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ダークヒーロー映画かと思ったら萌えキャラ映画だった「ヴェノム」(2018)

ぷらすです。

ヴェノム』公開初日に行ってきましたよー!

今年最後のアメコミヒーロー映画ということや、禍々しいヴェノムのビジュアル、主演はみんな大好き「トムハ」ことトム・ハーディ

こんだけ要素が揃えば、それはもう期待のハードルもガン上がりですよ!

ガン上がりだったんだけど…(´ε`;)ウーン?… いや、面白かったですよ? 面白かったんだけど…。って感じでしたねー。

というわけで、今回は公開されたばかりの映画なので、出来るだけネタバレしないように書きますが、これから本作を観に行く予定の人や、ネタバレは嫌という人は、映画を観てから、この感想を読んでくださいねー。

いいですね? 注意しましたよ?

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概要

マーベルコミックスに登場するキャラクター、ヴェノムが主人公のアクション。地球外生命体に寄生されたのを機に、特別な力を身につけたジャーナリストの戦いが描かれる。メガホンを取るのは『L.A. ギャング ストーリー』などのルーベン・フライシャー。『レヴェナント:蘇えりし者』などのトム・ハーディ、『ブルーバレンタイン』などのミシェル・ウィリアムズらが出演する。(シネマトゥディより引用)

感想

まーね、上記の期待ポイントの一方で、正直いくつかの心配ポイントもあったんですよ。
まずは、レーティングが「RG12」(親の同意があれば観ても12歳以下がいい映画)だったこと。
つまり、残酷描写はほぼありません。

もう一つは、本作がソニーズ・ユニバース・オブ・マーベル・キャラクター」(SUMC)第一弾だということ。
マーベルから版権を買い取って、サム・ライミ版「スパイダーマン」3部作のすぐあとに、リブート版の「アメージング・スパイダーマンを制作し、大コケした前科を持つソニー・ピクチャーズ。(個人的にアメスパ2は面白かったけどね)

現在はマーベルと提携を結んで、スパイダーマンの権利はソニーとマーベルが共有していますが、ほかのキャラクターはほぼソニーが権利を持っているんですね。
で、ソニーは自社が権利を持っているキャラを使ってMCUアベンジャーズ)的な流れを作ろうとしてるらしいのです。

って、なんかもう不安しかないわー

ヴェノムとは

ヴェノムは、原作ではスパイダーマンヴィラン(悪役)として登場。
カプコン対戦格闘ゲームや、サム・ライミ版の「スパイダーマン・3」でヴェノムを知った人も多いんじゃないかと思います。(僕もそうですが)

ヴェノムは生物に寄生し、宿主の能力を引き上げたり、コピーしたり出来る宇宙生物<シンビオート>の中の一人。

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長くなるので細かい経緯は省きますが、原作では最初スパイダーマンに寄生したヴェノム。(「スパイダーマン3」でも出てきますよね)
スパイダーマンことピーター・パーカーが大好きでしたが、無理やり引き離されたことで可愛さ余ってにくさ100倍状態に。

で、あることからスパイダーマンに恨みを持つ、敏腕記者エディ・ブロックと合体してスパイダーマンの能力を持った最強の悪役として大人気に。
その後、ヴェノム単体のコミックも沢山出ているらしいです。

で、このシンビオートは寄生した相手の力や精神状態を増幅させるけど、自分も宿主の性質に影響を受けるので、善人に寄生するとヒーローに、悪人に寄生すると悪者になってしまうらしいんですね。

ちなみに、原作版でのヴェノムの食料は、宿主の脳が出すアドレナリンとフェネルチルアミンですが、本作ではもっと直接的に人間そのものが食料という設定になってました。

ざっくりストーリー紹介

その正義感からトラブルも多い敏腕記者エディ・ブロック(トム・ハーディ)は、人体実験で死者を出しているという組織<ライフ財団>の真相を追ううち、彼らが宇宙から持ち帰ってきた寄生生物<シンビオート/ヴェノム>に寄生されスーパーパワーを得る。
その事からエディは<ライフ財団>に狙われることに。

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最初は反発していたが、色々あってヴェノムを相棒として受け入れたエディは、<ライフ財団>の企みを阻止するためタッグを組むことにする。

というストーリーなんですね。

日本で言えば寄生獣」x「うしおととら」÷2みたいなな感じでしたねー。

良かった点

マーベル屈指の人気キャラ「ヴェノム」の映画化で、しかも主演はみんな大好きトムハですからね。それはもう「面白い」が大前提なわけですよ。

特に中盤のバイクチェイスや、クライマックスの敵との戦いは、不定形ゆえに自在に形を変えながらトムハを助ける姿が、いかにもヴェノム的で見ごたえがあるし、トムハとヴェノム(声はトムハが担当)の掛け合いも超楽しい。

ヴェノムに寄生され体を操られて、一人でアワアワしてるヘタレマッチョなトムハの一人芝居(というかコントっぽい)には思わず笑ってしまう楽しさがあるし、何よりも、ヴェノムが存外可愛いんですよねー。

超怖いポスタービジュアルとか予告編から、「トムハを乗っ取り悪事を働こうとするヴェノムと、正義感と良心からヴェノムに抗うトムハ」的なストーリーをイメージしてたんですが、ヴェノムは案外最初からトムハLOVE♡な感じで協力的なんですよね。

基本、正義感があるけど独りよがりで独善的なトムハ(それが原因で仕事と嫁を失う)と、どうやら母星では、落ちこぼれで負け犬だったらしいヴェノムは、お互いに足りない部分を補い合いながら、相棒として共にラスボスに挑む事にになります。
ぶっちゃけ理屈は飲み込みづらいけど、こういう展開はやっぱ胸アツじゃないですか!

中盤では元嫁によってトムハから引き離されてしまったヴェノムが、チワワや元嫁に寄生しながら<ライフ財団>に囚われたトムハを助け出しに行ったり、超強いラスボスとの戦いでは引き離されるも、ついにエディから手を伸ばし…って展開は、何ていうか…萌える!

