今日観た映画の感想

映画館やDVDで観た映画の感想をお届け

世界一ポップで可愛いナチス映画?「ジョジョラ・ビット」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは第92回アカデミー賞では6部門にノミネート、脚本賞を受賞した『ジョジョ・ラビット』ですよー!

僕は公開時「レンタルでいいかー」とスルーしてしまったんですが、その後のコロナ禍や行きつけのTSUTAYA閉店などなど、色んな要因が重なってのびのびになり、昨日、遅ればせながらアマプラビデオレンタルで観ましたよー!

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

マイティ・ソー バトルロイヤル』などのタイカ・ワイティティ監督がメガホンを取り、第2次世界大戦下のドイツを舞台に描くヒューマンドラマ。ヒトラーを空想上の友人に持つ少年の日常をコミカルに映し出す。『真珠の耳飾りの少女』などのスカーレット・ヨハンソンや『スリー・ビルボード』などのサム・ロックウェルらが共演。ワイティティ監督がヒトラーを演じている。(シネマトゥデイより引用)

感想

タイカ・ワイティティ監督の面目躍如

家族や恋人など小さなコミュニティーにスポットを当てた小さな物語の向こうに広がる、大きな社会問題や歴史的事件などを間接的に描くという手法は、多くの映画、特に戦争映画ではよく使われていますが、本作「ジョジョ・ラビット」もそうした作品群の1つです。

本作で描かれているのは第二次世界大戦末期のドイツやナチスによるホロコーストを、ヒトラーに憧れる10歳の少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)の目を通して寓話的に描くという聊か変則的な作品で、「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」やMCU作品「マイティ・ソー バトルロイヤル」のタイカ・ワイティティが監督と、主人公の少年ジョジョのイマジナリーフレンドであるアドルフ・ヒットラー役を兼任しているんですね。

自らヒトラー役を演じる事に関してワイティティ監督はインタビューで、「父がマオリ、母がユダヤ人の自分に演じられるのは(有色人種とユダヤ人が嫌いな)ヒトラーにとって最大の屈辱だろう」的な事を言ったらしいです。うん確かにw

そんな自身の言葉通り、劇中では(ジョジョの妄想の)アドルフやナチスを茶化しまくっていましたねーw

その辺、もともとコメディー畑出身のワイティティ監督の面目躍如といった感じですが、題材の性質上、作品の賛否が分かれるのは致し方なしかもしれません。

ざっくりストーリー紹介

10歳の主人公ジョジョの目線に合わせたカメラワークでスタートするアバン。
鏡に向かって弱気になっている自分を鼓舞する彼の後ろから、軍服の男(の足が)カットイン。
二人の会話と特徴的なビジュアルから、男はアドルフ・ヒトラーでありジョジョのイマジナリーフレンドであることが分かります。

そして、“アドルフ”に励まされテンションの上がったジョジョは家を飛び出し、町ゆく大人たちに挨拶をしながら目的地に走っていくっていう、ある意味非常に微笑ましい情景なんですが、そんなジョジョの挨拶は「ハイル・ヒットラー」なんですよね。

まぁ、あまりに連呼しすぎて、ちゃんと言えてないあたりが笑いどころになってるんですけどもw

で、ここでナチスヒトラーを支持する若者たちの姿を(多分)ライブラリー映像をコラージュしたOPのテーマ曲はビートルズの「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」(ドイツ語バージョン)

つまり、ナチスの登場を熱狂的に支持した当時の国民(若者)をビートルズファンに重ねるという痛烈な皮肉をここで一発かましてるわけですね。

そんなビートルズの曲に乗ってジョジョが向かったのがヒトラーユーゲントのキャンプ。

ヒトラーユーゲントとは、10歳から18歳の青少年が加入するナチス党青少年教化組織で、10歳になったジョジョは、この日からヒトラーユーゲントのキャンプで行われる軍事訓練に親友のヨーキー(アーチー・イェーツ)と参加するわけです。

そんな彼らを指導するのは、戦場で片目を失いキャンプ担当になったという通称「キャプテンK」ことクレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)。

ドイツの劣勢ぶりを知り近い将来敗北することが分かっている彼は、投げやりながらもとりあえず職務としてキャプテン役をこなしているという感じ。

初日の座学では、「ユダヤ人は魚と交尾をするからとても臭い」「頭には角が、口には牙が生えている」「芽キャベツの匂い」などと教え込まれるジョジョ達。

ここでは、子供たちに非科学的かつとんちんかんなデマ(とうかヘイト)を教え込むナチを批判する一方で、その内容のあまりの滑稽さを笑いにしてるわけですが、もう一つ、ヘイトや差別の根本的な構造をサクッと見せているんですね。

つまり、子供にヘイトを教えるのは大人たちだと。

ナチスヒトラー)が行ってきた優生思想やホロコーストを通して、排他主義的なヘイトがまかり通る現代社会への批判と警鐘こそが本作のメインテーマなのです。

そして翌日、上級生?に目をつけられたジョジョはウサギの首を折って殺すよう命令されますが、出来ずにウサギを逃がそうとしたことで「ジョジョ・ラビット」という不名誉なあだ名で囃し立てられ、その場を逃げ出します。

1人落ち込むジョジョの前に現れたのは、またまた妄想のアドルフ。
ヒトラーに鼓舞されたジョジョは、自分が男の中の男であることを証明すべく手榴弾の訓練に飛び込んでいきーーというストーリー。

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ヒトラーに父性を求める少年

ではなぜジョジョが、アイドルのようにヒトラーを崇拝するようになったかと言えば(もちろんナチスの教育もあるでしょうが)父親の不在から。
その寂しさを埋めるために、父性の象徴でもありイマジナリーフレンドでもある“アドルフ“を生み出してしまったわけですね。

またお姉さんのインゲもインフルエンザで亡くなっていて、ジョジョはお母さんのロージー(スカーレット・ヨハンソン)と二人暮らしなのです。

彼女はジョジョを「私の子ライオン」と呼び、まだ自分では結べないジョジョの靴ひもを結んでやり、ナチスヒトラーに傾倒していく彼に悩みながらも、彼の無邪気な”ファンタジーとしてのナチスを頭から否定することはしないし、大怪我を追って家から出ることを怖がる息子の背中を押して一緒に外出する優しいお母さんですが、その一方でユダヤ人を匿い町中で吊るし首にされた人々から目を背けようとするジョジョに「しっかり見なさい」と目を背けることを許さず、「彼らはするべきことをした」と言い切る強さも併せ持っています。

この一言で、劇中での彼女のスタンスも分かりますよね。

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そんな母親に守られ、空想力豊かなジョジョの見るドイツはとてもカラフルですが、物語が進むにつれ色あせていく――つまり現実が空想を侵食していくわけですが、同時にそれはジョジョの成長ともリンクしているんですよね。

