ぷらすです。
今回ご紹介するのは、「ドライヴ」のニコラス・ウィンディング・レフン(NWR)最新作、『ネオン・デーモン』ですよー!
「ブロンソン」「ヴァルハラ・ライジング」「ドライヴ」「オンリー・ゴッド」と、これまで男性を主人公にした映画を撮ってきたNWRが、ファッション業界を舞台に女性の美を描いて賛否両論巻き起こした本作。
どんな物語かなと思って観たら、「本当は怖いグリム童話」の現代版みたいな作品でしたねー。
で、今回は悪口多め。かつ最初からネタバレを気にせず感想を書いていくので、「ネタバレは(乂'ω')No!!」という人は、映画を観てからこの感想を読んでくださいねー。
いいですね? 注意しましたよ?
画像出典元URL:http://eiga.com
概要
『ドライヴ』などのニコラス・ウィンディング・レフン監督が、『マレフィセント』などのエル・ファニングを迎えて放つ衝撃作。ロサンゼルスのファッション業界を舞台に、美にとりつかれた女性たちの飽くなき欲望を絢爛(けんらん)たる映像と共に描き出す。『ハンガー・ゲーム』シリーズなどのジェナ・マローンが謎めいたメイクアップアーティストを怪演。クレイジーで華やかな街で繰り広げられるダークな物語が病みつきになる。(シネマトゥデイより引用)
感想
さてさて、そうは言ったもののどう書けばいいのか悩むところなんですがw
この映画の内容を一言で言うと「美少女が調子に乗ったら悲惨なことになった」です。
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思った以上にストレートな物語すぎて、もしかして物語に隠された深い意味があるのでは? とネットレビューを色々読んでみたんですが、特に劇中で語られる以上の“何か”はないっぽいんですよねーw
ストーリー
ざっくりストーリーを説明すると、田舎から出てきた16歳の美少女ジェシーがファッションモデルになったら、あれよあれよという間に出世していきまして。
調子に乗ったジェシーが「ワシがこのファッション界の頂点を牛耳っちゃるけんのー!(*゚∀゚)=3」と息巻いた途端、先輩モデルやレズビアンのメイクさんに食べられちゃった(比喩ではない)っていう物語。
ぶっちゃけ、「世にも奇妙な物語」1話分くらいのストーリーを、NWR独特の原色バリバリでケレン味たっぷりの映像とクリフ・マルティネスのドラッギーな音楽、そしてキアヌ・リーブスの無駄遣いで117分に無理やり引き伸ばしたという、なんとも歪でヘンテコな映画でした。
レフンの考える美
NWRは、以前から「美しさ」に焦点を当てた作品を制作したかったそうで、インタビューで彼は、
「真の美とは、“不完全さ”だ。だからこそ、ナルシシズムはいい。何故かって、自分自身を美しく思い、愛することで、例え本当は綺麗でなくても自分をだますことが出来るからね。手が加えられていない、不完全なままでいられる。?
整形は、僕にとってもはや“死”を意味する。だから整形した女性を魅力的で、美しいと思うことは、屍姦の感覚に近いと思ってるよ。」
と語っています。
正直何言ってるのかよく分からないんですが、多分そんなNWRの思考が現れているのが、劇中のファッションショーの打ち上げパーティーでデザイナーとジェシーの彼氏が口論するシーン。
デザイナーが整形しているジジと天然の美しさを持つジェシーを比べるように、
「真の美しさは、最も強い力を有している。それがなければ彼女の価値はない。」と言い、それに対して彼氏は「それは違う。あなたは間違っている」と反論。
デザイナーは「中身が大事か?」と問い、「もし彼女(ジェシー)が美しくなければ、そもそも目にもとめないだろう」と彼氏をあざ笑うんですね。
エル・ファニング問題
そんな、男女問わず見る者全てを虜にしてしまう魔性の美少女ジェシーを演じるのは、「マレフィセント」でオーロラ姫を演じたエル・ファニング。
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う、(´ε`;)ウーン…、この子もちろん手足も長いし美人ではあるけど、どっちかといえば童顔で可愛い系の顔立ちって感じじゃないですかね?
