ぷらすです。
今回ご紹介するのは各国の映画賞を総ナメにし、第91回アカデミー賞では最多ノミネート&外国語映画賞、監督賞、撮影賞の3部門を受賞したアルフォンソ・キュアロン作品『ROMA/ローマ』ですよー!
この作品、「Netflix」配信作品だったのでユーザーでない僕は「当分は観られないかなー」なんて思ってたんですが、アカデミー賞の影響なのか地元のイオンシネマで公開されたので、早速観に行ってきましたよー!
画像出典元URL:http://eiga.com
概要
『ゼロ・グラビティ』で第86回アカデミー賞監督賞に輝いたアルフォンソ・キュアロン監督が、1970年代のメキシコを舞台に描く人間ドラマ。キュアロン監督の子供時代の思い出を投影した物語が、若い家政婦を中心に展開する。ヤリッツァ・アパリシオが家政婦を演じ、ドラマシリーズなどに出演してきたマリーナ・デ・タビラらが共演。(シネマトゥディより引用)
感想
Netflix配給作品
この作品は、監督・脚本・制作・撮影全てをアルフォンソ・キュアロンが担当し、当時少年だったキュアロン自身の記憶をモデルに作られた、極めてミニマムで私小説的な作品なんですね。
そんな本作の配給に手を挙げたのがNetflixだったという経緯で、作品自体は昨年からネットフリックスで公開されてるんですが、一般の映画館では殆ど上映されてなかったんですね。(映画館側が公開を拒否したらしい?)
まぁ、全編スペイン語、もしくは先住民族が話してるミシュテカ語で構成された白黒のシネマスコープ作品で、内容的にもハリウッド的エンタメ系作品ではないし、前述したように極めて私小説的なアート系作品なので、Netflixが配給しなければ多分、単館上映とか公開館数も少なかったと思うし、アカデミー賞で話題にならなければ(日本では)ビデオスルーになってたかもしれません。
一方で、個人的にこの作品は映画館で観て初めて真価を発揮する映画って感じがしました。
殆どセリフや音楽に頼らずに映像のディテールと「音」で語られる物語なので、明るい部屋のテレビやパソコンのモニターでは本作の凄さが伝わらないんじゃないかなーと思うんですよね。
そういう作品なので、ストーリーを追って観るタイプの人には退屈だったり難しいと感じてしまうかもしれません。(正直僕もそのタイプ)
映画に入ってしまう感覚
この映画は、主人公のクレア(ヤリッツァ・アパリシオ)が住み込みの家政婦として働く家の、駐車場のタイルをブラシで掃除しているシーンからスタートします。
いきなり真上からタイルだけが撮されて、後ろの方ではブラシでタイルを擦る音が聞こえる。
やがて、水を流すような音と共に映像には洗剤混じりの水が流れてきて、その水には家の屋根で四角く切り取られた空が映り、そこを旅客機がゆっくり横切っていくという長回しが本作のファーストカット。
このカット、立体音響(?)で前・横・後ろのスピーカーから「音」が聞こえてくるのでカメラに映っていないクレアがどこにいるのかが分かるんですよね。
この立体音響は映画全編で使われていて、例えばカメラの後ろで騒いでいる子供たちの声だったり、波のさざめきや虫の声、街の雑踏や人の声、犬の鳴き声などなど、四方八方から「音」が聞こえてくるので、観ている自分が、映画に入り込んだような感覚になるんですね!
