観てきました!!
クエンティン・タランティーノ監督9作目となる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を!!
そりゃぁ、待ちに待ったあのタランティーノの新作ですからね!
劇場に行かないという選択肢はないやろ。(by鶴瓶)
前作「ヘイトフル・エイト 」は僕の地元では3ヶ月遅れでの公開で、非常に悔しい思いをしただけに、今回、リアルタイムで観れたのは嬉しかったですねー。
というわけで、今回は劇場公開されたばかりの作品なので、出来るだけネタバレしないように気をつけて書きますが、これから本作を観る予定の人や、ネタバレは絶対に嫌!という人は、本作を観た後にこの感想を読んでくださいね。
いいですね?注意しましたよ?
あ、でも一つだけこれから観る予定の人にアドバイスをさせてもらうなら、グーグルでもウィキペディアでもいいので「シャロン・テート」と「チャールズ・マンソン」を調べてから観に行くことを強くオススメしますよー!
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概要
『ジャンゴ 繋がれざる者』のレオナルド・ディカプリオ、『イングロリアス・バスターズ』のブラッド・ピットとクエンティン・タランティーノ監督が再び組んだ話題作。1969年のロサンゼルスを舞台に、ハリウッド黄金時代をタランティーノ監督の視点で描く。マーゴット・ロビー、アル・パチーノ、ダコタ・ファニングらが共演した。(シネマトゥディより引用)
感想
タランティーノ1969年のハリウッドを描く
本作は1969年のハリウッドが舞台。
以前も書いたかもしれませんが、この時代というのはハリウッドにとって大きな転換期だったと言えます。
いわゆる“ハリウッド黄金期”と呼ばれる時代はここから遡ること20年以上前の1940年代で、英雄の一大叙事詩や、夢のような恋物語が主流の「観客に夢と希望を与える」作品が量産されていました。
しかし、1950年代に入るとハリウッドは独占禁止法によるスタジオ・システムの崩壊やテレビの影響などで斜陽化し、共産主義者を告発する「赤狩り」が残した爪痕により暗いムードをもった作品も少なからず現れるようになります。
1960年代に入ると、ベトナム戦争や公民権運動によって国民の米国への信頼感は音を立てて崩れ、アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こります。
テレビではベトナム戦争の悲惨な現状や、黒人によるデモを鎮圧する警察や軍隊の暴力が映し出されているにも関わらず、(ヘイズコードの影響などもあり)“古き良きアメリカ”の価値観で映画を製作していた大手映画会社は若者にそっぽを向かれ、経営もどん底に。
その頃、(主に)若手映画人がフランスのヌーヴェルヴァーグに影響を受け、スタジオを飛び出しオールロケで製作した低予算映画群がアメリカン・ニューシネマです。
1967年公開の「俺たちに明日はない」を皮切りに次々公開されたこれらの映画は、概ね反体制的な人物(主に若者)が体制に敢然と闘いを挑むも、最後には体制に負けるという内容で、それが当時の若者たちの共感を呼んで大ヒット。
1976年の「タクシードライバー」まで、数多くのニューシネマ作品が作られるようになります。
一方1960年代に、ハリウッドと同じく斜陽化していたイタリア映画産業が活路を見出すため製作されたのがイタリア製西部劇で、通称「マカロニ(スパゲッティー)・ウエスタン」
本国アメリカでは清廉潔白・完全無欠の正義の味方を主人公にした西部劇もまた、1960年代には衰退していたわけですが、アウトローを主人公に、それまで米国製西部劇では描けなかった流血や暴力など、ある種の悪趣味な見世物表現でマカロニ・ウエスタンは世界的に大ヒットとなり、“本場”アメリカにも逆輸入される形になるのです。
そしてクリント・イーストウッドなどのスターを輩出するんですね。
本作でレオナルド・ディカプリオが演じたリック・ダルトンは、1950年代にテレビ西部劇でスターとなるも徐々に人気に陰りが見え始め、最近では悪役のオファーが増えている。
