ぷらすです。
今回ご紹介するのは、「呪怨」シリーズでお馴染み清水崇監督が実在の心霊スポットを題材に制作したホラー映画『犬鳴村』ですよー!
基本的にホラーが苦手なビビりなので、最初はスルーする気満々だったんですが、公開時にTwitterで何かと話題になっていたので観ることにしたんですが……
何とこの映画、清水崇版の「アナ雪2」でしたねー!
画像出展元URL:http://eiga.com
概要
『呪怨』シリーズなどの清水崇監督が、福岡県の有名な心霊スポットを舞台に描くホラー。霊が見えるヒロインが、次々と発生する奇妙な出来事の真相を突き止めようと奔走する。主演を『ダンスウィズミー』などの三吉彩花が務める。『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』『貞子3D2』などを手掛けてきた保坂大輔が清水監督と共同で脚本を担当した。(シネマトゥデイより引用)
感想
Jホラー界の異端児・清水崇
今や、日本のみならず海外のホラーファンにもその名を知られている清水崇監督。
2000年、東映Vシネマから発売されたOVA版「呪怨」が怖すぎると口コミが広がり2003年に映画化。翌年には自身が監督しハリウッドリメイク版「THE JUON/呪怨」が制作されヒットするなど、清水監督は一躍Jホラーの代表監督として多くの人々に認知されるようになったわけですが……、実は清水監督がJホラー界において異端児だった事はホラー好きの間では有名な話ですよね。
Jホラー(ジャパニーズ・ホラー)とは、読んで字のごとく日本製ホラー映画を指すわけですが、その歴史は意外と浅いんですよね。
もちろん、それ以前にも怪談映画や怪奇映画、恐怖映画などは作られていましたが、それらの作品は映画媒体の斜陽化と共に制作数が減っていき、また大林宜彦監督の「ハウス」や黒沢清監督の「スウィートホーム」など、海外ホラー的手法で制作された作品もあり、カルト的人気は得たものの、いわゆるホラーとしての評価は振るわず。
この当時の“日本製ホラー”って「見せすぎ問題」ってのがあって、ハリウッドなど海外のホラーは「何も見えねーよ!」ってくらい暗いシーンの映像は暗かったし、その見えなさ加減が逆に怖かったと思うんですが、同じころ(1970~80年代)の日本製ホラーって、とにかく画面が明るくて全部見えちゃってたんですよねー。
これは多分、当時の邦画界でのスタジオシステムの名残というか、「ちゃんと映す」というスタッフさんたちの職人意識の弊害というか。
それはスタッフの人たちが悪いという話ではなくて、邦画業界の気質とか邦画の成り立ちや歴史とか、あと日本人の職人気質とか、そんなアレコレがあったんだと思うんですよね。
ともあれ、そんなこんなで90年代半ば頃、ビデオデッキの普及によっていわゆるビデオバブルが起こり、東映Vシネマなどビデオのみで制作・展開するOVAが流行りはじめ、日本ホラー界もこの流れに乗って「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」などのオリジナルビデオ作品としてホラー作品が作られるようになり、ここで得たノウハウや人材がJホラー初期の名作「女優霊」やあの大ヒット作「リング」へと続き、Jホラーが確立していくわけです。
で、この「邪願霊」「ほんとにあった怖い話」の脚本家として知られるのが小中千昭という人で、彼がJホラーの父と呼ばれる映画監督・鶴田 法男と共に編み出した恐怖表現は通称「小中理論」と呼ばれ、Jホラー界に大きな影響を与え、ある意味「リング」でその完成を見たわけですね。
そんな「リング」公開の翌年、Vシネで公開され口コミで評判になったのが「呪怨」です。
「呪怨」が革新的だったのは、いわゆるJホラーをJホラーたらしめている「小中理論」の逆を突いているという点で、要は今までハッキリと見せなかったオバケをハッキリ見せて、やり過ぎてコントになるギリギリのラインまで観客を脅かす演出に特化するということ。
これって実はハリウッド的ホラー表現で、つまり清水崇監督はJホラーではなくハリウッドホラー的恐怖表現をJホラーで成功させた映画監督と言えるのではないかと思います。
その後、色んな作品で世界中を恐怖のどん底に陥れてきた清水監督の最新作が、本作「犬鳴村」なんですねー。
犬鳴村伝説
本作で登場する「犬鳴村」は福岡県に実在する心霊スポットで、
・トンネルの前に「白のセダンは迂回してください」という看板が立てられている。
・日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。
・村の入り口に「この先、日本国憲法は適用しません」という看板がある。
・江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。
・入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。
・旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。「村人は異常に足が速い」と続く場合もある。
・全てのメーカーの携帯電話が「圏外」となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。
・若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された。(Wikipediaより引用)