お前ら日本のアニメだったら、速攻で薄い本が出るからな! っていうねw

気になった点

ただ、映画的には全体的にストーリー構成が悪いっていうか、ヴェノムとトムハが出会うまでが無駄に長い!
特に前半、宇宙船が地球に墜落する件なんか丸々いらないだろうと。
なんなら<ライフ財団>のシーンからで十分に話は通じるしね。
やりたいことは分かるけど、全体的なストーリー運びや、テンポの悪さがホント気になってしまいましたねー。

もう一つは、観る前に危惧したとおり、残酷シーンがほぼゼロだったこと。
いや、何度も言うけど別に残酷シーンが観たいわけではないんですよ?
でも1シーンくらいはゴアシーンを入れて、視覚的にヴェノム本来の怖さやヤバさを見せておかないと、後に彼がトムハと相棒になる時のカタルシスに繋がらないんですよ。

っていうか、最初は「よっしゃ地球人食ったるでー!」って感じだったヴェノムが、なぜ途中で心変わりしたのかが、よく分からないんですよね。
セリフで「地球やトムハが気に入った」「俺は母性では負け犬だった」的な事は言うけど、なんか唐突感があるけど説得力はなくて、ご都合主義に感じちゃうんですよ。

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だったら、序盤のいらないシーンをまるっと削って、トムハとベノムが徐々にシンクロしていく様子を描いた方が良かったんじゃないかと思いましたねー。

もしかしたら、続編やSUMCシリーズに続く事を前提にしてるのかもしれないけど、ソニーさん、それで「アメスパ」失敗したでしょ! っていうね。

中盤以降はアクションも満載で尻上りに面白くなっていったけど、似たようなシーンが2回も入るとか、全体的に脚本のマズさは気になってしまいました。

ただ、まぁ残虐シーンがないことで、初見の人や残酷なシーンが苦手な人でも、安心して観られるようにはなってるので、それはそれでいいのかもしれませんけど。

要は、ストーリー的にはちょっとアレだけど、キャラ萌え映画としては面白いし、ヴェノムを知らない人でも十分に楽しめる作品だったんじゃないでしょうか。

興味のある方は是非!

 

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魔法の国のすぐ裏は地獄でした映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、アカデミー賞ウィレム・デフォー助演男優賞にノミネートされた事でも話題になった『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』ですよー!

映画を観たあとだと、「真夏の魔法」という副題の「天丼( パクチー、チーズたっぷりトッピング) 」的な余計なことすんなっぷりに辟易してしまいました。
いや、まぁ、一人でも多くの人に映画を観てもらうための企業努力に文句つけるのもアレですけども。

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概要

全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』などのショーン・ベイカーが監督・脚本を務めた人間ドラマ。フロリダで貧しい生活をしている母娘と二人を取り巻く人々の日常を、6歳の少女の視点から描く。主人公を子役のブルックリン・キンバリー・プリンスが演じ、母親役にベイカー監督がインスタグラムで発掘したブリア・ヴィネイトを抜てき。モーテルの管理人を演じたウィレム・デフォーは、第90回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。(シネマトゥデイより引用)

感想

この作品、僕はテレビ・ラジオ・ネットなどの映画評である程度どんな内容かを分かった状態で観たんですが、劇場公開時に、カラフルで多幸感あふれるポスタービジュアル&副題に騙されて観てしまった人は一体どんな気持ちになったんだろうと他人事ながら心配になってしまいましたよw

この映画は、一言で言うなら「魔法の国のすぐ裏は地獄でした」という内容。

フロリダのディズニーワールドのすぐ近くにある安モーテルを舞台に、最底辺の貧困層母子の“最後の夏休み”を、子供の視点をメインに淡々と描いていく作品なのです。

ざっくりストーリー紹介

家を失った無職の母親ヘイリーと娘のムーニーは、ディズニーワールドのすぐ近くにある安モーテル「マジック・キャッスル」で暮らしています。

母親のヘイリー(ブリア・ヴィネイト)は誰にでも悪態をついて法的にギリアウトな商売で日銭を稼いでるDQNだし、娘のムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)は言葉使いも汚くて、友達と悪さばかりしている悪ガキを通り越したクソガキで、管理人のボビーウィレム・デフォー)を困らせてばかり。

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そんなある日、ムーニーが起こしたある事件をキッカケに、唯一の親友アシュリーからも見捨てられたヘイリーは、いよいよ追い詰められて……。

という内容。

ネット評では、多くの人に高い評価を受ける一方で、まったく成長しないDQNママのヘイリーに「同情も感情移入も出来ない」「自業自得」という批判もあって賛否両論という感じでしたねー。

確かに、ヘイリーの言動は母親として間違っても褒められたものではないし、批判する人の気持ちも分からなくはないはないです。
が、彼女が置かれた環境は、努力で変えられるような生易しいものではなかったのではないかとも思えるんですよね。

まぁ、彼女の風体や態度をみれば、若い頃からロクでもない人生を歩んできたのは間違いないだろうし、今の状況も、そのツケが回ってたのだと見れば自業自得と言えなくもないけれど、彼女がそういう風にしか生きられないくらい、貧富の差が固定化されたアメリカのシステムが背景にあるのではないかとも思うんですよね。

そして、外から見ればダメな母親ではあるけど、少なくともムーニーにとって彼女はサイコーの母親だということがよく分かります。

どれだけ追い詰められても、ヘイリーは決してムーニーに暴力を振るったり当たり散らしたりはしないし、常にムーニーを楽しませようとしてるんですね。

タイトルの意味

で、本作のタイトル「フロリダ・プロジェクト」のプロジェクトって何かというと、低所得者のために用意された集合住宅のことだそうです。

しかしながら、このマジック・キャッスルは当然、低所得者用の集合住宅ではなくて観光客狙いの安モーテル。

映画評論家の町山さんによれば、低所得者向け集合住宅には、犯罪歴や逮捕歴があると入れないんだそうで、そういう人たちは一週間分ずつ料金を払って安モーテルに暮らしている、いわば「隠れホームレス」なんですね。

つまり「フロリダ・プロジェクト」というタイトルは、それ自体が監督ショーン・ベイカーの強烈な皮肉になっているのです。

子供たちの視線で描く「魔法の国」と大人視点の現実

そんな風に書くと、どんだけ悲惨な映画なのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。いや、物語自体は悲惨なんですよ?
でも、そういうのは全部物語の裏側に回して、表面的にはムーニーや友達のジャンシー、スクーティなど子供の視線で大部分が描かれていているんですね。

モーテルの階段の下を秘密基地に友達とおしゃべりしたり、手入れがされてない草をかき分けて走り回ったり、倒木に座ってジャムをたっぷり塗ったパンを食べたり、プールサイドのトップレスおばさんを冷やかしたり、ソフトクリームを買うために子連れのお母さんに小銭をねだったり、一個のソフトを三人で回し食べしたり。

真夏の高い空や、ディズニーワールドを意識したパステルカラーの町並みも相まって、どこまでも続く「魔法の国」の大冒険のようなワクワク感で満たされています。

しかし、一旦大人の視点で引いて見ると、子供たちの周りには危険がいっぱい。

ムーニーたちが遊ぶ廃墟は、麻薬取り引きに使われているし、道路には車がビュンビュン走ってるし、子供たちが集まって遊んでいると変質者が寄ってくる。

そんな時、強面管理人のボビーが、さっと駆けつけて変質者から子供たちを守り、仕事の合間にそれとなく子供たちを見守っているわけです。

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デフォー演じるボビーは、顔は怖いけど実は優しいオッサンなのです。

