ぷらすです。
今回ご紹介するのは第89回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞を受賞したインディペンデント作品『ムーンライト』ですよー!
ストリートの辛い現実を生きる少年の成長を、美しい映像と静かな語り口で描いた作品でした。
画像出典元URL:http://eiga.com
あらすじと概要
ブラッド・ピットが製作陣に名を連ね、さまざまな映画祭・映画賞で高評価を得たドラマ。マイアミの貧困地域に生きる少年が成長する姿を、三つの時代に分けて追う。監督は、短編やテレビシリーズを中心に活躍してきたバリー・ジェンキンズ。『マンデラ 自由への長い道』などのナオミ・ハリス、『グローリー/明日への行進』などのアンドレ・ホランドらが出演。逆境の中で懸命に生きる主人公に胸を打たれる。
ストーリー:マイアミの貧困地域で、麻薬を常習している母親ポーラ(ナオミ・ハリス)と暮らす少年シャロン(アレックス・R・ヒバート)。学校ではチビと呼ばれていじめられ、母親からは育児放棄されている彼は、何かと面倒を見てくれる麻薬ディーラーのホアン(マハーシャラ・アリ)とその妻、唯一の友人のケビンだけが心の支えだった。そんな中、シャロンは同性のケビンを好きになる。そのことを誰にも言わなかったが……。
感想
アカデミー賞作品
本作は、ブラット・ピットが製作総指揮を務めたインディペンデント体制で作られた作品で、タレル・アルヴィン・マクレイニーが自身の経験を元に描いた半自伝的戯曲を、本作が長編映画2作目のバリー・ジェンキンスが監督・脚本で作り上げた作品です。
二人とも本作の舞台と同じ黒人だけが住む貧民地区リバティ・スクエアの出身で、麻薬・母親など、境遇が同じだったことから、映画化が決まったようです。
貧困・ドラッグ・育児放棄・LGBT・人種など、様々な問題を取り入れながらも、決して大上段に構えて声高に主張するのではなく、静かに主人公の少年シャロンの視点に寄り添うような、ロマンチックな作品になっていました。
第89回アカデミー賞では、手違いから発表間違い(一度は「ラ・ラ・ランド」の名が呼ばれたものの後に訂正された)があったことで、皮肉にも一躍注目されたんですね。
ストーリー
本作のストーリーを一言で要約するなら、様々な困難の中で成長した少年がアイデンティティを手に入れるまでの物語です。
主人公シャロンは、貧困層の黒人地区マイアミのリバティ・スクエアに住む、背が小さく痩せっぽちで内気な少年。
母親のポーラ(ナオミ・ハリス)は麻薬中毒で、シャロンに対して育児放棄しているし、チビで痩せっぽちの彼は近所の悪ガキたちにいつもいじめられているんですね。
画像出典元URL:http://eiga.com / ジャンキーの母親ポーラ役は、007シリーズにも出演しているナオミ・ハリス
そんなある日、たまたま出会った麻薬ディーラーのボス、フアン(マハーシャラ・アリ)とガールフレンドのテレサ(ジャネール・モネイ)に出会い彼は次第に心を開き、フアンも自分に似た境遇のシャロンを息子のように可愛がります。
画像出典元URL:http://eiga.com / マハーシャラ・アリ演じるフアンと少年期を演じるアレックス・ヒバート
そして学校では、シャロンに話しかけてくれる唯一の友達、ケビンだけが彼の救いなのですが……。という物語。
基本的に本作に登場するメインキャラクターはこの5人だけという小さな物語で、シャロンの少年期をアレックス・ヒバート、ティーン期を アシュトン・サンダース、青年期を トレヴァンテ・ローズがそれぞれ演じています。
画像出典元URL:http://eiga.com / ティーン期を演じるアシュトン・サンダース
画像出典元URL:http://eiga.com / 青年期を演じるトレヴァンテ・ローズ(右)とケヴィン(大人)役の アンドレ・ホランド
美しい映像と独特な演出
本作を見てまず驚くのが、映像の美しさではないかと思います。
マイアミの降り注ぐ太陽の光と緑の美しさ、青み掛かった夜景の色合いと登場人物の肌の色のコントラストなど。これらは、撮影後にデジタル加工で色味を少し変えているんだそうです。
例えば太陽の光は色味を飛ばして白っぽくしたり、黒人である彼らの肌の色に少し青みを加えたりしているそうで、これは色味に手を加えることである種、現実感のない抽象的な雰囲気を出して、主人公が現実から少し浮いている感じを演出しているんだそうですね。
また、シャロンは成長の過程で自分がゲイであることに気づくわけですが、そんな彼が感じている違和感のようなものを色味によってそれとなく表現する狙いもあったのだとか。
また編集も少し変わっていて、例えばシャロンを背後から追いかけるようなショットや、映像と声をずらしたり映像が急にスローになったりするのも、主人公シャロンから見た“セカイ”だったり、彼の状況や感情の変化で見える“セカイ”を映像化しているみたいです。そうすることで、シャロンの目に映る“セカイ”を観客が共有するという試みをしているんだと思うし、監督が意図したかどうかは別に、それが結果的に昨今の世界的な排他主義へのカウンターになっているんですよね。
繊細でロマンティック
もう一つ驚くのは、3人の役者が演じているにも関わらず主人公シャロンが同一人物が成長しているようにしか見えないことじゃないでしょうか。
もちろんシャロンを演じる3人は、親子でも兄弟でもなく、よく見れば顔立ちも全然違うんですが、“瞳の表情”が同じなんですね。
これは「同じフィーリング、同じ雰囲気、同じ要素をもつ俳優を探そうと思った」監督が、同じ光をたたえた瞳を持つ3人を探し抜いてキャスティングしたからだそうですが、成長して容姿は変わっても瞳を見るとシャロンだと分かるんですよねー。
辛い少年期や、人生を決定的に変えてしまうティーン期のある事件を経て、大人になったシャロンはゴリゴリのマッチョになっているんですが、しかしそれは、繊細で臆病な自分を隠すための鎧なんですね。
そして憎んでいた母親や、“友人”ケヴィンとの再開によって、長い旅路の末に彼はやっと自らのアイデンティティを手に入れます。
本作では寓話的ともいえるロマンティックな演出と、静かで美しい映像で、そんなシャロンに寄り添うように物語を紡いでいるんですね。
貧困や人種、ドラッグやLGBTなどの問題は、一見(日本人の)自分たちには関係ないように思われるかもですが、本作が描いているのは「“セカイ”と自分との繋がり=アイデンティティ」という誰もが成長の過程で一度はぶつかる普遍的な悩みと、遠回りしながらもそれを受け入れる普遍的な物語なのです。
ただ、極めてインディペンデント的なアート寄りな作品だし、極端にセリフが少なくて、映像や語り口も実験的な作品なので、人によっては好みが分かれるかも。
それでも、個人的にはオススメしたい切なくて美しい作品だと思いました。
興味のある方は是非!
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