今日観た映画の感想

映画館やDVDで観た映画の感想をお届け

虚構と現実の垣根を取っ払う実験作「書を捨てよ町へ出よう」(1971)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、歌人であり、伝説のアングラ劇団「天井桟敷」の主催者としても知られる、寺山修司長編映画デビュー作『書を捨てよ町へ出よう』ですよー!

僕は寺山修司の映画って「田園に死す」と「上海異人娼館/チャイナ・ドール」の2本しか観てなかったんですが、アマプラに入っていたので、まだ未見だった本作を観てみました。

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画像出展元URL:https://www.amazon.co.jp/

概要

「演劇実験室「天井桟敷」」が全国各地で百数十回以上上演した同名ドキュメンタリー・ミュージカルの映画化で原作は寺山修司の同名エッセイ集。寺山修司は昨年、16ミリ実験映画「トマトケチャップ皇帝」を作り、この作品では製作・原作・脚本・監督の四役を担当している。撮影は写真家で、映画撮影は初めての鋤田正義が当り、仙元誠三がこれを補佐している。(映画.comより引用)

感想

僕と寺山修司

寺山修司と言えば、太宰治三島由紀夫芥川龍之介らと並び、「苗字呼び捨てされる系カリスマ文学者」の1人

昭和10年に青森で生まれた寺山は、早稲田大学に入学後に歌人デビューするや歌壇に賛否を巻き起こし、その後はエッセイスト・評論家・作詞家・構成作家・劇作家など幅広く活躍。

昭和42年(1967)に、横尾忠則東由多加、九條映子らと劇団「天井桟敷」を結成。

状況劇場」の唐十郎、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信と並び「アングラ演劇四天王」の一角と呼ばれ、その勢いのまま1971年に監督・脚本・制作を務めた長編映画デビュー作が本作「書を捨てよ町へ出よう」なんですね。

ちなみに原作は自身の書いた同名評論集で、1970年には「天井桟敷」で舞台化もされていて、2018年には「マームとジプシーの藤田貴大演出でリブートされたようです。

僕自身は寺山修司世代ではないけれど、その残り香を嗅いで育ってはいるし、同年代の文学好き&サブカル好きな人たちはみんな一度は寺山にかぶれていましたよね。

僕が初めて寺山作品に触れたのは「上海異人娼館/チャイナ・ドール」(1980)という映画で、ブルック・シールズ主演の「青い珊瑚礁」という映画と同時上映だったんですよね。

青い珊瑚礁」は、世界的アイドル女優だったブルック・シールズの初ヌードが観られるのが売り?の作品で、当時思春期真っただ中だった僕は公開初日に友人と共に(ブルック・シールズのヌードを)観に行ったわけですよ。

そしたら「青い珊瑚礁」よりもよっぽどエロい(しかもアブノーマル)映画が同時上映されていて、後にそれが寺山監督の「上海異人娼館/チャイナ・ドール」だった事を知るわけです。もちろんその時は、それが寺山修司監督作品とは知らなかった(というか寺山修司自体知らなかった)し、ストーリーもチンプンカンプンでしたけどね。

ちなみにこの作品はフランスの映画制作会社アルゴ社との共同作品でフランスのSM文学「O嬢の物語」の続編「ロワッシイへの帰還」が原作らしいです。

その後、成人してからレンタルビデオで見つけた「田園に死す」も観たけど、やっぱチンプンカンプンでしたねーw

本作の感想

で、今回長編デビュー作となる本作。

本も舞台も観たことないけど、タイトルだけは見聞きしたことがあるという人も多いんじゃないでしょうか。(僕もその一人)

冒頭、真っ暗な画面の中、津軽弁訛り男の「何してんだよ。映画館の暗闇の中で、そうやって腰掛けてたって、何にも始まんないよ」というナレーションから始まるオープニングにはドキっとしたし、グッと引き込まれもしたけど、劇中にヌーヴェルヴァーグ(というかゴダール)に強い影響を受けたと思われるコラージュ手法やジャンプカット、手持ちカメラがブレ過ぎて酔うし、文学や詩からの引用がふんだんに盛り込まれていて、ぶっちゃけ非常に観にくいし、ストーリーも分かりずらい。

それでも90分くらいなら耐えられるけど、これが2時間超はさすがに長いし後半は観てるのが辛かったです。

で、オープニングと対になる主人公の語りで終わった後は、カーテンコールよろしくエンディングロールの代わりにキャスト・スタッフのアップが次々に流されるわけですが、ぶっちゃけスタッフの顔だけ見せられたって、何した人か全く分からないっていう。

と言っても、読んでいる人はまったく分からないと思うのでざっくりストーリーを紹介すると、

たまに人力飛行機で空を飛ぶ妄想をするプレス工の主人公は、五年前に一家そろって高田馬場の家畜小舎みたいなボロアパートに逃げてきたらしい。

万引きクセのある祖母、元陸軍上等兵で戦後屋台ラーメン屋になって今は無色の父親、人間嫌いでウサギを偏愛している妹セツと住んでいる主人公は、ある学校(大学?)のサッカー部に在籍し先進的な思想を持つインテリの「彼」を尊敬しているんですね。

そんな彼に「一人前の男にしてやる」と、元赤線の娼婦のところに連れていかれた主人公は、行為の最中に怖くなって逃げ出してしまうわけです。

祖母はセツがウサギにかまけて自分の面倒を見てくれないのが面白くないので、隣人にウサギ殺しを依頼。可愛がっていたウサギの死を知ったセツは家を飛び出し、一晩中彷徨った挙句サッカー部の部室に迷い込んで――。

というストーリー。

まぁ、原作が評論集ということもあってか、1本の「物語」というよりは極めて散文的で、むしろ劇間に差し込まれる東京の街角で大麻を吸うヒッピーの若者とそれを横目に通り過ぎるサラリーマンだったり、ち〇こ型のサンドバックを信号機に吊るしてヒッピーに殴らせる映像だったり、そうしたドキュメント的だったり実験的だったりな映像に映りこむ街並みや人々の姿、表情こそがむしろ重要なのかなと。

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画像出展元URL:http://eiga.com

つまり、この作品で寺山は主人公の物語というフィクションと、そこに映り込む(もしくはコラージュ的に差し込む)ドキュメントを有機的にリンクさせて、虚構と現実の垣根を取っ払う実験を試みたってことだと思うんですね。

劇中ではインテリジェンスや男性性に強いコンプレックスと憧れを持つ主人公と、元軍人で今は息子に借金を返せない無職の父親、主人公が憧れるインテリで男らしい「彼」が登場し彼らの対比でストーリーが進むんですが、その背景には2度に渡る学生運動があって、日本を戦争に巻き込んで負けた家父長制(男社会)と、口では革命を唱えながら結局国や体制に負けて「大人」になっていく若者たちの欺瞞を批判しつつ、そんな(男)社会から弾き出された自身のコンプレックスを私小説的に描いているのだと思うんですね。

ただ、志は高いけど時代性が強い作品なので、リアルタイムでこの時代の空気感や教養を共有していない世代が後追いで観るには、ちょっと敷居が高いというか。

この作品の”時代性”って意味では宮崎駿監督の「風立ちぬ」に近いものを感じるんですよね。(そういえば、本作には夕暮れの原っぱでの飛行機シーンがありますねw)

あと、全体的に素人臭くて普通に観づらいし。

本作を通して時代を読み解くっていう歴史的な価値や面白さはあるかもしれませんが、映画として面白いかと聞かれると、(´ε`;)ウーン…って感じでしたねー。

興味のある方は是非!