しかし、ボビーはただの雇われ管理人なので、もどかしく思いながらも子供たちを見守ったり、変質者から子供を守るくらいしか出来ないんですよね。切ない。

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それでも何とか楽しく暮らしていたヘイリーとムーニーでしたが、ムーニーが起こしたある事件をキッカケに親友アシュリーから見捨てられ、経済的にも追い詰められたヘイリーはとうとうある一線を超えてしまいます。

その様子を大人目線でハッキリ映すのではなく、最初は一緒にお風呂に入っていた二人が、やがてムーニー1人で大音量で音楽をかけながらお風呂に入るようになる。という描写でそれとなく分からせる演出が、逆に辛さ倍増なのです。

“夏休み”の終わり

そんな環境でもムーニーは、親友のジャンシーと楽しく無邪気に遊びまくっているんですが、そんな“夏休み”にもいよいよ終わりが近づいて。

多分、敏い子なムーニーは、母親のやっている事や自分の身に迫る現実をちゃんと分かっていて、それでも楽しい事だけに目を向けることで、もうすぐ子供でいられなくなる辛い現実を少しでも遠ざけようとしていたんじゃないかと思うんですね。

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なので、いつもキャッキャと楽しそうに笑って、悪さをして、走り回って、決して弱みを見せないように気丈に振舞っていた彼女が、親友の前で堰を切ったように感情を顕にするシーンは、もうね、辛すぎて涙なしでは見てられません。

そして、親友ジャンシーに手を取られ、二人で現実から逃げる先が……っていう最高に皮肉の効いたキレのいいあのラスト、曲なしでうっすら環境音だけが流れるEDロールも相まって……、もうね、嗚咽ですよ!

一見、特に脈絡なく小さなエピソードが連なっているだけの日常系作品に見える本作ですが、実は物語的にも映像的にも、伏線や見せ方がしっかり練られていて、巧みに組立られた見事な構成なんですよね。

本作は、フロリダの安モーテルを舞台にしたミニマムな物語ですが、それはそのまま世界の縮図だし、この映画で描かれる貧困問題は日本だって決して他人事ではないですよね。

ヘイリーが叫ぶ「ファッ〇・ユー!」が、一体誰に向けられた言葉なのか、見終わったあとに色々考えずにはいられない傑作でした!

興味のある方は是非!!

 

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88歳の鬼才は未だ進化中「エンドレス・ポエトリー」(2018)*ネタバレあり

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、みんな大好きアレハンドロ・ホドロフスキーの最新作『エンドレス・ポエトリー』ですよー!

84歳で23年ぶりの前作「リアリティのダンス」を発表して世界を驚かせ、ファンを熱狂させたホドロフスキーですが、本作はそんな「リアリティ~」のまさかの続編です!

で、この作品はあまりネタバレとか関係ないと思うので、文中に多少ネタバレがあります。
なので、これから本作を観る人や、ネタバレは嫌という人は、本作を先に観てからこの感想を読んでくださいね。

いいですね? 注意しましたよ?

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概要

チリの鬼才アレハンドロ・ホドロフスキーが監督を務め、久々に発表した新作『リアリティのダンス』の続編となる自伝的ドラマ。監督自身の人生を反映させ、若き日の両親との葛藤や初恋、その後の人生を左右する数々の出会いが描かれる。ウォン・カーウァイ監督作品『楽園の瑕(きず)』などで知られるクリストファー・ドイルが撮影を担当。80歳を超えている監督の作品とは思えないほど、エネルギーに満ちあふれた映像に魅了される。(シネマトゥディより引用)

感想

アレハンドロ・ホドロフスキーの自叙伝的映画 青春編

前作「リアリティ~」と本作を一言で言うなら、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が自らの過去を振り返る「自叙伝映画」です。

なぜ自叙伝「的」なのかといえば、この2作が「ホドロフスキーの脳内」をそのまま映像化してるからで、つまり基本的には事実に沿って描きながら、その時にホドロフスキー視点で彼が感じた感情やイメージまでを全て(極端にデフォルメしたり抽象化した、幻想的とも言える映像で)一つの画面に収めているからなんですね。(マジックレアリズム)

前作では強権的な父親との関係を描いた少年編が描かれ、本作はホドロフスキーが成長し詩人としての自我を確立するまでを描いた青春編になっています。

少年期のアレハンドロ、父親のハイメ、母親のサラは前作から引き続きイェレミアス・ハースコヴィッツホドロフスキー家長男のブロンティス・ホドロフスキーパメラ・フローレスが演じ、青年期の成長したホドロフスキーホドロフスキー家の末っ子で前作・本作で音楽も担当したアダン・ホドロフスキーが演じています。

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画像出典元URL:http://eiga.com  / 父親役のブロンティス・ホドロフスキーと母親役のパメラ・フローレス

前作では色んな体験を経て変わったように見えたハイメでしたが、故郷トコピージャを離れ、家族と共に引っ越した首都サンティアゴでのタフな暮らしの中、すっかり元の強権的な父親に逆戻り。アレハンドロに対しても医者になることを強要するんですね。

そんなある日、店に入った万引き娘が落としていった一冊の詩集に出会ったアレハンドロ。すっかり心を奪われて将来詩人になりたいと思うようになります。

しかし、強権的な父がそんなことを許すはずもなく、ぶち切れたアレハンドロは母の実家の木を斧で切り「詩人に俺はなる!」と家出。

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画像出典元URL:http://eiga.com

従兄弟リカルドの紹介で、さまざまな芸術家が集うコミューンで生活するようになり……。というストーリー。

コミューンで初めて自分の詩作を認められたアレハンドロは一気に詩人としての才能を開花させ、従兄弟に告白されたり、パンクな女性詩人ステラに夢中になったり、ゲイバーでオカマを掘られそうになったり、パリに移住する芸術家にアトリエを貰ったり、詩人の親友が出来たり、親友の彼女を寝取って絶交されたり、仲直りしたり。

しかし、チリでの活動に限界を感じた彼は、父親の制止を振り切ってパリに向かうのです。

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画像出典元URL:http://eiga.com

まるで舞台劇…というかほとんど歌舞伎!?

前作では低予算ながらもCGなどを使って色鮮やかで幻想的な世界を描いたホドロフスキーですが、本作ではさらに予算は少なかったようで、クラウドファンディングで資金を得たけれど、VFX(CG加工)はおろか、セットや大道具、エキストラを雇う予算もなかったようで。

そこで考え出したのが前作でも行った、書き割りを使う方法。

ロケ地の家の前に白黒で印刷した巨大な書き割りを配し、蒸気機関車やエキストラも同じ手法で書き割りに。機関車に至っては後ろに配したスタッフが書き割りを持ち上げて移動したりしていますからね。

あと、キャストの芝居を黒子がアシストしたりしてて、まるで舞台演劇のようでしたねー。

っていうか、ホドロフスキー自身が監督・出演し、長男が父親を演じ、末っ子がアレハンドロ本人を演じ(劇伴や音楽も)、奥さんが衣装を担当してと、ほぼホドロフスキー家が総力戦で「ホドロフスキー家の歴史」を作っている姿は最早、ホドロフスキー一座っていうか、どこか歌舞伎っぽいなーとすら思いました。

ここまで読んでくれた人は「え、それってショボイんじゃないの?」と思われるかもですが、驚くべきことにCGなどを使った前作よりもずっと映像がリッチに見えるんですよねー!

