ぷらすです。
観てきましたよ!
公開初日に『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』をね!!(*゚∀゚)=3
僕の行ったシネコンでは初回が朝7時から3スクリーンを使っての上映で、なんなら地元のバスの本数よりも1日の上映回数の方が多かったですが、月曜日にもかかわらずビックリするくらいのお客さんが入ってましたねー。
というわけで、まだ劇場公開したばかりの作品でもあるので、ストーリー的なネタバレは出来る限りしないよう注意して感想を書きますが、それでもまったく内容に触れないわけにはいかないので、まだ本作を未見でこれから観に行く予定の方は、先に映画を観てからこの感想を読んでくださいね。
いいですね? 注意しましたよ?
画像出展元URL:http://eiga.com
概要
1990年代に社会現象を巻き起こしたアニメシリーズで、2007年からは『新劇場版』シリーズとして再始動した4部作の最終作となるアニメーション。汎用型ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンに搭乗した碇シンジや綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、真希波・マリ・イラストリアスたちが謎の敵「使徒」と戦う姿が描かれる。総監督は、本シリーズのほか『シン・ゴジラ』なども手掛けてきた庵野秀明。(シネマトゥディより引用)
感想
完璧な完結
1995年放映のテレビ版がスタートし、1997年公開の旧劇場版2作を経て、2007年公開の新劇場版:序が公開されてから14年。
新作が公開されるたびに社会現象を巻き起こしてきた「エヴァ」が、コロナ禍の2021年に一度は公開を延期しての3月8日、突然公開された本作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」をもって、ついに26年の歴史に幕を閉じました。
僕はエヴァをリアルタイムで追っていたわけではなく、旧劇場版2作が公開されたあとDVDでテレビ版から後追いで観始めたんですが、最初はTV版のトウジが乗ったエヴァ3号機をシンジが乗った初号機がアレする回で一度挫折して、それから新劇場版公開のタイミングでもう一度観始め、旧劇場版まで一気見したんですよね。
僕が最初エヴァにハマらなかった理由は、劇中で庵野監督の明らかな悪意みたいなものを感じたから。
最初にオタクが大好きな餌を巻いて、寄ってきたオタクをまとめてタコ殴りにするっていう、あの悪意たっぷりな演出がね。うん。
まぁ、僕がエヴァを観たのは大人になってからですからね。
これが中学生くらいで食らってたらどっぷりハマっていたかもしれません。
で、その後「新劇場版:序」が公開されたので観に行ったら「あれれ?」と。
基本的にはテレビ版と同じストーリーだけど、シンジ君が幾分前向きだったし作品のテンポも非常にいい感じ。
続く「~:破」もストーリーがテンポ良く進み、そしてラストのアレがアレで。
で、問題の「:Q」ですよ。
Qを見て僕は「あ、また庵野さんの病気が始まった」って思ったし、なので本作も「またぞろ旧劇場版みたいに有耶無耶になるかも」と、それなりに覚悟していたんですよね。
ところが!実際に観たら、これ以上ないくらい完璧に完結していたし、これまでのテレビ版や旧劇場版の流れも全部盛り込みながら、全てを収まるべき場所に収めて見せたという。まさに映画作家・庵野秀明の集大成と言える見事な作品でしたねー。
むしろ、あまりにも綺麗に収まり過ぎたゆえに一部のファンからは「こんなのエヴァじゃない!」という批判が出るかもと思ったくらいですよ。
でも僕から見ると本作は、庵野さんが26年の地獄めぐりの末にやっと“このエンディングを描ける(受け入れる)まで”に成長した証って思ったんですよね。
庵野秀明の私小説
庵野秀明は自分が触れてきたあらゆるコンテンツを自作品に引用するという90年代を代表するミクスチャーでありながら、どんな作品を作っても結局は私小説にしてしまう強い作家性を持つ監督で、そんな彼の代表作が「エヴァンゲリオン」です。
1995年当初は主人公碇シンジに自分を重ねながら物語を紡いできた庵野さんでしたが、年齢と経験を重ねるうち徐々にシンジには乗れなくなっていき、なので新劇場版では父親である碇ゲンドウや冬月の中に庵野さんの影が見え隠れするようになってます。
それは自身の境遇や父親との関係を主人公ルークに落とし込んで描き、社会現象を引き起こした「スター・ウォーズ」の生みの親ジョージ・ルーカスが、プリクエル・トリロジー(1~3の新三部作)ではルークの父親で後のダースベーダーに堕ちるアナキン・スカイウォーカーに自身を重ねて描いたのに近いかもしれません。
14歳の少年シンジという器は、様々な経験を重ね大人になった庵野さんには狭すぎて、だから本作でシンジが成長するのは必然だし、成長したシンジ(=現在の庵野秀明)が、ゲンドウ(=過去のシンジ=過去の庵野秀明)と向き合って受け入れる物語になったと思んですよね。
結局のところ「エヴァンゲリオン」という物語はどこまで行っても作家・庵野秀明の私小説なのです。
そして、そう考えれば新劇場版から何の説明もなく突然現れ、本作でも重要な役割を果たした真希波・マリ・イラストリアスの正体にも察しが付くし、あのラストシーンにも納得なんじゃないでしょうか。
3.11以降
3.11東日本大震災は日本に住む多くのクリエイターに大きな衝撃と影響を与えました。
庵野さんも2016年の「シン・ゴジラ」では、福島原発(事故)のメタファーとしてゴジラを描いています。
そして、本作でも3.11の大震災や津波を連想させる描写があるのは決して偶然ではないと思うし、中盤でシンジ・アスカ・レイが身を寄せる集落がどこか避難所や仮設住宅を連想させるのも意図的なんじゃないかと。
絶望的状況の中でもコミュニティーを作って力強く生きる人々の「生活」の描写は一見ジブリ的――というか宮崎駿的に見えますが、宮崎さんが描く“郷愁“としての「生活」とは真逆で、庵野さんはこの集落の人々の生活やコミュニティーの在り方を、これからの日本人のあるべき姿として描いているように僕は感じたんですよね。
これまでエヴァの中で「個」と「セカイ」を直結させてきた庵野さんが、最後のエヴァで社会と世界を描いてみせたこのシーンは、まさに本作の白眉だったと個人的には思いましたねー。
まぁ、過去最長155分の上映時間で膀胱は限界ギリギリで腰も痛かったし、久しぶりに見た映画館の大画面で冒頭から視点がグルングルン回るカメラワークは画面酔い必至だったし、物語的にも「いくら何でも全部セリフで説明し過ぎじゃね?」とは思いましたが、そんな事は庵野さんも承知の上で、けれど本作で完全にエヴァと決別するためには、野暮を承知でここまでやる必要があったんだろうなーと思いましたよ。
そして、庵野さんがそこまでやってくれたからこそ、僕も後顧の憂いなく「シン・ウルトラマン」やこれからの庵野秀明の新作を楽しみに出来ます!
まだまだ言いたい事も言い足りない事も沢山ありますが、取り合えず今はエヴァンゲリオンを完璧な形で完結させてくれた庵野秀明監督に「お疲れ様」と「ありがとう」を。
興味のある方は是非!!!
▼良かったらポチッとお願いします▼