今日観た映画の感想

映画館やDVDで観た映画の感想をお届け

罪と赦しの物語「スリー・ビルボード」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、第90回アカデミー賞で主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞サム・ロックウェル)を受賞した『スリー・ビルボード』ですよー!

「罪と許し」というキリスト教的かつ普遍的なテーマを、ブラックユーモアと皮肉でコーティングした物語で、セリフや動きの一つ一つまで研ぎ澄まされた作品でしたねー。

で、今回出来るだけネタバレはしない予定ですが、この作品は余計な情報入れずに観たほうが絶対に楽しめると思うので、まだ観ていない人は、この感想の前にDVDをレンタルして本作を観ることを強くオススメしますよー!

https://eiga.k-img.com/images/movie/87781/photo/7502b693816d763d.jpg?1515460410

画像出典元URL:http://eiga.com

概要

娘を殺害された母親が警察を批判する看板を設置したことから、予期せぬ事件が起こるクライムサスペンス。本作はベネチア国際映画祭脚本賞トロント国際映画祭で観客賞に輝いた。娘を失った母をオスカー女優のフランシス・マクドーマンドが演じ、『メッセンジャー』などのウディ・ハレルソン、『コンフェッション』などのサム・ロックウェルらが共演。ウディやサムも出演した『セブン・サイコパス』などのマーティン・マクドナーがメガホンを取る。(シネマトゥデイより引用)

感想

監督は演劇界の巨匠

本作の監督マーティン・マクドナーは、イギリス(アイルランド)人の劇作家・脚本家で、演劇界ではすでに巨匠的な人だそうです。
僕は恥ずかしながら、彼の名前も作品もまったく知らなかったんですが、2005年に始めての映画監督作となる短編「シックス・シューター」でいきなりアカデミー短編映画賞を受賞。

初の長編となる「ヒットマンズ・レクイエム」でも第81回アカデミー賞脚本賞にノミネートされ、続く「セブン・サイコパス」では英国アカデミー賞で英国作品賞。

そして本作では、アカデミー賞で主演女優賞と助演男優賞を受賞と、短編を含めた4本の作品がすべて、某かの映画賞に絡んでいるんですね。

確かに、本作は脚本の素晴らしさが際立っているという印象で、セリフ、キャラクターの行動や表情、ストーリーの語り口すべてに無駄も隙もない感じでしたねー。

ストーリー

そんなマーティン・マクドナー監督が描いた本作のストーリーを超雑に説明すると、南部の田舎町で無残に娘を殺された母親が一向に進まない警察の捜査に業を煮やして、寂れた道沿いにある三枚の看板に抗議文を掲載したことで、小さな町が大騒ぎになっていく。

という物語です。

https://eiga.k-img.com/images/movie/87781/photo/5da9c9a79b131eb2/640.jpg?1505706989

画像出典元URL:http://eiga.com / 戦闘服姿のミルドレッド

その看板の内容っていうのが、「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」と、地元警察の所長を名指しで非難する内容。
「ははーん、このウィロビー署長ってのが酷い男で主人公の敵なんだな」なんて思って観ていると、どっこいウィロビー署長ウディ・ハレルソン)は、公明正大な善人で町の人々からも慕われているんですよね。

https://eiga.k-img.com/images/movie/87781/photo/29176ca43bd500d6/640.jpg?1515480534

画像出典元URL:http://eiga.com / 顔は怖いけど実は善人なウィロビー署長。

逆に、最初は被害者遺族として悲劇の主人公だと思っていたミルドレッドフランシス・マクドーマンド)は、青のツナギにバンダナの“戦闘服”を着込み、誰彼構わず毒づいて行き過ぎた暴力も振るう超武闘派のオバさんだし、無能なボンクラ警官ディクソンサム・ロックウェル)はすぐキレるし横暴で暴力的っていう典型的なクズ警官で町の嫌われ者だけど、ウィロビー署長を父親…というよりは信仰に近いくらい尊敬して懐いているわけです。

https://eiga.k-img.com/images/movie/87781/photo/9f1db62f44b2448d/640.jpg?1515480536

画像出典元URL:http://eiga.com / ボンクラでクズ警官のディクソン

つまり、タイトルにもなっている「スリー・ビルボード」(原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri))は、この3人のことを暗喩しているんですね。

キャラクターの多面性

本作では、上記の三人だけでなく主要キャラクターはみんな多面的に描かれています。
例えば、最初は観ているこっちが引くくらい好戦的なミルドレッドですが、看板の下(犯行現場でもある)にプランターを作って花を植えたり、近くに寄ってきた小鹿に話しかけて涙を流したりと、(娘の事件前は)実はごく普通の「お母さん」であることが想像できるし、粗暴なクズ警官のディクソンは欠点だらけだけど本来は素直な男で、親しい人や尊敬出来る人のことは思いやれる優しさはちゃんと持っているんですね。

https://eiga.k-img.com/images/movie/87781/photo/1aa369619d00a665/640.jpg?1515480539

画像出典元URL:http://eiga.com

その他のキャラクターたちも、ただ物語を進めるためのコマとして存在するのではなく、彼らの人生をセリフの端々やちょっとした行動や表情から想像させる作りになっています。

「罪と赦し」の物語

そんな本作のテーマは、一言で言えば「罪と赦し」なのだと思います。

色々なボタンの掛け違いや勘違いが重なり、ミルドレッドとディクソンは暴走し、やがて取り返しのつかない「罪」を犯してしまう様子を、ブラックユーモアたっぷりに描く本作ですが、そんな二人の根底にあるのはやり場のない悲しみです。

ミルドレッドが三枚の看板を立てるのは、ぶっちゃけただの八つ当たりで、その事はおそらく彼女自身も自覚しているんですね。
しかし、事件から7ヶ月経っても犯人は見つからず、娘を失った悲しみのやり場がない彼女は、道路で偶然見つけた看板に警察を非難する広告を載せれば捜査が進展するハズという「思いつき」に縋り付いてしまうのです。

そして、中盤でディクソンが起こすある行動もまた、やり場のない悲しみを「誰か」にぶつけないと耐えられない彼の弱さを表しているんですね。

それは傍から見ると常軌を逸した行動で、巻き込まれた方はたまったものではないですが、「大切な人のために自分は行動している」という大義名分を持ち、心に空いた穴を埋める儀式を行うことでしか二人は自分自身を「赦す」事が出来ないのです。

そしてボタンの掛け違いから事態がエスカレートしていった末に、取り返しのつかない「罪」を犯してしまった二人が「赦される」、ある展開を経てのラスト。

二人の行動の結末は描かれず観客にの想像に委ねられる形になるんですが、多くの人は車中での二人の言葉少ないやり取りの中に小さな希望を見いだせるのではないでしょうか。(ここのセリフも超上手いんだよね)

同時に、小さな田舎町を舞台にしたミニマムな物語の向こうに、今のアメリカが抱える「罪」が見えてくるストーリーの巧みさ、しかもそれを大上段に構えて描くのではなく、物語の中に皮肉の効いたブラックユーモアを交えてそれとなく積み重ねていくことで、説教臭さを消してすんなり飲み込めるようにしている脚本の上手さに、思わず唸ってしまいましたよ。

もちろんセリフだけでなく、映像の色合いや音楽、小物を使った演出も見事だったし、実力派が揃ったキャスト陣による演技アンサンブルも素晴らしい、傑作だと思いますよ!

興味のある方は是非!!

 

▼よかったらポチっとお願いします▼


映画レビューランキング