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次世代のゾンビ映画!「ディストピア パンドラの少女」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、本作はマイク・ケアリーの小説「パンドラの少女」を映画化したSFスリラー『ディストピア パンドラの少女』ですよー!

1968年公開の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」から50年。
ありとあらゆる方向から掘り尽くされた感のある近代ゾンビ映画ですが、本作はこれまでありそうでなかた“次世代のゾンビ映画と言えるんじゃないかと思いましたねー!

で、困ったことにこの作品、ネタバレなしで感想を書くのが非常に難しく…。というわけで、今回はネタバレ全開で感想を書いていくんですが、ぶっちゃけ何も知らずに観たほうが絶対楽しめる作品なので、これから本作を観る予定の方は映画を観てから、この感想を読んでくださいねー。

いいですね? 注意しましたよ?

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あらすじと概要

パンデミックにより人類の大半がウイルスに感染した近未来を舞台に、感染者ながら知能を保ち続ける少女の物語を描いたSFスリラー。原作者自ら脚本を手掛け、テレビシリーズ「SHERLOCK(シャーロック)」などのコーム・マッカーシーがメガホンを取る。応募者500人を超えるオーディションを勝ち抜いたセニア・ナニュアが主人公を演じ、ジェマ・アータートングレン・クローズパディ・コンシダインらが共演。

ストーリーパンデミックにより人類の大多数が捕食本能に支配され凶暴化し、社会が崩壊した近未来。イングランドの田舎町にある軍事基地では、ウイルスに感染しながらも思考能力を保つ子供たち“セカンドチルドレン”から、全世界を救うワクチンを開発する研究が進められていた。ある日、その子供たちの中に知能を持つ少女メラニー(セニア・ナニュア)が現れ……。(シネマトゥデイより引用)

感想

本作は、ウイルスに感染した人類(ハングリーズ)が捕食本能に支配され凶暴化した近未来を舞台にした云々…と言ってますが、まぁ、平たく言えばゾンビ映画です。

ただ、「ゾンビ映画」と聞いてみんながイメージするそれとは違って、ゾンビという素材を使った近未来シュミレーション的なSF要素が強い作品といった感じでしたねー。

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ありそうでなかったゾンビ進化論

序盤、薄暗い基地の中では囚人服のようなオレンジ色の服を着せられた少女メラニー(セニア・ナニュア)が、牢獄の中で数を数えているシーンからスタートします。

すると、牢屋の向こうから男の「起きろクズども!」という声が響き、メラニーは壁に貼った猫の写真を枕の下に隠し、拘束具付きの車椅子に座って男たちの到着を待つんですね。

そうして、牢屋を開けて入ってきたのは銃を持った軍人。

そんな軍人たちに対して、メラニーはにこやかに「グッドモーニング」と一人一人に挨拶します。

この冒頭数分で、彼女の状況や後の展開に繋がる伏線が張られているという見事なオープニング。

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ラニーたちは拘束されたまま、教室に向かい車椅子のまま授業を受け、それが終わると牢屋に戻され、食事はミミズ的な虫。

まさにディストピア的状況ですが、メラニーはそんな状況に不満を抱いてはいない様子なんですね。

つまり、ラニーたちにとって、この状況が普通であって、それは恐らく物心がつく前からずっと続いているのが分かるわけです。

では何故、彼女たちは閉じ込められているのか。

軍人たちが総じて差別的な態度を取る中、メラニーたちの授業を担当するヘレン(ジェマ・アータートン)だけは彼女たちに同情的で、メラニーにせがまれてギリシャ神話などを読み聞かせ、自分でお話を作らせるなど、子供たちを人間の子どもとして扱います。

そしてメラニーが作った、ナイトの自分が大好きなヘレンを救って、二人で幸せに暮らすという拙いお話に、ヘレンが涙を流しメラニーの頭を撫でてやった瞬間、軍人のパークス軍曹( パディ・コンシダイン)が飛び込んできて、「こいつらは人間じゃない」と言い、自分の腕に唾をこすりつけて一人の少年の前に突き出すと、突如少年の様子が変わってその腕に噛み付こうとするわけですね。

実はメラニーたちは、妊娠中にウイルスに感染した母親(ハングリーズ)から体内感染し、母親の内蔵を食いちぎって生まれてきた、人間の知能を持つハングリーズ(ゾンビ)なのです。

そして人類は、ハイブリットと名づけ、ウィルスと「共生」出来る子供たちを実験動物として飼育。解剖してその脳と脊髄からワクチンを作る研究をしているんですね。

その研究のリーダーがキャロライン・コールドウェル博士 ( グレン・クローズ)で、これまで数多くのハイブリッドを解剖してきた彼女が、ついにメラニーが解剖されようとしたその時、研究室に基地のフェンスを破った大量のハングリーズが押し寄せます。

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そうして、何とか生き残ったのは、コールドウェル博士、パークス軍曹、ヘレン、ギャラガー1等兵 (フィサヨ・アキナデ)、そしてヘレンの5人で、彼らは助けを求めてサバイブを開始するところまでが、前半です。

観客を何も分からない状況に放り込んで、徐々に世界観を理解させる演出は非常に上手いと思ったし、最初は不憫な少女かと思ったメラニーが実は人間の天敵だった事がジワジワに分かっていく感じは、メラニーを演じる少女セニア・ナニュアの演技と監督の演出も相まって、素晴らしかったですねー。