こんな風に書くと、メッセージ性の高い重たい映画と思われてしまうかもですが、決してそんな事はありません。だって、基本的にはコメディーですしね。

ただ、前述したようにナチスドイツやホロコーストを描くにあたって、ナチの残酷さ、非道さという”リアル”を描くべき的に考えている人もいるでしょうから、本作をコメディー仕立てにしたことは、評価は分かれるだろうと思います。

あえて10歳の少年に焦点を絞ることで、そうした目を覆いたくなる現実のアレコレはかなりボヤけていますからね。

ただ、本作のメインテーマが、当時のナチズムのようなヘイトが堂々とまかり通る現代社会への警鐘である以上、笑いとヒューマニズムを塗すことで物語を飲み込みやすくするという手法は、よりライトな(普段映画を観ない)層に本作を届けるという意味では有効だと思うし、イマドキの映画にもかかわらず108分と非常にコンパクトに物語をまとめているのも好感が持てましたよ。

それに、ストーリーにキャラクターの魅力、音楽の使い方や前のエピソードから韻を踏むように有機的に後ろのエピソードへと繋がることで物語にドライブがかけていくのも、さすがワイティティ監督だと唸りましたねー。

あ、あと、ジョジョの親友ヨーキーが超絶可愛かったですw

興味のある方は是非!

 

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「で?」っていう「CLIMAX クライマックス」(2019)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、挑発的な問題作を次々と世に送り出す鬼才ギャスパー・ノエ監督最新作『CLIMAX クライマックス』ですよー!

僕は本作がギャスパー・ノエ作品初鑑賞なんですが「好き嫌いが分かれそうな監督だなー」って思いましたねー。

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概要

エンター・ザ・ボイド』『LOVE【3D】』などのギャスパー・ノエがメガホンを取った異色作。ドラッグの入った酒を飲んだダンサーたちがトランス状態に陥る。『キングスマン』などのソフィア・ブテラらが出演し、プロのダンサーたちが共演した。ダフト・パンクザ・ローリング・ストーンズの楽曲が使用されている。(シネマトゥディより引用)

概要

ギャスパー・ノエ監督の印象

前述したように僕はギャスパー・ノエ作品ってこれまで観たことがなくて、本作の情報と共に「どうやら問題作ばかり撮っている監督らしい」という情報が入ってきたんですね。

そういう監督って個人的にはあまり得意ではないんですが、予告編が面白そうだったので「この作品は観たいなー」と思っていて、今回アマプラビデオにあったのでレンタルして観たわけです。

で、本作を観て個人的に、「この人は映画が上手い監督」という印象でした。

雪の中を血まみれの女が泣きながら逃げている姿を真上から撮影→いきなりEDロール?が流れるオープニング演出には驚いたものの、その後の22人のダンサーたちのオーディション映像→10分以上のダンスシーン、そしてその後の打ち上げパーティーでの何てことない会話などが、キャラクター個々の性格や関係性を観客に印象付けながら、後半の展開への伏線にもなっているんですよね。

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とはいえ、登場人物が多すぎるのでもちろん全員は把握出来ないんですけど、物語的にあまり重要でないキャラは比較的早めに退場させることで人員整理をして、観ているこっちが混乱しないよう考えられていました。

その辺の見せ方というか、映画としての語り口のスマートさに関心しただけに、グズグズな展開や画面酔いしそうなカメラワークが続く後半は観ていて苦痛でしたねー。

ざっくりストーリー紹介

本作を一言で言うなら「裏・ハングオーバー」です。

ハングオーバー」は泥酔から目覚めた翌日から、散々やらかした前日を振り返るという、ある種のミステリー構成ですが、本作はリアルタイムで酔っ払いの乱痴気騒ぎを延々見せられるという地獄のような映画なんですね。

舞台は1996年の冬、廃墟の校舎。

オーディションで集められた舞踊団のメンバーたちはアメリカ公演に向けての入念なリハーサルを終え打ち上げパーティーを開くんですが、メンバーの”誰か“がサングリアにLSDを混入したからさぁ大変。

麻薬入りサングリアを飲んでラリってしまったメンバーたちは、抱えていた欲求、うっ憤、不満が大爆発。

打ち上げは阿鼻叫喚の地獄に変わっていく――というストーリー。

前述したように前半部分では非常にスマートにキャラ紹介や人間関係などを語って見せたノエ監督でしたが、この後半では、打ち上げパーティーLSD入りのサングリアを飲んでどんどんラリっていくキャラクターたちを、ワンカットの群像劇風に追っていくんですね。

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ただ、ほぼ全員がラリっていて理屈の通った行動はしないので、追ったところでドラマが生まれるでもなく、前半で築き上げた形がただ崩壊していく様を延々見せられるわけです。

多分この作品で、ノエ監督は音楽とダンスとトランス状態という仕掛けを用いて、理性や倫理という皮むいた人間の本性というか獣性みたいな部分を描こうと思って、だからソフィア・ブテラ以外のキャストに役者ではなく、より肉体表現に優れたプロのダンサーを選んだんだと思うんですね。

そんな彼ら(彼女ら)のダンスは現代的だけど、古代の宗教儀式や黒ミサのようでもあり、そんな彼らのダンスを真上から撮影すると超人的な動きも相まって、彼らが別の生き物、もしくは儀式によって召喚された悪魔的な何かにも見えるんですよね。

なので、本作でのノエ監督の狙いは概ね成功していると思うんですが、観ているこっちは酔っ払いどもの乱痴気騒ぎに放り込まれた状態なので、「俺は一体何を見せられているんだ……」という気分になっちゃうっていうw

「で?」っていう

黒人ダンサーの2人組が徐々に盛り上がっていく世界一下品な会話は、「スネークマンショー」の親方と弟子がシンナーでだんだんラリっていくコントと同じ構成だし、ダンサーの後頭部に火が付いて「ギャー!」っていうシーンもほぼコントでしたしね。

太った黒人のおじさんDJが、金髪のカツラを被って青年のダンサーに自分の乳を吸わせたり、金髪の女性ダンサーが仁王立ちでおしっこしたり。

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それ以外のメンバーも泣いたり笑ったり踊ったり叫んだり。

いや、こうやって字で書くと何か楽しそうに感じるかもですが、そんな無節操無秩序な乱痴気騒ぎの様子を原色のライトの中でカメラをグルグル回しながら、超嫌な感じで撮るから画面酔いするし、ドラマ的な進展もなく延々彼らの痴態を見せ続けられるので、これはもうちょっとした苦行と言っても過言ではないです。

いや、やりたい事は何となく分かるし、それ自体は表現出来てると思うけど、観てるコッチ的には「で?」っていうw

(人間の本性を暴いた)その先に”何か“があるわけではない(ように僕には見える)ので、中途半端に放り出されたような気持ちになるっていうか。

オチのない夢の話を延々聞かされたような気持ちになりましたねー。

もしかしたらギャスパー・ノエが好きな人はそこがたまらないのかもしれませんし、他の作品を観れば印象が変わるかもですけどね。

興味のある方は是非!

