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村上春樹の短編小説をイ・チャンドンが映画化!「バーニング劇場版」(2019)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を原作に「シークレット・サンシャイン」や「ポエトリー/アグネスの詩」などで世界から高い評価を集めるイ・チャンドン監督約8年ぶりに撮った新作『バーニング』ですよー!

観終わった直後の率直な感想としては、「うわー、えらいもんに手を出してしまった」でしたねー。「これ、感想書くのメッチャめんどくさいヤツじゃん」とw

でも、観てしまったからには仕方がないので、何とか頑張って感想を書いていこうと思います。

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画像出典元URL:http://eiga.com

概要

『ポエトリー アグネスの詩(うた)』などのイ・チャンドン監督が、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を大胆に翻案したミステリー。小説家志望の主人公の周囲で起こる不可解な出来事を、現代社会に生きる若者の無力さや怒りを織り交ぜながら描く。主演は『ベテラン』などのユ・アイン。ドラマシリーズ「ウォーキング・デッド」などのスティーヴン・ユァン、オーディションで選ばれたチョン・ジョンソらが共演する。(シネマトゥディより印象)

感想

僕と村上春樹イ・チャンドン

まず書いておかなくてはいけないのが、僕は村上春樹の原作も、これまでのイ・チャンドン作品も未読(未見)だということ。

っていうか、僕は村上春樹の小説って(多分)初期の作品を1冊読んだきりなんですよね。なので「ノルウェーの森」や「海辺のカフカ」などの代表作も読んだことがないのです。

何ていうか、(初期作品に顕著だと思うんですが)彼の“一人称なのに他人事”みたいな作風がね、どうにも合わなかったんですよ。

対してイ・チャンドンは、有名な監督なので「確か1作くらいは観てたよなー」と思ってWikipediaでチャックしてみたら1作も観たことがなかったです。あれー?

というわけで、今回は完全に手ぶら状態での感想なので、もし調子っぱずれな事を書いてしまったらスイマセン。

NHKのプロジェクトとしてスタート

本作は元々NHKの、村上春樹の短編小説をアジアの映画監督が競作で映像化するプロジェクトの1つとして企画が進められたそうで、2018年12月2日にNHK BS4K、12月29日にNHK総合で日本語吹替による95分の短縮版がそれぞれ放送されたそうです。

その時のタイトルが「特集ドラマ バーニング」で、今年2月に「バーニング劇場版」として約2時間30分の全長版が公開されたんですね。

原作の「納屋を焼く」は1983年初出の短編。ざっくり内容を説明すると、

広告モデルでパントマイムが趣味の「彼女」と、知り合いの結婚パーティで知り合った小説家の「僕」は、ほどなくして付き合うようになります。
ある時、父親が亡くなった「彼女」はその遺産で北アフリカに行くんですね。

暫くして「彼女」は新しい恋人「彼」を連れて帰ってきます。
ある時「僕」との食事の席で、「時々納屋を焼くんです」と告白する「彼」は近々また納屋を焼く予定だと話します。

今まで他者に無関心に装っていた「僕」は、取り憑かれるように「彼」が次に焼く納屋を探すも、結局、納屋が焼かれる瞬間を捉えることはできない。
再開したときに納屋のことを尋ねると、「彼」は「納屋ですか?もちろん焼きましたよ。きれいに焼きました。約束したとおりね」と言い、時を同じくして何故か「彼女」も消えてしまう。という物語。

イ・チャンドンは、物語の舞台を現代の韓国を舞台に移し、原作小説では30代既婚の小説家である「僕」を、20代の貧しい「小説家志望」の青年イ・ジョンス(ユ・アイン)に変更。

内容の方も、大筋は原作小説をなぞりつつ、原作にも登場しタイトルの元ネタでもあるウィリアム・フォークナーの「Barn Burning(納屋を焼く)」的要素を加え、ラストに映画オリジナル展開を入れるなど、大胆な改変をしているんですね。

そういう意味では、原作の「納屋を焼く」を解体・再構築した作品と言えるのかもしれません。

幾重にも張り巡らされた伏線と、どのようにも解釈可能なラスト

本作の主人公イ・ジョンスは、子供の頃母親に捨てられ、暴力衝動の抑えられない父親は公務員への暴行で裁判中のため、家業である牛の世話のために北朝鮮との軍事境界線にほど近いパジュ市の実家に戻るハメになります。

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画像出典元URL:http://eiga.com / ボンクラ青年ジョンスを好演したユ・アイン

その直前、彼は偶然“幼馴染”の美女ヘミ(チョン・ジョンソ)と出会うんですね。

彼女はモデル(というかキャンペーンガール?)の傍ら、パントマイムを習ったりしていて、ジョンスと飲みに行った店でミカンを食べるパントマイムを披露。
彼女は「そこにみかんがあると思い込むんじゃなくて、そこにみかんがないことを忘れればいいのよ」とパントマイムのコツを教えるんですが、このセリフが後の展開の重要なキーワードになっています。

