ぷらすです。
コロナで劇場公開が中止になってしまい、結局Disney+で配信公開することになってしまった不遇の作品、ディズニーピクサーの『ソウルフル・ワールド』を、やっと観ることが出来ました!
いや、もうね、ピクサーはとんでもないところに辿り着いてしまいましたよ!
画像出展元URL:http://eiga.com
概要
[配信作品]生まれる前にどんな人間になるかを決める「魂(ソウル)の世界」をテーマにした、ディズニー&ピクサーによるアニメ。青くかわいらしい姿をした「ソウル」たちが存在する世界に迷い込んだ音楽教師が、自分のやりたいことを見つけられずにいるソウルに出会う。監督は『モンスターズ・インク』や『インサイド・ヘッド』などのピート・ドクター。共同監督をドラマシリーズ「スター・トレック:ディスカバリー」の脚本に携わったケンプ・パワーズが務める。(シネマトゥデイより引用)
感想
コロナに振り回された不運な作品
「インサイド・ヘッド」「カールおじさんの空飛ぶ家」を手がけ、ピクサー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーも務めるピート・ドクターが満を持して送り出した本作。
ところがコロナ禍によって当初の公開日2020年6月19日から同年11月20日に延期。
日本でも2020年夏公開と発表されるも同年12月11日に後ろ倒しに。
しかし、世界的に猛威を振るうコロナの影響から、2020年10月8日、ディズニーは本作の劇場公開を断念。12月25日クリスマスにDisney+での独占配信という形での公開になってしまったんですね。
Disney+と契約している人は無料で観られるとはいえ、劇場で公開されないためDisney+と契約するしか観る方法がない(現在はAmazonで購入は出来る模様)のは、このコロナ禍という状況では致し方ないとはいえ、ピート・ドクター監督やピクサースタッフにとっては不運としか言いようがないし、Disney+未契約のピクサーファンは、この名作を観られないというのは、残念としか言いようがない。
この作品は興味を持った多くのファンに届くべき作品だと思いますしね。
逆に、自社独占配信という形で囲いこみ、多くのファンが本作を(劇場で)観る機会を奪ったディズニーの罪は重いと思いしましたよ。
っていうかその次の「あの夏のルカ」も「私ときどきレッサーパンダ」も劇場公開はなしのDisney+独占配信ですからね。
個人的体験から世界にコミットする
「アナ雪」以降、作品を通して世界的かつ政治的な問題に対してコミットしているディズニー作品に対して、ピクサー作品は一貫して、クリエイター個人の経験や思いをテーマに作品を作り続けてきているんですよね。
例えば「トイ・ストーリー」は親になったスタッフの、子供への思いや子育ての戸惑いが発想の原点になっていて、それはシリーズを重ねるうちに親子の関係性を描くメタファーとなり。また、オモチャはそのまま子供向けのアニメーションを作るピクサーそのものでもあり。
「カーズ/クロスロード」は、ピクサーの制作現場で若い才能へのバトンタッチと自身の引き際を考えるベテランスタッフの思いを主人公マックウィーンに重ね。
「リメンバー・ミー」は、生と死、家族のつながりをメキシコ独自の文化「死者の日」を通して描き。
それらのテーマが結果的に世界や社会問題にコミットする事はあるけど、あくまで出発点は監督・スタッフの個人的な経験や思いであり、なのでピクサー作品は突き詰めればどれも監督・スタッフの私小説なのです。
もちろんディズニー作品のように、世界の様々な問題に対して自社のスタンスを声高らかに宣言する作品作りは分かりやすく、広く世間に届きやすいというのはあると思うけど、ピクサー作品は個人の思いからスタートしている分、ディズニー作品より届く幅は狭いかもだけど、その分、届く人にはより深い共感を得ることが出来ると思うんですね。
で、本作はまさにそんなピクサー作品の極北というか、ある種の到達点と言える作品なんですよね。
ミドルエイジクライシスを子供向けアニメに
本作の発想の元は、おそらくピート・ドクター監督のミドルエイジクライシスなんですよね。
ミドルエイジクライシスとは日本では「中年の危機(鬱)」と呼ばれ、人生の終わりが見えてくると「俺(私)の人生これで良かったのか、他に成れたハズの自分があったのでは」と思い悩む症状のこと。中年期を迎えた人なら多かれ少なかれ誰でも経験があるのではないでしょうか。
そんなどう考えても子供向けのアニメからかけ離れたネタを、監督のピート・ドクターと脚本担当のケンプ・パワーズは一旦解体。
「人生賛歌」として再構築してみせたんですね。
