ぷらすです。
今回ご紹介するのは、みんな大好き『グーニーズ』ですよー!
この映画の公開当時、僕はもう17~8歳だったので厳密にはドンピシャ世代ではないし、観たハズなんですが内容の方もうろ覚え。
なので今回レンタルして久しぶりに観たんですが、「これは子供の頃に観てたら生涯ベストに入る映画だなー」って思いましたねー。
画像出典元URL:http://eiga.com
概要
開発せまる港町を舞台に、海賊の財宝を捜して悪ガキ集団“グーニーズ”が繰り広げる冒険を描く。地下に広がる大洞窟でのアクションがみどころ。スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮。主題歌はシンディ・ローパー。(allcinema ONLINEより引用)
感想
制作総指揮スピルバーグ、監督リチャードドナー、脚本クリス・コロンバス
本作で制作総指揮を務めたのは、当時押しも押されぬヒットメーカーだったスティーブン・スピルバーグで、監督を務めたのは1978年公開の「スーパーマン」を世界的大ヒットに導いたリチャード・ドナー。
さらに脚本は、本作の前年に公開された「グレムリン」1990年公開の「ホーム・アローン」と立て続けに大ヒットを飛ばすクリス・コロンバスという正に鉄壁の布陣。
そんな彼らが挑んだのは、悪ガキ集団「グーニーズ」が海賊の遺した宝探しをするというジュブナイル映画だったんですねー。
ちなみに翌年には、4人の少年たちが“死体探し”の冒険に出る「スタンド・バイ・ミー」が公開され大ヒット。両作とも今やジュブナイル映画の古典として映画史に名を残しているんですよね。
もちろん両作に直接的な繋がりはないしテイストも違うんですけど、当時子役のコリー・フェルドマンが出演している、作品の舞台はオレゴン州という共通点があり、また両作とも「子供から大人に成長するための通過儀礼」を描いているんですよね。
ざっくりストーリー紹介
海賊の伝説が残る海辺の田舎町グーンドックに住む、喘息持ちの少年マイキー(ショーン・アスティン)と、食いしん坊でホラ吹きでおっちょこちょいのチャンク(ジェフ・コーエン)。
口が達者でお調子者のマウス(コリー・フェルドマン)と、ヘンテコな発明ばかりしている中国系のデータ(キー・ホイ・クァン)の4人は、グーニーズ(まぬけな連中とグーンドックの町の名をひっかけた造語)と呼ばれるワルガキ集団。
マイキーの家はグーンドック一帯のゴルフ場開発を目論む資産家から多額の借金をしていて、翌日までに返済できなければ土地を明け渡さなければいけないんですね。
そんな中、マイキーたちは屋根裏部屋で伝説の大海賊「片目のウィリー」が遺した宝の地図を発見。
家を守るため、連れ戻しに来た兄のブランド( ジョシュ・ブローリン)、チアリーダーでブランドの恋人アンディ( ケリー・グリーン)、成り行きで同行するステフ(マーサ・プリンプトン)も巻き込み、宝探しの冒険に出ます。
ところが、地図に記された宝のありかに建つレストランは、ギャング家族のフラッテリー一家(母親と三人の息子)のアジトになっていて……という物語。
グーニーズのメンバーは、フラッテリー一家に追われながら「片目のウィリー」の宝を探すためレストラン地下にある“仕掛けだらけ”の洞窟を探検するのです。
完全な子供視点
洞窟には、泥棒撃退のための様々なブービートラップが仕掛けられてします。
洞窟・お宝・トラップと言えば、インディー・ジョーンズ第一作「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を連想する人も多いかもですが、本作はまさに「子供版レイダース」で、つまりは子供たちの大好物だけを集めた“子供向け”の映画なんですね。
なので、本作は常に子供たちの視点に設定されていて、大人からの視点(説教臭さや物語のつじつま合わせ)は全て排除されています。
ブルーレイ特典映像を観ると、恐らくクリス・コロンバスの脚本段階ではもっと物語の筋道が立っていて、子供たちが抱える悩みやコンプレックスを吐露するようなシーンが入っていたと思われるし、実際に撮影もしてた形跡があるんですが、監督のリチャード・ドナーが編集段階でそういった“大人を納得させる要素”を片っ端からぶった切っていったんだと思うんですよね。
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その分、子役たちのノリやテンション、自然な表情のシーンを最大限、例えば子役が間違えて役名ではなく本名で呼んでしまうようなNGカットすら全て活かして、映画を構築しているのです。
