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「リアリティのダンス」(2014) 感想(ネタバレあり)

ぷらすです。
今回ご紹介するのは、独自の作風でカルト的人気を誇るカリスマ、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が、「The Rainbow Thief」以来23年ぶりに手がけたチリ・フランス合作映画『リアリティのダンス』ですよー!

ホドロフスキー監督が原作・脚本・監督・出演。
3人の息子さんが出演・音楽を担当、奥さんが衣装担当と、まさに家族総出で描いた家族の物語です!

*今回は、少々ネタバレを含んでいますので、本作を見る予定の方は、映画を観たあとにこの感想を読んでくださいねー。
いいですね? 注意しましたよ?

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画像出典元URL:http://eiga.com/

概要

1969年公開の「エル・トポ」など独自の世界感をもつ作品で世界中にカルト的人気を誇るアレハンドロ・ホドロフスキー監督23年ぶりの新作で自身が独裁政権下のチリで過ごした少年期を描いた自伝的作品。
アレハンドロの父親 ハイメを演じるのは監督の長男
ブロンティス・ホドロフスキー
クリストバル、アダンの2人の息子も出演。アダン・ホドロフスキーは音楽も担当、監督の奥さんが衣装を担当と、ホドロフスキー家の『家族の絆』をホドロフスキー家族総出で作り上げた。

 

あらすじ

1920年代、幼少のアレハンドロ・ホドロフスキー(イェレミアス・ハースコヴィッツ)は、ウクライナから移民してきた両親と軍事政権下のチリ、トコピージャで暮らしていた。

権威的で暴力的な共産主義者の父ハイメ(ブロンティス・ホドロフスキー)と、アレハンドロを自身を父の生まれ変わりと信じる母サラ(パメラ・フローレス)、ロシア系ユダヤ人で肌が白く鼻が高かったアレハンドロを、「ピノキオ」といじめ差別するクラスメイトたちにアレハンドロは世界と自分のはざまで苦しむ。

一方、共産党員であるハイメは独裁政権を行っていたカルロス・イバニェス大統領(バスティアン・ボーデンホーファー)の暗殺を計画するが……。

 

感想

アレハンドロ・ホドロフスキー監督については、先日書いた『ホドロフスキーのDUNE』で書いているので、良かったら合わせて読んでいただければ嬉しいです。

aozprapurasu.hatenablog.com

そこでも書いてますが、僕が観たホドロフスキー監督作品は「エル・トポ」(1969)だけなんですね。
長い上に、哲学的というか前衛的というか、正直よく分からない映画でした。
そのイメージが残っていたので、本作も難しい映画なんじゃないかと覚悟していたんですが……観終わってみれば、前衛的ではあるけれどストレートに家族の絆を描いた映画でした。

鮮やかな映像と寓話的に描かれた『父』と『息子』の物語

強権的で暴力を振るう共産主義者の父と、アレハンドロ少年を死んだ父親の生まれ変わりだと信じて、父親と同じ金髪のカツラをかぶらせる母。
ロシア系ユダヤ人という出自から、学校や街でもいじめられたり差別されたり。

そんな境遇から、アレハンドロ少年は愛に飢え、世界と自分に隔たりを感じています。

物語前半は、そんなアレハンドロ少年と父親ハイメの関係が、アレハンドロ目線で描かれていきます。

ちなみに、「エル・トポ」でも監督自身がエル・トポ役を演じ、今回の主役ブロンティス・ホドロフスキーが息子を演じていたので、『父親と息子』というモチーフはホドロフスキー作品共通のテーマの一つなのかもしれません。

共産主義者でスターリンを尊敬し無神論者のハイメは、アレハンドロを『男らしく』するため怒鳴りつけ、バシバシ殴り、その挙句歯が折れた息子に麻酔なしで治療を受けさせるはとスパルタを通り越した『躾』を行います。

といっても、(多分)息子が憎いわけではなく、常軌を逸したとも言える行動はロシア系ユダヤ人というコンプレックスの裏返しであり、息子にそうした差別に立ち向かえる強さを持った『男』になって欲しいという親心でもあるんじゃないかと思いました。

そんなこんなで関係が上手くいきかけたある日、アレハンドロは父親の消防団仲間の葬式で失態を晒し、『臆病者の父親』にされちゃったハイメは怒り心頭。
汚名返上のために、水を求めて街に降りてきたペスト患者たちに馬車に水を積んで単身乗り込むわけですが、馬車を惹かせたロバは食べられちゃった挙句ペストに感染して死にかけます。
が、妻サラの放尿治療?の甲斐あって復活。
『何か』に目覚めたハイメは「貧乏人を救うぞーウラァー!」と使命感に燃え、国に貧富の差を生み出す独裁者イバニェス大統領暗殺に向かいます。

結局、大統領暗殺に失敗するものの大統領の愛馬の世話係になったり、記憶喪失になったり、椅子職人の弟子になったり、ナチに捕まって全裸でハードなプr…拷問を受けたりするわけですね。

ホドロフスキー映画に出演するのって大変

「エル・トポ」でも何故か全裸だったブロンティスさん、いいおじさんになった本作でも全裸にされて父親の前でハードな〇ン〇責めを受けるという……。
ホント、ホドロフスキー監督の息子も楽じゃないなー(´・ω・`)

大変といえば、アレハンドロの母親サラ役を演じた、パメラ・フローレスさん。
監督のお母さんがオペラ歌手になりたかったという理由から、セリフは全部オペラ調の歌になっていて、パメラさんの本職はオペラ歌手だそうです。
そんなパメラさん、全裸で放尿、全裸で酒場を練り歩き、全裸で息子とかくれんぼさせられるわけで、ホドロフスキー映画に出演するのって、ホント大変だなーって思いました。

そんな感じで物語の前半は幼少期のアレハンドロ自身、中盤以降は父親ハイメの物語へとスライドしていくわけですね。
多分、このハイメには監督自身を、アレハンドロには息子たちを重ねてる部分もあるんじゃないかな? って思いました。

そして最後、様々な困難を乗り越え一つになったホドロフスキー家の3人は、船にのってトコピージャを後にするわけです。

本作は確かに『体験』だった。

正直、どこまでが本当でどこからフィクションかは分かりませんが、ホドロフスキー監督はこの映画を作ることで、確執のあった父親を許したんじゃないかなって思います。
同時にそれは、自分への許しでもあり世界を許し受け入れた宣言でもあるのかなーと。

本作の前年公開された『ホドロフスキーのDUNE』のインタビューで監督は「人生で何かが近づいてきたら『YES』と受け入れる。離れていっても『YES』だ」と言っていたんですが、本作はそんなホドロフスキー監督が世界に向けて
「YESだ!」って言ってるように感じました。

そして何となくですが、本作はホドロフスキー監督が世界に宛た、遺書のようにも思えたんですよね。全然違ってるかもですが。

正直イメージ優先の前衛的な映像や長尺な物語に、観辛さはあると思います。
ただ、映像特典に入っていた舞台挨拶で監督は「映画を観るだけじゃなく、『体験』にして欲しい」みたいな事を言っていて、まさに本作『リアリティのダンス』は観客の体験になりうる映画なんじゃないかと思います。

興味のある方は是非!!

 

 ▼『リアリティのダンス』予告▼

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ホドロフスキー監督ってこんな感じの人▼

www.youtube.com