 

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あっさり風味ながら完結編としては納得「イップ・マン 完結」(2020)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、ブルース・リーの師匠として有名な武術家・葉門(イップ・マン)の生涯をドニー・イェンが演じた人気シリーズ完結編『イップ・マン 完結』ですよー!

コロナの影響で作品の公開延期が続く映画界で、てっきり本作も公開延期されてると思い込んでいたんですが、何気なく地元映画館の上映スケジュールをチェックしてみたら公開されていたので、慌てて観に行ってきました!

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概要

ブルース・リーの師匠だった武術家イップ・マンを主人公にしたアクション『イップ・マン』シリーズの完結編。サンフランシスコに渡ったイップ・マンの戦いが描かれる。第1作から監督を務めるウィルソン・イップが本作でも続投。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』などのドニー・イェンのほか、スコット・アドキンス、チャン・クォックワンらが出演する。(シネマトゥディより引用)

感想

「イップ・マン」とは

シリーズ過去作の感想でも書いていると思いますが、本シリーズの主役イップ・マンは武術家であり、ブルース・リーの師匠として知られる実在の人物。

本シリーズでは、そんなイップ・マンの生涯を基にしたフィクション映画で、イップ・マン役を世界的アクションスター、ドニー・イェンが演じた事で話題に。

そんなシリーズ第1作「イップ・マン 序章」が本国で大ヒットを受けて、イップ・マンを主役にした類似作品が多く作られ一時的にイップ・マンブームになったものの、結果的にこのドニー・イェンの本家シリーズだけが残った形なんですよね。

そんな「イップ・マン」シリーズは、

日中戦争で故郷広東省に侵略してきた日本軍とイップ・マンの闘いを描いた第1作「イップ・マン 序章

終戦後、妻子と共にイギリス領となった香港に移って武館を開き、カンフーマスターになるまでを描いた第2作「イップ・マン 葉問

カンフー・マスターとして香港の名士となったイップ・マンと妻のラブストーリーを主軸に、マイク・タイソンや、同門の若きカンフー・マスター張天志と詠春拳の正統後継者をかけて闘う第3作「イップ・マン 継承

そして、晩年のイップ・マン、最後の闘いを描いた本作「イップ・マン 完結

の4作となります。

ただ、日本軍が悪役ということで第1作「~序章」は日本では劇場公開が見送られ、第2作「~葉門」のヒットを受けて劇場公開されたという経緯があります。

ざっくりストーリー紹介

1964年香港。

愛する妻を病で亡くしたイップ・マンドニー・イェン)は次男チン(ジム・リウ)と暮らしていましたが、自身も咽頭がんであることが発覚。

そんな時、彼の武館にかつての弟子ブルース・リー(チャン・クォックワン)の弟子が、ブルースの出場するカリフォルニアの空手大会へ招待したいという伝言もってやってきます。

最初は乗り気ではないイップ・マンでしたが、チンは学校で暴力沙汰を起こして退学になった事を受け、彼をアメリカに留学させるため単身渡米。

しかし、カリフォルニアの地でワン・ゾンホア(ウー・ユエ)が代表を務める中華総会と米軍の白人至上主義者であるバートン・ゲッデズ一等軍曹スコット・アドキンス)との争いに巻き込まれ――というストーリー。

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画像出展元URL:http://eiga.com

主演のイップ・マンやシリーズを通してメガホンをとったウィルソン・イップ監督がどこまで意図したかは分かりませんが、コロナによる公開延期の期間にアメリカで巻き起こった警察による黒人“殺人事件”に対する抗議運動や、彼らとトランプ支持者との対立などのアレコレで、本作に込められたメッセージ性が作り手が意図した以上に大きくなってしまったかもしれませんね。

ブルース・リーついに登場!

また、第2作から思わせぶりにカメオ的に出演していたブルース・リーが本作でついに登場。
空手大会では組手や代名詞でもあるワンインチパンチを披露したり、空手使いのアメリカ人を相手に、(控えめながら)怪鳥音とヌンチャクアクションを披露してくれます。

www.youtube.com /本人映像

ちなみにブルースを演じるのは、チャウ・シンチー監督の「少林サッカー」でブルース・リーそっくりなゴールキーパーを演じたチャン・クォックワン。

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画像出展元URL:http://eiga.com

小さな頃からブルース・リーを崇拝しているだけあって、本作でのアクションはまさに完コピでしたねー!

アクションが……

ただ、ブルース・リー以外のアクションシーンは、総じてパッとしないというか、一本調子というか。

「序章」はドニー・イェンのカンフーアクション自体が新鮮だったし、「葉門」ではドニー・イェン演じるイップマンと、サモ・ハン・キンポー演じるホン師匠のテーブル上での対決シーン、「継承」ではタイ人の暗殺者とのエレベーターや階段を使ったアクションと、どこか1か所は目新しいアクションがあったんですけど、本作にはそれが感じられなかったんですよね。

いや、本作ではブルースのシーンがそれにあたるのかもだし、クライマックスでの倒れた敵の後頭部へ高速連続パンチとか見どころは多いんだけど、個人的にはちょっとあっさりし過ぎて物足りない印象でした。

まぁ、設定上本作のイップ・マンはほぼ70代ですからね。
前3作よりもアクションが控えめなのはリアルと言えるし、アクション監督がサモハン・キン・ポーから前作・本作はユエン・ウーピンに変わったのも、原因の一つかもしれません。

あと個人的には物足りなさが残るものの、シリーズ完結編としてはしっかりまとまっているし、シリーズ全作を追ってきたファンには納得の作品と言えるかもしれませんね。

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画像出展元URL:http://eiga.com / 次男チンに武術を教えるイップ・マン

ただ一つ不満点を挙げるなら「あのラストにするなら、EDロールに本人による木人映像を流すべきでしょ!!」

とは思いましたけどね。

興味のある方は是非!!

 

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虚構と現実の垣根を取っ払う実験作「書を捨てよ町へ出よう」(1971)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、歌人であり、伝説のアングラ劇団「天井桟敷」の主催者としても知られる、寺山修司長編映画デビュー作『書を捨てよ町へ出よう』ですよー!