などの都市伝説がネットなどを中心にまことしやかに語られている場所。
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本作では、これらの都市伝説を物語に取り込みながら劇映画として制作しています。
ストーリーは二人の男女が「犬鳴トンネル」でYouTube?の撮影を行っている件からスタート。最初はふざけながらキャッキャ撮影している二人の身に恐ろしい事が起こり半狂乱で逃げ出し――というのが物語の導入部です。
まぁ、この手の映画ではよくある導入部で、この二人もこのアバンのためだけに登場したんだろうと思って見ていると、実は男の方は主人公の兄で女は兄の婚約相手であることが明かされるんですね。
で、本作の主人公は森田奏(三吉彩花)は精神科医で、不思議な事を言う遼太郎という子を担当してるんですが、このやり取りでどうも霊感?が強い事が分かるんですね。
そんな彼女に兄から「彼女の様子がおかしい」的な相談があり、奏が家に帰ると兄の彼女は気味の悪いわらべ歌を歌いながら不気味な絵を描いているわけです。
どうやらそれは「犬鳴村に行った」呪いではないかと弟の健太が言い出し、彼らが目を離した隙に家からいなくなった彼女を探していると兄の携帯が鳴り、「もうすぐ行くよ」という言葉と共に、彼女は鉄塔の上から兄の目の前に飛び降りて死んでしまうんですね。
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その後、彼女のお葬式で検死をした医者と奏の父が話しているんですが、飛び降り自殺にも関わらず、彼女の死因は溺死だったと医師が言い、それを聞いた父は特に驚く様子も見せないんですね。(つまり犬鳴村の謎を知っている)
その後、精神的に追い詰められた兄は再び犬鳴村に向かうも行方不明になり、様々な怪奇現象に悩まされる奏の前に、犬鳴村の秘密を知る謎の青年が現れ――という物語。
この映画、物語のスケールの割に登場人物が多いので初見では混乱するかもしれません。
そして奏が怪奇現象に巻き込まれる前半と、謎の青年が登場して謎解きが始まる後半では映画のジャンルそのものが変わるので、ここで振り落とされてしまう人もいるかもって思いました。
僕も赤ん坊が出てきた瞬間「え、嘘でしょ…まさか?」と思ったら、考えてた通りになって「マジかよ――!」ってなりましたしねw
あと、本作では血族が一つのテーマになってるんですけど、奏の出生の秘密が分かる件では「アナ雪2か!(。・д・)ノ)´Д`)ビシッ」ってなりましたねーw
画像出展元URL:http://eiga.com / 未知の旅へ――ー!
よく分からなかった部分
ただ、よく分からない部分も多くて、例えば劇中の、犬鳴村は米も採れないほど土地が痩せていて、だから野犬を狩って食べたので「犬殺しの村」と周囲からは忌避されていたらしいという設定。
まぁ、「犬鳴」村という名前に絡めるためのエピソードなのは分かるし、舞台が西日本ということもあって「犬神」的なイメージもあるのかな? とも思ったんですが……、この犬鳴村は映像で見る限り普通の山村に見えるんですね。
だとしたら、他にも食べ物一杯あるんじゃないの?っていう。
猪や鳥とか山菜や魚とか、木の実や果物もあるだろうし、野犬より捕まえやすく食べやすい動物も植物もいくらでもいるんじゃないの?っていう。
さらに、村の入り口に建てられた看板「この先日本國憲法通用せず」の意味を都市伝説から裏返して見せたのは「お!」っと思ったけど、ダムを建てるために村人を皆殺しにする意味ある? っていう。
いや、彼らが被差別民であることを指しているのは分かるけど、焼き印を押したり檻に閉じこめたりと虐待した挙句、皆殺しにしてダムに沈めるほど彼らを憎むor蔑む理由が分からないんですよね。
あと、「この村の女は犬と交わっている」というデマを流布して村人を孤立させたっていうのも、すでに「犬殺し」の村として忌避されてるじゃん?っていう話だし、だったらわざわざご丁寧に皆殺しにしなくても、放っておいて問題ない(後に彼らが騒ぎ立てても誰も相手にしない)ように思うんですよねー。
まぁ、「犬と交わる」やその後の“彼女“たちの「犬化」は閉ざされた土地ゆえの親近相姦やそれによって起こる弊害のメタファーではあるんでしょうけども。
志は高いが……
事程左様に、本作はフィクショナルな設定の中にメタファーとして現実の人種・性別差別問題や政府への批判などを入れ込んだ社会派な作品でもあるし、それは間違いなく原発事故以降の日本を描いた志の高い作品でもあると思うんですね。
つまり「蓋をしてもなかったことにはできないぞ」というメッセージが本作には入っていて、あの後半の驚きの展開も、過去と未来を繋ぐというメッセージのメタファーであると考えれば、個人的にはまぁアリなのかなーと思ったりしますねー。
ただ、遼太郎と奏のエピソードは正直いらない気もするし、特に「スリラー」オマージュのあのラストとかは正直ちょっと蛇足に感じなくもなかったですねー。
あと、やろうとしてる事は分かるけど、もう少し設定や物語を練った方がよかったのかなとも思ったりしました。
シーンとシーンを映像や音で韻を踏んで繋いでいくとか、余分なセリフを入れない脚本など、序盤の丁寧な演出は素晴らしいと思っただけに、個人的にはちょっともったいない感じがしました。
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