ぷらすです。
今回ご紹介するのは『アベンジャーズ/エンドゲーム』ですよー!
劇場公開初日に観たものの、とてもネタバレ無しで感想が書けない…っていうかストーリーに関わる部分は何を書いてもネタバレになってしまうので、DVDレンタルが始まるまで書いた感想をずっと封印してたんですよねー。
でも、9月4日にレンタルも始まったことだし、そろそろいいかなー?ってことで、満を辞して感想をアップしますよ!
というわけで、今回は完全ネタバレで感想を書いていくので、まだ未見の人はもう知りません!
いいですね? 注意しましたよ?
画像出典元URL:http://eiga.com
概要
『アベンジャーズ』シリーズの完結編で、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でヒーローたちの前に立ちはだかったサノスとの戦いを描くアクション大作。人類の半数が失われた地球で、アベンジャーズのメンバーが再び壮絶なバトルを見せる。メガホンを取るのは、前作や『キャプテン・アメリカ』シリーズなどのアンソニー&ジョー・ルッソ。アイアンマンことトニー・スターク役のロバート・ダウニー・Jrらおなじみの面々が出演する。(シネマトゥディより引用)
感想
MCU11年の軌跡
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は、2008年公開の「アイアンマン」からスタートした、大手アメコミ出版社マーベル・コミックが自社で実写映画を制作。様々なコミックのキャラクターを一つの世界観で扱うという一大クロスオーバー企画です。
日本で言えば「プリキュアオールスターズ」や「スーパーロボット大戦」みたいな感じだとお考え下さい。
それから11年間、前作「キャプテン・マーベル」まで実に21作に渡って紡がれた『アベンジャーズ』シリーズの締めくくりとして2019年4月26日に公開されたのが本作『アベンジャーズ/エンドゲーム』なんですねー。
昨年公開された「アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー」(18)の衝撃のラストから一年。
世界中のファン待望の本作は、米国での公開からわずか17時間で興収1億ドルを突破。
「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を破って史上最短記録を更新するなど、社会現象とも言える大ヒットになったのです。
その一方で、シリーズが進むごとに物語は複雑化していき、一本の独立した映画としては評価は難しい。
それは本作だけの話ではなくて「ロッキー」や「スター・ウォーズ」などにも言える、シリーズものの宿命なんですよね。
「ロッキー」が映画としてではなく「ロッキーシリーズ」としてファンに評価されるように、「スター・ウォーズ」が「スター・ウォーズというジャンル」として評価されるように。
本作もまた、映画ではなくMCUという一つのジャンルになっているのだと思います。
ざっくりストーリー紹介
前作「~インフィニティー・ウォー」で宿敵サノスに破れ、インフィニティー・ストーンの力で全宇宙の知的生命体を半分にされてしまったアベンジャーズ。
メンバーの半数を失った彼らは、インフィニティー・ストーンを取り戻し消し去られた人々を元に戻そうとサノスの居場所を突き止めるも、とき既に遅く、サノスは既にインフィニティー・ストーンを消滅させていました。
ソーが怒りに任せ、サノスを殺すも完全に望みを絶たれてしまったアベンジャーズ。
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しかし、それから5年後のある日、量子世界からアントマンことスコット・ラングが戻ってきたことで、彼らに新たな希望が生まれます。
彼らは量子世界を利用したタイムマシンで過去に戻り、6個のインフィニティー・ストーンを集めて世界を元に戻そうという計画を立てるんですね。
メンバーがそれぞれ過去に飛んでインフィニティー・ストーンを集める旅で、彼らは今は亡き人々との出会いで過去のわだかまりを払拭するも、計画を過去のサノスに気づかれてしまい、現代にやってきたサノス軍団との最終決戦に挑む。
というストーリー。
シリーズ全作を観てきたファンへのご褒美しかない181分
上映時間がシリーズ最長3時間1分という本作。
正直、観る前は「これは膀胱との戦いだな…」なんて思っていた僕でしたが、いざ始まってし合えばそんな事は杞憂に過ぎず、あっという間でしたねー。(もちろん直前にトイレを済ませ、鑑賞中も水分を控えてミントタブレットで乾きを癒す対策は取ってましたが)
シリーズのあらゆる要素を網羅し、過去作のキャラクターを登場させ、本作でシリーズを卒業するファーストアベンジャーズのメンバー6人に最後の花道を用意し、11年間に渡る一大叙事詩に見事に決着をつけた181分。
「え、“あの”作品のフリを“ここ”で回収するの!?」と驚き、MCU作品の特徴とも言えるユーモアやコメディーシーンで笑い、そしてクライマックスでは“そうなる事は分かってるのに”鳥肌が立つほど興奮し、見事な幕引きに涙する。
尿意を感じるヒマなんか1秒たりともありませんでしたよ!
