ぷらすです。
今回は映画の感想ではないんですが、先日、ディズニープラスのオリジナルドラマ「マンダロリアン」を友達の家で見せてもらったので感想を書こうと思います。
正史9部作の終焉と「マンダロリアン」の登場
1977年(日本では翌78年)公開の第1作を小学校高学年で食らったドンピシャ世代ながら、「スター・ウォーズ」(以降SW)にあまりハマれなかった――という話を、僕はSWシリーズ劇場版の感想を書くたび何度も書いてきたわけですが、改めてその理由を振り返ってみると、SWではなく中心にドンと置かれたスカイウォーカの物語に乗れていなかったんだと思います。
僕は元々、王子や王女、貴族が登場するような西洋史観のファンタジーが苦手だったし、当時はSFも正直あまり好きじゃなくて、SWにはその両方が入ってましたからね。
SW正史(劇場版)では42年間9本の映画に渡ってスカイウォーカー一族の家族喧嘩を延々見せられてきたわけですが、旧3部作/オリジナル・トリロジー(4.5.6)はまだ、どハマりはしないまでもそれなりに楽しん気がするけど、新3部作/プリクエル・トリロジー(1.2.3)はどんなに話が盛り上がっても「でも結局この人は最後ダースベイダーになるんでしょ」って思うと楽しめず。
ルーカスからディズニー体制に移った続3部作/シークエル・トリロジー(7.8.9)に至って、やっと数十年ぶりに物語が前に進んでくれたのは良かったけれど、なんていうかこう……作り手も観客も「SWらしさ」という呪いに掛かっていて、あんなに自由だったSWがひどく窮屈な映画になっていたし、そんな新作を気に入らなかったコアなファンが叩いてる感じもなんだかなーと。
そうなると、一応全作品観てるけど元々そんなにSWにハマれなかった身としてはどこか疎外感があり、それらの周辺状況も含めてちょっと引いてしまうというか、ファンと作り手、ファン同士のゴタゴタも全部含めての大騒ぎがSWなんだろうな……なんて悟ったような事を思っていたわけです。
そして、2019年公開の「エピソード9/スカイウォーカーの夜明け」をもって、予定されていた劇場版SW9部作は幕を閉じたことでやがてファンの熱も冷めるだろうと思われたんですが、僕のTwitterのTLは一向に熱が冷める気配がない。どころか、その熱は時間を追う程に上がっていく。
何だろうと思ったら、「スカイウォーカーの夜明け」公開と前後するように、ディズニー作品専門の配信チャンネル『Disney+』で配信が開始されたSWのスピオフドラマ「マンダロリアン」の評判が回を追うごとに上がっていったんですね。
主人公交代でSWの魅力が浮き彫りに
「マンダロリアン」はSWシリーズ初となる実写ドラマ作品で、脚本・企画・ショーランナー(現場の総責任者)を「アイアンマン1・2」を手掛けたジョン・ファヴローが務め、SWのアニメシリーズ「クローン・ウォーズ」のデイブ・フィローニや、数多くのTVドラマシリーズを手掛けたリック・ファミュイワ、デボラ・チョウ、「ジョジョ・ラビット」を手掛けたタイカ・ワイティティなど錚々たるメンバーがエピソード監督を担当(デイブ・フローニは製作総指揮も)。
映画「SW・EP6/ジェダイの帰還」から5年後の銀河を舞台に、孤独な賞金稼ぎの"マンダロリアン"が、ヨーダと同種族の赤ん坊の通称ベビー・ヨーダこと”ザ・チャイルド”と共に銀河の星々を旅するというのが物語の大筋で、基本は30分1話完結の8話構成になっているんですね。(エピソードによっては50分だったり40分だったりすることも)
主人公に名前がなく周囲から“マンドー“と呼ばれているのが、クリント・イーストウッド演じるマカロニウエスタンの主人公ジャンゴ(名無し)インスパイアなのは一目瞭然だし、シーズン1では黒沢明の「七人の侍」をリスペクトしたエピソードもあり。また、ベビー・ヨーダとマンドーの、時に親子、時に相棒のような関係性は「子連れ狼」インスパイアなのだとか。
つまり、「マンダロリアン」とは銀河の辺境を舞台にした西部劇で、それは”スペースオペラとしてのSW”への原点回帰とも言えるし、シリーズの中心にあったスカイウォーカー家がスッポリ抜けた代わりに、”名無し”のオリジナルキャラを主人公に据えたことで、彼を通してSWのもう一つの大きな魅力である「多様性溢れる世界観」が浮き彫りになったのです。
“あの時“のワクワクを再現
ところで、SWに詳しくない人は「そもそもマンダロリアンって何?」って思うかもしれません。
マンダロリアンはSW/EP5~6に登場。ファンの人気を得て、その後アニメシリーズや小説にもたびたびメインで登場する人気のキャラクター、ボバ・フェットのビジュアルでもお馴染みの、ライトセイバーでも斬ることが出来ない最強の金属ベスカーで作られ、ミサイルや火炎放射器などを仕込んだ鎧やヘルメットに身を包む戦闘民族の総称。
過去の大きな戦争で故郷の星と、多くの同胞を失った彼らの生き残りは銀河に散らばっていて、その高い戦闘能力を活かして傭兵や賞金稼ぎで生計を立てているらしいんですね。(僕はこの辺の設定に詳しくないので端折ります)
主人公のマンドーも惑星ネヴァロのギルドに所属している賞金稼ぎですが、SW/EP6で新銀河共和国が帝国側に勝利したことで仕事が激減。
マンドーは裏の仕事と知りながら帝国の残党から50歳の要人を捕獲するという依頼を引き受けるのです。
ところが辺境の星で捕らえた獲物は確かに50歳ではあるけど、あのヨーダと同種族の幼児(ザ・チャイルド)だったんですね。
自身も孤児でマンダロリアンに拾われた過去を持つマンドーは、依頼を果たすべくザ・チャイルドを連れて惑星ネヴァロを目指すも、同じ境遇のザ・チャイルドに徐々に情が移っていき――というのがシーズン1のあらすじ。
全8話のストーリーの中で、SW劇場版で人気のキャラクターやマシン、武器などが次々に登場するだけでなく、映画ではチョットしか登場しないようなキャラクターたちの生態?や生活様式などが、マンドーやザ・チャイルドとの関わりの中で深掘り――というか、むしろ掘り返されることで、SW正史とは似て非なる新たな表情を見せてるのです。
それは1977年の「SW/EP4新たなる希望」が世界中のファンを虜にしたのと同じ、スペースオペラならではの世界観の面白さや、マシンや武器のディテールのカッコよさにワクワクした“あの時”の再現でもあり、それこそが「マンダロリアン」がファンのみならず、SWに乗れなかった人や、SWを知らない新規ファンをも取り込んでいる理由なのです。
僕自身、「マンダロリアン」を観て初めて、多くのファンがSWに熱狂する(面白さの)理由がやっと分かったんですよね。
「なるほど、こういう事なのかー!( ゚д゚)」ってw
さらにシーズン2では、正史(映画版)に留まらず、コミック、小説、アニメーションシリーズなどで人気のキャラクターも登場して、その世界観を更に拡張。続くシーズン3の制作も決定しているようなので、これからどうなっていくのかが今から超楽しみです!(;゚∀゚)=3ハァハァ
そして、第1作から42年ぶりに僕にSWの面白さ、楽しさを教えてくれたジョン・ファヴローとデイブ・フローニには、心から「ありがとう」と言いたいですよ!
興味のある方は是非!!
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