 

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なるほど分からん!( ゚∀゚)「TENET テネット」(2020)

ぷらすです。

話題のクリストファー・ノーラン監督最新作『TENET テネット』を、映画館で観てきましたよー!久しぶり、映画館!(嬉)

「難しすぎて一回見ただけじゃ絶対分からない」「一回で分かるヤツはむしろ頭がおかしい」と評判の本作ですが、内容は本当に複雑で、前日予習してある程度内容を知った状態で観ても頭がこんがらがってしまいましたよーw

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が描くサスペンスアクション。「TENET」というキーワードを与えられた主人公が、人類の常識である時間のルールから脱出し、第3次世界大戦を止めるべく奮闘する。主人公を演じるのは『ブラック・クランズマン』などのジョン・デヴィッド・ワシントン。相棒を『トワイライト』シリーズなどのロバート・パティンソンが務め、マイケル・ケインケネス・ブラナーなどが共演する。(シネマトゥディより引用)

感想

ザ・ノーラン映画

本作の監督クリストファー・ノーランと言えば「007」が大好きで、「ダークナイト3部作」はヒーロー映画の仮面を被ったスパイ映画だし、「インセプション」はSFだけどもろに産業スパイの映画ですよね。

そんなスパイ大好きノーランが強く興味を抱いているもう一つの要素が「時間」で、自身が脚本も担当したSF映画インターステラー」はもろにアインシュタイン相対性理論が物語のベースになっているし、「メメント」~「ダンケルク」に至るまで、確かほぼ全ての監督作品で時系列をいじってたハズですよね。(うろ覚え)

そんなノーランが「スパイ」と「時間」という大好きな2大要素を合体させたSFスパイアクション映画が本作「TENET」なのです。

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画像出展元URL:http://eiga.com /主人公と相棒のニール

そう書くと、タイムトラベルやタイムリープなどを連想される方もいるかもですが、本作で描かれるのはあくまで「時間逆行」なので厳密に言えば「タイム〇〇」とは似て非なるものなんですよね。

本作の予告編で、映像が巻き戻るシーンを観た人も多いと思いますが、あれこそが本作最大の仕掛けであり、これまで多くのSFで扱ってきた「タイム〇〇」との違いなのです。

と言っても、まだ観ていない人には「なんのこっちゃ?」だと思うので、本作の内容を微妙にネタバレしつつ超ざっくり説明します。

なので、まったく内容を知らずに観たい!という人は先に映画を観てくださいね。

「TENET」って大体こんな物語(微ネタバレあり)

CIAのエージェントだった主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が秘密組織「TENET」に“スカウト”されるところから本作はスタート。

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画像出展元URL:http://eiga.com /役名が「主人公」という主役を演じるジョン・デヴィッド・ワシントン

「TENET」という組織を簡単に説明すると、人類を滅ぼそうとする未来人と戦う秘密組織なんですね。

現代人類による環境破壊が原因で滅亡寸前の未来人(つまり僕らの子孫)。
そんな彼らは、「エントロピーを減少させると時間が逆行する」ことを発見。
一人の科学者が時間逆行マシン「アルゴリズム」を完成させ、未来人たちはこれを過去(つまり劇中の現在)に送りこんで時間を逆行させることで未来に綺麗な環境を取り戻す計画を立てます。
ちなみに「アルゴリズム」が発動すると、時間逆行の影響で現在の生物は滅亡しますが(理由は後述)、未来人にすれば「そんなの自業自得じゃ、知ったことか!」って話なのでしょう。

ところが計画実行寸前、アルゴリズムを発明した科学者ははたと気づくんですね。
ご先祖滅ぼしたら、子孫の自分たちもいなくなるんじゃね?」と。

劇中ではそれを「祖父のパラドックス」と呼んでいますが、いわゆるタイム〇〇系SFでは最早あるあるとも言えるタイムパラドックスですよね。
つまり、「時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺せば自分は生まれないけれど、そうすると祖父を殺す自分は存在しないので祖父は死なず、すると自分は生まれるので時間を遡って――」っていうやつ。

詰んでる!」と絶望した科学者。
でも、死ぬのはともかく“無かったことにされる“のは嫌だったのか、アルゴリズムを9個の部品にバラして、過去に送っちゃうわけです。

一方、ご先祖滅亡計画を立てた未来人の考えは違って、アルゴリズムによってご先祖が滅亡しても自分たちが消えることはなく(タイムパラドックスは起こらず)、綺麗な環境という「結果」だけが残るという考え方。

というわけでアルゴリズムで「ご先祖殲滅作戦」を決行したい彼らは、原爆爆発事故で地図から消えた町スタルスク12で散乱したプロトニウム(核弾頭)を集める仕事をしてたセイターケネス・ブラナー)に(多分)「十分な報酬と引き換えに9個の部品を探し出しアルゴリズムを組み立て・発動させる」という(ドラゴンボールみたいな)契約書を送るわけですね。

セイターは快く契約し、未来から送られてくる潤沢な資金と逆行銃という武器売ったり撃ったりしてのし上がり、武器商人として名を馳せる一方で、各国に散らばったアルゴリズムの部品を集めている。

そんなセイターからアルゴリズムを奪い、人類滅亡を防ごうとしてるのが“近”未来人の組織「TENET」なのです。

 

「タイム〇〇」と「時間逆行」の違い

つまりはタイムマシンを使った時空SFなんですが、普通タイムマシンを使ったSFの場合、登場人物はタイムマシンで過去か未来に”ジャンプ“しますよね?

ところが、本作のタイムマシン「回転ドア」は、あくまでくぐった人間やモノの時間を逆行させるだけ。(素粒子を反粒子に変えるらしい

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画像出展元URL:http://eiga.com /時間の順行を赤、逆行を青と色分けして視覚的に説明する工夫も

なので、例えば10年前に戻ろうと思ったら10年かけて時間を遡らなければならないわけです。

ゆえに未来人が直接現代にやってくることは出来ません。(その途中で老衰で死んじゃうから)
また、時間を逆行する人間(生物)は普通に呼吸が出来ないので、特製?の酸素で満たされた部屋の中にいるか、外出時は酸素ボンベを使って呼吸しないと死んでしまいます。(だから世界を逆回転させるアルゴリズムを起動させると生物が死滅してしまう)

なので、未来人はセイターを使い、TENETは過去の自分たちを使ってアルゴリズムを巡る代理戦争をしているというのが本作のあらすじなんですね。

 

この「時間逆行」という発想に元ネタがあるかは分かりませんが、少なくとも僕は初めて観ました

これまで観たタイム系SFでは、例え登場人物が過去や未来に移動しても、時間は常に順行、つまり過去から未来に向かって進んでいて、リアルタイムで時間を逆行することはなかったですからね。そもそも時間の流れを遡るという発想自体、頭の中になかった――って思ったけど、そういえば1979年「スーパーマン」では、ラストの方で恋人の命を守り切れなかったスーパーマンが地球の自転を逆回転させることで時間が巻き戻したのを思い出しましたw