一本の映画であの人数を捌くだけでもただ事じゃないのに、原作も押さえているファンが色々な予想を立てる中、“あえて”タイムマシーンで過去に戻るという一番ベタでシンプルな展開を堂々と採用しながらも、そこに各キャラクターのドラマを入れ込んでシリーズ作品を観てれば観てるほど楽しめる作劇。
まさにシリーズ総決算にして、シリーズ全作を追いかけてきたファンへのご褒美のような作品でしたねー。
2004年の「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」以降、アベンジャーズの冠がつく作品全てを監督してきたルッソ兄弟は、本作では完全に一見さんを諦めて、ここまでシリーズを支えてきたファンに向けて、最後に最高のプレゼントを用意してくれたのです。
今まで信じてついてきて良かった! ありがとうルッソ兄弟!・゜・(ノД`)・゜・
タイムトラベル理論
とはいえ、多くの観客はアベンジャーズのタイムトラベル理論がイマイチ飲み込めずに混乱したのではないでしょうか。
僕も、バナーが説明するタイムトラベル理論が理解できなくて、ネットで調べまくってしまいましたよw
で、その中で個人的に一番納得出来た理論をご紹介しますね。
サノスがインフィニティー・ストーンを破壊したせいで、サノスを倒して世界を元に戻すというアベンジャーズの希望は無残にも打ち砕かれてしまいます。
そんな時、量子世界に閉じ込められていたアントマンが偶然戻ってきたことで、アベンジャーズはタイムマシンで過去に戻り、集めたインフィニティーストーンを使って世界を取り戻す計画を立てるのです。
しかし、過去を変えれば未来も変わるタイムパラドクスが起こるのでは? という問題がありますよね?
これはつまり、世界線が一つという前提に基づいたタイムパラドックスで「バック・トゥー・ザ・フューチャー」などで描かれているのがこれです。
もう一つ、過去を変えた場合にそこから世界は「変えた世界」と「変えなかった世界」に分岐、世界線が増えていくという考えもあります。
これはアニメ「STEINS;GATE(シュタインズゲート)」で使われた考え方ですね。
図にするとこんな感じ。
Aが「バック・トゥー・ザ・フューチャー」パターン。
Bが「STEINS;GATE(シュタインズゲート)」パターンです。
対して本作では、アントマンが量子世界から戻ってきた事をヒントにタイムマシーンが開発されます。
量子力学には「エヴェレットの多世界解釈」という理論があり、物凄くざっくり言うと世界には“最初から”無数のパラレルワールドが存在している。ってことなんですね。
だったら、別の世界線(パラレルワールド)から、インフィニティーストーンを借りてきて世界を元に戻したあと、借りた直後に戻って石を返しちゃえば、自分の世界線ではタイムパラドックスは起こらないよね。っていう説です。
「アントマン&ワスプ」のラストでも、量子世界に行くスコットにジャネットが、「時間の渦に飲み込まれないように」と注意してるし、戻ってきたスコットは量子世界で体幹5時間くらいだった(地球では5年)と言っていて、つまり量子トンネルを使えば世界線と時間を自由に行き来する事が出来る。っていう事なのではないかと思われます。
ラストで、別の世界線にインフィニティー・ストーンを返しに行ったキャップが、老人の姿で座っていたのは、石を全て返したあと自分の世界線(過去)に飛んでペギーと結婚。最後を看取ったということではないでしょうか。(自分は氷づけになっているのでその時代のキャップと鉢合わせにはならない)
キャプテン・アメリカ
そんな本シリーズで、メインを張る主人公格のキャラクターと言えばアイアンマンことトニースタークと、キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャーの二人です。
第二次大戦中、ナチを裏で操る秘密組織ヒドラとの死闘の末に南極で氷漬けになり、70年後にS.H.I.E.L.D.によって発見され現代に復活したキャップ。
人一倍正義感に溢れながら生まれ持った虚弱体質のせいで入隊が叶わず、政府が極秘に行っていた「スーパーソルジャー計画」の被験者に志願して超人になります。
しかし、与えられた仕事は戦意高揚のマスコットキャラクターで、戦場では親友を失い、氷漬けにされたことで恋人ペギーとも離れ離れ。
復活してみれば世界の様相は様変わりし、同年代の仲間や恋人は亡くなり、それでも己の信じた正義のために戦う彼の元に現れたのは、ヒドラによって改造・洗脳された親友。
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過去のある出来事が原因でトニー・スタークと決裂し、親友を助けようとすればテロリスト扱いされ――と、ずっと挫折ばかりの人生を歩んできた彼に用意された最後の花道は、タイムマシーンで過去に戻って恋人ペギーと共に幸せな人生をやり直すというものでした。
時に対立し、時に協力しながら、トニー・スタークと共に「アベンジャーズシリーズ」を引っ張る両輪で有り続けたキャップや、彼を応援し続けたファンにとってこれ以上ない最高の幕引きをルッソ兄弟以下スタッフは用意していたんですねー!!