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画像出典元URL:http://eiga.com

カメラマンが「恋する惑星」などを担当したクリストファー・ドイルということはもちろんですが、「書き割りも映像的、物語的な効果を狙って最初からそうしたように見えるし、赤い服と骸骨模様の黒タイツを着たエキストラ(ボランティアのみなさん)が大勢登場するシーンは度肝を抜かれましたよ。

実在した女流詩人ステラ

で、アレハンドロが一目惚れする豪快な女流詩人ステラ・ディアス・バリン

真っ赤な髪に毒々しい化粧、豊満な肉体で2リットルのビールを飲み干し、近づく男をパンチで叩きのめし、背骨に沿うようにドクロの刺青を入れている、悪役女子プロレスラーのような彼女を、お母さん役のパメラ・フローレス一人二役で演じているんですねー。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 悪役女子プロレスラーのようなステラ姐さん

恥ずかしながら、僕はネットで調べるまで二役だと気づきませんでしたねー。

で、さらに驚いたのは、このステラ・ディアス・バリンは実在の詩人だそうで、元秘密警察の一員でカラテを習っていて、酒豪だったのも当時は映画のように真っ赤に髪を染め、顔を化粧する代わりに絵の具を塗っていたのも本当だったという、かなりパンクな女性だったようです。(出典元:http://aribaba39.asablo.jp/blog/2017/10/31/8718629

過去改変でホドロフスキー家の呪いを解く

 この二作では、主人公のアレハンドロが精神的窮地に陥ったときに、現在のアレハンドロが本人役(アレハンドロの祖父説もあり)で登場し、少年時代、青年時代の自分に助言をしたり抱きしめたりするシーンが度々登場します。

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画像出典元URL:http://eiga.com / ちょいちょい登場しては過去の自分に助言するアレハンドロ・ホドロフスキー(現在)

本作でも、自分のアイデンティティを見失って悩むアレハンドロに助言を与え、パリへの旅立ちを止めようとする父との殴り合いの喧嘩に「そうじゃない!」と割って入って、和解させたり。

アレハンドロ・ホドロフスキーは自身が抱える強い後悔を、自叙伝的映画で過去に戻って改変することで、自分自身、ひいてはホドロフスキー家の呪いを解いているんですね。

同時に、現在のホドロフスキーが発する言葉は、多くの若者や、かつて若者だった大人たちが抱える悩みや後悔、苦悩などをひっくるめて全肯定した上で、背中を押してくれる応援詩のようでもあるのです。

個人的に本作は、アレハンドロ・ホドロフスキー作品の中でも一番の傑作だと思ったし、80代を越えても尚、進化し続け、これだけ美しく生命力溢れる映画を作るホドロフスキーのパワーや芸術的信念にはただただ脱帽ですよ。

とはいえ、ぶっちゃけ少々ショッキングなシーンもあるし、ホドロフスキーリテラシーのない人は多少面食らってしまうかもですが、本作はホドロフスキー作品の中では多分、一番ストレートで観やすいと思うし、共感出来るのではないかと思います。

www.youtube.com

より楽しみたい人は、「ホドロフスキーのDUNE」→「リアリティーのダンス」→本作の順に観るのが個人的にオススメですよー。

興味のある方は是非!!

 

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ヘンテコ熊がだんだん愛おしくなる「ブリグズビー・ベア」(2018)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、その、あまりにも奇抜なストーリーが話題を呼んだ『ブリグズビー・ベア』ですよー!

スターウォーズ」でルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルが出演しているというので、気になっていたんですがレンタルして観たら個人的にガツンとツボな作品で、最後は思わず泣いてしまいましたYO!

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概要

アメリカのコメディー番組「Saturday Night Live」などで人気のコメディアン、カイル・ムーニーが脚本と主演を担当した個性派ヒューマンドラマ。25歳までシェルターで育った青年がいきなり外の世界に放り出され、思いもしなかった現実と向き合う姿を映し出す。『スター・ウォーズ』シリーズなどのマーク・ハミルが主人公の育ての親を好演している。共演は、グレッグ・キニア、マット・ウォルシュ、クレア・デインズら。(シネマトゥディより引用)

感想

この作品、例えば映画やアニメ、ドラマ、マンガ、小説、ゲームなど、いわゆる「フィクション」を子供の頃に観て育った人なら、思わずグッとくるんじゃないかと思います。

ストーリーをざっくり説明すると、25歳のジェームスは、赤ん坊の頃から外の世界を知らず、小さなシェルターで両親と一緒に生活しています。

どうやら、外の世界は空気汚染などでガスマスクなしでは出られない模様。
そんな彼が、楽しみにしているのが毎週ポストに届く子供向け教育番組“ブリグズビー・ベア”で、ジェームスは子供の頃からずっとブリグズビー・ベアを観て育ち、感想や研究をネットフォーラムで友人たち語り合っているんですね。

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少々退屈ではあるけど、何不自由ない生活。

そんな彼のシェルターに、ある日突然警察が踏み込んできて…!? という物語。

マーク・ハミルが誘拐犯!?

実はジェームスの両親は、彼が赤ん坊の時に誘拐して25年間の間シェルターに監禁していた誘拐犯だったんですね。

そして警察によって救出されたジェームスは、「外の世界」で本当の家族と暮らし始める事になるのです。

で、そんな誘拐犯でジェームスを25年間育てた偽物の父親を演じるのが、「スター・ウォーズ」でルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミル

劇中、一見、人徳者で優しい父親といった感じの彼ですが、観客にはこのシェルターでの生活や、家族の会話や儀式、地上に作られたガラスドームから見える景色、そしてマーク・ハミル演じる偽の父親や、ジェーン・アダムス演じる偽の母親、そしてジェームスが毎週楽しみにしている「ブリグズビー・ベア」など、ジェームスを取り巻く全てが歪で違和感を感じる作りになっているんですよね。

そんなある日、ガラスドームの中で偽の父親テッドはジェームスに「人間は辛い現実の中にあっても、想像力で自由になれる。頭の中の自由だけは、何者にも侵されないんだ」と言います。

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実はこのセリフこそが本作を貫く根幹のテーマで、そのセリフを「スター・ウォーズ」のルーク・スカイウォーカー役のイメージを長年に渡って引きずってきた、マーク・ハミルが語るというのが、何とも絶妙だなーと思いましたねー。