いや、さすがに「スーパーマン」が本作の元ネタとは思いませんけどね。

さらに、本作では同じ映像の中で時間の順行するキャラ(過去→未来)と、逆行するキャラ(未来→過去)が同時に描かれるので、大抵の人はここでこんがらがっちゃうと思うんですよね。

そんな僕ら観客のために、ノーランは序盤に登場する(説明係の)女性科学者の口を借りて「考えるな。感じろ」的な注意してくれるわけです。

まぁ確かに、物語というより物語世界のルール設定が複雑な上に、ノーラン本人もちゃんとルールを理解してるのか疑わしく、さらに彼の監督としての語り口やアクションシーンの下手さも手伝って、正直、エアポートシーンやカーチェイスシーン、そしてクライマックスシーンなど、順行者と逆行者が入り混じるアクションシーンは誰が、何処にいて、何が目的で、何をしているのかチンプンカンプンでしたが、世界に数台しかない「IMAXカメラ」でフィルム撮影した映像はド迫力かつ美しく、順行者(現在→未来)と逆行者(過去←未来)の対決という今まで観たことのないアクションシーンは単純に画として面白いので、とりあえず映画館、出来ればIMAXの大画面で観る事を強くお勧めしますよ!

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画像出展元URL:http://eiga.com /ノーランがこだわる本物の迫力!

興味のある方は是非!!

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おまけの*ネタバレ

ニールの正体

はい、ここからは完全ネタバレですよ。

さて、公開後に考察系レビュアーさんたちの間で湧き上がっている「ニールとマックス同一人物説」ですが、僕もこの説を支持しています。

その理由は大体他の人たちと一緒なんですが、僕が思ったのは将来的にキャットと主人公が付き合うor結婚する(主人公とマックスも近しい関係になる)。

そして、キャットとマックスが受け継いだ(であろう)セイターの遺産を元手に、主人公(とキャット?)が「TENET」を立ち上げたのではないかと。

映画で観る限り、TENETはセイター率いる組織と同等の組織っぽいので結構な額の運用資産が必要なハズだし、元はと言えば先祖を滅ぼすため未来人が送った資産を元手に、未来人に対抗する組織「TENET」が作られるって面白くないですか?

ノーラン懐疑派なので

本作は、中盤のキャットが逆行弾に撃たれるシーンを境に、主人公が前半で順行、後半で逆行することで、前半のシーンで張られた伏線を後半で回収する形になっていて、これって「カメラを止めるな!」と同じ構成なんですよねw

で、本作は内容(というかルール)の複雑さが逆にウケて、リピーター続出、興行成績も上々らしいですが、個人的には(前述したように)作品に隠されたすべての謎がノーランの計算通りというわけではないと考えています。

もちろん意図的に謎を残すように演出したシーンも多々あるとは思うけど、そもそも作劇やアクションシーン(特に大人数のアクション)に難ありのノーランであり、また「インターステラー」でも思ったけど、ノーランは劇中で複雑なルール(物理学とか相対性理論とか)を使いたがるわりに、ちゃんと理解してないんじゃないかという疑惑が個人的にはあるんですよね。

難しい理論を難しい言葉を使って説明するのは大抵ちゃんと理解してない人だし、劇中でも最初の説明を鵜呑みにして観ていると「あれれ??」ってなるシーンも結構あって、まぁ、それは百歩譲って映像の面白さやカッコよさを優先したんだとしても、最後の方は広げた風呂敷をちゃんと畳まずに、クシャクシャって丸めて「概念」とか「哲学」って書いた箱にポイっと入れて誤魔化してる感があるっていうか。

伝わりますかね?この感じw

もちろん、だからつまらないという事ではなくて、それでも最後まで面白く観られるのは映像作家クリストファー・ノーランの手腕だと思っているし、内容が理解できずに家に帰ってからネットで考察レビューを読みまくったり、本作を観た友人と話したりする時間も考えれば、ある意味で長い時間楽しめるコスパのいい映画とも言えるのではないかと思います。

 

 

 

暴力映画最前線「トマホーク ガンマンvs食人族」(2015/日本ではDVDスルー)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、一部の映画マニアの間で話題沸騰のS・クレイグ・ザラー監督作品『トマホーク ガンマンvs食人族』ですよー!

現在公開中でメルギブ主演の「ブルータル・ジャスティス」の話がラジオで出ていて、その監督の長編デビュー作として本作が紹介されていたので、早速アマプラで観ましたよ!

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画像出展元URL:https://www.amazon.co.jp

概要

ヘイトフル・エイト」のカート・ラッセルが主演を務め、食人族に連れ去られた人々を救うべく立ち上がった4人のガンマンの戦いを描いた西部劇アクションスリラー。アメリカの荒野にある田舎町で、複数の住人が忽然と姿を消した。さらに空き家の納屋で、惨殺された男性の遺体が発見される。現場の遺留品や遺体の状態から、犯人は食人族として恐れられている原住民であることが判明。保安官のハントら4人の男たちは拉致された人々を助けるため、足跡をたどって荒野を進んで行くが……。共演に「ウォッチメン」のパトリック・ウィルソン、テレビドラマ「LOST」のマシュー・フォックス、「扉をたたく人」のリチャード・ジェンキンス。「ザ・インシデント」の脚本を手掛けたS・クレイグ・ザラーがメガホンをとった。(映画・comより引用)

感想

エスタン・ホラー?

実はこの作品、アマプラのおススメでタイトルはチョイチョイ見かけてたんですが、なんせこのタイトル、いかにもインパクト狙いの出オチB級映画って感じじゃないですか。

なので最初は食指が動かなかったんですが、現在(日本では3館で)公開中の「ブルータル・ジャスティス」のS・クレイグ・ザラー監督が、ライムスター宇多丸さんを始め複数の映画評論家の人に激押しされてましてね。

その流れで長編監督デビュー作である本作も紹介されたのを聞いて、急に興味が湧いたわけです。

で、アマプラに入ってたので早速観てみたんですが――ビックリするくらいタイトルそのまんまの内容でしたねーw

そんな内容を超ざっくり説明すると、人食いインディアンに連れ去られた部下ニックエヴァン・ジョニカイト)と人妻サマンサ(リリー・シモンズ)をハート保安官カート・ラッセル)、サマンサの夫アーサーパトリック・ウィルソン)、ニヒルな紳士ブロンダーマシュー・フォックス)、老補佐官チコリーリチャード・ジェンキンス)の4人のカーボーイが救出に向かうのだが――というストーリー。

つまりは、カーボーイがインディアンと戦うというある意味で由緒正しい西部劇なんですが、西部劇全盛の1940~50年代ならともかく、悪いインディアンを正義のカーボーイが倒す西部劇なんて、諸々のリテラシーの進んだ現代では当然許されるわけもなく。

そこで、S・クレイグ・ザラー監督が取った手段が、敵がネイティブアメリカンたちからも忌み嫌われている“食人部族”であり、言葉も持たないため一切のコミュニケーションが取れないという設定。

なので音もなく忍び寄ってくる食人族は”敵”ではなく自分たちを捕食するモンスターであり、物語のプロットは西部劇じゃなくて完全にホラー
ほぼ「エイリアン」や「プレデターと同じなんですよね。