ざっくりストーリー紹介
中年になってもジャズ・ピアニストを夢見るジョー・ガードナー(ジェイミー・フォックス)は中学校の音楽教師で糊口をしのぐ日々。
そんなある日、元教え子の紹介でニューヨークで1番有名なジャズ・ミュージシャンドロシア・ウィリアムズのジャズ・クラブで演奏するチャンスを得た彼は、浮かれ気分で街を歩いている最中にマンホールに落ちてしまうんですね。
そして、人間が生まれる前に「どんな自分になるか」を決めるソウルの世界で目を覚ましたジョーは、地上に戻るために必要な通行証を手に入れるべく、人間嫌いで何百年もの間地上に行くことを嫌がっているソウル22番(ティナ・フェイ)のメンターになるのだが—―。という物語。
中年期に差し掛かっても尚ピアニストの夢を諦めきれず、中学校の音楽教師も全然気が入っていないというかバイト感覚のジョーは、やっと夢が叶うという矢先、死にかけてこの世とあの世の間に行ってしまいます。
で、何とか生き返ろうとすったもんだの結果、生まれる事を恐れている22番のメンターになるわけですが、そこでそれまでの人生(走馬灯?)みたいなのが見えるんですね。
思い描く自分に成れていない。何も成し遂げてない自分の人生をみじめだと嘆くジョーの姿は、まさにミドルエイジクライシスそのもので、逆にこの世に生まれることを恐れる22番は引篭り――というより、SNSなどの情報を通して世界に絶望・諦観している子供たちのメタファーでもあるんですね。
そんな二人が、地上に降りてすったもんだしながら“人生”と”世界”を再発見するというのが本作のストーリーなのです。
人生の意味と煌めき
そんな本作で描かれるのは、人生の意味。
ジョーは、子供の頃父に連れられて観に行って以来、ジャズピアニストに憧れミュージシャンになれない人生には意味がないと思っているし、そうなれない自分を負け犬だと思ってるんですね。
でも彼は、音楽教師として何人ものミュージシャンを育てているし、劇中でミュージシャンになれるチャンスを持ってきてくれるのは、彼の元教え子なんですよ。
対する22番は、様々な偉人がメンターになるけど、誰一人22番に生まれるために必要な最後のピース「人生の煌めき」を見つけることが出来ないんですね。
それもそのはず、22番は「人生に(生まれることに)意味なんかない」と思い込んでいるわけですね。
それって例えば僕らがSNSを通して世界のアレコレを知った気になってるのにちょっと似てるかもしれません。が、実のところ22番は何度も失敗したことで完全に自信を喪失「人生に意味はない」は「自分には生まれる価値がない」の裏返しになっているわけです。
で、ふとしたことから地上に降りる事に成功した二人でしたが、ジョーが戻ったのは自身の身体ではなく、なんと病院の老人を癒す介護猫ミスター・ミトンズの中。
そして、ジョーの身体には22番が入ってしまう訳です。
そこから、約束の6時半までにジャズクラブに行かなければいけないジョーと嫌がる22番のすったもんだのドタバタ劇が繰り広げられるわけです。
で、あともう少しで――というところで、二人はソウル世界に連れ戻されてしまうのです。
「life」と「living」
じゃぁ、この世に生まれるために必要な最後のピース「人生の煌めき」とは結局何なのか。
目的をやり遂げた達成感なのか、夢をかなえた充実感なのか。自分が必要とされていると感じる自己肯定感なのか。
その答えが知りたい人は本作を観てください。
ただ1個ヒントを出すと「life(人生)」と「living(生活)」で、この2つは一見同じようで実はちょっと違うよね。というのが本作で描かれていることで、それはピート・ドクター監督が全世界に送る文字通りの「人生賛歌」なんですよね。
観た人の中には「何だそんな事!?」とガッカリするかもしれないし「結局おためごかしじゃないか!」と怒る人もいるかも。
でも本作は、ピート・ドクターの個人的経験から発想を得たまさに私小説的作品なので、前述したように“届く人にはより深い共感を得ることが出来る“作品なのではないかと思うし、本作を観た後、もしかしたらみなさんも「人生の煌めき」を見つける事ができるかもしれません。
興味のある方は是非!!
と〆たいところですが、このままだとちょっとほめ過ぎなので一応書いておきます。
もちろん僕も全部が素晴らしいと思ったわけではなく、何点か納得いかない部分や乗れなかったところもあるんですけど、そこはネタバレに関わる部分なのでここでは書かない事にします。それも含めて、観た人それぞれが考えてくれたらいいなって思いましたよ。
ではではー
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