また、テッドがジェームスの為だけに、長年作り続けてきた「ブリグズビー・ベア」も、(映像こそショボイものの)作りこまれた設定や世界観(の欠片)は「スター・ウォーズ」(どちらかといえばスター・トレック?)と重なるんじゃないかと思います。

つまり、この偽父のテッドにマーク・ハミルをキャスティングすることで、フィクションと現実、メタ構造も合わせて何重もの多層構造になっているのです。

そして冒頭から真実までが、僅か10分程度でサクっと分かる構成も見事だなーと思いました。

映画「ルーム」との相似と違い

ここまで読んでくれた人の中には、本作が2015年の映画「ルーム」に似ていると思った人もいるのではないでしょうか。

実は、この映画の基本的な構造は「ルーム」とほぼ一緒で、主人公が隔絶された小さなスペースから救い出され、初めて家族や「世界」と対峙し、受け入れるまでを描いた作品なんですね。

ただ、両作品を見ている人なら、この作品に“ぬるさ”を感じてしまうかもしれません。

「ルーム」では監禁中の地獄のような時間を描き、開放された後も親子は人々の悪意や無理解に苦しむことになります。

しかし本作では、いわゆる悪人はほとんど出てきません。
なにしろ偽両親のテッドやエイプリルすら、ジェームスを虐待したりはしないし、実の子のように可愛がっていますからね。
そういう意味で、この作品にリアリティーがない。ご都合主義と感じる人がいるのも仕方ないかなーと。

ただ、この作品の主題はソコではないんですよね。
新しい生活に馴染めないジェームスは、子供の頃から観ていたブリグズビー・ベア固執し、パーティーで出会ったスペンサーや友人の協力を得ながら、自らの手でブリグズビー・ベアの最終回(劇場版)を制作するのです。

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しかし、ジェームスの本当の両親にしてみればブリグズビー・ベアはそれ自体が、25年間の間我が子を洗脳するために作られ続けた忌まわしい道具であり、ジェームスが夢中になるのは当然面白くないし、そんなものは早く忘れて前に進んで欲しいわけです。

けれど、ジェームスにとっては、両親もネット友達も(シェルターのパソコンはネットに繋がってなくて、テッドとエイプリルが友達を偽装してコメントを書いていた)、全てが嘘っぱちで、そんな彼の手の中にある唯一の「本物」がブリグズビー・ベアだったのに、それすら途中で取り上げられてしまったわけで。

だから、彼がブリグズビー・ベアを自らの手で終わらせる事は、「本物の世界」と対峙し受け入れるためには絶対に必要な通過儀礼。つまり形を変えた「父殺し」の儀式なんです。

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ジェームスにとってのブリグズビー・ベアは、僕らにとってのウルトラマン仮面ライダーであり、ゴジラガメラであり、ワンピースのルフィやDBの悟空なんですね。

彼らは子供にとってヒーローであると同時に、もっとも近しい友人、つまりイマジナリーフレンドであり、彼らとの別れを経験することで僕らは成長し大人になっていくわけです。ジェームスにとってはそれがブリグズビー・ベアで、だからブリグズビー・ベアの最終回はジェームスが前に進む(成長する)ためには絶対に必要なんですね。

作り手と作品は分けて考えるべき

また、本作が劇中で語っているもう一つの主張は、「作り手と作品(の評価)は分けて考えるべき」ということだと思います。

劇中、テディがジェームスのために制作した「ブリグズビー・ベア」は、友人スペンサーによってYouTubeにアップされるや、多くのファンを掴んでいきます。

これは近年、製作者やキャストの不祥事によって、人気映画の続編が立ち消えになったり、キャストが入れ替えになったり、遡って、彼らが手がけた過去作品の価値までが貶められるという事へのカウンターというか皮肉というか。

例え誰が作ったとしても、その作品が大好きで、作品に助けられたり人生が変わるほどの影響を受けた人はいるわけで、その気持ちを否定することは誰にも出来ないし、彼らにはその作品をなかった事になんか出来ない。
という事を、誘拐犯の作った偽番組の大ファンで自ら続きを作るジェームスというキャラクターを通して、監督のデイヴ・マッカリー、脚本のケヴィン・コステロ、主演・原案・脚本のカイル・ムーニーは言いたかったんじゃないかと思うし、僕もその主張には100%同意なんですよねー。

別に、不祥事を起こした製作者やキャストの罪がどうでもいい ということではなく、罪に対して罰は必要だが、それと彼らが残してきた作品や功績は分けて考えましょうっていうのは至極当前のことですから。

興味のある方は是非!!

 

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ジェット・リーvsジェット・リー頂上対決の行方は!「ザ・ワン」(2001)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、2001年のSFアクション映画『ザ・ワン』ですよー!

125人のジェット・リーによるバトル・ロワイアル」という衝撃的な設定に思わずレンタルしてしまいましたよー!

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概要

この宇宙全体には125のパラレルワールドが存在し、その均衡を守るため多次元宇宙捜査局=MVAが監視に当たっていた。が、捜査官の一人ユーロウがその特権を利用して、他世界の自分を次々と殺し始めた。ユーロウは一人殺すたびにそのエネルギーを吸収するかのように超人化していく――。ロサンゼルス。アメリカ大統領をゴアが務める世界。留置場から出てきた男ロウレスをユーロウが襲い殺してしまう。そしてこの時、ユーロウの標的はついに、ブッシュが大統領を務める世界に住む、ロサンゼルス郡保安官ゲイブひとりとなった……。(allcinema ONLINEより引用)

感想

カンフースターから世界的アクションスターになったジェット・リー
僕と同年代のファンならジェット・リーよりも、リー・リンチェイという名前の方がしっくりくるファンも多いんじゃないでしょうか。

ジャッキー、サモハン、ユンピョウなどのスターが次々と現れて大ブームとなった香港カンフー映画

そんな香港映画に、中国全国武術大会5年連続個人総合優勝という輝かしい看板を引っさげ、1982年公開の「少林寺」で、鮮烈なデビューを飾ったリーリン・チェイは、香港・中国映画で活躍し、1998年公開の『リーサル・ウェポン4』でハリウッドデビュー。

アジア人としては、ブルース・リーやジャッキーと並ぶ世界的アクションスターの先駆者となったんですね。

本作は、そんなジェット・リーが二役を演じるSFアクション映画で、監督は香港生まれの映画監督ジェームズ・ウォン

公開当時は「125人のジェット・リーバトル・ロワイアル”が始まる!!」という「ドキッ!丸ごと水着!女だらけの水泳大会(ポロリもあるよ)」並にワクワクさせられるキャッチコピーがついたそうですが、蓋を開けてみたら123人はすでに敗戦済で、結局登場するジェット・リーは3人しかいなかった(しかも1人は早々に殺されるので実質2人)っていうね。………うん、分かってた…。125人はさすがに無理があるよね…。

