ぷらすです。
今回ご紹介するのは、ダリオ・アルジェント監督が1977年製作に制作した同名クラッシックホラーを「君の名前で僕を呼んで」などのルカ・グァダニーノ監督がリメイクした『サスペリア』ですよー!
正直、こんなに分からない映画を観たのは久しぶりで、観終わったあともしばし( ゚д゚)ポカーンでしたよw
なので今回の感想は、ネットで読んだネタバレ解説&映画評論家の町山智浩さんの解説を元に書いてます。
あと、今回の感想はネタバレありで書いていくので、これから本作を観る予定の人やネタバレは絶対に嫌!という人は、映画のあとにこの感想を読んでくださいね。
いいですね? 注意しましたよ?
画像出典元URL:http://eiga.com
概要
1977年製作のダリオ・アルジェント監督作を、『君の名前で僕を呼んで』などのルカ・グァダニーノ監督が再構築したホラー。1970年代のドイツを舞台に、あるバレエ舞踊団の秘密を描く。『フィフティ・シェイズ』シリーズなどのダコタ・ジョンソンが主人公を演じ、ティルダ・スウィントン、クロエ・グレース・モレッツ、アルジェント監督版にも出演したジェシカ・ハーパーらが共演。音楽は、レディオヘッドのトム・ヨークが手掛けた。(シネマトゥディより引用)
感想
劇的リフォーム
まず、本作の感想の前にダリオ・アルジェントのオリジナル版のストーリーをざっくり紹介すると、ドイツの名門バレエ学校に入ったアメリカ娘のスージーが奇怪な体験や次々起こる殺人事件の真実を追っていくと、その学校は魔女の巣窟だった事が発覚。
不死を望む魔女エレナ・マルコスに狙われるスージーだったがピンチを切り抜けマルコスを倒す。というストーリー。
本作はそんなオリジナル版と、「インフェルノ」「サスペリア・テルザ 最後の魔女」からなる、“魔女三部作”を解体、再構築したリメイク版です。
ただ、オリジナル版の設定は使っているものの、ほぼオリジナル新作といっても過言ではない内容になっていて、あまりの劇的リフォームっぷりに、本家アルジェントも「こんなんサスペリアちゃうわ!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ」と怒ったとか何とか。
確かに、“原作”というより“原案”と言ったほうがシックリくるくらい、オリジナル版の要素はほとんど無くなってました。
では、ルカ・グァダニーノ監督が本作で何をしたのかと言うと、オリジナル版が公開された1977年のドイツの状況やナチスや魔女の歴史を徹底的に調べ上げて、オリジナル版にはなかったメッセージ性をぶっ込んでいったわけです。
さらに結末も変更し、政治や女性問題も絡めてストーリーの中に何重ものレイヤーを重ねて行ったんですね。
オリジナル版と本作の違い
といっても、ストーリーの大筋はオリジナル版とほぼ同じ。
ただ、スージー(ダコタ・ジョンソン)が入るのがバレエ学校→舞踏学校に変わっています。
これは町山さんの解説によれば、ドイツのマリー・ヴィグマンという女性が「舞踏(コンテンポラリーダンス)」を始め、地を這うように踊ることから「魔女の踊り」と名付けていたらしいんですね。
画像出典元URL:http://eiga.com / 舞踏を踊る生徒たち。
で、舞踏学校を開設して多くの弟子を育てるも、第二次世界大戦に入ると彼女の踊りを嫌ったナチスに学校を閉鎖されるわけですが、このマリー・ヴィグマンや舞踏(魔女の踊り)という設定を本作では取り入れているのだそうです。
ちなみに、日本の“暗黒舞踏”のルーツにもなってるのも彼女の踊りなのだとか。
また、生徒の一人パトリシア・ヒングル(クロエ・グレース・モレッツ)失踪の謎を探る“探偵”役として、ジョセフ・クレンペラー(ルッツ・エバースドルフ)というユダヤ系の老心理療法士が登場するんですが、この人のモデルになっているのはヴィクトール・クレンペラーというロマンス語学者。
画像出典元URL:http://eiga.com / 最初に失踪するパトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)
劇中のクレンペラーは戦時中、ナチによって奥さんが収容所に送られてしまうわけですが、この奥さんはドイツ人(アーリア人)なんですね。
しかし、ユダヤ人のクレンペラーと結婚していたことで捕まって収容所に送られてしまうのです。
で、このエピソードはそのまま戦後発行されたヴィクトール・クレンペラーの手記のエピソードを引用しているようです。
三人の魔女
この舞踏学校の先生たちは、全員魔女です。(オリジナル版も同じ)
で、そんな魔女たちのリーダーとして君臨しているのがエレナ・マルコス。
そのマルコスに次ぐ実力者がティルダ・スウィントン演じるマダム・ブランで、魔女界のリーダーは選挙によって選ばれるシステムらしいです。
画像出典元URL:http://eiga.com / ミス・ブラン(ティルダ・スウィントン)