良かった! 本当に良かったよキャップ! ・゜・(ノД`)・゜・
アイアンマンに始まり、アイアンマンに終わる物語
シリーズ第一作「アイアンマン」は、マーベルコミックでは古参のキャラクターながら、「スパイダーマン」や「Xメン」などに比べると(世界的には)マイナーなキャラクターです。
マーベルコミックは、一時財政難から人気キャラクターの映画化権をバラ売りしていて、それゆえにMCUシリーズでは人気キャラを登場させられなかった。
世界的に名の通ったキャラと言えばハルクとキャプテン・アメリカくらいで、それでも1960年代以降に生まれた人気キャラに比べれば古臭かったり、二軍扱いのヒーローばかり。
そんな中、アイアンマンスーツというガジェットに目をつけてシリーズ第1作に持ってきたこと、さらにジョン・ファヴローという無名の天才を監督に選び、彼の強い推薦でロバート・ダウニー・Jrという(当時)落ち目の俳優を主役に大抜擢した座組が奇跡を呼び作品は大ヒット。その後のMCU作品の方向性が決まります。
「ダークナイト」などのダークでリアルな路線が全盛だった当時のヒーロー映画界隈で、コメディーテイストなヒーロー活劇をぶつけることで大ヒットした本シリーズは、その後11年(「インクレディブル・ハルク」という例外はあれど)ブレることなく物語を積み重ね、新作が公開される毎にファンを着実に増やしていくんですね。
その中でも「アイアンマン」は単独シリーズ3作が制作され「アベンジャーズ」「キャプテンアメリカ」シリーズでも中核のキャラクターとして常にMCU作品を引っ張ってきました。
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他のヒーローと違い特殊能力も超人的な肉体も持たず、自分の頭脳だけを武器にDIYで作り上げたアイアンマンスーツで地球を守ってきた中年のオッサン。
いつもプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、コンプレックスや自分の弱さと必死に戦い続けた彼はファンに一番近いキャラクターで、だからこそ愛されてきた。
そんな彼に、ルッソ兄弟は最後の最後に(自らの命と引換えに)宿敵サノスを倒して世界を救うという最高の花道を用意したのです。
クライマックスで「I am inevitable(私は絶対なのだ)」というサノスに、「「I am IRONMAN(私がアイアンマンだ)」と返すトニー。
「I am IRONMAN」は、言うまでもなく彼の代名詞と言うべき決め台詞で、僕は単純に感動のシーンとして観ていたんですが、英語が分かる人によれば、実はあれは彼一流のジョークなのだそう。
例えば子供が「I am hungry(お腹がすいた)」と言うとお父さんが「I am Daddy(私はお父さんだ)」って返すジョークがあって、あのシーンではサノスに対して自分の名台詞をジョークにして返したっていう、トニー一流の皮肉の意味も入っているんだそうです。
あのたった一言の中に、トニーの代名詞とも言うべき名台詞、覚悟、皮肉屋であった彼一流のジョークという4つのレイヤーが重ねられていて、かつ、トニー・スタークというキャラクターが全て詰まっているわけですよ!!