僕は寺山修司の映画って「田園に死す」と「上海異人娼館/チャイナ・ドール」の2本しか観てなかったんですが、アマプラに入っていたので、まだ未見だった本作を観てみました。

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画像出展元URL:https://www.amazon.co.jp/

概要

「演劇実験室「天井桟敷」」が全国各地で百数十回以上上演した同名ドキュメンタリー・ミュージカルの映画化で原作は寺山修司の同名エッセイ集。寺山修司は昨年、16ミリ実験映画「トマトケチャップ皇帝」を作り、この作品では製作・原作・脚本・監督の四役を担当している。撮影は写真家で、映画撮影は初めての鋤田正義が当り、仙元誠三がこれを補佐している。(映画.comより引用)

感想

僕と寺山修司

寺山修司と言えば、太宰治三島由紀夫芥川龍之介らと並び、「苗字呼び捨てされる系カリスマ文学者」の1人

昭和10年に青森で生まれた寺山は、早稲田大学に入学後に歌人デビューするや歌壇に賛否を巻き起こし、その後はエッセイスト・評論家・作詞家・構成作家・劇作家など幅広く活躍。

昭和42年(1967)に、横尾忠則東由多加、九條映子らと劇団「天井桟敷」を結成。

状況劇場」の唐十郎、「早稲田小劇場」の鈴木忠志、「黒テント」の佐藤信と並び「アングラ演劇四天王」の一角と呼ばれ、その勢いのまま1971年に監督・脚本・制作を務めた長編映画デビュー作が本作「書を捨てよ町へ出よう」なんですね。

ちなみに原作は自身の書いた同名評論集で、1970年には「天井桟敷」で舞台化もされていて、2018年には「マームとジプシーの藤田貴大演出でリブートされたようです。

僕自身は寺山修司世代ではないけれど、その残り香を嗅いで育ってはいるし、同年代の文学好き&サブカル好きな人たちはみんな一度は寺山にかぶれていましたよね。

僕が初めて寺山作品に触れたのは「上海異人娼館/チャイナ・ドール」(1980)という映画で、ブルック・シールズ主演の「青い珊瑚礁」という映画と同時上映だったんですよね。

青い珊瑚礁」は、世界的アイドル女優だったブルック・シールズの初ヌードが観られるのが売り?の作品で、当時思春期真っただ中だった僕は公開初日に友人と共に(ブルック・シールズのヌードを)観に行ったわけですよ。

そしたら「青い珊瑚礁」よりもよっぽどエロい(しかもアブノーマル)映画が同時上映されていて、後にそれが寺山監督の「上海異人娼館/チャイナ・ドール」だった事を知るわけです。もちろんその時は、それが寺山修司監督作品とは知らなかった(というか寺山修司自体知らなかった)し、ストーリーもチンプンカンプンでしたけどね。

ちなみにこの作品はフランスの映画制作会社アルゴ社との共同作品でフランスのSM文学「O嬢の物語」の続編「ロワッシイへの帰還」が原作らしいです。

その後、成人してからレンタルビデオで見つけた「田園に死す」も観たけど、やっぱチンプンカンプンでしたねーw

本作の感想

で、今回長編デビュー作となる本作。

本も舞台も観たことないけど、タイトルだけは見聞きしたことがあるという人も多いんじゃないでしょうか。(僕もその一人)

冒頭、真っ暗な画面の中、津軽弁訛り男の「何してんだよ。映画館の暗闇の中で、そうやって腰掛けてたって、何にも始まんないよ」というナレーションから始まるオープニングにはドキっとしたし、グッと引き込まれもしたけど、劇中にヌーヴェルヴァーグ(というかゴダール)に強い影響を受けたと思われるコラージュ手法やジャンプカット、手持ちカメラがブレ過ぎて酔うし、文学や詩からの引用がふんだんに盛り込まれていて、ぶっちゃけ非常に観にくいし、ストーリーも分かりずらい。

それでも90分くらいなら耐えられるけど、これが2時間超はさすがに長いし後半は観てるのが辛かったです。

で、オープニングと対になる主人公の語りで終わった後は、カーテンコールよろしくエンディングロールの代わりにキャスト・スタッフのアップが次々に流されるわけですが、ぶっちゃけスタッフの顔だけ見せられたって、何した人か全く分からないっていう。

と言っても、読んでいる人はまったく分からないと思うのでざっくりストーリーを紹介すると、

たまに人力飛行機で空を飛ぶ妄想をするプレス工の主人公は、五年前に一家そろって高田馬場の家畜小舎みたいなボロアパートに逃げてきたらしい。

万引きクセのある祖母、元陸軍上等兵で戦後屋台ラーメン屋になって今は無色の父親、人間嫌いでウサギを偏愛している妹セツと住んでいる主人公は、ある学校(大学?)のサッカー部に在籍し先進的な思想を持つインテリの「彼」を尊敬しているんですね。

そんな彼に「一人前の男にしてやる」と、元赤線の娼婦のところに連れていかれた主人公は、行為の最中に怖くなって逃げ出してしまうわけです。

祖母はセツがウサギにかまけて自分の面倒を見てくれないのが面白くないので、隣人にウサギ殺しを依頼。可愛がっていたウサギの死を知ったセツは家を飛び出し、一晩中彷徨った挙句サッカー部の部室に迷い込んで――。

というストーリー。

まぁ、原作が評論集ということもあってか、1本の「物語」というよりは極めて散文的で、むしろ劇間に差し込まれる東京の街角で大麻を吸うヒッピーの若者とそれを横目に通り過ぎるサラリーマンだったり、ち〇こ型のサンドバックを信号機に吊るしてヒッピーに殴らせる映像だったり、そうしたドキュメント的だったり実験的だったりな映像に映りこむ街並みや人々の姿、表情こそがむしろ重要なのかなと。

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画像出展元URL:http://eiga.com

つまり、この作品で寺山は主人公の物語というフィクションと、そこに映り込む(もしくはコラージュ的に差し込む)ドキュメントを有機的にリンクさせて、虚構と現実の垣根を取っ払う実験を試みたってことだと思うんですね。

劇中ではインテリジェンスや男性性に強いコンプレックスと憧れを持つ主人公と、元軍人で今は息子に借金を返せない無職の父親、主人公が憧れるインテリで男らしい「彼」が登場し彼らの対比でストーリーが進むんですが、その背景には2度に渡る学生運動があって、日本を戦争に巻き込んで負けた家父長制(男社会)と、口では革命を唱えながら結局国や体制に負けて「大人」になっていく若者たちの欺瞞を批判しつつ、そんな(男)社会から弾き出された自身のコンプレックスを私小説的に描いているのだと思うんですね。

ただ、志は高いけど時代性が強い作品なので、リアルタイムでこの時代の空気感や教養を共有していない世代が後追いで観るには、ちょっと敷居が高いというか。

この作品の”時代性”って意味では宮崎駿監督の「風立ちぬ」に近いものを感じるんですよね。(そういえば、本作には夕暮れの原っぱでの飛行機シーンがありますねw)

あと、全体的に素人臭くて普通に観づらいし。

本作を通して時代を読み解くっていう歴史的な価値や面白さはあるかもしれませんが、映画として面白いかと聞かれると、(´ε`;)ウーン…って感じでしたねー。

興味のある方は是非!