「暴力映画」最前線

そう書くといかにもB級映画っぽいというか、なんせガンマンと食人族が戦う映画ですからね。

“内容的”には確かにB級ホラー映画なんですが、ただのインパクト狙いの出オチ映画かと言うとちょと違うのです。

というのも本作のS・クレイグ・ザラー監督は元々脚本家ということもあって、ストーリーテリングが超上手。

なので、ある意味で荒唐無稽な本作のストーリーも思わず引き込まれてしまうんですよね。

例えば冒頭。

野宿中の旅人の喉元に刃物が押し当てられてゆっくり引かれる。
カメラが引くと、すでにもう一人の男も同様に殺されていて、会話の中身から殺した方の男2人は旅人の寝こみを襲う強盗であることが分かるんですね。

その二人の駄話中、死んだと思われた男が実は生きていて、死んだふりをしたままそっと銃を構えようとするも強盗の一人に撃ち殺されてしまう。

すると、その銃声を聞きつけた何者かが数名向かってくる馬の足音が聞こえ、二人は逃げようと丘を登るわけですね。

すると、丘の上では獣の鳴き声のような不気味な音が聞こえ、二人はどうやらネイティブアメリカンの墓場らしき場所に迷い込んでしまう。

若い強盗はビビって別の道を行こうと言うが、年老いた方の強盗は耳を貸さず進み、草むらに人の気配を感じて銃を発砲。

しかし、次の瞬間弓矢で喉を射抜かれた年老いた男を見て若い男は逃げ出し、その後方では刃物か鈍器で年老いた男が止めを刺されているのが小さく見えるわけです。

つまり、獲物(旅人)を狩る強盗を狩るインディアン(食人族)という図式を冒頭で見せることで、本作がアクション映画ではなく「暴力映画」であることが提示されるわけです。

この場合の「暴力映画」とは、例えば主人公が能力や腕力で悪者たちを倒すような勧善懲悪のアクション映画ではなく、例えばニコラス・ウィンディング・レフン監督作品や、スコセッシのギャング映画、一連のペキンパー作品や韓国ノワールなど、暴力の痛みや本質を描く、または暴力とは何かを観客に突きつける作品のこと。

そうした暴力映画の系譜自体は洋の東西問わず連綿と受け継がれていて、現在その先頭を走っているのがS・クレイグ・ザラー監督なんですね。

そんなザラー監督のデビュー作となる本作、ガンマンと食人族が戦う、いわゆるアクションシーンは殆どありませんし、あっても襲い掛かる食人族を主人公たちが銃で撃つのをサクッと見せる程度なんですが、何故か痛い描写は執拗に撮るししっかり見せます。

特に中盤、捕まった副保安官のニックが裸にひん剥かれ食人族に捌かていくショックシーンは観ていて本当に怖いし超シンドイ。
石か動物の骨で出来た斧で剥がれた頭の皮を口に突っ込まれ、逆さにYの字状にされて(刃物みたいに切れないから)股間から何度も斧を叩きつけられて縦に真っ二つに裂かれますからね。(←自主規制。読んでもいいよという人は文字反転で)

「こんな死に方は絶対に嫌だ」ランキング第1位ですよ。

それまで彼らを同じ「人間」として観ていた考えの甘さを突きつけられるような、何とも絶望的なシーンだし、捌かれていくニックに「コイツらを皆殺しにしてやるからな!」と声をかけるハート保安官に観ているこっちも感情移入するシーンであります。

その前のシーンでは、執拗にインディアンを憎み女子供まで160人以上を殺してきたブロンダーに対して批判的だったハート保安官とチコリー
この二人は非常にリベラルな精神の持ち主なんですね。
実はブロンダーの方は少年時代、インディアンに母と姉を殺されるという地獄を既に経験済みなので、価値観や宗教観、倫理観など何もかもが違うインディアンとは分かり合えない事を身をもって分かっていた。

そんなブロンダーの気持ちを、ハート、チコリー(と観客)はこの(ニック捌き)シーンで追体験し、骨身に染みて”分からされる“わけですね。

もちろん、人間を縦半分に裂いちゃうこのシーンは画的にも設定的にも荒唐無稽だし、コントギリギリなんだけど、それを悲惨&悲壮なシーンとして成立させているのは、脚本と監督を兼任するS・クレイグ・ザラー監督の手腕なんですよねー。

特に脚本は素晴らしく、一つ一つのシーンやエピソードには常にフリとオチがあって、前後のシーンが有機的にリンクしてるのです。

ただ、そんな激痛暴力描写の合間合間に、すっとぼけたギャグを挟んでくるので、この監督は油断が出来ないんですよねw

例えばこのニック捌きの次のシーンでは、食人族のリーダーがニックの足をケンタッキー感覚で歩き食いしてたりねw

その辺のセンスや省略の仕方なんかは北野映画に近いかもしれません。

まぁ、そのお陰で観ているこっちは息がつけるし、最後まで面白く観られるわけですが。

で、色々あってのラストの方で、この食人族の女がチラリと映るわけですが、彼女らは手足を切られ、いわゆる達磨状態にされたうえに棒のようなものを刺されて目も潰され妊娠させられている。(←自主規制。以下略)文字通り「子供を産む道具」にされているわけです。

実はその前に、サマンサが「身重の女たちは手足が不自由で盲目」と説明しているんですが、それがフリになっていて、説明を聞いてコッチが想像したのとは全然違う「暴力」を見せることで、食人族を完全なる怪物にする&ニックのシーン以前なら罪なき食人族の女たちを助けたであろう彼らが、放っておけば死ぬ事を知りながら放置して帰ることで、彼らの中でハッキリと「何か」が変わった事が示されているわけですね。

それは監督がリベラルに傾く映画業界を批判をしているようにも見えるし、現在のディスコミュニケーションな世界を映す鏡のようにも見えなくもないというか。

好き嫌いは分かれる

ただ、そんなS・クレイグ・ザラー監督作品は多分、相当好き嫌いが分かれるのは間違いなくて、実際評価サイトでも評価はハッキリ分かれてました

それは、もちろんグロ描写がエグいってのもあるけど、グロや暴力シーンに何某かの意味や意図、テーマ性みたいなのがあるのかないのか分からないってところで、ただのB級グロ映画に見える人もいれば、(勝手に)意味や意図を見出そうとする人もいるかなーと。

あ、あと、この作品ってBGMが一切入ってないんですよね。
で、エンディングロールだけテーマソングが入ってるんですが、どうもこの曲S・クレイグ・ザラー監督自身が作詞作曲したっぽいんですよね。
というのも、監督はプロのミュージシャンでヘヴィーメタルバンドのメンバーでもあったらしい。

なので、彼の作品のBGMは基本、監督自身が作詞作曲・演奏?もしてるらしいです。

というわけで、個人的には超面白かった本作ですが、とにかくグロシーンがキツめなので他人にはちょっとおススメ出来ない作品でしたーw

興味のある方は是非!!

 

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映画にする意味「みうらじゅん&いとうせいこう 20th anniversary スライドショーがやって来る!「レジェンド仲良し」の秘密」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、サブカル界の二台巨頭みうらじゅんいとうせいこうのユニット「ROCK'N ROLL SLIDERS」が行っているトークイベント「ザ・スライドショー」の20年を追ったドキュメンタリー『スライドショーがやって来る!「レジェンド仲良し」の秘密』ですよー!

