今日観た映画の感想

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虚構と現実の垣根を取っ払う実験作「書を捨てよ町へ出よう」(1971)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、歌人であり、伝説のアングラ劇団「天井桟敷」の主催者としても知られる、寺山修司長編映画デビュー作『書を捨てよ町へ出よう』ですよー!

僕は寺山修司の映画って「田園に死す」と「上海異人娼館/チャイナ・ドール」の2本しか観てなかったんですが、アマプラに入っていたので、まだ未見だった本作を観てみました。

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画像出展元URL:https://www.amazon.co.jp/

概要

「演劇実験室「天井桟敷」」が全国各地で百数十回以上上演した同名ドキュメンタリー・ミュージカルの映画化で原作は寺山修司の同名エッセイ集。寺山修司は昨年、16ミリ実験映画「トマトケチャップ皇帝」を作り、この作品では製作・原作・脚本・監督の四役を担当している。撮影は写真家で、映画撮影は初めての鋤田正義が当り、仙元誠三がこれを補佐している。(映画.comより引用)

感想

僕と寺山修司

寺山修司と言えば、太宰治三島由紀夫芥川龍之介らと並び、「苗字呼び捨てされる系カリスマ文学者」の1人

昭和10年に青森で生まれた寺山は、早稲田大学に入学後に歌人デビューするや歌壇に賛否を巻き起こし、その後はエッセイスト・評論家・作詞家・構成作家・劇作家など幅広く活躍。

昭和42年(1967)に、横尾忠則東由多加、九條映子らと劇団「天井桟敷」を結成。

状況劇場」の唐十郎、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信と並び「アングラ演劇四天王」の一角と呼ばれ、その勢いのまま1971年に監督・脚本・制作を務めた長編映画デビュー作が本作「書を捨てよ町へ出よう」なんですね。

ちなみに原作は自身の書いた同名評論集で、1970年には「天井桟敷」で舞台化もされていて、2018年には「マームとジプシーの藤田貴大演出でリブートされたようです。

僕自身は寺山修司世代ではないけれど、その残り香を嗅いで育ってはいるし、同年代の文学好き&サブカル好きな人たちはみんな一度は寺山にかぶれていましたよね。

僕が初めて寺山作品に触れたのは「上海異人娼館/チャイナ・ドール」(1980)という映画で、ブルック・シールズ主演の「青い珊瑚礁」という映画と同時上映だったんですよね。

青い珊瑚礁」は、世界的アイドル女優だったブルック・シールズの初ヌードが観られるのが売り?の作品で、当時思春期真っただ中だった僕は公開初日に友人と共に(ブルック・シールズのヌードを)観に行ったわけですよ。

そしたら「青い珊瑚礁」よりもよっぽどエロい(しかもアブノーマル)映画が同時上映されていて、後にそれが寺山監督の「上海異人娼館/チャイナ・ドール」だった事を知るわけです。もちろんその時は、それが寺山修司監督作品とは知らなかった(というか寺山修司自体知らなかった)し、ストーリーもチンプンカンプンでしたけどね。

ちなみにこの作品はフランスの映画制作会社アルゴ社との共同作品でフランスのSM文学「O嬢の物語」の続編「ロワッシイへの帰還」が原作らしいです。

その後、成人してからレンタルビデオで見つけた「田園に死す」も観たけど、やっぱチンプンカンプンでしたねーw

本作の感想

で、今回長編デビュー作となる本作。

本も舞台も観たことないけど、タイトルだけは見聞きしたことがあるという人も多いんじゃないでしょうか。(僕もその一人)

冒頭、真っ暗な画面の中、津軽弁訛り男の「何してんだよ。映画館の暗闇の中で、そうやって腰掛けてたって、何にも始まんないよ」というナレーションから始まるオープニングにはドキっとしたし、グッと引き込まれもしたけど、劇中にヌーヴェルヴァーグ(というかゴダール)に強い影響を受けたと思われるコラージュ手法やジャンプカット、手持ちカメラがブレ過ぎて酔うし、文学や詩からの引用がふんだんに盛り込まれていて、ぶっちゃけ非常に観にくいし、ストーリーも分かりずらい。

それでも90分くらいなら耐えられるけど、これが2時間超はさすがに長いし後半は観てるのが辛かったです。

で、オープニングと対になる主人公の語りで終わった後は、カーテンコールよろしくエンディングロールの代わりにキャスト・スタッフのアップが次々に流されるわけですが、ぶっちゃけスタッフの顔だけ見せられたって、何した人か全く分からないっていう。

と言っても、読んでいる人はまったく分からないと思うのでざっくりストーリーを紹介すると、

たまに人力飛行機で空を飛ぶ妄想をするプレス工の主人公は、五年前に一家そろって高田馬場の家畜小舎みたいなボロアパートに逃げてきたらしい。

万引きクセのある祖母、元陸軍上等兵で戦後屋台ラーメン屋になって今は無色の父親、人間嫌いでウサギを偏愛している妹セツと住んでいる主人公は、ある学校(大学?)のサッカー部に在籍し先進的な思想を持つインテリの「彼」を尊敬しているんですね。

そんな彼に「一人前の男にしてやる」と、元赤線の娼婦のところに連れていかれた主人公は、行為の最中に怖くなって逃げ出してしまうわけです。

祖母はセツがウサギにかまけて自分の面倒を見てくれないのが面白くないので、隣人にウサギ殺しを依頼。可愛がっていたウサギの死を知ったセツは家を飛び出し、一晩中彷徨った挙句サッカー部の部室に迷い込んで――。

というストーリー。

まぁ、原作が評論集ということもあってか、1本の「物語」というよりは極めて散文的で、むしろ劇間に差し込まれる東京の街角で大麻を吸うヒッピーの若者とそれを横目に通り過ぎるサラリーマンだったり、ち〇こ型のサンドバックを信号機に吊るしてヒッピーに殴らせる映像だったり、そうしたドキュメント的だったり実験的だったりな映像に映りこむ街並みや人々の姿、表情こそがむしろ重要なのかなと。

https://eiga.k-img.com/images/movie/37159/gallery/m_sho_o_suteyo_large.jpg?1444124820

画像出展元URL:http://eiga.com

つまり、この作品で寺山は主人公の物語というフィクションと、そこに映り込む(もしくはコラージュ的に差し込む)ドキュメントを有機的にリンクさせて、虚構と現実の垣根を取っ払う実験を試みたってことだと思うんですね。

劇中ではインテリジェンスや男性性に強いコンプレックスと憧れを持つ主人公と、元軍人で今は息子に借金を返せない無職の父親、主人公が憧れるインテリで男らしい「彼」が登場し彼らの対比でストーリーが進むんですが、その背景には2度に渡る学生運動があって、日本を戦争に巻き込んで負けた家父長制(男社会)と、口では革命を唱えながら結局国や体制に負けて「大人」になっていく若者たちの欺瞞を批判しつつ、そんな(男)社会から弾き出された自身のコンプレックスを私小説的に描いているのだと思うんですね。

ただ、志は高いけど時代性が強い作品なので、リアルタイムでこの時代の空気感や教養を共有していない世代が後追いで観るには、ちょっと敷居が高いというか。

この作品の”時代性”って意味では宮崎駿監督の「風立ちぬ」に近いものを感じるんですよね。(そういえば、本作には夕暮れの原っぱでの飛行機シーンがありますねw)

あと、全体的に素人臭くて普通に観づらいし。

本作を通して時代を読み解くっていう歴史的な価値や面白さはあるかもしれませんが、映画として面白いかと聞かれると、(´ε`;)ウーン…って感じでしたねー。

興味のある方は是非!

 

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