 

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なるほど分からん!( ゚∀゚)「TENET テネット」(2020)

ぷらすです。

話題のクリストファー・ノーラン監督最新作『TENET テネット』を、映画館で観てきましたよー!久しぶり、映画館!(嬉)

「難しすぎて一回見ただけじゃ絶対分からない」「一回で分かるヤツはむしろ頭がおかしい」と評判の本作ですが、内容は本当に複雑で、前日予習してある程度内容を知った状態で観ても頭がこんがらがってしまいましたよーw

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が描くサスペンスアクション。「TENET」というキーワードを与えられた主人公が、人類の常識である時間のルールから脱出し、第3次世界大戦を止めるべく奮闘する。主人公を演じるのは『ブラック・クランズマン』などのジョン・デヴィッド・ワシントン。相棒を『トワイライト』シリーズなどのロバート・パティンソンが務め、マイケル・ケインケネス・ブラナーなどが共演する。(シネマトゥディより引用)

感想

ザ・ノーラン映画

本作の監督クリストファー・ノーランと言えば「007」が大好きで、「ダークナイト3部作」はヒーロー映画の仮面を被ったスパイ映画だし、「インセプション」はSFだけどもろに産業スパイの映画ですよね。

そんなスパイ大好きノーランが強く興味を抱いているもう一つの要素が「時間」で、自身が脚本も担当したSF映画インターステラー」はもろにアインシュタイン相対性理論が物語のベースになっているし、「メメント」~「ダンケルク」に至るまで、確かほぼ全ての監督作品で時系列をいじってたハズですよね。(うろ覚え)

そんなノーランが「スパイ」と「時間」という大好きな2大要素を合体させたSFスパイアクション映画が本作「TENET」なのです。

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画像出展元URL:http://eiga.com /主人公と相棒のニール

そう書くと、タイムトラベルやタイムリープなどを連想される方もいるかもですが、本作で描かれるのはあくまで「時間逆行」なので厳密に言えば「タイム〇〇」とは似て非なるものなんですよね。

本作の予告編で、映像が巻き戻るシーンを観た人も多いと思いますが、あれこそが本作最大の仕掛けであり、これまで多くのSFで扱ってきた「タイム〇〇」との違いなのです。

と言っても、まだ観ていない人には「なんのこっちゃ?」だと思うので、本作の内容を微妙にネタバレしつつ超ざっくり説明します。

なので、まったく内容を知らずに観たい!という人は先に映画を観てくださいね。

「TENET」って大体こんな物語(微ネタバレあり)

CIAのエージェントだった主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が秘密組織「TENET」に“スカウト”されるところから本作はスタート。

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画像出展元URL:http://eiga.com /役名が「主人公」という主役を演じるジョン・デヴィッド・ワシントン

「TENET」という組織を簡単に説明すると、人類を滅ぼそうとする未来人と戦う秘密組織なんですね。

現代人類による環境破壊が原因で滅亡寸前の未来人(つまり僕らの子孫)。
そんな彼らは、「エントロピーを減少させると時間が逆行する」ことを発見。
一人の科学者が時間逆行マシン「アルゴリズム」を完成させ、未来人たちはこれを過去(つまり劇中の現在)に送りこんで時間を逆行させることで未来に綺麗な環境を取り戻す計画を立てます。
ちなみに「アルゴリズム」が発動すると、時間逆行の影響で現在の生物は滅亡しますが(理由は後述)、未来人にすれば「そんなの自業自得じゃ、知ったことか!」って話なのでしょう。

ところが計画実行寸前、アルゴリズムを発明した科学者ははたと気づくんですね。
ご先祖滅ぼしたら、子孫の自分たちもいなくなるんじゃね?」と。

劇中ではそれを「祖父のパラドックス」と呼んでいますが、いわゆるタイム〇〇系SFでは最早あるあるとも言えるタイムパラドックスですよね。
つまり、「時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺せば自分は生まれないけれど、そうすると祖父を殺す自分は存在しないので祖父は死なず、すると自分は生まれるので時間を遡って――」っていうやつ。

詰んでる!」と絶望した科学者。
でも、死ぬのはともかく“無かったことにされる“のは嫌だったのか、アルゴリズムを9個の部品にバラして、過去に送っちゃうわけです。

一方、ご先祖滅亡計画を立てた未来人の考えは違って、アルゴリズムによってご先祖が滅亡しても自分たちが消えることはなく(タイムパラドックスは起こらず)、綺麗な環境という「結果」だけが残るという考え方。

というわけでアルゴリズムで「ご先祖殲滅作戦」を決行したい彼らは、原爆爆発事故で地図から消えた町スタルスク12で散乱したプロトニウム(核弾頭)を集める仕事をしてたセイターケネス・ブラナー)に(多分)「十分な報酬と引き換えに9個の部品を探し出しアルゴリズムを組み立て・発動させる」という(ドラゴンボールみたいな)契約書を送るわけですね。

セイターは快く契約し、未来から送られてくる潤沢な資金と逆行銃という武器売ったり撃ったりしてのし上がり、武器商人として名を馳せる一方で、各国に散らばったアルゴリズムの部品を集めている。

そんなセイターからアルゴリズムを奪い、人類滅亡を防ごうとしてるのが“近”未来人の組織「TENET」なのです。

 

「タイム〇〇」と「時間逆行」の違い

つまりはタイムマシンを使った時空SFなんですが、普通タイムマシンを使ったSFの場合、登場人物はタイムマシンで過去か未来に”ジャンプ“しますよね?

ところが、本作のタイムマシン「回転ドア」は、あくまでくぐった人間やモノの時間を逆行させるだけ。(素粒子を反粒子に変えるらしい

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画像出展元URL:http://eiga.com /時間の順行を赤、逆行を青と色分けして視覚的に説明する工夫も

なので、例えば10年前に戻ろうと思ったら10年かけて時間を遡らなければならないわけです。

ゆえに未来人が直接現代にやってくることは出来ません。(その途中で老衰で死んじゃうから)
また、時間を逆行する人間(生物)は普通に呼吸が出来ないので、特製?の酸素で満たされた部屋の中にいるか、外出時は酸素ボンベを使って呼吸しないと死んでしまいます。(だから世界を逆回転させるアルゴリズムを起動させると生物が死滅してしまう)

なので、未来人はセイターを使い、TENETは過去の自分たちを使ってアルゴリズムを巡る代理戦争をしているというのが本作のあらすじなんですね。

 

この「時間逆行」という発想に元ネタがあるかは分かりませんが、少なくとも僕は初めて観ました

これまで観たタイム系SFでは、例え登場人物が過去や未来に移動しても、時間は常に順行、つまり過去から未来に向かって進んでいて、リアルタイムで時間を逆行することはなかったですからね。そもそも時間の流れを遡るという発想自体、頭の中になかった――って思ったけど、そういえば1979年「スーパーマン」では、ラストの方で恋人の命を守り切れなかったスーパーマンが地球の自転を逆回転させることで時間が巻き戻したのを思い出しましたw

