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「J・エドガー」(2012) 感想

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、レオナルド・ディカプリオ主演、クリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』ですよー!

クリント・イーストウッド作品って重厚なので、観る前はいつも覚悟がいるんですが、観れば面白いんですよねー。
本作もとても面白い作品でしたー!

http://ecx.images-amazon.com/images/I/81KQ283iQ3L._SL1500_.jpg画像出典元URL:http://www.amazon.co.jp/

概要

本国アメリカでは2011年に公開された伝記映画。
48年間にわたりFBI長官を務めたジョン・エドガー・フーヴァーの生涯を、証明された事実だけを元に構成。謎多きフーヴァーのプライベートを中心に描いていく。
脚本は『ミルク』のダスティン・ランス・ブラック

 

あらすじ

1919年、司法省の共産主義過激派を逮捕し、国外追放する特別捜査チームの責任者に24歳の若さで抜擢されたJ・エドガー・フーバー(レオナルド・デカプリオ)は、その後徹底した科学的捜査による証拠主義を掲げ、州を超えて捜査権を持つ連邦警察FBIを設立、初代長官となる。
その後、1972年に亡くなるまで長官職に居座ることが出来たのは、盗聴、盗撮などによって権力者の弱みを握っていたためだった。

一方で、プライベートでは保守的かつ支配的な母親(ジュディ・デンチ)のもとで育ち、ゲイであることを隠し通すため、同じ性癖を持つクライド・トルソン(アーミー・ハマー)、ヘレン・ギャンディー(ナオミ・ワッツ)以外には心を開くことはなかった。

 

感想

実は僕は、本作の事前情報なしで観始めたので、その分「え、そういう話だったんだ」という驚きも大きかったです。

なので、これは後付けで知った情報ですが、このフーヴァー長官ってアメリカでは誰もが知る悪名高き男なんですねー。

とにかく自分の敵になりそうな相手・嫌いな相手は、徹底的に個人情報を探って弱みを握って脅し、自分より下の人間には不遜で威圧的な態度をとり、保守派という名の人種差別主義者で、あのキング牧師に脅迫状を送ったり、一説では暗殺疑惑まであるっていう、嫌ーーーーーーーーーーーな男です。

本作ではそんな彼の人生を、自伝を製作のためのフーヴァー本人の回想という体で、判明している事実のみで描いていくんですね。

フーヴァーを作った人々

本作によれば、フーヴァーは元々内気な青年でマザコンでした。
フーバーの母親というのは保守派で支配的な、今風に言うなら毒親ってやつなんですが、ただ、時代を考えればそれほど珍しくなかったのかも。
そんな強権的とも言える母親を演じるのはダニエルクレイブ版007のM役でお馴染みのジュディ・デンチです。

で、フーヴァーは同性愛者でもあったようで、彼の母親にカミングアウト(というか女性を愛せない事を打ち明ける)するシーンでは、近所の同性愛者で自殺した少年の話をして、さらに「男女になるくらいなら死んでくれた方がいい」とまで言っちゃいます。

この母親との関係が、フーヴァーの人格に大きな影響を与えているんですね。

一方でフーヴァーは、徹底したデーター主義でもあり、国会図書館の蔵書をインデックス化し、検索時間を飛躍的に向上させた経験から、これ、犯罪捜査に使えるんじゃね? と確信。

当時はまだ誰も考えなかった科学捜査をいち早く取り入れて物的証拠に重きを置いた捜査方針で実績を上げ、不安定な時勢もあって、FBI初代長官となります。

そんなフーバーのやり方を最初は小馬鹿にしていたマッチョな警察や同僚も、そのうちフーヴァーのやり方を認めざるを得なくなるんですね。

やがてどんどん権力を増していくフーヴァーは、自分の椅子を守るために、影響力のある思想家や有名人政治家などのプライベートを盗聴盗撮しまくって、脅しの材料として使い始めるのです。

そんな彼が心許せるのは、部下で同じ性癖を持つ恋人のクライド・トルソンとヘレン・ギャンディーのみ。
しかし、二人にフーヴァーの暴走を止める力はなく、権力を握ったフーヴァーはどんどん暴走に拍車をかけていくわけです。

アメリカを支配しようとした男

そんなフーヴァーも最初のうちは、正義に燃え祖国を守るために、情報を集めるわけですが、権力を得るようになり自分の力が増していくと、次第に自分の得た権力に飲み込まれて行きます。
さらに、ゲイでありながらそれを隠して生きざるを得なかった彼は、性的指向の方も歪んじゃって、ケネディー大統領が浮気相手とHしてる盗聴テープを聞きながら(;´Д`)ハァハァしちゃう立派な変態に成長。

僕が見逃してなければ、本作の中で、フーヴァーは童貞のまま一生を終えた男として描かれているんですね。
部下のクライドに恋心を感じながらも、映画館やレストランでそっと手を握ったり、クライドを誘って旅行に行くと別の部屋じゃなくてスイートルームを予約したり、あげく、クライドと修羅場になって殴りあった末にチューされたり、捨てないでーー!!って叫んだり。もう、思春期真っ只中かと。

つまり、(時代的にも)それくらい自分がゲイであることは、彼にとって決して知られてはならない秘密であって、(その割にはFBI職員は全員気がついてたらしいですが)最初は純然たる正義のための武器だった情報は、やがて自分を守るための武器に変容していくわけです。

また、何かと敵の多かったフーヴァーでもあり、権力を手に入れるほど被害妄想が増して孤独になっていく。だから一人でも多くの敵の情報を集めてアメリカを支配すれば、誰にも傷つけられないという妄執に囚われていったんだと思います。

さらに母親譲りの差別主義者でもある彼は、黒人開放運動のリーダー、キング牧師を死ぬほど憎んでいて、牧師がノーベル平和賞を受賞しそうになると「辞退して自殺しないと、お前の浮気のテープを全米にばら撒いてやっかんな!」なんて脅迫状を送って、クライドとヘレン(ついでに僕も)をドン引きさせるんですね。

この頃になるともう、公私の区別がつかないくらい、権力にどっぷり溺れてしまったっていうことなんでしょうね。

どこまでもグレーな物語

前述したように、クリント・イーストウッド監督は本作を作るにあたり、事実として判明していること以外は描いていないし、物語上ギリギリ描かなければならなかった事実関係のハッキリしないシーンは、それとなく匂わせる程度に止めています。
伝記映画とはいえ、フィクションなんだからもっとど派手にやってもいいような気もしますが、そこはクリント・イーストウッドの映画人としての誠意で、判明している事実の中でのフーヴァーの功罪を出来るだけフラットな視点で描こうとしているように感じました。
ただ、そのことで本作がスッキリしないのも事実で、白でも黒でもなく、ずっとグレーな画面を観せられてるようなモヤモヤ感が残る人もいるかも。
僕の場合、逆にJ・エドガー・フーヴァーという人をほとんど知らなかったのが幸いして、哀れな男のラブストーリーとして普通に楽しんでしまいましたが。

ただ本作の場合、恐らくアメリカ人なら持っている常識が前提になっているシーンも多々有り、そういうの知ってたらもっと楽しめたんじゃないかなーと感じました。

いや、何も知らずに観てももちろん十分楽しめるんですが、フーヴァーの人間像やエピソードを知っている度合いによって、楽しめる『深度』が深くなっていくみたいな感じっていうんですかね。

重いし、スッキリする映画ではありませんが、そこは巨匠クリント・イーストウッド作品だけあって見ごたえは十分。デカプリオの熱演も見事な作品でした。

興味のある方は是非!!!