ざっくりストーリー紹介

で、本作のストーリーをザックリ紹介すると、

全宇宙には125の平行世界(パラレルワールド)があって、それぞれの世界にはちょっとずつ違う同一人物が暮らしているわけですね。

で、“彼ら”は一つのエネルギーを等分に分け与えられてて、誰かが死ねば余ったエネルギーは残りの“彼ら”に分け与えられる、という理屈らしい。

「だったら、ほかの並行世界の自分を全員殺してエネルギーを独り占めしたら万能の神になれるんじゃね?」

と考える不届き者を逮捕するのが多次元宇宙捜査局(MVA)。要するに警察です。

ジェット・リー演じるユーロウは元MVAエージェントでしたが、ジェット・リー王に俺はなる!」という野望を抱き、別次元の自分を122人もぶっ殺し、MVAの目を逃れながら123人目のジェット・リーも見事に殺害。

しかし、MVAエージェントで元同僚のローデッカー(デルロイ・リンドー)とファンチ(ジェイソン・ステイサム)によって逮捕され犯罪者コロニー(刑務所)に送られる寸前、恋人の手助けで逃げ出し、最後の一人ゲイブを殺しに行くのだった。

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という物語なんですねー。

思ったよりSFしていた

正直、観る前はもっとバカっぽい映画だと思ってたんですが、実際観てみると思ったよりしっかりSFしてるなーというのが第一印象でしたねー。

いや、なんで平行宇宙が125しかないのかとか、ユーロウ(悪リー)はなぜ全能の神になりたいのかとか、並行世界の自分に等分に与えられるエネルギーとは何かとか、全員殺して悪リーが唯一のジェット・リーになると宇宙が滅亡、でも迂闊に悪リーを殺しても宇宙が滅亡するかもしれないとか、ステイサム髪の毛フサフサだけどもしかしてカツラなん? とか、とにかくツッコミどころは満載なんですけどね。

でもまぁ、何となくSFっぽい雰囲気は楽しめるようになってるし、ところどころ気の利いた描写もあるので許容範囲かなーと。

映像的には、2001年の作品ということもあってCGのショボさが目に付くんですが、別次元に移動するシーンだけは力が入ってて「おぉ! 中々カッコいい!」と思いましたねー。

ジェット・リー最強決定戦

そして舞台は(多分)僕たちが住む次元のアメリカに。

冒頭で悪リーに殺された囚人だったジェット・リーは、この世界では警察官のゲイブ(善リー)になっていて、別の囚人を護送する途中に悪リーの襲撃を受けるんですが、死んだ123人分のエネルギーの半分(61.5人分?)は善リーにも分け与えられていて、しかもステイサムたちの手助けもあって何とか生き延びるんですね。

そこから、すったもんだあって最終的にジェット・リー最強決定戦のクライマックスへと向かうわけですが、ここで悪リーは八卦掌、善リーは形意拳を使って対決するという趣向はかなりにワクワクしましたねー!

あえて言えば、善リーは蟷螂拳だろ! と思わなくもなかったけど、それは「ドラゴン・キングダム 」のジャッキー戦で見せてくれてるし、今回はまぁいいかと。

どちらかといえば、61.5人分のエネルギーを得て、ほぼ超人化した悪リーの力を見せるために、超光速で動いたり、白バイを片手で持ち上げたりするシーンが、なんかインド映画の「ロボット」っぽっくて笑っちゃうですよね。

その辺のアクション演出はもうちょっと考えて欲しかったかなーと。

でも写真だけで登場する122人のジェット・リーは、金髪あり、ドレッドヘアーありと違和感バリバリで面白かったのでアリだと思いましたw

あと、劇中で善リーは大切な人を失う事になるんだけど、ラストでステイサムが恋人の生きている次元(その次元のジェット・リーは死んでいる)に送ってあげるという粋な計らいではあるけど、それ大丈夫なん? というシーンは、若干「それでいいのか」感あるけど、まぁご愛嬌かなーと思いました。

ステイサムがアクションスターへの第一歩を踏み出した作品という歴史的価値も含めて、まぁまぁ楽しい映画でしたねー。

興味のある方は是非!!

 

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ジャン=リュック・ゴダールの代表作「気狂いピエロ」(1967) *ネタバレあり

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、ヌーヴェルヴァーグを牽引したジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』(きちがいピエロ)ですよー!

一度20代で観たときは正直サッパリだったんですが、僕もいい歳のオッサンになったし「そろそろゴダールもイケるんじゃね?」と再チャレンジしてみましたー。

で、多分この作品は、ネタバレとか関係ない映画だと思うので、今回はネタバレありの感想になります。
なので「ネタバレは嫌」って人は、先に映画を観てからこの感想を読んでください。

いいですね? 注意しましたよ?

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画像出典元URL:http://eiga.com

概要

ジャン=リュック・ゴダールの描く、「勝手にしやがれ」と並ぶヌーヴェル・ヴァーグの代表的作品。映画的文法に基づいたストーリーというものはなく、既成の様々な映画の要素を混ぜ合わせ、光・色・音等を交差させて、引用で組み立てられた作品。「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドを主演にして、ただただ破滅へと向かってゆく主人公の姿を描く。(allcinema ONLINEより引用)

感想

ゴダールと言えば、うっかり「映画好き」なんて言おうものなら、
「へー、キミ映画が好きなんだー。じゃあ当然ゴダールは見てるよね。え、ゴダールも見てないのに映画好きとか言っちゃうんだ。へー(笑)」
と、大学の映研でくだを巻いてるようなサブカルクソ野郎が即座にマウントを取りに来るでお馴染みの、難解映画の代表選手みたいな映画監督じゃないですか。

いや、僕自身は(年代的にも)そういうの食らったことないですけど、マンガやドラマでそういうシーンで結構観たし、僕自身オタク畑の人間だったのでアニメや特撮作品で似たような仕打ちを何度か喰らいましたねー。

まあ、どの世界でもこういう嫌なタイプのオタクってのはいて、そういう輩がマウントを取るために利用したせいで、何も悪いことしてないのに変な先入観や苦手意識を持たれてしまう映画監督もある意味で被害者だし気の毒だと思うんですが、(多分)ゴダールは自身がこの嫌なタイプのオタク上がりの監督だと思うので、あまり同情できない感じもあったりなかったり?