ぶっちゃけ美人度で言えば、彼女に嫉妬するパイセンモデルのジジ (ベラ・ヒースコート)やサラ (アビー・リー)の方が明らかに上に見えてしまうので、言葉でいくらジェシーが「この子は本物だー」とか「(人を惹きつける)“何か”がある」って言われても、ちょっと納得できないというか、映画「20世紀少年」の最後の方で、ケンヂの歌でみんなが一つになるのとくらい説得力がないんですよねー。
それは別にエル・ファニングが悪いんじゃなくて、そもそもジェシーの説得力を持たせられる女優さんなんて、ほんと数える程しかいないって思うわけですよ。
それは、世界を変える音楽とか、見ただけで涙が溢れる絵画とかと一緒で、そもそも映画的に難しいキャラ設定だと思うんですよね。
演出
本作ではこれまでのNWR作品同様、暗喩的なシーンが随所に登場します。
例えば、ジェシーが借りている安モーテルの部屋に山猫が入っているシーン。
これは、ジェシーが窓を開けっ放しにしていたために山猫が侵入したという事なんですが、窓を開けっぱなしにしているというのは、ジェシーの警戒心のなさ=幼さみたいな部分を象徴していて、山猫と山猫に荒らされた部屋は、彼女がこの後パイセンに成り代わってファッション業界を席巻いく事を暗に示しているんじゃないかと思いました。
このシーンの段階では、そうした彼女の少女性と内に抱える猛獣のような本性がせめぎ合っている状態ってことなんじゃないかと。
その後、大抜擢されたジェシーがファッションショーで逆三角形が3つ逆ピラミッド型に積み上がったネオン管の幻影を見るシーンで、彼女は完全に覚醒します。
彼女の背後には青いネオン、彼女が向かう先には赤いネオンがあり、赤いネオンの中では万華鏡のような三角形の鏡の中の自分にキスをするジェシー自身の姿が見えるんですね。
ちなみに、この三つの積み上がった逆三角形は3人の魔女(ルビー・ジジ・サラ)をそれぞれ表していて、三つの逆三角形に囲まれた真ん中の三角形は、ジェシーということみたいです。
で、この後レズビアンのルビーに迫られ拒絶するジェシー。
可愛さ余って憎さ百倍、でもやっぱり食べちゃいたいくらい可愛い!という思いが爆発したルビーは、サラ、ジジと共にジェシーを殺害。美味しく頂いちゃうという衝撃の展開に。
「ブラックスワン」かと思ったら「グリーンインフェルノ」だったよママン!
もちろん彼女たちの主食が人間ってわけではなく、ジェシーを体内に取り込んで若さや美しさを取り戻したいっていう呪術的な食人です。(ルビーは性的な意味かな?)
しかし、偽物(整形美女)のジジは体が拒絶反応を起こして、ジェシーの目玉を嘔吐した末に「彼女を体から出さないと!」と半狂乱となってハサミで自らの腹を割いて死亡。
この目玉はつまり、「深淵を覗くものは深淵からも~」的な事で、偽物のジジには本物のジェシーを身に取り込むことは劇薬を飲むような行為だったみたいなことなんでしょう。
対して、彼女が吐き出した(ジェシーの)目玉を拾い上げ飲み込んだサラは、ニヤリと笑います。
サラの方は元々、ジェシーが現れるまではナンバーワンのモデルだったわけで、つまり「本物」なんですね。
彼女に足りなかったのは若さだけで、失った若さの象徴であるジェシーを取り込んだことで、彼女は再び輝きを取り戻すわけです。
そしてエンディングでは、サラが夕暮れの荒野を一人歩くシーンで終了。
これは、「美という地獄」に彼女は一人残されたという暗喩なんでしょうね。
ちなみにルビーの方は最初から「自分が美しくなりたい」わけではないので、特に問題はなかったようですw
ただまぁ、うっすら彼女はこれまでも、そしてこれからも同じことを繰り返すという事が暗示されててざわっとしましたねー。
持つものと持たざる者の物語
要は、この作品のテーマは「持つ者と持たざる者の悲劇」で、劇中ではファッション業界を描いていますが、他の世界でも通じる普遍的なストーリーなんですよね。
この作品の中では美はイコール才能で、才能を持たない者や才能が枯れかけている者が天才に嫉妬し執着するという、映画なら「アマデウス」を始め、星の数ほど描かれてきたテーマです。
もっとストレートに言うなら、童話「白雪姫」の現代版、魔女に毒殺されたあと、王子が現れなかったバージョンですよね。
それに、NWR独特な色彩やケレン味たっぷりの映像、ドラッギーな音楽などでゴテゴテに装飾した作品で、その演出自体、これまでのNWR作品ではプラスに働いていたと思うんですが、それがこの作品では活きてないっていうか、むしろダサく感じるというか。
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なんかこう…こじらせた美大生の卒業制作みたいな、薄っぺらい自己満足を大上段に振りかざしているように感じてしまいました。
多分、そもそもNWRがこの作品に込めた「美」というものに対する考え方に僕が乗れなかったって事なんでしょうけども。
ただ、このラストで一気に振り切る感じなんかはビックリしたし、ハマる人はハマる映画なのかもなーって思いましたねー。
興味のある方は是非!
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