いや、さすがに「スーパーマン」が本作の元ネタとは思いませんけどね。

さらに、本作では同じ映像の中で時間の順行するキャラ(過去→未来)と、逆行するキャラ(未来→過去)が同時に描かれるので、大抵の人はここでこんがらがっちゃうと思うんですよね。

そんな僕ら観客のために、ノーランは序盤に登場する(説明係の)女性科学者の口を借りて「考えるな。感じろ」的な注意してくれるわけです。

まぁ確かに、物語というより物語世界のルール設定が複雑な上に、ノーラン本人もちゃんとルールを理解してるのか疑わしく、さらに彼の監督としての語り口やアクションシーンの下手さも手伝って、正直、エアポートシーンやカーチェイスシーン、そしてクライマックスシーンなど、順行者と逆行者が入り混じるアクションシーンは誰が、何処にいて、何が目的で、何をしているのかチンプンカンプンでしたが、世界に数台しかない「IMAXカメラ」でフィルム撮影した映像はド迫力かつ美しく、順行者(現在→未来)と逆行者(過去←未来)の対決という今まで観たことのないアクションシーンは単純に画として面白いので、とりあえず映画館、出来ればIMAXの大画面で観る事を強くお勧めしますよ!

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画像出展元URL:http://eiga.com /ノーランがこだわる本物の迫力!

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おまけの*ネタバレ

ニールの正体

はい、ここからは完全ネタバレですよ。

さて、公開後に考察系レビュアーさんたちの間で湧き上がっている「ニールとマックス同一人物説」ですが、僕もこの説を支持しています。

その理由は大体他の人たちと一緒なんですが、僕が思ったのは将来的にキャットと主人公が付き合うor結婚する(主人公とマックスも近しい関係になる)。

そして、キャットとマックスが受け継いだ(であろう)セイターの遺産を元手に、主人公(とキャット?)が「TENET」を立ち上げたのではないかと。

映画で観る限り、TENETはセイター率いる組織と同等の組織っぽいので結構な額の運用資産が必要なハズだし、元はと言えば先祖を滅ぼすため未来人が送った資産を元手に、未来人に対抗する組織「TENET」が作られるって面白くないですか?

ノーラン懐疑派なので

本作は、中盤のキャットが逆行弾に撃たれるシーンを境に、主人公が前半で順行、後半で逆行することで、前半のシーンで張られた伏線を後半で回収する形になっていて、これって「カメラを止めるな!」と同じ構成なんですよねw

で、本作は内容(というかルール)の複雑さが逆にウケて、リピーター続出、興行成績も上々らしいですが、個人的には(前述したように)作品に隠されたすべての謎がノーランの計算通りというわけではないと考えています。

もちろん意図的に謎を残すように演出したシーンも多々あるとは思うけど、そもそも作劇やアクションシーン(特に大人数のアクション)に難ありのノーランであり、また「インターステラー」でも思ったけど、ノーランは劇中で複雑なルール(物理学とか相対性理論とか)を使いたがるわりに、ちゃんと理解してないんじゃないかという疑惑が個人的にはあるんですよね。

難しい理論を難しい言葉を使って説明するのは大抵ちゃんと理解してない人だし、劇中でも最初の説明を鵜呑みにして観ていると「あれれ??」ってなるシーンも結構あって、まぁ、それは百歩譲って映像の面白さやカッコよさを優先したんだとしても、最後の方は広げた風呂敷をちゃんと畳まずに、クシャクシャって丸めて「概念」とか「哲学」って書いた箱にポイっと入れて誤魔化してる感があるっていうか。

伝わりますかね?この感じw

もちろん、だからつまらないという事ではなくて、それでも最後まで面白く観られるのは映像作家クリストファー・ノーランの手腕だと思っているし、内容が理解できずに家に帰ってからネットで考察レビューを読みまくったり、本作を観た友人と話したりする時間も考えれば、ある意味で長い時間楽しめるコスパのいい映画とも言えるのではないかと思います。

 

 

 

暴力映画最前線「トマホーク ガンマンvs食人族」(2015/日本ではDVDスルー)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、一部の映画マニアの間で話題沸騰のS・クレイグ・ザラー監督作品『トマホーク ガンマンvs食人族』ですよー!

現在公開中でメルギブ主演の「ブルータル・ジャスティス」の話がラジオで出ていて、その監督の長編デビュー作として本作が紹介されていたので、早速アマプラで観ましたよ!

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画像出展元URL:https://www.amazon.co.jp

概要

ヘイトフル・エイト」のカート・ラッセルが主演を務め、食人族に連れ去られた人々を救うべく立ち上がった4人のガンマンの戦いを描いた西部劇アクションスリラー。アメリカの荒野にある田舎町で、複数の住人が忽然と姿を消した。さらに空き家の納屋で、惨殺された男性の遺体が発見される。現場の遺留品や遺体の状態から、犯人は食人族として恐れられている原住民であることが判明。保安官のハントら4人の男たちは拉致された人々を助けるため、足跡をたどって荒野を進んで行くが……。共演に「ウォッチメン」のパトリック・ウィルソン、テレビドラマ「LOST」のマシュー・フォックス、「扉をたたく人」のリチャード・ジェンキンス。「ザ・インシデント」の脚本を手掛けたS・クレイグ・ザラーがメガホンをとった。(映画・comより引用)

感想

エスタン・ホラー?

実はこの作品、アマプラのおススメでタイトルはチョイチョイ見かけてたんですが、なんせこのタイトル、いかにもインパクト狙いの出オチB級映画って感じじゃないですか。

なので最初は食指が動かなかったんですが、現在(日本では3館で)公開中の「ブルータル・ジャスティス」のS・クレイグ・ザラー監督が、ライムスター宇多丸さんを始め複数の映画評論家の人に激押しされてましてね。

その流れで長編監督デビュー作である本作も紹介されたのを聞いて、急に興味が湧いたわけです。

で、アマプラに入ってたので早速観てみたんですが――ビックリするくらいタイトルそのまんまの内容でしたねーw

そんな内容を超ざっくり説明すると、人食いインディアンに連れ去られた部下ニックエヴァン・ジョニカイト)と人妻サマンサ(リリー・シモンズ)をハート保安官カート・ラッセル)、サマンサの夫アーサーパトリック・ウィルソン)、ニヒルな紳士ブロンダーマシュー・フォックス)、老補佐官チコリーリチャード・ジェンキンス)の4人のカーボーイが救出に向かうのだが――というストーリー。

つまりは、カーボーイがインディアンと戦うというある意味で由緒正しい西部劇なんですが、西部劇全盛の1940~50年代ならともかく、悪いインディアンを正義のカーボーイが倒す西部劇なんて、諸々のリテラシーの進んだ現代では当然許されるわけもなく。