で、そんなゴダールの代表作の一本が本作「気狂いピエロ」なのです。

 

ざっくりストーリー紹介

主人公フェルディナンは、いつも本を読んでる活字中毒で、会話でも本の文章を引用しまくって悦に入ってるような無職のサブカルクソ野郎です。

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画像出典元URL:http://eiga.com / サブカルクソ野郎のフェルデナン(ジャン=ポール・ベルモンド

そんな彼が、金持ちの奥さん言われて就活がてらパーテイーに行くと、アメリカ人の映画監督サミュエル・フラーと出会い、「映画ってなんですかね?」って聞くと、フラーは「映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するに、エモーション(感動)だ」と言うんですね。

本物の映画監督と話をしてすっかり感化されたフェルディナン。
パーティーでどうでもいい会話をしてる人たちを見て、「どいつもこいつもバカばっかだー!」なんてとんだ勘違い発言をして、女性陣にケーキを投げつけて途中退場。

家では友人の姪っこマリアンヌが娘の子守をしてるんですが、実は彼女は姪っ子じゃなくて友人の愛人。しかもフェルディナンの元カノだったのです。

今の生活を退屈に感じていた二人は、そのまま友人の車で愛の逃避行と洒落込むんですが、マリアンヌの今カレだった男は武器密輸ブローカーで、車には大量のドル札が入っていたからさあ大変。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 最初は盛り上がっていた二人だが…

二人は追われる身となりながら、ボニー&クライド気取りで逃避行を続けます。

最初のうちは燃え上がっていた二人ですが、サブカルクソ野郎で中二病気味のフェルディナンが女心が全くわかってないので、徐々に二人の心は離れていき、そんな時に組織に追い詰められ離れ離れに。

それからしばらくして、亡命した王家の妃に使えていたフェルディナンの元に、死んだと思っていたマリアンヌが再び現れ、兄貴の計画に乗ったフリをして組織の金を持ち逃げして二人でマイアミで暮らそうと持ちかけます。

しかし、それは嘘で兄貴と呼んでいた男はマリアンヌの彼氏でした。
フェルディナンは自分が利用されただけだと気づき、マリアンヌと恋人の男を撃ち殺して自分も(頭に巻きつけた)ダイナマイトの束で爆死する。という物語なんですね。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 最後は頭にダイナマイトを巻いて爆死

 分かり合えない男と女

恐らく、このサブカルクソ野郎のフェルディナンは、ゴダール自身を投影したキャラクターなんだろうということが何となく分かります。
で、マリアンヌ役を演じたアンナ・カリーナゴダールのリアル奥さんでして、なのでこの映画は(アンナ・カリーナの浮気が元で)破綻した自身の結婚生活とゴダールの気持ちを映画にしたのではないかという説があるとかないとか?

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画像出典元URL:http://eiga.com / マリアンヌを演じるアンナ・カリーナゴダールのリアル嫁

で、最初こそ盛り上がっていたフェルディナンとマリアンヌの関係ですが、実は最初から最後まで二人は噛み合っていないんですよね。
本を愛するフェルディナンと音楽やダンスを愛するマリアンヌ。

本はアーカイブ=過去と死の象徴、音楽やダンスは未来と生を表す象徴として描かれていて、つまり二人は最初から見ている方向が真逆なんですね。

それでも劇中、マリアンヌは何とかフェルディナンに歩み寄ろうとするんですが、サブカルクソ野郎のフェルディナンは、それに気づくことが出来ないのです。

それはそのまま男と女の関係を表していて、つまり男と女はそもそも分かり合えないのだということを、ゴダールはこの映画で言っているんだと思います。多分。

サミュエル・フラーとの会話

あらすじでも書いた、冒頭のパーティーシーンでの、フェルディナンと映画監督サミュエル・フラーとの会話。

元々、映画評論家から監督になった経歴を持つゴダール
そんな彼の分身フェルディナンが、映画監督のフラーに「映画とは何か」と問いかけ、フラーは「戦場のようなもの。愛、憎しみ、アクション、暴力、そして死。要するにエモーションだ」と答え、このシーンをキッカケにフェルデナンはその言葉を実践して「映画」を始めます。

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画像出典元URL:http://eiga.com / 銃を持つギャングにハサミで対抗するマリアンヌ

つまり本作は、シネフィルから映画評論家→映画監督になったゴダール自身の「映画ってこういうことだろ」というある種の回答で、「ただし俺ならこう作るけどな」っていう「映画を語る映画」なのかなと。

パーティーに集う人たちはシネフィルや映画評論家のメタファーで、そういう人たちが映画の表層だけを捉えてあれこれ愚にもつかない事を話していて、最初はフェルディナン=ゴダールも自分もその中の一人だったけど「こいつら映画を何も分かってない バカばっかりだ!」とパーティーを飛び出して、「映画」(監督)を始める…みたいな事なのかなと。

やっぱり分からん

この作品は、20代の頃に観てさっぱり分からなかった映画なんですが、そんな僕も今やいい歳のオッサンですからね。
歳を取ると味覚が変わるようにゴダールもそろそろイケんじゃね?」と今回再度チャレンジしたわけですが……うん、なるほど分からん。とw

いやいや、ストーリーが分からないとかじゃないんですよ。
小難しい事ばっか言ってるサブカルクソ野郎が、悪い女に騙された腹いせに女を殺して自分も死ぬという至極単純なストーリーですから。

そんな単純なストーリーに、絵画、文学や詩、映画や戯曲などから大量に引用しまくったセリフや映像をまぶして、いわゆる映画のストーリー文法を無視して撮った映像を繋ぎ合わせることで、映画を解体・再構築してみせた斬新な手法が(当時の)若い映画人やサブカル系の若者たちに大きな衝撃を与えたという功績も(色々な解説を見聞きしたので)理屈としては分かるんです。

ただ、本作が面白いかと聞かれたら正直つまらないし、どうやって面白がればいいのかが分からないんですよねー。

何ていうかこう、ラソンの実況中継を延々最後まで見てる時の気持ちに似てるかも。

一応ルールは分かる。レース上の駆け引きも解説者に教えてもらった。でも、選手がただ走ってるのを2時以上見てるのはシンドイ。
スポーツニュースで最初と最後だけ見れば十分だなー…みたいな感じ。

 110分しかないのに、体感だと3時間くらいに感じるし、ずっと「俺は何を見せられているんだ…」(いや、自分から好き好んで観ているわけですが)とw
あと、小難しいセリフがやたら多いので字幕を追うのに忙しくて映像に集中出来ない上に、セリフも頭に入ってこない。

っていうか、こちとらスピルバーグやルーカス、スタローンにジャッキーを観て育ったボンクラ帝国の住人なので、ゴダールとは完全に住んでる国が違うんだろうなーと。
つまりゴダールとの共通言語を、僕は持ってないって事なんだろうと思いましたねー。

前述の食べ物例えで言うと、大人になってチャレンジしてみたけど、やっぱりクセの強いホヤは食べられなくて、結局ハンバーグが最高だよね。みたいな感じ。

それが分かっただけでも、この映画を観た価値はあったのかもw

逆に言うと、今の時代だってゴダールと同じ言語を持ってる人はきっといるわけで、そういう人にとってこの映画は大傑作なのかもしれませんね。

興味のある方は是非!