物語の構造としては猿の惑星 新世紀」に近いなーと思うんですが、それでいてゾンビ映画のマナーはしっかり踏襲しているんですよね。

で、後半。

5人でサバイブするうち、この世界で何が起こっているのかが分かってきます。

ウィルスによって人類は絶滅しかけていること、メラニーたちハイブリッドが各地で生まれ成長していること、力尽きたハングリーズたちを養分に、火事や洪水などの天災が起こるとウイルスを空気中にばら蒔く種子が成る植物が成長し、種子が開くと人類は絶滅する(ウィルスに空気感染してハングリーズになってしまう)こと。

そんな中、彼らは太陽電池で動く「移動研究室」を見つけ、同時に頼りにしていた本部が壊滅したことを知ります。

そんな時、食料を探しにいったギャラガー1等兵がその地で育ったハイブリッドたちの罠に落ち、助けに行ったメラニー、パークス、ヘレンもピンチに。

しかし、そこでメラニーは、知恵を使ってハイブリッドのボスからバットを奪って撲殺。パークス、ヘレンの二人を助けて移動基地に戻るんですが、ワクチン作りを諦めていないコールドウェル博士の罠にかかり……。

つまり、本作はゾンビ映画の型を使って、旧支配者である人類の絶滅と、新たな種へのバトンタッチを描いたSF作品なんですね。

想像以上にリッチな映像

この作品を観る前は、正直もっと小規模なB旧作品かと思っていたんですが、観てみるとそのリッチな映像的に驚きます。
調べてみると制作費500万ドル(半分はBFI映画基金クリエイティヴイングランドから調達したのだとか)というかなりビックバジェットな作品だったんですねー。

中盤以降の草木に覆われ荒廃したロンドンの映像は、ウクライナのプリピャチ(1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故で住民が全員退去した町)をドローンで空中撮影したものだそうで、それにウェスト・ミッドランズバーミンガム中心部やキャノック・チェイス、ダドリー、ストーク=オン=トレントなどの都市で撮影した映像を組み合わせたのだそうです。

ちなみに、本作の脚本は小説の原作者マイク・ケアリー自ら、映画用に脚色したんだそうですよ。

ラニーとハイブリッドの戦い

そんな後半でのメラニーと野生のハイブリッドとの戦いのシーン。

野生のハイブリッドの子供たちは、知能はあるけれど誰からも教育を受けていないので、基本動物と同じです。
そんな中、バットを持つ群れのボスとメラニーは対決。
そして戦いの中で、メラニーが知恵を使ってバットを奪いボスを撲殺したことで、他のハイブリッドたちは、彼女が絶対的リーダーであるボスを超える強さと知恵を持っていることを“理解”するわけですね。

つまり彼らにとってのバットは、人間にとっての軍事力であり文明の象徴なのです。

それがラストシーンに繋がっていく伏線にもなっているというわけで、つまりメラニーは後に新人類のリーダーとして文明を築いていくことを、このシーンで暗示しているわけですね。

旧支配者を見限るメラニーの決断

コールドウェル博士との話で、植物の種子が開けば旧人類は全員空気感染し、事実上絶滅する事を知ったメラニー。
自分を罠にはめたコールドウェル博士の「人類を救うために犠牲になって欲しい」という懇願に対し「なぜ人類を救うために私が死ななければならないの?」と、問い返します。
これまで、旧人類である4人に対して、常に協力的だったメラニーが、ついに旧人類を見限るシーンなんですが、それでも彼女は、博士に対して「この中にいれば安全だから」と言い残し、旧人類に引導を渡しに行くのです。

彼女の言ったのは「なんで“見ず知らずの人のため”に私が命を差し出さなければいけないの?」ってことなんですね。

なぜなら、彼女にとっての“人類”は共に旅をした大人だけで、博士と軍曹とヘレンは外から隔離された研究所の中にいれば空気中のウィルスに感染しない事が分かっているからです。

このシーンは、メラニーが初めて博士を通して大人(旧支配者)の汚さを嫌悪した瞬間であると同時に、「世界」というものを理解し、新たな種である彼女がついに旧人類に反旗を翻した(=大人への第一歩を踏み出した)瞬間で、子供の捉える小さな世界とその外に広がる大きな世界が重なり合った名シーンだと思いましたねー。

ヘレンの涙

で、いろいろあって旧人類は絶滅し、「移動研究所」の中にいたヘレンだけが助かります。
まさに冒頭でのメラニーの“お話”が現実のものとなるわけですが、空気中にウィルスが蔓延しいている外に出ることは出来ず、研究所のスピーカーを通してメラニーが集めてきたハイブリッドの子供たち相手に授業をするんですね。

冒頭のシーンと完全に立場が逆転してしまったという皮肉なオチなんですが、上記したように、冒頭でハイブリッドたちに同情して涙を流したヘレンは、このラストで対になるように涙を流します。

そして、この涙の意味は、観客の解釈に委ねられているわけですね。

単純に考えれば、旧人類が自分以外絶滅したことへの絶望の涙とも取れますが、個人的にはそれだけではない気がするんですよね。
例えば、贖罪だったり、懐古だったり、未来への希望だったり。そんないろんな感情が、ラストシーンの彼女の涙には含まれているのではないかと思いました。

 

もちろん、多少のご都合主義的な展開もないではないし、「ゾンビ映画」だと思って観ると肩透かしを食らってしまうかもですが、個人的には、近未来SF映画として内容的にも映像的にもかなり楽しめる作品でしたねー!

興味のある方は是非!

 

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