そこで、S・クレイグ・ザラー監督が取った手段が、敵がネイティブアメリカンたちからも忌み嫌われている“食人部族”であり、言葉も持たないため一切のコミュニケーションが取れないという設定。

なので音もなく忍び寄ってくる食人族は”敵”ではなく自分たちを捕食するモンスターであり、物語のプロットは西部劇じゃなくて完全にホラー
ほぼ「エイリアン」や「プレデターと同じなんですよね。

「暴力映画」最前線

そう書くといかにもB級映画っぽいというか、なんせガンマンと食人族が戦う映画ですからね。

“内容的”には確かにB級ホラー映画なんですが、ただのインパクト狙いの出オチ映画かと言うとちょと違うのです。

というのも本作のS・クレイグ・ザラー監督は元々脚本家ということもあって、ストーリーテリングが超上手。

なので、ある意味で荒唐無稽な本作のストーリーも思わず引き込まれてしまうんですよね。

例えば冒頭。

野宿中の旅人の喉元に刃物が押し当てられてゆっくり引かれる。
カメラが引くと、すでにもう一人の男も同様に殺されていて、会話の中身から殺した方の男2人は旅人の寝こみを襲う強盗であることが分かるんですね。

その二人の駄話中、死んだと思われた男が実は生きていて、死んだふりをしたままそっと銃を構えようとするも強盗の一人に撃ち殺されてしまう。

すると、その銃声を聞きつけた何者かが数名向かってくる馬の足音が聞こえ、二人は逃げようと丘を登るわけですね。

すると、丘の上では獣の鳴き声のような不気味な音が聞こえ、二人はどうやらネイティブアメリカンの墓場らしき場所に迷い込んでしまう。

若い強盗はビビって別の道を行こうと言うが、年老いた方の強盗は耳を貸さず進み、草むらに人の気配を感じて銃を発砲。

しかし、次の瞬間弓矢で喉を射抜かれた年老いた男を見て若い男は逃げ出し、その後方では刃物か鈍器で年老いた男が止めを刺されているのが小さく見えるわけです。

つまり、獲物(旅人)を狩る強盗を狩るインディアン(食人族)という図式を冒頭で見せることで、本作がアクション映画ではなく「暴力映画」であることが提示されるわけです。

この場合の「暴力映画」とは、例えば主人公が能力や腕力で悪者たちを倒すような勧善懲悪のアクション映画ではなく、例えばニコラス・ウィンディング・レフン監督作品や、スコセッシのギャング映画、一連のペキンパー作品や韓国ノワールなど、暴力の痛みや本質を描く、または暴力とは何かを観客に突きつける作品のこと。

そうした暴力映画の系譜自体は洋の東西問わず連綿と受け継がれていて、現在その先頭を走っているのがS・クレイグ・ザラー監督なんですね。

そんなザラー監督のデビュー作となる本作、ガンマンと食人族が戦う、いわゆるアクションシーンは殆どありませんし、あっても襲い掛かる食人族を主人公たちが銃で撃つのをサクッと見せる程度なんですが、何故か痛い描写は執拗に撮るししっかり見せます。

特に中盤、捕まった副保安官のニックが裸にひん剥かれ食人族に捌かていくショックシーンは観ていて本当に怖いし超シンドイ。
石か動物の骨で出来た斧で剥がれた頭の皮を口に突っ込まれ、逆さにYの字状にされて(刃物みたいに切れないから)股間から何度も斧を叩きつけられて縦に真っ二つに裂かれますからね。(←自主規制。読んでもいいよという人は文字反転で)

「こんな死に方は絶対に嫌だ」ランキング第1位ですよ。

それまで彼らを同じ「人間」として観ていた考えの甘さを突きつけられるような、何とも絶望的なシーンだし、捌かれていくニックに「コイツらを皆殺しにしてやるからな!」と声をかけるハート保安官に観ているこっちも感情移入するシーンであります。

その前のシーンでは、執拗にインディアンを憎み女子供まで160人以上を殺してきたブロンダーに対して批判的だったハート保安官とチコリー
この二人は非常にリベラルな精神の持ち主なんですね。
実はブロンダーの方は少年時代、インディアンに母と姉を殺されるという地獄を既に経験済みなので、価値観や宗教観、倫理観など何もかもが違うインディアンとは分かり合えない事を身をもって分かっていた。

そんなブロンダーの気持ちを、ハート、チコリー(と観客)はこの(ニック捌き)シーンで追体験し、骨身に染みて”分からされる“わけですね。

もちろん、人間を縦半分に裂いちゃうこのシーンは画的にも設定的にも荒唐無稽だし、コントギリギリなんだけど、それを悲惨&悲壮なシーンとして成立させているのは、脚本と監督を兼任するS・クレイグ・ザラー監督の手腕なんですよねー。

特に脚本は素晴らしく、一つ一つのシーンやエピソードには常にフリとオチがあって、前後のシーンが有機的にリンクしてるのです。

ただ、そんな激痛暴力描写の合間合間に、すっとぼけたギャグを挟んでくるので、この監督は油断が出来ないんですよねw

例えばこのニック捌きの次のシーンでは、食人族のリーダーがニックの足をケンタッキー感覚で歩き食いしてたりねw

その辺のセンスや省略の仕方なんかは北野映画に近いかもしれません。

まぁ、そのお陰で観ているこっちは息がつけるし、最後まで面白く観られるわけですが。

で、色々あってのラストの方で、この食人族の女がチラリと映るわけですが、彼女らは手足を切られ、いわゆる達磨状態にされたうえに棒のようなものを刺されて目も潰され妊娠させられている。(←自主規制。以下略)文字通り「子供を産む道具」にされているわけです。

実はその前に、サマンサが「身重の女たちは手足が不自由で盲目」と説明しているんですが、それがフリになっていて、説明を聞いてコッチが想像したのとは全然違う「暴力」を見せることで、食人族を完全なる怪物にする&ニックのシーン以前なら罪なき食人族の女たちを助けたであろう彼らが、放っておけば死ぬ事を知りながら放置して帰ることで、彼らの中でハッキリと「何か」が変わった事が示されているわけですね。

それは監督がリベラルに傾く映画業界を批判をしているようにも見えるし、現在のディスコミュニケーションな世界を映す鏡のようにも見えなくもないというか。

好き嫌いは分かれる

ただ、そんなS・クレイグ・ザラー監督作品は多分、相当好き嫌いが分かれるのは間違いなくて、実際評価サイトでも評価はハッキリ分かれてました

それは、もちろんグロ描写がエグいってのもあるけど、グロや暴力シーンに何某かの意味や意図、テーマ性みたいなのがあるのかないのか分からないってところで、ただのB級グロ映画に見える人もいれば、(勝手に)意味や意図を見出そうとする人もいるかなーと。

あ、あと、この作品ってBGMが一切入ってないんですよね。
で、エンディングロールだけテーマソングが入ってるんですが、どうもこの曲S・クレイグ・ザラー監督自身が作詞作曲したっぽいんですよね。
というのも、監督はプロのミュージシャンでヘヴィーメタルバンドのメンバーでもあったらしい。

なので、彼の作品のBGMは基本、監督自身が作詞作曲・演奏?もしてるらしいです。

というわけで、個人的には超面白かった本作ですが、とにかくグロシーンがキツめなので他人にはちょっとおススメ出来ない作品でしたーw

興味のある方は是非!!

