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高畑勲の遺言「かぐや姫の物語」(2013)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、先日惜しまれながらこの世を去ったアニメ界の巨匠 高畑勲監督の遺作『かぐや姫の物語』ですよー!

僕は、劇場版の宮崎作品は一通り観ていますが、高畑さんの作品は「火垂るの墓」以降一本も観ていなかったんですね。
この作品が公開された時も観よう観ようと思いつつ、グズグズ観ないでいる間に高畑さんが亡くなったというニュースを知りまして。

もっと早く観ればよかったと後悔しつつ、この機会に本作をちゃんと観ようと思ったわけです。

で、実際に観てみたらとんでもなく凄い作品で、何故、公開時劇場で観なかったのかと激しく後悔しましたよ。つまり、僕の『罪と罰』は公開時に本作を観ずに、今後悔している事って事になるんでしょうね。(公開時に観ていたらここまでの衝撃は受けなかったかもですが)

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概要

数々の傑作を生み出してきたスタジオジブリの巨匠、高畑勲監督が手掛けた劇場アニメ。日本で最も古い物語といわれる「竹取物語」を題材に、かぐや姫はどうして地球に生まれやがて月へ帰っていったのか、知られざるかぐや姫の心情と謎めいた運命の物語を水彩画のようなタッチで描く。声優陣には、ヒロインかぐや姫にテレビドラマ「とめはねっ! 鈴里高校書道部」などの朝倉あき、その幼なじみを高良健吾が務めるほか、地井武男宮本信子など多彩な面々がそろう。(シネマトゥディより引用)

感想

別に言い訳ではないんですが、高畑勲ジブリで作る最新作が「竹取物語」と聞いたとき、僕も含めて「なぜ今更『竹取物語』なのか」って思った人は多かったんじゃないかと思います。

恐らくこの国に生まれた人なら知らない人はいないだろう、日本最古と言われる物語。

そんなの今更どう映画にするのか、新解釈と言っても何をどう解釈する余地があるのか。(市川崑の「竹取物語みたいにするのか?)そもそもそれは面白いのか。
正直に言うとそんな風に思ったし、個人的には「火垂るの墓」以降ちょっとした高畑作品アレルギーになっていた事もあって、中々この作品に手が出せずにいたんですね。

で、今回初めて本作をちゃんと観たら、そんなアレコレは全部吹っ飛んで、高畑勲宮崎駿を越える天才だったことを思い知りましたねー。

商業アニメーションの限界を越える表現

本作を観ていない人でも、予告などで断片的に本作のアニメーションを観た人は多いんじゃないかと思います。

背景の上にセル画に書いたキャラクターを動かす、いわゆる商業アニメの技法ではなく、本作では鉛筆で手書きされたキャラクターや背景の線に、水彩画のタッチで彩色され、線の震えや筆の滲みまでそのままアニメーションとして活かされているっていう、およそ2時間を越える商業アニメでは不可能とも思える手法を、田辺 修らジブリの凄腕アニメーターたちの途方もない労力よって実現したんですね。

そして、その表現方法自体が本作のテーマと深くリンクしているわけです。

特に圧巻なのは、翁に拾われたかぐや姫が赤ん坊になり、どんどん成長していく、物語で言えば起・承の部分。

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赤ん坊のかぐや姫が寝返りからハイハイ、カエルを見つけて飛び跳ねようとして縁側から落ちて立ち上がって歩き始める。
その一つ一つの過程で、かぐや姫が数ヶ月分成長していく細かい変化が目に見えて分かるんですよ。

そして、歩き始めたかぐや姫を翁が呼んで、近づいてくるかぐや姫への愛が溢れすぎて思わず自分から駆け寄って抱きしめるシーンの表情や動き、媼がかぐや姫にお乳を上げる時に僅かに若返るシーンなどなど。

見所満載すぎて、一度見ただけでは多分このアニメーションの本当の凄さは把握しきれないと思いましたねー!

高畑勲による竹取物語の新解釈

高畑さんは「竹取物語」を長編アニメーションにするにあたって、何を変えて何を変えなかったのかというと、基本のストーリーラインはそのままに、ただほぼ全編をかぐや姫の視点で描き直したんですね。

ぶっちゃけ原作の(というか僕らが絵本などで知っている)かぐや姫は、求婚者に無理難題を押し付けるお高く止まった意地悪なお姫様で、大騒ぎの挙句勝手に月に帰るっていうある意味身勝手なキャラクターに見えます。

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それを、徹底してかぐや姫の視点で語り直すことで彼女が何を考え、なぜそうしたのかと納得できる説明をつけながら、かぐや姫に現代女性の視点を持たせることで観客はかぐや姫に対して深く感情移入するように設計されています。

対して翁の方は、高い身分の男性の嫁にする事が娘の幸せであるという古い価値観を持つキャラクターなので、ここにかぐや姫の考える幸せとの齟齬が生じるわけですね。

そして、もう一つの変更点は(今更ネタバレもないと思うので書きますけど)、ラストでかぐや姫を迎えに来る月の使者。
彼らを見れば、月が死後の世界なのは一目瞭然で、つまり高畑さんはかぐや姫というキャラクターを通して人間が生まれてから成長し年老いて死ぬまで、人間の一生を描き、生きることの(苦しさや失敗も含めた)素晴らしさや尊さを観客に伝えようとしているんですね。

なので、帝に求婚されたあと翁と媼に「月に帰らなければならない」と告げるシーンは些か唐突に見えるかもですが、それは当然で、死とは誰の身にも唐突かつ理不尽に降り注ぐものだからです。

こうして文字で書いてしまえばほんの数行ですが、ストーリーラインは誰もが知っている竹取物語そのままに、視点の変更やほんの少しの変更で、僕が“知った気になっていた”古典を現代に通じる普遍的な物語へと変えてしまう高畑さんのストーリーテリング能力に、「やべぇ、この人天才だった!」と思い知って、思わず震えましたねー。

高畑勲の遺言

同時に、この物語を僕は高畑勲の遺言」なのだと思いました。

それは高畑さんが亡くなってからこの作品を観たからそう思うのかもしれませんが、上記のようなテーマの他に、アニメ監督としての高畑勲の姿勢や作品に対してのアプローチが入っているように思ったからです。

劇中、都に暮らすようになったかぐや姫は、屋敷の裏庭の畑に植物を植えます。
夏になり「草が伸びてきたわね」と言う媼に、かぐや姫が「こうやって観ると見え方が変わるの」と顔を地面すれすれにして草の隙間から覗くと、そこは草花を故郷の竹林に見立てた箱庭になっているんですね。

僕はこのかぐや姫の視点こそが、クリエイターとしての高畑さんの視点そのものなのではないかと思いました。

盟友でライバルの宮崎さんが、主人公を取り巻く「セカイ」を広げることでストーリーを構築しテーマや思想を描くのに対して、高畑さんは小さな「セカイ」を切り取って描くその先に大きな世界が広がっているというか。上手く言えないけどそういう感じがずっとしていて、本作の箱庭のシーンは、まさにそういう高畑さんのアニメに対する姿勢やアプローチを象徴しているように感じたんですよね。

風立ちぬ」が作家宮崎駿のクリエイター論であり(当時の段階で)遺書であるのと同じく、本作は作家高畑勲のクリエイター論であり遺書なのだと、そんな風に思いました。

なのでこれは両作を並べて観なければと思いまして、次は久しぶりに「風立ちぬ」を観ますよー!

興味のある方は是非!!

 

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