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画像出典元URL:http://eiga.com / ヒロインでありファムファタルでもあるヘミ(チョン・ジョンソ)

その後、彼女はアフリカに旅行に行くと言い出し、その間飼っている猫ボイルにエサをやってほしいとジョンスに頼むんですね。
しかし、ワンルームの狭い部屋なのに、猫の姿はどこにも見えない。

もしや“エア猫”ではと怪しむジョンスでしたが、エサや水はちゃんと減っているので部屋のどこかにいるのは間違いないらしい。

ジョンスは、“見えない猫”にエサをやりに行っては、そこに“いないヘミ”をオカズに自慰に励むのです。

やがて、彼女から帰ってくるので空港に迎えに来て欲しいという電話を受けたジョンスは、喜び勇んで迎えに行くんですが、何故か彼女の隣には見慣れない男が。

ヘミによれば、彼=ベン(スティーブン・ユァン)はアフリカのテロで立ち往生していた時に知り合った“親友”だそうで、人当たりはいいけど、どこか胡散臭い男。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 胡散臭いベンを演じるのは「Z Inc. ゼット・インク」のスティーブン・ユァン

何の仕事をしているかは分からないけど、金持ちでポルシェを乗り回し、高級マンションに住んで、ハイソなお仲間とパーティーを開くようなベンに、ジョンスは持ち前の劣等をフル稼働

三人で食事のあと、部下だか友達だかが持ってきたポルシェを見てすっかり気後れしてしまい、ヘミに「乗せていってもらいなよ」なんて、自分のオンボロトラックから荷物を下ろしたりしちゃうんですよね。

ベンの方も何が気に入ったのか分からないけど、事あるごとにジョンスを誘っては格の違いを見せつけるので、ジョンスはますます卑屈になっちゃう。

ベンはぱっと見好青年で、ジョンスに対しても結構好意的に接してるんだけど、どこか見下してるようにも見えるように演出されていて、どうにも真意がわからない。
見下してるように見えるのは、ジョンスの劣等感からくる被害妄想かもしれないし、逆にそんなジョンスを本当に見下して楽しんでるのかもしれないわけですよ。

そんなある日、牛の世話をするジョンスにヘミから電話で「ベンと近くに来たから寄るわ」なんて電話が。

で、3人で大麻を吸って、ヘミが半裸で踊りだして眠っちゃったあと、ジョンスとベンが二人で話すんですが、そこでジョンスが「ヘミを愛してる」と告白すれば、ベンは「ビニールハウスを燃やすのが趣味」というヤバすぎる性癖を告白

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画像出典元URL:http://eiga.com

「近々、この近くのビニールハウスを燃やす予定です」なんて言われたジョンスは、燃え盛るビニールハウスの前でニコニコしてる子供の自分を夢に見てしまい、気になって近所のビニールハウスをパトロールするも燃えたビニールハウスはどこにもないんですね。

時を同じくして、ヘミからかかってきた電話に出るも、声はなく、明らかに犯罪臭漂う物騒な物音を残して、彼女は“煙のように”消えてしまい―――というストーリー。

ここから物語はミステリー的な展開になっていくんですが、ここまでで1時間を軽く越えてるんですよねー。

って長いよ!

いやね、映像が綺麗だからまだギリ観てられますけど、ここまでストーリー上の大きな動きがあるわけでも続きが気になるフックがあるわけでもなく、何かこう……いかにも村上春樹っぽい、分かるような分からないようなスカシたセリフ回しが続くので、僕みたいなボンクラは観ていて普通に辛いw

ただ、この何てことない、ある意味で退屈な展開の中に、その後に繋がる伏線が張り巡らされてたり、終盤への重要なキーワードが描かれたりするので、とばすわけにもいかないっていうね。

で、そこから続くミステリー(サスペンス?)的な後半を経ての衝撃のラストは、どのようにも解釈出来るように設計されてるのです。

寓話的な原作を現実(リアル)の物語に

まぁ、前述したように、僕は原作未読なのでハッキリしたことは言えないんですが、それでも色んなレビューや解説を元に本作を読み解くなら、観念的で質量を感じさせない、ある意味おとぎ話的な原作に、イ・チャンドン監督は毒親の呪いとか格差社会とか若者の絶望や焦燥感、諦観や寄る辺なさといった、今の韓国(というか世界中の若者)が抱える問題をつけ加えることで、虚実の境目が曖昧になるという原作の核の部分は残しつつ、捉えどころのない物語に質量を与えて現実(リアル)に引き寄せたのではないかと思いました。

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その上で、最後にどうとでも解釈出来る余白を残すことで、この作品が“観客の物語”になるようなラストを用意したのかなと。

そう考えると、この長さはどうしても必要だったのかもしれません。

興味のある方は是非!!

 

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