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そんな彼の演技に目をつけたアル・パチーノ演じる映画プロデューサーのマーヴィン・シュワーズは、彼にマカロニ・ウエスタンの主役として出演をオファーするわけです。
リック・ダルトンというキャラクターはバート・レイノルズをモデルにしているとタランティーノ自身は語っていますが、ダルトンのキャリアに関してはクリント・イーストウッドをモデルにしてる印象。
まぁタランティーノはリック・ダルトンを「イーストウッドになり損ねた男」ってインタビューで語ってましたけども。
そんなダルトンのスタントマン兼運転手が、ブラピことブラッド・ピット演じるクリフ・ブース。
仕事上のパートナーというだけでなく、落ち目で不安定になっているダルトンを励まし細々と世話を焼く女房役でもあり、本作では全編通して二人のブロマンス的な関係を中心に描いています。
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また、クリフは朝鮮戦争帰還兵ということもあって腕っ節の方も超強い男ではあるんですが、その喧嘩っ早さからプロデューサーに嫌われて、スタントマンの仕事は干されている状態でもあるんですね。
本作はそんな二人を通して1969年当時のハリウッドを淡々と描写していくんですが、そこはシネフィルのタランティーノ。
劇中登場する劇中映画のフィルムの質感や小物に至るまでこだわりまくり、当時の空気感までを見事に再現して見せているし、映画ファンやタランティーノファンなら思わずニヤリとしてしまう仕掛けも、ふんだんに盛り込んでいます。
チャールズ・マンソンとシャロン・テート
もう一つ、この映画を観る上で重要なのが、チャールズ・マンソン率いるマンソン・ファミリーと、女優のシャロン・テートです。
チャールズ・マンソンは、複雑な出自から社会に適応できず、9歳で犯罪に手を染めてから1967年に釈放されるまで、人生の大半を刑務所で過ごしています。
一時は歌手を目指していくつもの曲を作っていて、ザ・ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンら著名な音楽家との交流もあったらしいんですが、結局ミュージシャンとしてデビューはできず、その後、上記の政府への抗議運動と東洋思想などが合流したヒッピーカルチャーと出会い、家出した少女を集め「ファミリー」としてコミューンを作って集団生活を始めるようになります。
劇中で少女たちがゴミ箱を漁って食べ物を集めるシーンがありますが、これも史実。
マンソンは「ファミリー」の少女たちに大型スーパーなどのゴミ箱から食べ物を調達させる一方、フリーセックスやLSDなどのドラッグに耽っていたんですね。
そんな時、彼はビートルズが発売したアルバム『ホワイトアルバム』の中に収録されていた「ヘルタースケルター」と言う曲に激しくインスピレーションを掻き立てられます。
そしてやがて白人対黒人によるハルマゲドンが起こり、黒人が勝つも彼らもまた自滅して最終的に生き残った自分たちマンソン・ファミリーが世界の覇権を握るという、妄想に囚われ、以後、過激なカルト集団になっていくのです。
一方、売れない新人女優だったシャロン・テートは、ロマン・ポランスキー監督の映画出演がキッカケでポランスキーに見初められ結婚・妊娠しますが、ポランスキーが映画撮影のためヨーロッパに行っている時、マンソン・ファミリーに自宅を襲撃され、友人らと共に無残にも殺害されてしまうんですね。
この事件から、彼女は女優としてではなく、ロマン・ポランスキーの妻、またカルト教団マンソン・ファミリーの被害者として一躍有名になってしまったわけです。
そして本作は、この痛ましい事件を“観客が知っている前提”で作られていて、なのでこの流れを押さえているといないとでは、本作を観たときの印象が全然違ってしまうんですねーって………3000文字も書いてるのにまだ、本編に殆ど触れてないんだぜ?