アマプラの見放題に入ってたのを見つけたので早速観てみました。

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

みうらじゅんが全国で撮影した写真をスクリーンに映し、いとうせいこうが突っ込むというトークイベントのドキュメンタリー。「マイブーム」などの造語を生み出したイラストレーターなどの肩書を持つみうらとクリエイターのいとうが、写真をネタに独特のセンスや鋭い感性でトークを繰り広げるステージの様子のほか、WOWOWに残る舞台裏映像や撮り下ろしのインタビューなどで構成される。写真のセレクションや、みうらといとうの仲の良さが印象的。(シネマトゥディより引用)

感想

映画にする意味があるのか問題

映画界、というか邦画界では人気ドラマの劇場版とか、人気漫画やアニメの実写版とか、はたまたバラエティー番組のワンコーナーの劇場版とか、国民的名作アニメの駄リメイクとか、「それ、映画にする意味ある?」と頭をかしげるような作品が決して少なくないですよね。

僕も若い頃はそういう映画に噛みついたりもしましたが、今は“そういう作品“には最初から近づかなければいいと思ってるし、きっと映画界にも色々事情があり、またそういう「映画」が好きな人だっているわけで、それについてとやかく言う気はさらさらなく、個人的には「そういう作品ってあるよね」くらいの距離感だったりします。

で本作。

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画像出展元URL:http://eiga.com

劇場公開をネットで知った時、まさに「それ、映画にする意味ある?」って思ったわけですね。
みうらじゅんいとうせいこうは広く名前を知られてるだろうけど、二人の「ザ・スライドショー」というイベントを知ってる人はそんなに多くないだろうし、劇場に足を運ぶほどこの二人に興味のある人も、それほどは多くないと思いますしね。

僕は「ザ・スライドショー」の名前や概要を何となくは知ってたけど、会場に行った事もないし映像でも観たことがないので、アマプラで本作を見つけて、“映画として”というよりも「『ザ・スライドショー』が観られるなら」くらいの感じで観たわけです。

二人の天才が「レジェンド仲良し」になるまで

京都出身のみうらじゅんは、武蔵野美術大学に在学中から糸井重里の事務所で働き、マンガ雑誌ガロで漫画家としてデビュー後、イラストレーター、文筆業、バンドなどマルチに活躍し、「マイブーム」「ゆるきゃら」「クソゲー」など、いくつものムーブメントを日本中に浸透させた稀代の天才の一人。

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この人の凄さは、普通ならダメなもの、つまらないもの、不要とされるものなどに新たな価値と見方(楽しみ方)を提示することで、その物に対する世間の認識を変えてしまうところでしょうか。
また、どうでもいいバカ話と思って聞いていたら、いつの間にか彼の哲学や宗教感に引きずり込まれているんですよね。

それって今風に言うなら「インフルエンサー」ってやつなのかもだけど、「最初に発見して広める」ではなく従来の価値観では何の意味もない物に新たな価値観を提示することで意味や価値をつける。つまりは「無から有を生み出す」という意味で、やはりみうらじゅんという人はクリエイターだし、ある種の天才なのだろうと思うわけですね。

一方、江戸っ子のいとうせいこうは、早稲田大学在学中にピン芸人として活動を開始。
『ホットドッグ・プレス』などの編集部を経て、日本語ラップのパイオニアとして活動する一方で作家としても活躍するなどマルチな活躍で知られていて、やってることはみうらさんとほぼ一緒なんだけど、この人の場合はよりポップな形でその才能を世間に知らしめた人というイメージです。

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そんな二人の共通点はいわゆる「サブカル」だという事なんですが、劇中のインタビューでみうらじゅん本人が言うように、「モテる方とモテない方」で言えばみうらじゅんはオタク寄りでモテない方のサブカル村、いとうせいこうはオシャレでモテる方のサブカル村にそれぞれ住んでいたため、当初はお互いに反目しあう関係だったのだとか。

本作はそんな二人の出会いから、現在のホモソーシャル”を通り越して熟年夫婦のような関係性を”完成”させるまでを、みうらじゅんが日本全国から集めてきたネタをスライドで紹介、それにいとうせいこうがツッコミを入れる形式のトークショーザ・スライドショー」の歴史を通して追っていくというドキュメンタリー。
つまり、本作の主題は「ザ・スライドショー」というよりも、みうらじゅん&いとうせこうの出会いと積み重ねた歴史そのものなのです。

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 同時にこの「ザ・スライドショー」は二人にとって代名詞とも言えるイベントの一つであり、その時々の二人の関係性がそのままイベント内容に反映するので、みうらじゅんいとうせいこうの歴史を語るうえで避けては通れない題材でもあるわけですね。

最初は互いにある種のライバル意識やある種の反目も持ちながら始まり、やがていかにお互いを驚かせるか、感心させるかに重点を置いてネタ集めや演出をするようになっていき、最終的にはイベントのメインである「スライド」すら不要なのではないかという境地に達する二人。

さらに互いに還暦を超え、「もしみうらさんが自分以外の相方を見つけたら廃人になっちゃうよ」「自分が死んだら棺桶の中の遺体に「死んでんのかよ!」ってツッコミ入れてほしい」と、言い合える仲になった二人のトークは、見ているだけで幸せな気持ちになるし、還暦を超えた仲良しおじちゃん二人が舞台を転げながらキャッキャ笑い合う姿は、それだけで単純に面白いのです。

そして、その背後にはイベントスタート時の1990年代~現在の間に確実に失われゆく日本の姿がうっすらと見え隠れしているんですね。

というアレコレを含めて、この作品を映画にする意味があるのかないのかは、アマプラで観て各自ご判断ください。

興味のある方は是非!!

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世界の“MIIKE“が撮った”洋画“「初恋」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、”世界のMIIKE”こと三池崇史監督久しぶりのオリジナル作品『初恋

』ですよー! 

日本に先駆けて全米公開したことでも話題となった本作ですが、先に個人的な感想を一言で書くと、この作品は「三池崇史が撮った”洋画“」だと思いました。

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概要

『一命』などの三池崇史監督と『東京喰種 トーキョーグール』シリーズなどの窪田正孝が、ドラマ「ケータイ捜査官7」以来およそ10年ぶりに組んだラブストーリー。負けるはずのない相手に負けたプロボクサーの主人公が過ごす、アンダーグラウンドの世界での強烈な一夜を描く。『ビジランテ』などの大森南朋、『さよなら歌舞伎町』などの染谷将太をはじめ、小西桜子、ベッキー村上淳塩見三省内野聖陽らが出演した。(シネマトゥディより引用)

感想

三池が世界に照準を合わせた作品!?

