ぷらすです。
今回ご紹介するのは、カトリック教会神父の児童への性的虐待の実態を暴き、世界中を震撼させたボストンの地方紙『ボストングローブ』の記者たちの戦いを描いた映画『スポットライト 世紀のスクープ』ですよー!
正直、観終わったあとは胃の中に重い鉛が入ったような気分になる作品で、その位、この映画が描く「事実」は非常に重く観る人にのしかかってくる気がしました。
画像出典元URL:http://eiga.com
あらすじと概要
アメリカの新聞「The Boston Globe」の記者たちが、カトリック教会の醜聞を暴いた実話を基に描くスリリングな社会派ドラマ。カトリック系住民が多いボストンで、神父による児童への性的虐待事件を暴露した新聞記者らの困惑と共に、次々と明らかになる衝撃の真実を描き出す。『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などのマイケル・キートンが記者を好演。複雑に絡み合う事件の根の深さに慄然(りつぜん)とする。
ストーリー:2002年、ウォルター(マイケル・キートン)やマイク(マーク・ラファロ)たちのチームは、「The Boston Globe」で連載コーナーを担当していた。ある日、彼らはこれまでうやむやにされてきた、神父による児童への性的虐待の真相について調査を開始する。カトリック教徒が多いボストンでは彼らの行為はタブーだったが……。(シネマトゥデイより引用)
感想
カトリック教会の性的虐待事件とは
2002年、アメリカボストンの地方新聞「ボストングローブ」が大々的にとりあげたことをきっかけに、全世界に波及した、ローマンカトリック教神父による児童への性的虐待事件です。
ウィキペディアによれば、2002年1月、同紙はボストン司教区の教区司祭ジョン・ゲーガン神父が六つの小教区に携わった30年にわたる司祭生活の中で、延べ130人もの児童に対する性的虐待を行って訴訟を起こされたことを報道。
それが引き金になり、大手マスコミも次々にこの事件を取り上げ、2003年1月11日のニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は過去60年間で米国カトリック教会の1200人を超える聖職者が4000人以上の子供に性的虐待を加えたと報じ、2004年2月16日には米CNNテレビは1950年から2002年にかけての52年間で神父4450人が疑いがあると報道。
件数は約11000件に上るそうです。
約11000件中立証できたのは6700件、立証できなかったのは1000件、神父が死亡したなどの原因で調査不可能になってしまったものが3300件。
もう、桁が大きすぎてよく分からない数字になってますが、被害者団体によれば「司祭らは長年にわたり(性的虐待を)隠そうとしてきた。すべての真実を示すものではない」んだそうです。
ちなみにこれ、アメリカだけの話で、その後この問題は世界中に波及しているようですね。
この事件を受け、ボストン大司教バーナード・フランシス・ロー枢機卿は、多くの報告があったにも関わらず問題の神父に効果的な対処をしなかった上に、事件をもみ消したとして世論の厳しい批判を受け、2002年12月13日に辞任に追い込まれますが、何故かその後ローマの大教会に栄転してます。
詳しい事が知りたい方はこちら↓
カトリックとプロテスタントの違い
ものすごく乱暴に分けると、キリスト教にはカトリックとプロテスタントという二大派閥があって、その大きな違いは聖職者の呼び方でしょうか。
「神父」と「牧師」って聞いたことがあるかと思いますが、カトリックが神父、プロテスタントが牧師。
牧師は結婚できますが、神父は結婚はもちろん異性との性的交渉も禁じられています。
もちろん他にも違いはたくさんあるんですが、本作で描かれる児童への性的虐待事件の背景にはこの神父のあり方が関係しているのではないかとの見方もあるようです。
事件の背景
では何故、ボストンでこのような事件が起こり、それが長年に渡って表沙汰にならなかったのかというと、ボストンの住人はアイルランド系アメリカ人が多く、380万人のうち200万人以上がカトリック信者という、アメリカ最大のカトリック都市だった事が大きいようです。
つまり、コミュニティーの中にカトリック信仰が深く根付き、権力と結びついていたことで、表沙汰にはなりにくい状況だったという背景があるようなんですね。
また被害者は、貧困層で父親のいない子供が多く、事件の多くは示談で済まされたという背景もあったようです。
つまり、この事件は信仰が地域に深く根づいていたこと、被害者の多くが貧困層だったこと、また権力と宗教が結びついて事件がもみ消されていた事が絡み合っていたという事のようです。