劇中でも選挙が行われ、マダム・ブランは僅差でマルコスに敗れるわけですが、そのマルコスは命が尽きようとしていて、彼女を長らさせるため魔女たちは新たな「魂の器」を舞踏学校の生徒から選ぼうとしているのです。(冒頭で失踪するパトリシアもその一人)
そんな中、アメリカからやってくるのがスージー。
彼女はオハイオ出身でキリスト教メノナイト派の信徒ですが、幼い頃からマダム・ブランの“魔女の踊り”に惹かれてドイツの舞踏学校までやってきます。
ここでネタバレ
実は彼女の正体は“溜息の母”という魔女界の聖母マリア的存在。
オリジナルでは“溜息の母”はマルコスだったんですが、本作ではマルコスは偽物?で、スージーこそが本物の“溜息の母”だったわけです。
画像出典元URL:http://eiga.com /“溜息の母”ことスージー(ダコタ・ジョンソン)
そしてクライマックスで覚醒したスージーは、マルコスやマルコス支持派の魔女たちを殲滅します。(その直前マダム・ブランはマルコスによって殺されている)
これはつまり、第二次大戦のドイツを舞踏学校=魔女の館に置き換えていて、独裁者のマルコスはヒトラーのメタファーで、彼女を支持した魔女たちはナチ党員や支持者のメタファーなのでしょう。
そこにやってきた溜息の魔女スージーによって、ナチは壊滅させられ舞踏学校に囚われていた少女たち(ユダヤ人や虐げられた女性のメタファー?)は真の開放を得るわけです。
それと連動するように背景ではドイツ赤軍(RAF)によるハイジャック事件の一部始終が背景に置かれ、前述したようにジョセフ・クレンペラーの奥さんは収容所に送られていて、舞踏学校のすぐそばにはベルリンの壁がそびえ立っています。
つまり、本作のテーマは“分断”と“開放”なんですね。多分。
真の主人公
そんな本作の主人公は当然スージーだと思うじゃないですか。
しかし全編を通して観ると、真の主人公はスージーではなく、老心理療法士ジョセフ・クレンペラーであることが分かります。
長きに渡り、ナチから妻を救えなかった事で自分を責め続けた老人は、パトリシアの話を妄想と決めつけて相手にせず、さらにその友人サラ(ミア・ゴス)も救うことが出来ません。
全てが終わったあと、そんなクランペラーの元に現れた“溜息の母”スージーは彼に妻の最後の様子を伝え、妻、パトリシア、サラの記憶を消します。
そうすることで、彼はやっと長年背負い続けた重い荷物を下ろすことが出来るのです。
一人3役!?
ちなみに、このクランペラーを演じているルッツ・エバースドルフは実在しません。
本作を観た人は何となく気づいているのではないかと思いますが、クランペラーを演じたのは全身に特殊メイクを施して性別を変えたティルダ・スウィントンなんですね。
さらに彼女はマルコスもあわせ、本作でなんと一人3役を演じているのです。
画像出典元URL:http://eiga.com / ジョセフ・クレンペラーを演じるルッツ・エバースドルフを演じるティルダ・スウィントン(ややこしいわw)と奥さん役のジェシカ・ハーパー(オリジナル版のスージー)
もちろんこれは意図があってのことで、グァダニーノ監督によれば、
「この映画は精神分析学に強く関係する作品です。ティルダだけが自我(ego)、超自我(superego)、そしてイド(ido)を演じられるというアイデアが気に入ったんですよ。」
のだそう。
イドとは日本語だと“本能的な欲望”を意味しているらしく、おそらくは永遠の命と若い肉体を欲するマルコスのことでしょう。
超自我は舞踊団の暴走を抑えながらその筆頭者を務めるミス・ブラン、自我はクライマックスの一部始終に“立ち会う”事になるクランペラーかな?
事ほど左様に、ホラーのクラッシックとも言える「サスペリア」を解体し、現代的味付けを加えて再構成するという非常に意欲的な本作ではありますが、正直に言えばやっぱ152分は長いし、色々詰め込みすぎてて飲み込みづらい作品だなとは思いました。
解説を読んだり聞いたりしないと、何が言いたかったのか分からなかったですしね。(それは僕の理解不足なんでしょうけど)
その辺の難解な演出は評価の分かれるところかもしれません。
ちなみにポストエンドクレジットのスージーが雪の降るベルリンの街にたたずんでいる短いショット。
彼女が最後にカメラをジッと見つめて終わるこのシーンには諸説あるみたいですが、監督によれば、
「マダム・サスペリオルムは世界を見ている、未来を見ているんです。闇の中を歩き、カメラの向こう側を見ているんですよ。もしかすると、彼女は私たちを見ているのかもしれませんね。」
とのこと。
つまり、彼女は1977年のカメラの向こうから、僕らが住む現在の世界(情勢)を見つめているって事なんでしょうね。
興味のある方は是非!!
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