これまで仕事を断らない職人監督として数多くの原作つき作品に携わる一方で、その強烈すぎる作家性で世界中にファンを持つという二面性を両立している異例の映画監督・三池崇史

非常に多作で知られる監督ですが、それゆえか彼ほど評価の定まらない監督も珍しいのではないでしょうか。

世界中を震え上がらせた「オーディション」や名作時代劇のリメイク「13人の刺客」などの名作を撮る一方で、哀川翔竹内力というVシネマの2台巨頭を直接対決させた「DEAD OR ALIVE」3部作や、幕末の人切り・岡田以蔵をモチーフにしたSF作品IZO」など伝説的なカルト映画も撮り、そうかと思うと「ヤッターマン」「忍たま乱太郎」「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」など、職人監督に徹して原作つきの作品を次々に実写化してみせ、さらに映画にとどまらずテレビドラマ、演劇、歌舞伎の演出から出演まで。

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とにかくジャンルを問わず「仕事は来たもん順で受ける」「映像化可能であれば、まず何でもやってみる」との公言通り、依頼があれば提示された期限・条件・予算の中でしっかり「商品」を仕上げて納品する職人監督でありながら、隙あらば商品に自分の色を混ぜて、しれっと「作品」にしてしまう。僕の中で三池崇史はそんなイメージの監督です。

そんな彼の最新作となる本作は、ヤクザとチャイニーズマフィアの抗争と裏切り、血で血を洗う暴力を描く三池崇史の得意ジャンルで、そんな中、暴力団に売られた少女と余命幾ばくもないボクサーが出会い――という物語。

どうせいつもの三池映画だろ?」と思って本作を観ると、確かに序盤で落っこちた生首がカメラ目線でとぼけた表情をするっていう、ザ・三池ワールドな悪ノリ描写はあるものの、それ以外のシーンはわりと大人しいというか、いわゆる三池印の露悪的な描写は殆どないんですよね。

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暴力を露悪的に「見せる」ことで世界に名前の売れた三池監督が、本作で「見せない」方向に舵を切ったのは、多分、本作を世界基準に合わせたからで、そう考えると登場するキャラクターも、出所したばかりの昔かたぎなヤクザの権藤内野聖陽)、策士で利己的なヤクザの加瀬染谷将太)、ヤクザと繋がって操ろうとする悪徳刑事の大伴大森南朋)、高倉健に憧れるチャイニーズマフィアのチアチー藤岡麻美)、クズのチンピラ・ヤス三浦貴大)とその情婦ジュリベッキー)、父親の作った借金のカタとして(シャブ漬けにされて)体を売らされているヒロインのモニカ/桜井ユリ(小西桜子)と、偶然ユリを救った事で騒動に巻き込まれる余命幾ばくもないボクサーで主人公のレオ窪田正孝)と、基本的にはハリウッド映画のクライム(ギャング)コメディーと同じ構成で、つまり海外の観客も感情移入して観やすい作品になってると思うのです。

まぁ、口さがない人のレビューでは、「タランティーノのパクり」とか「下手くそなタランティーノの物まね」と、わりとボロクソ書かれてるんですが、でもちょっと待ってほしい。

この映画はタランティーノとかハリウッドとか、そんなピンポイントじゃなくて、もっとこう、包括的にこのジャンルの洋画全体(のトレンド)を引用してるというか、前述したように意図的に日本で「洋画」を撮ろうと挑戦した作品に思えるんですよね。

作品のドライさが三池作品をポップにしている

露悪的な暴力や残酷描写もですが、本作ではキャラクターの「業」とか「情念」とかそういう湿気の高い三池要素を意図的にカットしているっぽく、やってること自体はいつもとそんなに変わらないんだけど、全体的にハリウッド映画のようなドライな印象ゆえに、血みどろのクライマックスシーンもそんなに不快感はなく、むしろ死ぬべき人間がちゃんと死ぬことで物語が収束していくので、ある種のカタルシスさえ感じて、なのでモニカとレオのラストシーンには「何か良いもの観た感」すらあるんですよね。

それでいて、要所要所にはしっかり三池印をぶち込んでいて――っていうか、そもそもヒロインが麻薬中毒患者ですからねw

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あとはベッキーあの使い方とか、冒頭とクライマックスの生首ギャグ被せとか、DV親父のカチャーシー踊りとか、染谷将太のブチキレツッコミとか。

そうしたエキセントリックな裏社会の住人たちの中、主役の二人はイノセントなキャラクターとして描かれていて、その辺は(僕も含め)タランティーノ脚本、トニー・スコット監督の「トゥルー・ロマンス」を連想する人も多いんじゃないでしょうか。

日本に先んじて公開された海外では、こういうイノセントな主人公が出会う恋愛コメディを表す「meet-cute(可愛い出会い)」に三池監督の苗字を合わせた「Miike meet-cute」なんて造語も誕生したようで、本作は概ね好評な様子。

そういう意味では、三池監督の挑戦?は成功したと言っていいのかもしれませんし、個人的には久しぶりにちゃんと面白いと思った三池作品でしたねー!

興味のある方は是非!!

 

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悪趣味だけど上手い!「ジェーン・ドウの解剖」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、検死官の親子が夜中に運び込まれた美しい死体の解剖中に恐ろしい目に遭うという異色のホラー映画『ジェーン・ドウの解剖』ですよー!

僕はこの作品、以前からTSUTAYAでパッケージを見る度気にはなってたんですけど、「女性の解剖シーンは(作り物でも)キツなー」と、ずっとスルーしてたんですね。

でも、最近誰かのレビューを読んで興味が湧いたので、今回アマプラで観ましたよ!

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概要

身元不明の女性の検死を行うことになった検死官の親子が、解剖を進めるうちに怪奇現象に襲われるホラー。遺体安置所での逃げ場のない恐怖をリアルな解剖シーンと共に描き、トロント国際映画祭など世界各地の映画祭で高い評価を得た。監督は、『トロール・ハンター』などのアンドレ・ウーヴレダル。検死官の親子を『ボーン』シリーズなどのブライアン・コックスと、『イントゥ・ザ・ワイルド』などのエミール・ハーシュが演じる。(シネマトゥディより引用)

感想

深夜に運び込まれた“彼女”の正体を探るミステリーホラー

本作は、一家惨殺事件の現場地下室で発見された身元不明の死体を運び込まれた検死官の親子が、死体を調べるうち次々と不可解で恐ろしい目に遭うというホラー映画で、前半からクライマックスにかけて、運び込まれた”彼女の正体”を検死官の親子が解剖を進めながら読み解いていくというミステリー的要素と、同時進行で起こる不可解で恐ろしい超常現象=オカルト要素が呼応するように物語が進んでいきます。

「ジェーン・ドウ」とは運び込まれた死体の固有名詞ではなく、日本で言えば「名無しの権兵衛」的な身元不明の遺体につけられる呼び名で、男性なら「ジョン・ドウ」女性なら「ジェーン・ドウ」というわけです。

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まぁ、ぶっちゃけホラー好きな人なら割と序盤で“彼女”の正体は分かっちゃうと思うんですが、その謎解き自体は本作に置いて主題というわけではないし、実はその正体も幾層かのベールに包まれているので、彼女が「加害者」か、それとも「被害者」かが曖昧なままなんですよね。

そしてクライマックス以降は、どうすれば発動した呪いを解けるかが主題になっていくわけですが、そうしてみると、本作の構造は(その怖がらせ方も含め)Jホラーっぽい感じ。もっと言うと「リング」に近い感じがしましたねー。

ちゃんと最後まで怖いホラー

近年のホラー映画は、例えば「IT」や「ドクター・スリープ」日本なら「来る」や「犬鳴村」などなど、全体的にストーリーやテーマありきで、それを語る「ジャンルとしてのホラー」という感じの作品が(特に大作や続編・リメイクものに)増えている印象で、なので謎解きから解決に至る後半部分はまるで作品のジャンルが変わったのかってくらい怖くなくなる事も多いんですが、本作は基本的に最後までちゃんと観客を怖がらせようとしている感じで好感が持てましたねー。