これは僕には初めての感覚で、結構な衝撃でしたねー。
映像による語り
本作はセリフ自体が本当に少ないし、セリフによる状況説明もほとんどありません。ストーリーテリングや状況の説明はほぼほぼ映像によって行われます。
ストーリー自体は比較的単純で、アントニオの奥さんソフィア (マリーナ・デ・タビラ)やその家族と住み込み家政婦のクレアが、社会的な階級差を超えて家族になるまでの物語。
画像出典元URL:http://eiga.com /主人公クレアを演じたヤリッツァ・アパリシオは演技経験なしの素人
その中で、アントニオは浮気をして家に帰ってこなくなりソフィアと離婚、クレアはボーイフレンドのフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)との間に子供が出来るが、妊娠を告げた途端フェルミンに逃げられるという共通体験があり、社会的な階級差はあれど、無責任男に傷つけられながら再起する二人の姿を描いていくわけです。
その背景では、1971年の6月10日に実際にメキシコで起きた学生運動弾圧・虐殺事件(「血の木曜日」)や、クレアが妊娠検査で行った病院で見舞われる地震などが描かれていて、メキシコの歴史的事件をクレアの視点を通して描いているんですね。
例えば、病院のシーンでは新生児のケースの上にコンクリートの破片が落ちていて、カットが切り替わると十字架が並んだショットになったり、「血の木曜日」に巻き込まれたクレアが破水してしまったり。
他にも、前半と後半に“対になる映像”を見せることで、時間の経過や状況の変化を表す方式が使われてたりするのも本作の特徴だったりします。
例えば、クレアが務めるアントニオの家は大富豪というほどのお金持ちでもないので、駐車場が車幅ギリギリだったりするんですよ。
その狭い駐車スペースにアントニオはフォード・ギャラクシーという大きな乗用車を上手く駐車するけど、奥さんのソフィアは壁にぶつけて傷をつけまくる。…からの後半では――とかね。
この自動車の種類や、車庫入れの様子が家族の変化、変遷っていうのを示す、小道具になってるんですね。
チ〇コブラブラ男フェルミン
一方、クレアのボーイフレンドのフェルミン。
コイツがもう超最低な男でして。
クレアとフェルミンはWデートで映画に行くんですけど、フェルミンは「天気がいいから公園でも行こう」なんて、友人と分かれるんですね。
そこでカットが変わって雨降りのフェルミンの部屋で、ベットの上のクレアと、シャワーカーテンの突っ張り棒みたいのを外して、全裸でチ〇コブラブラさせながら棒術の型を見せるフェルミンというシュールなシーンに切り替わります。(ボカシなしだったw)
これは、己の肉体と棒術を披露することがフェルミンという男のマチズモ思想を表現してる一方で、「お前、チン〇丸出しで何してんねん!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ」っていう、間抜けさや滑稽さを皮肉的に描くという本作の名シーンでしたねーw
で、その後映画館でクレアに妊娠を告げられたフェルミンは「…いいことだと思う」と言ったあと「ちょっとトイレ行ってくる」と席を立って二度と戻ってこないんですね。さらに、居場所を突き止めて会いにいったクレアに逆ギレ→得意の棒術で威嚇する始末で、もうね、心底最低な奴で「お前は一生チ〇コブラブラさせながら棒っきれ振ってろ!! (>ω<〟)〇))°3°;)☆」っていう。
ちなみにコイツ、若者達で構成される政府支援の準軍事的集団(ロス・アルコネス)のメンバーで、「地の木曜日」のシーンでクレアと再開して、超最低なことをしやがります!ι(`ロ´)ノムキー
余談ですが、フェルミンの顔が少し三島由紀夫に似てるって思ったのは僕だけですかね?
キリスト教的モチーフ
この映画は前述した冒頭のシーンを始め、雨のシーンやクレアの破水など、至るところで水のモチーフが象徴的に描かれています。
それが極に達するのがクライマックスシーンなんですが、あれはキリスト教の「洗礼」の儀式のメタファーなんだろうなーって思いました。
このシーンでクレアは、自身が抱えて込んでいた“思い”を告白(というか懺悔)し、ソフィアや子供たちと(精神的な)「家族」になったんだろうなと。
これ以外にも、映像の端々にキリスト教を思わせるモチーフが度々描かれるし、宗教画的な構図もあったりしましたねー。
画像出典元URL:http://eiga.com /随所に見られる宗教的モチーフ
まぁ正直、135分とかなり長い映画だし、いわゆるアート寄りの映画なので“面白い”か? と聞かれると正直微妙ではあるんですよね。
映画として凄いことしてるとは思うけど、いわゆる普通の人が言う「面白い」とは別物というか。
僕も家のDVDとテレビ画面で見ていたら「あー、グダグダ長い映画だなー」って思ったかもしれません。
なので今回、映画館での映像と音の“体験”が出来たのは、個人的には結構な衝撃だったし、それだけでも本作を映画館で観ることが出来て良かったって思いました。
多分、今現在、もしくはこれから日本各地の映画館で本作が公開されると思うので、もしお近くの映画館で上映されてたら、劇場の環境で「ROMA/ローマ」を「体験」することを強くオススメしますよー!
興味のある方は是非!!!
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