怖いわー。ルッソ兄弟怖いわー。
そして、エンドロールの後、シリーズ全作に入っているオマケ映像を入れずに、第1作「アイアンマン」で、トニーがテロリストに捕まった洞窟の中でアイアンマンスーツマーク1を造形する時の、熱した鉄をハンマーで叩く音だけが響く。
あれはアイアンマン=トニースタークへの鎮魂の鐘であり、「どんなに困難な状況でも決して諦めなければ未来は開かれる」というシリーズを通して語られるMCU作品のテーマであり、以降に作られるであろう作品にその精神は引き継がれるという宣言でもあるんですよね。(多分)
つまり、「アイアンマン」で始まったMCUの「アベンジャーズシリーズ」は、「アイアンマン」で幕を閉じたのです。
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ブラック・ウィドウの花道
そんな感じで概ね大満足だった本作ですが、一つだけ飲み込めなかった部分がありまして、それはブラック・ウィドウことナターシャの死です。
いや、分かるんです。ソウルストーンを手に入れるためには「愛するものの魂と引き換え」にしなければならず、サノスは養女であるガモーラの命と引換えにソウルストーンを手にする。
だから、本作ではナターシャが自らの命と引換えにソウルストーンをアベンジャーズに齎したんですよね。
本作はファーストアベンジャーズの6人に花道を用意したと前述しましたが、ナターシャの終わりはあまりにも辛すぎるし、ルッソ兄弟ならもっと別の展開も用意できたのではないか。そう思ってしまいます。
あるレビュアーさんは、ナターシャの死を「冷蔵庫の中の女」(男性向けの物語を成立させるために女性が良く死ぬ事)であると書かれていて、僕も最初はそのように感じていました。つまり、ナターシャの物語だけが完結していないと。
しかし、たまたま観ていたYouTubeのレビューで、「ソウルストーンを手に入れるため、サノスはガモーラの命を差し出したが、ナターシャは自分の命を差し出した」と言う話を聞いて、「なるほど! 」と膝を打ちました。
前作「インフィニティー・ウォー」でのガモーラの最後と、本作でのナターシャの最後はまったく同じ構図で撮られています。
それはつまり、ソウルストーンを手に入れるために犠牲になった二人の最後を同じ構図にする作劇的な意味と意図が本作にはあったということなんですよね。
前作でサノスは、彼なりの理屈と正義(生命体の増加で滅びる前に全宇宙の知的生命体を半分に減らす)に従って行動を起こす。
その理屈には一定の理があるように見えるんですが、結局はサノスの安っぽいエゴでしかなかったことが、本作で明らかになる。
また、他のインフィニティーストーンはこれまでのシリーズで登場していたのに、ソウルストーンだけは、前作で初めて登場してますよね。
つまり、前作・本作でのサノスvsアベンジャーズの戦いでの勝利の鍵は、ソウルストーンで、極論を言えばソウルストーンを手にした方が勝利を掴む戦いだったのです。
自分の目的のために愛する娘の命を差し出したサノス。
仲間を救うために自分の命を差し出したナターシャ。
構図は一緒でも両者の行動は実は真逆で、前作で大上段に掲げたサノスの欺瞞を、ナターシャは自らの命と行動で暴いてみせた。その結果、アベンジャーズを勝利に導いたんですね。
つまり、(作劇上)ソウルストーンは正義とそれを貫く信念を図る秤であり、ナターシャは言葉ではなく行動で正義の何たるかを示し、サノスの欺瞞に満ちた“正義”を打ち砕いたのです。
DCEUの「スーパーマンvsバットマン」で、「スーパーマンにただの人間のバットマンが勝てるわけがない」という人がいますがそれは全然的外れで、ヒーローの強さとはスペックではなく“信念の強さ”。
本作ではただの人間であるブラック・ウィドウ=ナターシャの強い信念が、宇宙最強の敵サノスのエゴを打ち破ったのです。
つまりルッソ兄弟とスタッフは、ナターシャにもちゃんと最高の花道を用意してたんですねー。
他にも語りたいことは山ほどあるし、(これだけ褒めまくってますが)もちろん全てが完璧というわけではなく、「アレはどうかなー?」 と思うシーンもないではないですが、それを一々論うのも野暮ってもので、前作「~インフィニティー・ウォー」の絶望的なラストから一年、これだけ笑って、泣いて、興奮して、感動させてくれる最高のフィナーレを用意してくれたMCUスタッフ・キャストには、これ以外の言葉はありません。
「ありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします」
興味のある方は是非!!!!
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