更に、呪いというシステムの理不尽さに裏打ちされた物語の救いのなさは、近年観たホラーの中でも中々グッときたし、観客に宿題を残すラストシーンも「お、この監督分かってるなー」って感じ。

ちょっと露骨すぎるかなと思う部分もあったけど、後半~クライマックスの回収に向けての伏線もしっかり張っていたし、全体的に物語の作り方が丁寧な印象でしたねー。

そんな本作でメガホンをとるのは「トロール・ハンター」や「スケアリーストーリーズ 怖い本」などで知られるノルウェーの監督アンドレ・ウーヴレダだそうで、本作を観ると上記の両作にも俄然興味が湧きましたねー。

ただ作品の性質上、物語の大部分は女性の解剖シーンなので(作り物と分かっていても)苦手な人はちょっと無理かもですねー。

というわけで、ここからはネタバレするので、これから本作を観る予定の人やネタバレは嫌!という人は、本作を観た後にこの後を読んでくださいねー。

 

 

“彼女“の正体

前述したように、彼女の正体が魔女であることはホラー好きな人なら割と序盤の段階で分かるのではないかと思います。

面白いのは、魔女という極めてオカルト的な存在を、遺体安置・火葬・検死官が家業の親子が、司法解剖という極めて科学的(医学的?)なアプローチで解き明かしていくという仕掛けです。

解剖が3段階の手順に沿って進むのに合わせ、彼女が魔女(もしくは魔女として拷問・処刑された人物)である事が少しづつ分かっていくんですね。

もちろんこれまでにも、オカルトと科学を融合させたホラーがないわけではないけど、司法解剖の様子から魔女裁判の拷問の様子を観客に連想させる画作りは、悪趣味だけど上手いなーと思いましたねー。

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そしていよいよ謎が解き明かされるクライマックスでは、彼女の体内から発見された布に書かれた「レビ記20章27節とローマ数字の1693年」の文字をヒントに、彼女が「セイラム魔女裁判」の関係者だったことを親子は割り出すのです。

セイラム魔女裁判とは

この「セイラム魔女裁判」を僕は知らなかったんですが、Wikipediaによれば「マサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日に始まった一連の裁判」だそう。

事の発端はセイラム村の牧師の娘とその従妹・友人らが親に隠れて降霊会を行い従妹が突然暴れだすなど奇妙な行動を取り、医師が悪魔憑きと診断した事から、牧師はネイティブアメリカンの使用人女性を疑い拷問。ブードゥー教の妖術を使った事を「自白」させるわけです。

ただ、これによって降霊会に参加していた少女たちが次々と異常行動を起こすようになり、村の有力者の娘が立場の弱かった女性3人の名前を挙げたのをキッカケに、200名近い村人が魔女として告発され、19名が刑死、1名が拷問中に圧死、2人の乳児を含む5名が獄死というとんでもない大事件に発展。
事態を知った州知事の命令で1693年5月にようやく事態が収束したのだそう。

本作はこの「セイラム魔女裁判」を下敷きに物語が作られてるんですね。

ただし、”彼女”が魔女裁判に関わった何者なのかは劇中では明らかにされておらず、歴史に名を残している中の「誰か」なのか、もしくは200名の中にいた無名の誰かなのか。

また、彼女自身が「魔女」=加害者なのか、魔女裁判の拷問もしくは儀式によって魔女にされてしまった女性の誰か=被害者なのか、彼女自身の意思で呪いを発動させているのか、それとも彼女の意思とは関係なく近づくだけで呪いが発動してしまう呪術の「装置」としての魔女なのかなどを意図的に描かないことで、物語に余韻を残しているのです。

ラストシーンの男

そうして恐怖の一夜が明け、検死官親子の家には親子と息子の彼女の死体、そして“無傷”のジェーン・ドウの死体が残されていて、不吉なものを感じた保安官は”彼女“を群外の大学病院に運ぶように指示します。

そして運ばれている中で、運転手の黒人警官が振り返り、彼女に「なあベイビー、二度としないって」となれなれしい口調で話しかける。
すると彼女の足に結びつけられた鈴がチリンと音を立てて物語は終わるわけですね。

そこで思い返されるのが物語冒頭の一家惨殺事件。
侵入者(強盗)などの形跡はなく、つまりはこの一家惨殺事件は彼女のせいで起こっていること。
そして、その事件にこの黒人警官が関わっているであろう事が分かります。

つまり彼女が呪術具なのだとしたら、この男は彼女を操る呪術者、もしくは魔女を使役する悪魔ってことですよね。

多分、検死官親子と息子の彼女は呪いの標的ではなく、ただの巻き添えで犬死にだったっていうことだと思うんですよね。

そう考えると、本作は相当な胸糞映画と言えるんじゃないでしょうかw

興味のある方は是非!!

 

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清水崇版のアナ雪2「犬鳴村」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、「呪怨」シリーズでお馴染み清水崇監督が実在の心霊スポットを題材に制作したホラー映画『犬鳴村』ですよー!

基本的にホラーが苦手なビビりなので、最初はスルーする気満々だったんですが、公開時にTwitterで何かと話題になっていたので観ることにしたんですが……

何とこの映画、清水崇版の「アナ雪2」でしたねー!

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概要

呪怨』シリーズなどの清水崇監督が、福岡県の有名な心霊スポットを舞台に描くホラー。霊が見えるヒロインが、次々と発生する奇妙な出来事の真相を突き止めようと奔走する。主演を『ダンスウィズミー』などの三吉彩花が務める。『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』『貞子3D2』などを手掛けてきた保坂大輔が清水監督と共同で脚本を担当した。(シネマトゥデイより引用)

感想

Jホラー界の異端児・清水崇

今や、日本のみならず海外のホラーファンにもその名を知られている清水崇監督。
2000年、東映Vシネマから発売されたOVA版「呪怨」が怖すぎると口コミが広がり2003年に映画化。翌年には自身が監督しハリウッドリメイク版「THE JUON/呪怨」が制作されヒットするなど、清水監督は一躍Jホラーの代表監督として多くの人々に認知されるようになったわけですが……、実は清水監督がJホラー界において異端児だった事はホラー好きの間では有名な話ですよね。

Jホラー(ジャパニーズ・ホラー)とは、読んで字のごとく日本製ホラー映画を指すわけですが、その歴史は意外と浅いんですよね。

もちろん、それ以前にも怪談映画や怪奇映画、恐怖映画などは作られていましたが、それらの作品は映画媒体の斜陽化と共に制作数が減っていき、また大林宜彦監督の「ハウス」や黒沢清監督の「スウィートホーム」など、海外ホラー的手法で制作された作品もあり、カルト的人気は得たものの、いわゆるホラーとしての評価は振るわず。

この当時の“日本製ホラー”って「見せすぎ問題」ってのがあって、ハリウッドなど海外のホラーは「何も見えねーよ!」ってくらい暗いシーンの映像は暗かったし、その見えなさ加減が逆に怖かったと思うんですが、同じころ(1970~80年代)の日本製ホラーって、とにかく画面が明るくて全部見えちゃってたんですよねー。