ざっくりストーリー
本作では、グローブ紙に赴任してきた新編集長マーティ・バロン( リーヴ・シュレイバー)が、グローブ紙に載ったゲーガン神父の小さな記事に目を付け、同紙のコーナー「スポットライト」の担当チームに追加取材を命じたことから、物語はスタートします。
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そして、ウォルター・ロビンソン(マイケル・キートン)、マイク・レゼンデス ( マーク・ラファロ)、サーシャ・ファイファー( レイチェル・マクアダムス)、ベン・ブラッドリー・Jr(ジョン・スラッテリ)、マット・キャロル(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)の五人が取材を始めると、ゲーガンだけでなく多くの驚くべき事実が浮き彫りになっていくというストーリー。
また、この事件は教会だけでなく、警察・判事・弁護士・有力者なども巻き込み、事件を取材するチームへの圧力や妨害も行われます。
つまり、この作品は単に教会の不祥事を告発する物語ではなく、コミュニティーや(宗教を含めた)権力そのものの構造に横たわる問題点を描いた作品なんですね。
キリスト教というと、僕を含む多くの日本人にとって“他人事”のように感じてしまいますが、形を変えてみれば、この映画で描かれていることは世界中のあらゆるコミュニティーに共通するシステムやそこに所属する人々全ての問題点を描き出している作品と言えるんじゃないでしょうか。
地味だけど骨太な作品
とはいえ、本作にドラマチックな展開はありません。
劇中、「スポットライト」のメンバーが被害者や加害者、関係者にひたすら取材する姿を追う非常に地味な作品です。
しかし、被害者への取材のシーンで大人になった被害者の腕に覚せい剤の注射痕があったり、「神の代弁者たる神父に逆らえるわけがない」というセリフ、彼らの弁護士を務めるミッチェル(スタンリー・トゥッチ)の「それでも彼は幸せな方だ。生きているのだから」というセリフの重み。
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また自分がゲイであることをひた隠しにしていた別の被害者は、「神父様だけが本当の自分を受け入れてくれたんだ」という喜びから、どんなに辛いことでも従ってしまったと涙ながらに告白します。
「これは肉体的虐待じゃなく、精神への虐待なんだ」とも。
また同じ教区で児童虐待をしていた神父は、自分のしてきた事をあくまで“いたずら”であると証言。(恐らくは少年時代神父に)自らもレイプされた経験があることを仄めかしています。
そして、このおぞましい現実に薄々気づきながらも、見て見ぬふりをし、時には隠蔽に加担してきたコミュニティーの司法や警察、有力者や信者たち。
それはボストングローブ紙も同じで、実は過去に告発があったにも関わらず取り合わなかった事が後に明らかになっていくんですね。
こうして次々に明らかになっていく真実を前に、「スポットライト」のメンバーは感情を顕にはせずに、淡々と地道な取材と調査を重ねていきます。
が、そうした抑えた演技の中にも、教会への怒りと被害者たちを救いたいという強い思いが次第に強くなっていくのが、観客にも伝わるんですね。
この辺はさすが、実力派のキャスト勢の確かな演技力と、監督の確かな演出の成せる技だし、だからこそ観客も彼ら「スポットライト」のメンバーに共感していくのだと思います。
一方で、この作品を観て単純にカトリック教会や宗教を批判するというのは、僕の中で少し違和感があって、(もちろん神父や教会のしてきた事は決して許せるものではないですが)僕ら日本人が宗教に対して持っているスタンスと、カトリックがコミュニティーに深く根ざしている海外では、この事件や映画から受ける衝撃度は重みが違うだろうし、カトリック信者ではない僕が、この映画を観て知った気になって、カトリック関係者やコミュニティーの人たちを簡単に断罪するような事は出来ないなと。
前述したように、本作は「カトリック性的虐待事件」を通して、世界中のあらゆるコミュニティーに所属する人々全ての普遍的な構造を突きつけているわけで、決して“他人事”ではなく、我が身に置き換えて一人一人が受け止めていかなくてはいけないんじゃないかなと、そんな風に思いました。
正直かなり重い映画ですが、観ごたえはあるし観終わったあと色々な事を考えさせられる映画でしたよ。
興味のある方は是非!!
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