 

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100人を超えるアーティストが贈るゴッホへのラブレター「ゴッホ 最後の手紙」(2017)

ぷらすです。

今回ご紹介するのは、「ひまわり」などの名画で誰もが知るフィンセント・ファン・ゴッホの生涯を描いたアニメーション『ゴッホ 最後の手紙』ですよー!!

125名の画家たちによる史上初の油絵アニメーションという、前代未聞の技法で「不遇の天才」ゴッホの生涯と死の謎に迫る伝記映画です!

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概要

「ひまわり」などの名画で知られるフィンセント・ファン・ゴッホの謎に包まれた最期を、油絵のテイストで描いたサスペンス。自殺したとされる画家が弟に宛てた最後の手紙を託された主人公が、その責務を果たそうと奔走するうちにゴッホの死の真相に迫る姿を描く。主演を『ジュピター』などのダグラス・ブースが務め、『ブルックリン』などのシアーシャ・ローナンらが共演。油絵が実際に動いているかのように見える映像に注目。(シネマトゥディより引用)

感想

まず、最初に書いておかなくちゃならないのは、僕はゴッホの名前と有名な作品(「ひまわり」とか)くらいは知ってるけど、別にゴッホに詳しくもないし特別好きでも嫌いでもないんですよね。

ぶっちゃけゴッホの最後が自殺だったというのも、この映画を観て初めて知ったくらいなんですよ。
でも、そんな僕でもこの映画を観たあとはゴッホが好きになっちゃうというか、監督のドロタ・コビエラ、ヒュー・ウェルチマンを始めとしたスタッフの熱意とゴッホ愛に当てられてしまうというか。

うまく言えないけど、そんな映画でしたねー。

125人の画家による全編油絵アニメーション

この映画はアニメーションなんですが、なんと125人もの画家ゴッホのタッチを再現した、全編油絵で作られたアニメーションなのです。

その制作方法は、まずゴッホの絵画に似せて作られたセットや、撮影後にCGアニメーションゴッホの絵と合成させるためのグリーンバックを背景に俳優たちが演技をした実写を撮影し、その映像を特別なシステムでキャンバスへ投影して、長期にわたる特訓でゴッホのタッチを完璧に習得した画家たちの筆で油絵に。

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画家たちは、演じている俳優の特徴は残しつつゴッホの絵画に登場する人物の風貌や雰囲気をうまく混ぜ合わせながら描き、“動く肖像画”として1秒につき12枚、合計62,450枚もの油絵を描いて高解像度写真を撮影するという、気が遠くなるような工程を経て制作しているんだそうです。

なぜ、わざわざそんな大変な方法を選んだのかといえば、ゴッホが弟テオに残した最後の手紙に記された「我々は自分たちの絵にしか語らせることはできないのだ」という一節に、「だったら彼の絵で語らせるべきではないか」と、この前人未踏の手法を選んだんだそうですよ。

多分、いくら文字で書いてもピンと来ないと思うので、予告編を貼っておきますね。

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ゴッホの人生と死、その謎に迫るミステリー

ここまで読んでくれた人は「つまりゴッホ風の油絵アニメーションの伝記映画ってこと? 」と思われるかもしれません。

ところがこの映画、なんとミステリーなのです。

本作の主人公(というか聞き手?)はゴッホではなく、郵便配達人の父からゴッホの「最後の手紙」を託されたアルマン(ダグラス・ブース)。

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彼はゴッホの弟テオに手紙を届けるため、アルルからパリ、そして彼が最期の日々を過ごしたオーヴェールへと旅をする中で、様々な人たちから生前のゴッホの様子を聞いていきます。

その途中でテオが、ゴッホの後を追うように死んでいた事を知ったアルマンは、導かれるようにゴッホが自殺したオーヴェールへと辿り着きます。

ゴッホうつ病治療のため精神科医のポール・ガシェ (ジェローム・フリン)を頼ってこの地に滞在し、最後は拳銃で自らの“腹部”を撃って、滞在中のラヴー旅館で駆けつけたテオに見守られながら短い生涯を終えたということになっていたのです。

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しかし、町の人々にゴッホの様子を聞くうち、アルマンはゴッホの死が自殺ではなかったのではないかという疑念を抱き始め……。

というのが、本作の内容なんですね。

 本作はそうしたミステリー要素で興味を持続させながら、世間一般の「狂人」「不遇」「天才」「孤独」といったパブリックイメージだけで語られがちなゴッホの実像に迫ろうとしているのです。

技法と物語から浮かび上がるフィンセント・ファン・ゴッホ

全編油絵によるアニメーションという技法と、アルマンによる関係者へのインタビュー形式の作劇によって、本作から二つのことが浮かび上がってきます。

一つは、「同じ技法を使ってもゴッホの絵にはならない」という事。
各国から招集された125人ものプロの画家が、ゴッホの筆致を完コピして描いた本作のアニメーションはもちろん素晴らしいんですが、例え同じ技法で描いたとしても、それはゴッホの絵にしかならないという事が逆に証明されてしまっているというか。

それは画家たちが上手いとか下手とかいう問題ではなくて、近づける事は出来てもオリジナルとは違うという事実が、(ゴッホに限らず)作家のオリジナリティーだと言うことを、自身も画家である監督は言いたかったのかな? なんて思いましたねー。

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もう一つは、ゴッホは本当に不幸だったのか」問題。

弟テオの献身的な援助に依存していて、ゴーギャンとの共同生活が破綻したことで精神を病んで自分の耳を切り落とし、生前はたった1枚の絵しか売れなかったゴッホ
他にも好色家、狂人、天才、怠け者、探求者など、そのエキセントリックさや不幸、不遇、孤独というイメージが一人歩きしている彼ですが、最後の地オーヴェールの人々が語るゴッホはとても穏やかで、子供にせがまれて絵を書いてあげたり、貸しボート屋の主人や宿の亭主やその娘、ガシェ父娘などと普通に交流しているんですよね。

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ゴッホの生涯については、彼が弟テオに書き残した大量の手紙から解明されているそうで、おそらく本作で描かれた晩年のゴッホの姿は、真実に基づいたものだったのではないかと思います。

つまり、監督を始めとした製作陣やスタッフは、ゴッホの不幸でエキセントリックなだけの人間という誤解を解きたかったのではないかと。

そして、彼が(アーティストに限らず)多く若者たちと同じように「何者か」になりたくて足掻いた傷つきやすい青年だった事を、本作は愛と誠意を持って語っているんじゃないかと思いました。

とにかく映像のインパクトが強いので、つい、そちらばかり目がいってしまいますが、ストーリーもしっかり面白いしゴッホに興味のない人でも、きっと楽しめる映画になっていると思いますよー!

興味のある方は是非!!!

 

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