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近未来デストピア?SF?「太陽」(2016)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは「サイタマノラッパー」の入江悠監督が、劇団イキウメが上演した同名舞台劇を実写映画化したSF映画太陽』ですよー!

観ようと思ってたのに見逃していたのを思い出して、今回レンタルしてきました!

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概要

劇団イキウメを率いる劇作家で演出家、前川知大の舞台劇戯曲を映画化した異色ドラマ。バイオテロによって人類が減少した近未来を舞台に、進化した人類とそれから取り残された者たちのドラマを見つめる。メガホンを取るのは、『日々ロック』『ジョーカー・ゲーム』などの入江悠。主演は、『るろうに剣心』シリーズや『バクマン。』などの神木隆之介、『愛の渦』『シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸』などの門脇麦。真の豊かさとは何かを問う深遠な物語も見もの。(シネマトゥディより引用)

感想

本作は、自主制作長編映画「サイタマノラッパー」シリーズの入江悠監督作品で、原作は劇団「イキウメ」を率いる前川知大の同名戯曲。
バイオテロによって人口が激減してしまった21世紀初頭の世界を舞台に、ウイルスへの抗体を持ち社会を支配する新人類(ノクス)と、抗体を持たない旧人類(キュリオ)の関係や対立を描いているんですね。

舞台演劇では抽象化された絵面を、実写映画としてどのように具現化するかが見所だと思うんですが、入江監督は自然あふれる山間部に昭和20~30年代の山村を思わせるセット? をキュリオの住む被差別地域に見立てることでキュリオを=ムラ社会としての日本人、もしくは大都会に屈折した思いを持つ地方人のメタファーとして描いたんですね。

もちろん予算的な問題もあったんでしょうが、出世作「サイタマノラッパー」では、埼玉に住む才能もやる気もないラッパーの若者の姿を等身大で描いた入江監督らしい演出と言えるのかもしれません。

ざっくりストーリー紹介

バイオテロによって人口が激減してしまった21世紀初頭の世界では、ウイルス抗体を持ち優れた知能と若く健康な肉体を誇るノクスが社会を支配し、抗体を持たない旧人類キュリオの文明レベルは後退し、山村のような地区に隔離されて暮らしていた。

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キュリオは現代の人間と同じだが、ノクスの方は優れた肉体や頭脳を持つ代わりに紫外線の光に耐えられず、夜間しか行動出来ないという欠点が。

そんなある日、あるキュリオの村でノクスの駐在員をキュリオの克哉村上淳)が殺してしまったため、ある寒村はノクスからの経済封鎖を受けて、一気に貧しくなった10年後、やっと経済制裁が解かれます。

その村で育った鉄彦神木隆之介)はノクスに憧れ、ノクスになれる手術の抽選に応募するが、幼なじみの門脇麦)はキュリオの復権を願い、自治区のある四国で勉強したいと願っているわけですね。

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画像出典元URL:http://eiga.com /日本映画界は神木くんに頼りすぎではなかろうか。

しかし、結に母親が会いに来て、キュリオの希望だった四国の自治区が壊滅を知った結の父親の草一古舘寛治)が独断で結をノクス変換手術に応募したことで、村の歯車は狂っていく――。という物語。

発想としては凄く面白いと思うし、随所に入江監督らしい演出も光る本作ですが、個人的に「上手くないなー」っていうノイズの目立つ作品でしたねー。

気になってしまうところ

本作はいわゆる近未来デストピアSFでして。
体力的にも合理的かつ理知的なノクスが、感情的で旧態然とした因習に縛られている旧人類キュリオを管理しているという分断された2種類の人類の対立的な構図。

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当然、キュリオ側に対しノクスが圧政を強いているのだろうと思いきや、相手側に反感を抱いているのはキュリオ側だけで、ノクス側は特にキュリオに対して何とも思っていないんですよね。

東京と地方の関係性を設定に落とし込んでいるという意図は分かるんですが、(物語だけ観てる分には)キュリオがノクスに反感を抱く理由が薄いというか、特にノクス側に悪い部分が見当たらないので、全部がキュリオ側の一人相撲みたいに見えちゃうのです。

いや、10年間の経済制裁が――ってのは分かるんだけど、それは元はといえば克哉がノクスの駐在員を殺した事が原因で、しかもそこに至る理由は特に描かれてないので、完全な自業自得にしか思えないんですよ。

経済制裁が解かれたあと、ノクス側の役人たちが、キュリオ村の住民に大量の物資支援やワクチン接種を行うんですが、僕は絶対何かの罠だと思ったんですね。
つまり、キュリオ村を全滅させるべくワクチンと見せかけて実はウイルスを――みたいな。

ところがそんな事はなく、普通に物資の支援をしてワクチンも打ってあげて、医療やその他もろもろのインフラ整備もしてくれるという。めっちゃいい人たちじゃん。

もう、この時点で両者の対立構造が無くなっていて、あとはキュリオ村の中でのあーだこーだの話になっていくわけです。

え、どんな気持ちで見ればいいわけ? っていうね。

一見、キュリオ側に手厚い保護をしているんだけど、ノクス側がキュリオたちから搾取している(例えば超不利な条件で農業・漁業・畜産業など食料の生産に従事させているとか)構図があれば分かるけど、キュリオ側の言い分としては、ノクスに頼らずキュリオだけで自立したいみたいな事なんですよね。

いや、じゃぁやれよっていう。

キュリオの人たちは、アメリカ頼りの日本だったり、日本の中央集権みたいな現実のメタファーになってるのは分かるけど、劇中からはどうも問題点が見えてこないんですよね。ただただ、田舎の悪い部分を一方的に見せられてる感が、なんかこう、モヤるんですよねー。

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あとは、いくらなんでも駐在員チョロすぎとか、セキュリティーがザルすぎとか、どういう経緯で四国の自治区が壊滅状態なのか分からないとか、克哉が作劇の都合だけで舞い戻ってくるとか、お母さんの病気になぜ誰も気づかないとか、鉄彦がバカの子っぽいとか、電気が点くならランプいらなくね?とか。言いだしたらキリがないくらい作劇的なノイズが多いなーと。

良かった所

あと、僕が常々言ってる、スキあらば主人公に叫ばせる邦画の病理問題は本作でも健在で、神木くんも門脇麦も盛大に叫びまくってるんですが、本作に関してはそこにちゃんと必然性があるのでギリセーフかなと。

ただ、舞台演劇の人が書く脚本だからかもですが、全体的に“芝居感”が前面に出てるのは気になりました。

入江作品の特徴である長回しに関しては、それがプラスに働いている事が多い印象。
ノクスの街の描写は、どこかのビルで撮影してるみたいですが結の母親を追う形の長回しにすることで空間の広がりみたいなのを見せているし、本格的に物語が動き始める中盤以降のイヤ~~な描写や、クライマックスで混乱が極に達するシーンをより嫌な感じ増し増しに見せることに成功しています。

その騒動を経て、結がノクスになる描写のケレンも個人的には好きだし、完全にノクスになってしまった娘を前に泣いてしまう草一パパのシーンは、この映画で唯一感情移入出来るシーンでしたねー。

そんなこんなで、かなり長短あって好き嫌いは分かれそうな作品だし、個人的にもちょっと苦手な部分も多いんですが、低予算ながらしっかり描くべきことをストーリーに込めているという点では志は高い映画なのではないかと思いましたねー。

興味のある方は是非!

 

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