これは多分、当時の邦画界でのスタジオシステムの名残というか、「ちゃんと映す」というスタッフさんたちの職人意識の弊害というか。

それはスタッフの人たちが悪いという話ではなくて、邦画業界の気質とか邦画の成り立ちや歴史とか、あと日本人の職人気質とか、そんなアレコレがあったんだと思うんですよね。

ともあれ、そんなこんなで90年代半ば頃、ビデオデッキの普及によっていわゆるビデオバブルが起こり、東映Vシネマなどビデオのみで制作・展開するOVAが流行りはじめ、日本ホラー界もこの流れに乗って「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」などのオリジナルビデオ作品としてホラー作品が作られるようになり、ここで得たノウハウや人材がJホラー初期の名作「女優霊」やあの大ヒット作「リング」へと続き、Jホラーが確立していくわけです。

で、この「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」の脚本家として知られるのが小中千昭という人で、彼がJホラーの父と呼ばれる映画監督・鶴田 法男と共に編み出した恐怖表現は通称「小中理論」と呼ばれ、Jホラー界に大きな影響を与え、ある意味「リング」でその完成を見たわけですね。

そんな「リング」公開の翌年、Vシネで公開され口コミで評判になったのが「呪怨」です。
呪怨」が革新的だったのは、いわゆるJホラーをJホラーたらしめている「小中理論」の逆を突いているという点で、要は今までハッキリと見せなかったオバケをハッキリ見せて、やり過ぎてコントになるギリギリのラインまで観客を脅かす演出に特化するということ。

 

これって実はハリウッド的ホラー表現で、つまり清水崇監督はJホラーではなくハリウッドホラー的恐怖表現をJホラーで成功させた映画監督と言えるのではないかと思います。

その後、色んな作品で世界中を恐怖のどん底に陥れてきた清水監督の最新作が、本作「犬鳴村」なんですねー。

犬鳴村伝説

本作で登場する「犬鳴村」は福岡県に実在する心霊スポットで、

・トンネルの前に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられている。
・日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。
・村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。
・江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。
・入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。
・旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。
・全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。
・若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。(Wikipediaより引用)

 などの都市伝説がネットなどを中心にまことしやかに語られている場所。

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画像出展元URL:http://eiga.com

本作では、これらの都市伝説を物語に取り込みながら劇映画として制作しています。

ストーリーは二人の男女が「犬鳴トンネル」でYouTube?の撮影を行っている件からスタート。最初はふざけながらキャッキャ撮影している二人の身に恐ろしい事が起こり半狂乱で逃げ出し――というのが物語の導入部です。

まぁ、この手の映画ではよくある導入部で、この二人もこのアバンのためだけに登場したんだろうと思って見ていると、実は男の方は主人公の兄で女は兄の婚約相手であることが明かされるんですね。

で、本作の主人公は森田奏三吉彩花)は精神科医で、不思議な事を言う遼太郎という子を担当してるんですが、このやり取りでどうも霊感?が強い事が分かるんですね。
そんな彼女に兄から「彼女の様子がおかしい」的な相談があり、奏が家に帰ると兄の彼女は気味の悪いわらべ歌を歌いながら不気味な絵を描いているわけです。
どうやらそれは「犬鳴村に行った」呪いではないかと弟の健太が言い出し、彼らが目を離した隙に家からいなくなった彼女を探していると兄の携帯が鳴り、「もうすぐ行くよ」という言葉と共に、彼女は鉄塔の上から兄の目の前に飛び降りて死んでしまうんですね。

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その後、彼女のお葬式で検死をした医者と奏の父が話しているんですが、飛び降り自殺にも関わらず、彼女の死因は溺死だったと医師が言い、それを聞いた父は特に驚く様子も見せないんですね。(つまり犬鳴村の謎を知っている)

その後、精神的に追い詰められた兄は再び犬鳴村に向かうも行方不明になり、様々な怪奇現象に悩まされる奏の前に、犬鳴村の秘密を知る謎の青年が現れ――という物語。

この映画、物語のスケールの割に登場人物が多いので初見では混乱するかもしれません。

そして奏が怪奇現象に巻き込まれる前半と、謎の青年が登場して謎解きが始まる後半では映画のジャンルそのものが変わるので、ここで振り落とされてしまう人もいるかもって思いました。

僕も赤ん坊が出てきた瞬間「え、嘘でしょ…まさか?」と思ったら、考えてた通りになって「マジかよ――!」ってなりましたしねw

あと、本作では血族が一つのテーマになってるんですけど、奏の出生の秘密が分かる件では「アナ雪2か!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ」ってなりましたねーw

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画像出展元URL:http://eiga.com  / 未知の旅へ――ー!

よく分からなかった部分

ただ、よく分からない部分も多くて、例えば劇中の、犬鳴村は米も採れないほど土地が痩せていて、だから野犬を狩って食べたので「犬殺しの村」と周囲からは忌避されていたらしいという設定。

まぁ、「犬鳴」村という名前に絡めるためのエピソードなのは分かるし、舞台が西日本ということもあって「犬神」的なイメージもあるのかな? とも思ったんですが……、この犬鳴村は映像で見る限り普通の山村に見えるんですね。
だとしたら、他にも食べ物一杯あるんじゃないの?っていう。
猪や鳥とか山菜や魚とか、木の実や果物もあるだろうし、野犬より捕まえやすく食べやすい動物も植物もいくらでもいるんじゃないの?っていう。

さらに、村の入り口に建てられた看板「この先日本國憲法通用せず」の意味を都市伝説から裏返して見せたのは「お!」っと思ったけど、ダムを建てるために村人を皆殺しにする意味ある? っていう。
いや、彼らが被差別民であることを指しているのは分かるけど、焼き印を押したり檻に閉じこめたりと虐待した挙句、皆殺しにしてダムに沈めるほど彼らを憎むor蔑む理由が分からないんですよね。
あと、「この村の女は犬と交わっている」というデマを流布して村人を孤立させたっていうのも、すでに「犬殺し」の村として忌避されてるじゃん?っていう話だし、だったらわざわざご丁寧に皆殺しにしなくても、放っておいて問題ない(後に彼らが騒ぎ立てても誰も相手にしない)ように思うんですよねー。

まぁ、「犬と交わる」やその後の“彼女“たちの「犬化」は閉ざされた土地ゆえの親近相姦やそれによって起こる弊害のメタファーではあるんでしょうけども。

志は高いが……

事程左様に、本作はフィクショナルな設定の中にメタファーとして現実の人種・性別差別問題や政府への批判などを入れ込んだ社会派な作品でもあるし、それは間違いなく原発事故以降の日本を描いた志の高い作品でもあると思うんですね。

つまり「蓋をしてもなかったことにはできないぞ」というメッセージが本作には入っていて、あの後半の驚きの展開も、過去と未来を繋ぐというメッセージのメタファーであると考えれば、個人的にはまぁアリなのかなーと思ったりしますねー。

ただ、遼太郎と奏のエピソードは正直いらない気もするし、特に「スリラー」オマージュのあのラストとかは正直ちょっと蛇足に感じなくもなかったですねー。

あと、やろうとしてる事は分かるけど、もう少し設定や物語を練った方がよかったのかなとも思ったりしました。
シーンとシーンを映像や音で韻を踏んで繋いでいくとか、余分なセリフを入れない脚本など、序盤の丁寧な演出は素晴らしいと思っただけに、個人的にはちょっともったいない感じがしました。

興味のある方は是非!!

 

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