サスペンス映画
本作でシャロン・テートを演じるのは、「スーサイド・スクワッド」のハーレイクイン役で一躍人気女優となったマーゴット・ロビー。
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彼女は劇中リック・ダルトン、クリス・ブースとほぼ絡むことはなく、ポランスキーとデートしたり、街で買い物を楽しんだり、友人とパーティーをしたり。
やがてお腹も大きくなって、幸せそのものなんですね。
しかし、彼女が幸せそうにしている姿を観ながらも彼女の運命を知っている観客は、このあと彼女に起こる悲劇にどんどん近づいている事が分かるので、ハラハラしてしまう。つまり、この映画は“そういうサスペンス映画”なんですね。
劇中では事件に関して何の説明もないまま進むんですが、観客はこの事件を知っているというメタ的な構造になっていて、なので事件の概要をある程度知っておかないと、クライマックスの展開にも、ポカンとするハメになってしまうわけです。
シャロンとダルトン
劇中、落ち目になりすっかり自信を失っているダルトンの前に現れるのが、共演者で天才子役のトルーディ。
この子はまだ9歳にも関わらず、役者としてのプロ意識がべらぼうに高いんですね。
ダルトンはそんな彼女に触発されて、監督が絶賛する名演技を見せます。
そしてトルーディにも「私の人生で出会った中で最高の演技だった」(意訳)と言われた事に感動して涙する。
このシーン、出演作品で次々素晴らしい演技を見せながらも、中々アカデミー賞を取れなかったディカプリオ自身に何となく重なる気がしたりしましたし、一説では「ジャッキー・ブラウン」の興行的失敗でしばらくの間次回作が撮れなかった時のタランティーノ自身の経験が元になっているのではないかと言われています。
一方のシャロンは、買い物の途中で通りかかった映画館で、たまたま自分が出演している作品が上映されてるのを見つけて、その映画館に入ります。
そして、自分のコメディー演技に観客が笑っているのを見て、涙をこぼしながら喜ぶんですが、実はこの映画館で流れているのは、シャロンを演じるマーゴット・ロビーではなく、シャロン・テート本人の映像なのです。
タランティーノがなぜ、そんなややこしい事をしたのかといえば、女優としてより、ロマン・ポランスキーの妻として、またマンソン・ファミリー被害者として名前が知られてしまった彼女を、女優シャロン・テートとして蘇らせるため。
つまりタランティーノは、彼女が“ポランスキーの妻”でも、“マンソン・ファミリーの被害者”でもなく、女優シャロン・テートなんだと、今一度世間に知らしめようとしたわけです。
この二つのシーンは、それ自体は何てことないエピソードなんですが、ディカプリオ&マーゴット・ロビーの名演もあり、また、タランティーノの粋な計らいに思わずグッときてしまいました。
復讐劇
本作は、それまでのタランティーノ作品の殆どがそうであったように、ある種の復讐劇になっています。
本作を表層的に捉えるなら「あーハイハイ、今回はそういうアレなのね」と思ってしまうし、序盤から中盤にかけての、(敢えて)ドラマ性抑え淡々と観せていく演出は退屈に感じてしまうかもだけど、ちょっと待って欲しい。
前作「ヘイトフルエイト」での脚本流出騒動、その後ハリウッドに巻き起こった「#MeToo」運動によって共に数々の作品を手がけた映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが告発された騒動の煽りを受けての謝罪。
また自身も「キルビル」の主演女優ユア・サーマンからパワハラを告発されるなど、(自業自得とはいえ)映画製作に集中出来ない環境が続いたタランティーノ。
本作はそんな一連の騒動に対する彼自身のアンサーでもあり、技術的にも政治的にも激変している現在の映画界に対する思いを、同じく大きな転換期であった1969年という時代に乗せて描いた、ある種の寓話なのです。
ショッキングなクライマックス描写に対しては「結局、タランティーノって女性差別主義者なんじゃないの」という意見もいくつか目にしたりしましたが、僕は違うと思う。
まぁ、劇中でのブルース・リーの扱いは僕もどうかと思ったけど。
本作を通して、いったい誰に、そして何に対してタランティーノが復讐しようとしていたのかは、是非、劇場で、ご自身の目でご確認下さい。
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