分(と君)と世界」を直結させる物語形式で、「新世紀エヴァンゲリオン」がその始まりと言われています。

他者(大人や体制)への反抗を描いたニューシネマと、世界から他者を排除する“セカイ系”は本来、相容れないように思うんですが、新海監督は本作でこの両者を融合させ、(形はどうあれ)主人公を社会と向い合せたという一点において、新海監督の進化みたいなものを感じましたねー。

 

というわけで、ここからネタバレするので、これから本作を観る予定の人や、ネタバレは嫌!という人は、ここから先は映画を観た後に読んでくださいね。

 

映画後半、お尋ね者として警察から逃げることになる帆高・陽菜、そして陽菜の弟・(吉柳咲良)の3人。
大雨や8月なのに降り積もる雪の中で当て所もなく歩く彼らの姿は、冒頭で東京に出てきたばかりの帆高と重なるようになっていて、一度は手に入れた幸せな居場所を失った強い喪失感が伝わる構成になっています。

そして、そんな彼らはラブホテルで“最後”の一夜を明かす事になるんですが、すでに陽菜が天気の巫女で、異常気象を解消するための“人柱”として「彼岸」?に連れ去られる運命が明かされているし、別れを予感させるシーンもあるんですね。
そして、帆高が目覚めると陽菜は消えていて、同時に、ホテルに乗り込んだ警察に帆高と凪は捕まってしまう。

しかし刑事の一瞬の隙をついて逃げ出した帆高は、陽菜を取り戻すため廃ビルの神社に向かって激走するわけです。

恐らくはこのクライマックスがニューシネマとセカイ系の接合点で、帆高は大人(体制・他者)から逃げて神様(体制・ルール)に奪われた陽菜を取り返しに行くのです。

そんな帆高を助けるのは、大人(体制)と子供の中間にいる須賀の妹・夏美(本田翼)であり、子供の凪であり、大人(体制・世界)から外れた須賀であり。

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そして、ようやく陽菜に辿り着いた帆高は、世界と陽菜(君)との2択で、迷わず陽菜を選択するわけですね。

その代償として、以降3年(正確には2年半)降り続いた雨で東京の広範囲が海に沈むことになるわけですけどもw

ラスト問題

そんな本作の評価は、賛否が分かれているようです。

正直に言えば、僕も本作のラストには若干のモヤモヤが残りました。

多分、新海監督が本作でやろうとしたことや言わんとしてることは概ね理解してるつもりだし、個人的には大いに頷けるんですが、それでもどこか腑に落ちないというか。

反対意見の中には、帆高が人に向けて鉄砲を撃つことや、その割に罪が軽いことに違和感や拒否感を感じる人もいたみたいですが、僕はそこはフィクションとして別に気にならなかったし、帆高が世界より陽菜を選択したのも納得できる。

帆高が手に入れた銃を発射するのは、セカイの理不尽(大人・父親・体制・暴力など)に対する怒りの表現で、ニューシネマ的な作劇ではよく使われるし、世界より陽菜を選ぶのも、元より大人たちの勝手で壊した世界の責任を、たった一人の少女(子供たち)に負わせるなんて虫が良すぎるだろうという新海監督のメッセージと受け取りました。

じゃぁ、どこが気になったかというと、冒頭と最後がちょっと言葉足らずなのではないかなと。

冒頭、帆高は「島(田舎)の息苦しさ」に耐えかねて東京に家出をしたと、モノローグで語っています。その顔には絆創膏が貼られているんですね。

原作では、帆高は父親に殴られた事も独白してるらしいですが、監督のインタビューによれば「帆高の家出に、憧れ以外の理由を足したくなかった」(意訳)という理由で絆創膏の理由には触れていません。