 

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映画にする意味「みうらじゅん&いとうせいこう 20th anniversary スライドショーがやって来る!「レジェンド仲良し」の秘密」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、サブカル界の二台巨頭みうらじゅんいとうせいこうのユニット「ROCK'N ROLL SLIDERS」が行っているトークイベント「ザ・スライドショー」の20年を追ったドキュメンタリー『スライドショーがやって来る!「レジェンド仲良し」の秘密』ですよー!

アマプラの見放題に入ってたのを見つけたので早速観てみました。

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画像出展元URL:http://eiga.com

概要

みうらじゅんが全国で撮影した写真をスクリーンに映し、いとうせいこうが突っ込むというトークイベントのドキュメンタリー。「マイブーム」などの造語を生み出したイラストレーターなどの肩書を持つみうらとクリエイターのいとうが、写真をネタに独特のセンスや鋭い感性でトークを繰り広げるステージの様子のほか、WOWOWに残る舞台裏映像や撮り下ろしのインタビューなどで構成される。写真のセレクションや、みうらといとうの仲の良さが印象的。(シネマトゥディより引用)

感想

映画にする意味があるのか問題

映画界、というか邦画界では人気ドラマの劇場版とか、人気漫画やアニメの実写版とか、はたまたバラエティー番組のワンコーナーの劇場版とか、国民的名作アニメの駄リメイクとか、「それ、映画にする意味ある?」と頭をかしげるような作品が決して少なくないですよね。

僕も若い頃はそういう映画に噛みついたりもしましたが、今は“そういう作品“には最初から近づかなければいいと思ってるし、きっと映画界にも色々事情があり、またそういう「映画」が好きな人だっているわけで、それについてとやかく言う気はさらさらなく、個人的には「そういう作品ってあるよね」くらいの距離感だったりします。

で本作。

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画像出展元URL:http://eiga.com

劇場公開をネットで知った時、まさに「それ、映画にする意味ある?」って思ったわけですね。
みうらじゅんいとうせいこうは広く名前を知られてるだろうけど、二人の「ザ・スライドショー」というイベントを知ってる人はそんなに多くないだろうし、劇場に足を運ぶほどこの二人に興味のある人も、それほどは多くないと思いますしね。

僕は「ザ・スライドショー」の名前や概要を何となくは知ってたけど、会場に行った事もないし映像でも観たことがないので、アマプラで本作を見つけて、“映画として”というよりも「『ザ・スライドショー』が観られるなら」くらいの感じで観たわけです。

二人の天才が「レジェンド仲良し」になるまで

京都出身のみうらじゅんは、武蔵野美術大学に在学中から糸井重里の事務所で働き、マンガ雑誌ガロで漫画家としてデビュー後、イラストレーター、文筆業、バンドなどマルチに活躍し、「マイブーム」「ゆるきゃら」「クソゲー」など、いくつものムーブメントを日本中に浸透させた稀代の天才の一人。

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画像出展元URL:http://eiga.com

この人の凄さは、普通ならダメなもの、つまらないもの、不要とされるものなどに新たな価値と見方(楽しみ方)を提示することで、その物に対する世間の認識を変えてしまうところでしょうか。
また、どうでもいいバカ話と思って聞いていたら、いつの間にか彼の哲学や宗教感に引きずり込まれているんですよね。

それって今風に言うなら「インフルエンサー」ってやつなのかもだけど、「最初に発見して広める」ではなく従来の価値観では何の意味もない物に新たな価値観を提示することで意味や価値をつける。つまりは「無から有を生み出す」という意味で、やはりみうらじゅんという人はクリエイターだし、ある種の天才なのだろうと思うわけですね。

一方、江戸っ子のいとうせいこうは、早稲田大学在学中にピン芸人として活動を開始。
『ホットドッグ・プレス』などの編集部を経て、日本語ラップのパイオニアとして活動する一方で作家としても活躍するなどマルチな活躍で知られていて、やってることはみうらさんとほぼ一緒なんだけど、この人の場合はよりポップな形でその才能を世間に知らしめた人というイメージです。

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画像出展元URL:http://eiga.com

そんな二人の共通点はいわゆる「サブカル」だという事なんですが、劇中のインタビューでみうらじゅん本人が言うように、「モテる方とモテない方」で言えばみうらじゅんはオタク寄りでモテない方のサブカル村、いとうせいこうはオシャレでモテる方のサブカル村にそれぞれ住んでいたため、当初はお互いに反目しあう関係だったのだとか。

本作はそんな二人の出会いから、現在のホモソーシャル”を通り越して熟年夫婦のような関係性を”完成”させるまでを、みうらじゅんが日本全国から集めてきたネタをスライドで紹介、それにいとうせいこうがツッコミを入れる形式のトークショーザ・スライドショー」の歴史を通して追っていくというドキュメンタリー。
つまり、本作の主題は「ザ・スライドショー」というよりも、みうらじゅん&いとうせこうの出会いと積み重ねた歴史そのものなのです。

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画像出展元URL:http://eiga.com

 同時にこの「ザ・スライドショー」は二人にとって代名詞とも言えるイベントの一つであり、その時々の二人の関係性がそのままイベント内容に反映するので、みうらじゅんいとうせいこうの歴史を語るうえで避けては通れない題材でもあるわけですね。

最初は互いにある種のライバル意識やある種の反目も持ちながら始まり、やがていかにお互いを驚かせるか、感心させるかに重点を置いてネタ集めや演出をするようになっていき、最終的にはイベントのメインである「スライド」すら不要なのではないかという境地に達する二人。

さらに互いに還暦を超え、「もしみうらさんが自分以外の相方を見つけたら廃人になっちゃうよ」「自分が死んだら棺桶の中の遺体に「死んでんのかよ!」ってツッコミ入れてほしい」と、言い合える仲になった二人のトークは、見ているだけで幸せな気持ちになるし、還暦を超えた仲良しおじちゃん二人が舞台を転げながらキャッキャ笑い合う姿は、それだけで単純に面白いのです。

そして、その背後にはイベントスタート時の1990年代~現在の間に確実に失われゆく日本の姿がうっすらと見え隠れしているんですね。

というアレコレを含めて、この作品を映画にする意味があるのかないのかは、アマプラで観て各自ご判断ください。

興味のある方は是非!!

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