そういう意味で本作は劇映画でありながらドキュメンタリー的でもあって、演出でも(先の展開が分からないように)子役たちにはその日の撮影分の台本しか渡さず、クライマックスの海賊船のセットは本番まで黒幕で隠し、ぶっつけ本番でシーンを撮影。初めて海賊船を見た彼らがマジで驚いている表情を捉えているんですね。(ただし、マウス役のコリー・フェルドマンは「事前にセットを見ていた」と、オーディオコメンタリーで告白してたけどw)
そんなドナー、子役たちに演出する時も「目を大きく開けろ」と「大きな声で」と「カメラは友達」くらいしか言わず、あとは彼らから出てくるアンサンブルによるグルーブ感を大事にしていたんだとか。
中盤では、グーニーズがウォータースライダーを滑り降りるシーンがありますが、夜に子役たちが帰ったあと、リチャード・ドナー自らウォータースライダーを滑って遊んでいた事もオーディオコメンタリーで告白していて、結果、なんやかんやでドナーが一番楽しんでいたんじゃないかっていうw
そんなドナーに居ても立ってもいられず、制作のスピルバーグも自ら2シーンを撮影したらしいですよ。
つまり、(もちろん意図的ではあるんだろうけど)監督のドナーとスピルバーグが、子供たちと同じ視線に立って作ったことで、本作は(当時)世界中の子供たちが熱狂する映画になったんですねー。
ただ楽しいだけではなく、例えば、薄暗い洞窟で遭遇するトラップや骸骨、コウモリ、死体。チャンクがフラッテリー一家に捕まり「ミキサーに手を突っ込む」と脅されるシーン、スロースなどなど、子供向けの映画としては今なら躊躇してしまうようなシーンもちゃんと描いていて、決して子供向けに“漂白された”世界観ではなく、怖さもスリルもロマンスも全てが本作には入ってますからね。
お子様カレーではなく、辛さこそ控えめだけど大人用のルーを使ったスパイシーカレーみたいな感じって言えば伝わりやすいですかね?
子供は幼いけどバカではないので両者の違いはすぐに見抜くし、逆に大人が自分たちのために本気で作ってくれた映画はずっと忘れないのです。
通過儀礼の物語
本作でマイキーは、資本家に家を奪われそうになっていて引越しせざるを得ないという大人の世界=理不尽に直面します。
そして偶然、宝の地図(理不尽に対抗しうる手段)を手に入れた彼は、仲間と一緒に立ち向かう事を決意。数々の試練を乗り越えることで理不尽に打ち勝ちます。
それは彼らがこれからも子供時代を続けられるヤッター! ということではなく、仲間と共に資産家、フラッテリー一家、片目のウィリーのトラップと対決し乗り越えることで成長し、大人への階段を登るということなんですね。
家は追い出されないで済んだし、仲間とも一緒にいられる。けれど今までの子供の自分とは違う。
本作で描かれているのは、マイキーたちが子供でいられた“最後の一日”の物語で、彼らが乗り越える困難の数々は、子供が大人への階段を登るための通過儀礼なのです。
そういう意味では、最高に楽しくてハッピーな映画だけど、ちょっぴり切ない物語でもあるんですよね。
その成長はマイキーだけでなく一緒に冒険した仲間たちも同様で、例えばお兄ちゃんのブランドは年上だけど免許の試験=通過儀礼に一度は失敗。けれど、グーニーズとの冒険で通過儀礼をクリアしたわけです。
チャンクは、食いしん坊でホラ吹きでおっちょこちょいで、はみ出し者揃いのグーニーズの中でも一番のみそっかす扱いですが、同じくフラッテリー一家のみそっかすであるスロースと一緒に仲間のピンチを救うことで成長します。
ラスト、見た目が化物のように醜いスロースに、警察が向けた銃口の前にチャンクが立ちはだかって彼を守り「一緒に暮らそう。大好きだよ」って言うんですよ!!
チャンクウゥゥゥ!!・゜・(ノД`)・゜・
ちなみに、フラッテリー一家はボスであるお母さんと一緒に悪事を働いてきた。いわば親離れ出来ていない子供で、グーニーズとは鏡合わせの存在として描かれますが、スロースだけはクライマックスで母親と対決=成長するんですよね。
ルックは完全にお子様映画だし、ある意味で作劇的にはバランスが崩れている(あえてそうしている)ので、当時の評論家たちからは低く見られていた本作ですが、ちゃんと描くべきところは描いているし、世界中の子供たちは本作のそうした肝の部分はちゃんと感じ取っていて、だからあれだけの大ヒットに繋がったんだと僕は思うし、今観ても全然色褪せない最高の映画でした!
興味のある方は是非!!!
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