でも、だとしたら、帆高が東京に憧れるキッカケや理由をもう少しハッキリさせた方が良かったのでは?と。
前作でもちょっと思ったけど、ネットでどことでも繋がれる現代、理由もなく東京に憧れる若者っていう図式は正直ちょっと古臭い感じがするし、彼の家出に物語をけん引するほどの強い動機が見えないことが、観客が帆高に感情移入しずらい理由の一つではないかと思いました。

で、色々あってのラスト。
陽菜を救った結果3年の保護観察処分を受けてしまに戻された帆高は、晴れて高校を卒業し再び東京に戻るわけですが、彼女を救ったことで海に沈んだ東京の姿に責任を感じている様子。
そんな彼はお天気ビジネスの依頼主だったお婆さんや須賀に、「200年前の姿に戻っただけ」「誰のせいでもなく世界は元々狂ってた」と慰められながら久しぶりに陽菜に会いに行くんですが、空に祈る彼女の姿を見た瞬間「違う!」と叫びます。
あの時、僕たちは確かに世界を変えたんだ!」と。

僕は選んだんだ! あの人を、この世界を、ここで生きていくことを!」と。
そして、彼女の手を取って「僕たちはきっと大丈夫!」と宣言して、本作は幕を閉じるんですね。

うんうん、感動的ないいラストシーンじゃないですか。

帆高は東京の農工大に進み、農業を学ぼうと考えてるらしい。
恐らくは雨で食糧自給がままならない状況を何とかしたいという思いでしょう。
さらに彼が読んでいた雑誌には「アントロポセン」の文字が。
これ日本語だと「人新世」と言って、要は「人類が地球の地質や生態系に重大な影響を与える発端」という意味だそうです。
これは、彼(の選択)が世界を変えてしまったという意味と、温暖化などで世界を変えてしまった人間という二つの意味があるのだと思います。

ラストシーンで陽菜が空に祈っているのは、考察を読むと「晴れを祈ってる」説と「帆高に会えることを祈ってる」説に分かれてるようですが、僕は前者ではないかと思います。

2人がセカイを変えてしまった事は2人しか知らないから、誰にも責められることはないけど、2人はずっとその選択を「これで良かったのか」と悩んでいたんですよね。多分。

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でも、再び陽菜の姿を目にしたとき、帆高は自分の選択が正しかったことを確信。そして、自分たちが選んだこのセカイを背負って生きていく事を宣言するわけです。

いいラストじゃないですか。
ただね………

雨が3年降り続けば、当然色んな被害があるはずで。
浸水で家に住めなくなり避難所暮らしをしてる人もいるだろし、雨で土壌が緩んで土砂崩れが起こり亡くなる人だっていたでしょう。物価は高騰し、職を失った人も当然いるハズ。

というか、僕らは災害のニュースでそういう人達を見てきてますよね。

もちろん、この作品はフィクションなんだからリアルと比べて云々が野暮なのは百も承知だし、本当に雨が3年も降り続くことはありえないので、これは帆高の心象風景としての東京なのでしょう。

でも、作中に描かれていない3年の間、恐らく2人はそうした被害をニュースなどで見て、自分たちの選択が正しかったのかと悩み続けたのではないかと思うし、その結果としての帆高の行動、ラストの結論に達したから感動的なはずで。

なのにそこ(大雨の被害の様子)をまったく描かずに、帆高の目に映る東京は相変わらずキラッキラしっぱなしで、ただ緩やかに水位が上がっただけのユートピアにすら見える……って、

ポニョか!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ

いやね、確かに雨による被害を描けば物語のノイズになってしまうのは分かるし、だから映像や言葉の端々でぼんやり伝えるという意図は分かる。

でも、間接的でもいいから1カットでも被害のカットが入ってれば、お婆さんや須賀のセリフの意味、帆高の見え方も全然変わったんじゃないかなって思いましたねー。
個人的には、そこだけが残念でした。

でも、前半で書いたようにニューシネマ的な展開には新海監督の進化を見た気がするし、個人的に「君の名は。」よりも本作の方が断然乗れて、面白かったです!!

興味のある方は是非!!

 

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