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“ほのぼの”の仮面を被ったブラックコメディ「ゾンビーノ」(2007)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、カナダ製ゾンビコメディ『ゾンビーノ』ですよー!

映画ファンの間でも人気の高い本作。
一見、ほのぼのゾンビコメディに見えますが、やってることはかなりブラックだったり痛烈な皮肉だったりしましたねー。

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画像出典元URL:http://eiga.com

概要

凶暴なゾンビがハイテクアイテムで調教され、人間のペットとして活用される小さな町を舞台にした新感覚のゾンビ映画。監督はカナダの新鋭アンドリュー・カリー。ゾンビと心を通わせ合うようになる主人公の少年を子役のクサン・レイが、その母でゾンビに恋心を抱くようになる女性を『マトリックス』シリーズのキャリー=アン・モスが演じる。時ユーモラスでダークな独特の世界観に注目。(シネマトゥディより引用)

感想

パラレルワールドもの

本作の内容をざっくり紹介すると、地球が放射能の雲に覆われた影響で死者がゾンビとして蘇り人類と戦争?に。本作はその“戦後”のある町が舞台です。

何とかゾンビを退けた人類は、それぞれの町をフェンスで囲って“野良ゾンビ”の侵入を防ぐ一方、ゾムコン社が開発した首輪によって死んでゾンビになった者を手懐け、従順な労働力として“リサイクル”することに成功しているんですね。

主人公ティミー(クサン・レイ)はそんな町に暮らす中産階級の少年。
彼の父親ビル(ディラン・ベイカー)はゾンビとなった父親を“殺した”経験から極度のゾンビ恐怖症(PTSD?)になっていて、召使いのゾンビを飼うのが当たり前のこの町で、彼の家だけはゾンビがいないんですね。

その事でご近所さんから変な目で見られるのではと恐れていた奥さんのヘレンキャリー=アン・モス)は半ば事後承諾のような形でゾンビを購入。

最初はゾンビを恐れていたティミーですが、いじめっ子から助けられた事をキッカケに、ゾンビにファイドビリー・コノリー)と名づけて、交流を深めていくが、ある事故でファイドが近所の老婆を食べてしまい――というストーリー。

本作の時代や舞台はハッキリとは明示されていませんが、ルックは明らかに1950年代の白人中産階級が住む町で、町並みや映画のルックもその当時のテレビドラマのような作りになっています。

つまり、本作は“ゾンビ”がいる1950年代のアメリカというパラレルワールド。もしくは“ if ”の世界なんですね。

ティミーの父親世代は(ゾンビとの)“戦争”を体験していて、子供たちはいつゾンビがフェンスを破ってもいいように、授業でライフルの射撃訓練をしてたりします。

また、町の人間も死ぬとゾンビになってしまうので、ゾンビになった死者は人を襲わなくなる首輪を嵌められ、死後に「社会貢献」をしたり、それを望まない人は死後すぐに首と体を切り離して葬られる「首葬」を行うんですね。(葬式代が高い)

カナダから見たアメリ

ここからは映画評論家の町山智浩さんの受け売りですが、カナダ映画である本作は、カナダから見たアメリがモチーフになっているのだとか。

この1950年代のアメリカは、有色人種の貧困層や移民などが増えて都会の街の治安が悪くなっていたらしいんですね。
そこで中産階級以上の白人系アメリカ人は、車で通うような郊外に建売住宅に移り住み、白人だけのコミュニティーを形成(ホワイト・フライト)していたんだとか。

その上で、いわゆる単純労働や家や庭の手入れなどを、貧困層の非白人にやらせていたという背景があり、カナダ人監督のアンドリュー・カリーが、貧困層の非白人をゾンビに置き換えて皮肉たっぷりに描いたのが、本作だということらしいんですね。

ゾンビ=現実の比喩表現

なので、一見ほのぼのコメディ然としたルックの本作ですが、やってる事はかなりブラックで毒が入っています。

モダンゾンビ映画の父、ジョージ・A・ロメロは、その時々の時事問題や変わりゆくアメリカ(人)への問題提起を、「ゾンビホラー」に置き換えるという手法で、数々の作品を制作してきました。

(ゾンビを始めとする)ホラー映画とはそもそもそういう構造になっていて、優れたホラーは現実で人々が漠然と抱く不安や恐れの比喩表現なんですね。

また、元々のゾンビは本当の死人を生き返らせるのではなく、麻薬などで意志や思考力を奪ってこき使うというブードゥー教の呪術が起源で、その姿が死人のようだったのでそれを見た人が死者が生き返ったと思ったという事なんですね。

それらを踏まえて観ると、本作はゾンビ映画としてかなり優れた作品と言えるのかもしれません。

そもそも、ティミーがゾンビにつけた“ファイド”という名前は、アメリカでよく犬につけられる名前らしく、そう考えるとわりとヒドイですよねw

お父さんに同情

そんな感じで、わりと楽しく見られる作品ではあるんですが、個人的に若干飲み込みずらい部分もあって。

本作で、ティミーのお父さんのビルは家庭を顧みないヒドイ父親として描かれています。
ティミーとのキャッチボールの約束を忘れてゴルフに行ってしまったり、お母さんが誘っても「今日は疲れてるから」なんて断っちゃう。

一家団欒の夕食でも、ビルには(トラウマからの)地雷が多すぎて、話をするにも気を遣うし、ファイドに嫉妬して首輪に電流を流したりするんですね。

で、ティミーとお母さんは、そんなビルよりも少しずつ人間性を取り戻していくファイドの方に惹かれていく的な流れになる。

はい、ここからネタバレしますよ。

 

まぁ、そこまではいいんですよ。問題はラスト近く。
ファイドが老婆を食べてしまった事がバレて(元はティミーのせい)、一家はフェンスの外に追放されそうになるのを、ビルは近所に引っ越してきたゾムコン社の新しい警備主任ジョン(ヘンリー・ツェニー)に頼み込んでファイドはゾムコン社に送り返すだけに留めてもらうんですね。

その後、ファイドの生存を知ったティミーはファイドを取り戻しにゾムコン社に行ったのを見つかって、ジョンにフェンスの外に出されてしまう。

しかし、そこにビルがやってきて息子を救おうとするという描写があるんですよね。
でも結局、ビルはジョンに殺され、ジョンはフェンスを破って侵入したゾンビに殺されてゾンビになってしまう。

で、ビルの「首葬」でお母さんのヘレンが「これでビルも本望でしょ」と言い、ファイドと三人で幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。となるわけです。

ビルが非白人に対する差別主義者、ジョンが強権的な父親の象徴、彼らの行いはアメリカにおける女性差別などの比喩表現なのも分かる。

https://eiga.k-img.com/images/movie/34278/gallery/1_large.jpg?1396890611

画像出典元URL:http://eiga.com

だから、ジョンが最終的にゾンビになって娘のペットになるってのはいいんですけど、ビルは(少なくとも)最後の最後で、体を張って息子を守ろうとしたじゃん?

なのに、邪魔者は消えて二人はゾンビと幸せになりましたとさ。チャンチャン♫ってのは、さすがにビルがちょっぴり気の毒かなって思ったりしました。

まぁ、僕がビルの年齢に近いオッサンだからかもですがw

興味のある方は是非!!

 

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